1 あんぱんとクリームデニッシュ

 太秦商店街。活気づいている訳でも過疎化している訳でもない、地元の人で賑わっているといった表現がぴったりのどこにでもありそうな商店街。最寄りは急行が止まらない駅だが都心まで45分ほど(正確に言うと45分かからないが30分では行けないくらいの時間)で出れるし、自転車で10分ほど行けば海が見える。公共施設も充実しているし、生活していくには申し分無い。そんな所。

 太秦商店街は隣り合う『ミサキロード』と『ミントロード』で出来ている。その為、中心にある店同士は背中合わせの状態になっている。『ミサキロード』は昔からこの街にある通りで老舗の店が多く交番なんかもこちらにある。一方、『ミントロード』は出来て15年ほどで比較的新しい店が多く、たまにイベントが行われたりする小さな広場も設けられている。とにかく、平和で穏やかな商店街なのだ。


「ふあぁぁぁ」

 11時30分。何年経ってもやっぱりこの時間には一度眠くなってしまう。

 風間千帆、26歳、独身。『ミサキロード』のパン屋『ユリーカ』の娘。もう自分で娘という歳では無いのかもしれないけれど。私は母が経営しているパン屋で働いていて、主な仕事は小学校にパンを届けたり、決まった時間に決まった場所でワゴン販売をすることだ。

 今日もそろそろ小学校に配達に行く時間。

「母さん、行ってくるねー」

 母が常連さんと話し込んでいたので小さく声だけかけて家を出る。車に乗り込むと、先程積んだ焼きたてのパンの香りでいっぱいだ。小学校に着き、パンを下ろしているとどこからともなく声が聞こえてくる。

「ちーほちゃん!」

「ちーちゃん、パン早く食べたいよ」

「今日は何?」

「あたしも手伝うー!」

 配達時間が子供逹の中間休み時間に被るのでこうして毎回声をかけてくれる。

「ありがとう。気を付けてね」

 一番軽い箱を渡しして手伝ってもらう。

「あれ?」

 ふと違和感を感じた。

「今日、未美ちゃんは?」

 いつもなら高学年のお兄ちゃんである元希くんのあとをついて歩いている妹の未美ちゃんの姿が見当たらない。元希くんは私の声に眉を下げながら答える。

「未美、風邪ひいたんだ。今日は学校休み。」


 ピンポーン。チャイムを鳴らしてから間もなく中からパタパタと足音が聞こえドアが開く。

「こんばんは」

「…あら、千帆ちゃん!どうしたの?」

 ドアを開けてくれたのは、元希くんと未美ちゃんのお母さんである広美さんだった。広美さんは私が学生の頃から優しくしてくれている近所のお姉さん的存在だ。

「元希くんから未美ちゃんが風邪だと聞いたので…これ」

「まぁ、ありがとう。未美が大好きなクリームパンじゃない!喜ぶわぁ」

「今日の給食、クリームパンなのに未美ちゃんに食べてもらえないのは残念だと思って」

 広美さんがあまりにも喜ぶものだからなんだか照れ臭くなってしまう。

「流石、千帆ちゃんね。今度またうちに遊びに来てね。あ、気になる彼は出来た?最近また綺麗になって…!」

「もう、広美さん!誉めても何も出ないですよー!でも、またゆっくり話聞いてくださいね。未美ちゃん早く良くなりますように」

 そう言って帰り道を行く私に広美さんは笑顔で手を振っている。車に向かうまでに帰ってきた元希くんとすれ違って、「また会ったなー!」なんて言いながら車に乗り込む。

 街は丁度夕焼けに染まっていて、買いものをして帰る人達で商店街は溢れている。

 私は『ミサキロード』の入り口にある本屋の横に車を止めてワゴン販売の用意を始める。

「おっ、やっと来たか。事故にでもあったのかと思って心配してたんだぞ」

「おっちゃん、5分いつもより遅いからって大袈裟すぎ」

 本屋の店主である今宮のおっちゃんは毎日あんぱんを買ってくれる。私は小さい頃からおっちゃんと呼んでいて、実際に何歳なのかは知らない。

「千帆ちゃん、カレーパンある?」

 おっちゃんと話しているとさっそくお客さんが来てくれた。大体の人は常連さんで私の事を名前で呼ぶ。

「ありますよ!今日は友加里さんが好きなコーンカレーパンです」

「本当?嬉しい!じゃあ明日の朝の分も買っちゃおうかな」

 こんな感じで私は子供の頃から商店街の人達に見守られながら生活してきた。今日も沢山のお客さんが来てくれて本当に嬉しい限りだ。

 お客さんの列が途切れ、パンも少なくなったので今日はもう閉めようかと片付けをしている時だった。ふと、本屋の前に置いてあるフリーペーパーに目が止まる。表紙から、茶色いボブがよく似合う見知った顔がこちらを見て微笑んでいた。



「兵庫県から来ました。入江美穂です。よろしくお願いします。」

 白く優しい顔に、黒いロングヘア。スラッとしたスタイル。何よりも、ふわふわした雰囲気に少し影のあるような、なんとも言えないオーラが彼女を包み込んでいた。

 この時期に転校してきたとすればあそこの店の子だろう、とクラス全員が思っていたに違いない。誰が質問するか探っているような空気の中で、男子のリーダ的存在である勇太が勢いよく立ち上がった。

「おまえ、『マーブル』の娘?」

 その言葉に彼女は一瞬目を見開いたが、すぐに元の表情に戻りゆっくり口を開く。

「ええと、『マーブル』は私のお母さんのお姉さん夫婦がやっているお店で、お母さんはそこで働いているって形なの。だから娘では無いかな」

 穏やかな口調で頬笑む美穂にみんなはへーっと魔法にかけられたかのような声を出す。

『マーブル』というのは3日前に『ミントロード』にオープンしたパン屋で、元は神戸に店を構えていたとかで開店前から街中で話題になっていた。オシャレなレストランかと思うようなレンガ造りの店構えにカウンターだけではあるがカフェスペースもある。メレンゲのお菓子にアイシングクッキー、自家製のプリンにゼリー。そして何よりも1日20個限定というクリームデニッシュが絶品らしく、開店前から行列が出来た。彼女がその店の子だと思うとますます特別な存在の気がした。

「じゃあ入江さんは…風間さんの横ね。後ろの一番端の席。そうそう、風間さんのお家もパン屋さんなのよ、せっかくだから仲良くね」

 先生がそう言いながら彼女を私の隣の席に誘導した。

「よろしく」

「あ、うん。よろしく」

こんな風に私と彼女と出会った。

















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ロイヤル・ブレッド 菊野ちひろ @jewel_chihiro

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