第2話 都市提督の栄養ドリンク

 セファン都市提督、ルイーダ・ドス・セファン・シュリンクスは、別名を『ダンジョン公』という。

 五年前までただの田舎町というのもおこがましかったセファンの街を、ダンジョンを売り物にすることであっという間に一大都市に仕立て上げた功績から、その二つ名はつけられた。

 かつて、セファン領は地獄のような土地だった。

 唐突な魔力災害で発生したダンジョンで田畑は荒れ放題。国境に近いこともあり、隣国からの侵略の魔の手が伸びたこともある。

 先代までは、ほとんど爪に火をともすような貧窮にあえいでいたと噂されるシュリンクス家。

 先代の放蕩が原因とも、ダンジョン開発に失敗したからとも言われていた、かつての社交界の笑われ者。

 そんな評価を一代で覆したのが、現当主のルイーダだった。

 彼女は領内の一切合切を、その果断な決断力で一新した。

 東に悪代官がいれば首をはね、西で反乱が起きれば単身乗り込み、その反乱のリーダーと一騎打ちをする。

 悪徳坊主が娘を拐かしたと聞かされれば、教会さえ焼き払った。 

 そんな苛烈な一面に反して、彼女は領民に対して慈悲深い人物だ。

 税が重すぎると単身屋敷に乗り込んだ父親を歓待し、ひと晩かけてその話を聞いた。

 貧窮で子供の弔いができないと嘆く母親を見た次の日、領内での弔いを領主の権限で行うという布告が出た。

 そんな彼女は、領内で一種の崇拝の的だ。

 そして彼女がそんなことができるのは、その裏打ちされた実力によるものだ。

 

 ルイーダ、単身ダンジョンに乗り込み、制圧する。

 

 その一報は、ダンジョン探索を生業とする冒険者に衝撃を与えた。

 ダンジョン探索は 本来数人から数十人のメンバーを募ってするものだ。

 なにせ地中深く、どこまで続くかもわからない明かりもない回廊を、ひたすら進まなければならない。

 食糧はどうする?

 もし途中で怪我をしたらどうする?

 仮に最深部に行ったとして、どうやって帰ってくる?

 問題を数えれば限りがない。

 だからダンジョンに潜るなら、数組のパーティで合同で挑むのが常識だった。

 それを彼女は、単身でやってのけたのだ。

 冒険者たちは湧き上がった。

 そして彼女は制圧したダンジョンを飼いならすことに成功した第一人者だ。

 それを街に開放し、その資源を使って街を再興した。王都並みの巨大な街を作り上げ、その指導者として都市提督という称号を王から賜った。


 まさに破天荒。それが、ルイーダ・ドス・セファン・シュリンクスという女だ。


 もちろん、そんな彼女を危険視する声もある。

 彼女に力が付きすぎると、嘯くものもいる。

 彼女を引き摺り下ろせと、魔の手は何度も彼女に迫ってきた。

 だがそれはすべて、彼女自身の手で退けられた。


 そういった不穏な影を退けるもっとも大きな決定打となったのは、現王息女ラルドに対する騎士の誓いの儀だ。

 

 王城で開かれた、とある晩餐会のことだ。

 それは隣国との終戦を祝うために開かれたもののはずだった。しかし、終戦というのは、常に万人には利益をもたらさない。

 晩餐会は襲撃された。

 襲撃犯の目的は、隣国を装って、戦争の火種を消さないことだった。そのときに狙われたのがラルドだ。

 襲撃者は、わかりやすい獲物を求めていた。

 王息女ラルドはその恰好の獲物だった。

 その可愛らしさに加え、孤児院や医薬院を回って、孤児や病人に施しを与えて回る慈悲深さ。一部では聖女とまで言われる彼女を血祭りにあげるのは、戦乱を招くには材料としては実に美味い餌だった。

 そんな襲撃者に相対した者こそ、当時すでに『ダンジョン公』の異名を頂いていたルイーダだ。

 ラルドが晩餐会の支度のために一度奥に戻ったとき、襲撃者はやってきた。

 その数、一五人。

 その十五人が一斉に王女の首を持ち帰るために、王女の支度部屋になだれ込んだ。

 このためだけに雇われた襲撃者たちはさすがの手腕であり、護衛についていた近衛たちでさえ歯が立たない。

 一人、また一人と兵士は倒れ、あわや王女の首にその鋭い短剣を突き立てようとしたとき、一太刀に襲撃者を斬り伏せた者こそルイーダだった。

 ルイーダはその真紅のドレスをなびかせて縦横無尽に駆け回り、近衛さえ圧倒した賊どもを、その手に持った剣一つで圧倒してみせた。

 そうして賊を退け、晩餐会の会場までラルドを助け出したルイーダは、その場で王息女に請われて騎士の誓いを果たした。

 ラルドの前に剣を捧げたその光景は、むしろ平常の叙任式よりも荘厳だったと言われている。

 その光景は、今では何人もの画家によって市井に出回っていた。今では彼女のことを後ろ指を指すものなど、この国にはいない。

 それが、世間一般における『ダンジョン公』ルイーダ・ドス・セファン・シュリンクスという女だった。



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 セファン提督府。

 そこはいつも明かりがついていることで有名な場所だ。

 噂ではダンジョンからの技術を応用したという不思議な明かりが使われ、油さえ使う必要がないのだという。

 時刻は夜。

 ルイーダ・ドス・セファン・シュリンクスは、いつものように眉間にシワを寄せて目の前の書類を見つめていた。

 さっきから何度も侍従がビクビクと部屋に入り、手に持ったものをさり気なく、できるだけ音を立てることなく、そしてその鋭い眼光に捉えられないようにおいていくのを見ないようにしながら、彼女は目の前の書類を捌いていた。

 彼女の目に捉えられると、いつも侍従が身を固くするのだ。だから彼女は侍従を見ないようにしながら仕事をするのが癖だった。

 だからいつも書類に埋もれるようにして、彼女は仕事に没頭する。

 もともと自身の容貌のことは、よく理解していた。

 昔から蛇の目とまで言われる程度には、きつい目つきだ。

 睨んでいるわけでもないのに、何故か見られた人々は萎縮する。だからできるだけ見ないようにすることで、なんとか心労の負担を軽くすることしかできない。

 皆慕ってくれていることこそわかるのだが、その分申し訳無さが募ってしまう。

 そこまで考えて、ルイーダは小さくため息を付いた。

 執事には、さんざん改めるように言われている考えだったからだ。堂々としていろと言われるのだが、それがなかなか気を使う。昔からこうだった。

 本来、ルイーダは気弱な少女だった。何かあれば母親に泣きつき、あやしてもらわねば安心できない、そんなどこにでもいる子供だった。

 特に子供時代はまだまだシュリンクス家も貧しく、周りの貴族の子供と鉢合わせれば心無い言葉を投げかけられることもしょっちゅうでそのたびに声を殺して泣いたものだ。

 だが、それと同時に優しい少女でもあった。

 その時から街に出れば、貧しさになく人達がいるのは知っていた。当の本人にも、家にもそんな力がないのもわかっていた。だからこそ、自分がなんとかできることはないかと模索した。剣術を習い始めたのはその頃だ。

 幸いな、というべきか、ルイーダには剣術の才能があった。みるみるうちに才能を開花させ、師匠を打倒してしまうのに時間はいらなかった。

 もともと、ルイーダはあまり頭の良い方ではなかった。特に計算は苦手だったし、今でも目の前にある経理書類は見るだけでも頭が痛くなる。決済するだけで済むのが幸いだ。

 そんなルイーダだからこそ、自分には剣術しかないという思いがあった。そして幸いなことに、シュリンクス領にはその才能を向けるべき場所があった。

 東の悪代官の噂はもともと聞いていた。ただ、手勢が多く、当時のシュリンクス家では手が出せなかった。

 西の反乱の話もわかっていた。あのあたりは、先々代の頃に併合した土地だ。だからこそ、力を示す必要があった、

 教会はもともと腐っていた。だからいつかは焼き払ってしまうべきものだった。

 そしてそれを実行できるのは、剣においてシュリンクス家の天才と言われたルイーダ自身をおいて他にいなかった。だからこそ実行したのだ。


 だが、と思う。


 ルイーダは今見ていた書類にサインを終えると、小さくため息を付いた。

 領内は潤い、今や自分は『ダンジョン公』とまで言われている。しかし、それは同時にルイーダにいろいろな問題をもたらした。

 例えば暗殺者。ここのダンジョンの利権に群がる連中や、今まで切ってきた者たちが恨みをつのらせてやってくる。来れば片手間に切り捨てられるが、いかんせん数が多いので面倒だ。

 例えば友人。昔から自分は人見知りだ。この目のせいもあって、他人からは怯えられるおまけ付き。剣術の稽古に没頭したせいか、未だにぶっきらぼうな口調が治らない。最近になって、ようやく友達と呼べる人物ができたばかりだ。それもどうにか土産を持っていって、なんとかかんとかといった具合だった。

 例えば恋人。ルイーダも年頃の女だ。自分だってそれなりの恋はしてみたい。しかし、自身の武勇が邪魔をして、大概の男は会う前に頭を垂れてしまう。つまり相手がいない―――なお、貴族の結婚適齢期は考えないものとする。

 そして、何よりこの書類の山だ。

 発展したシュリンクス領は、とにかく大量の仕事でいつもてんてこ舞いだ。新しい町の建築許可。葬儀の手配書。大量に出てくるダンジョンのドロップ品の競売許可。その全てがルイーダの決済を待っている。

 人員を補充し、任せられるところは人に任せているが、それでもなお大量の書類がルイーダの元へやってくる。やらなければ領民が困る。

 もちろんルイーダは、それらを滞らせるつもりなどない。だが、時折疲れてしまうことがあるのだ。

 ルイーダは小さくため息をつくと、書類を一旦脇に置き、立ち上がった。



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「いらっしゃいませー」


 そんな声に迎えられながら、ルイーダはその店に入った。

 いつも着ている真紅のドレスではなく―――あれは一種のイメージ戦略だ―――よく冒険者が着ている粗末なシャツとズボンに、軽鎧といった装いだ。それに帽子を合わせて顔を隠す。

 そのままスタスタと慣れた様子で店内を歩く。

 外はすっかり暗くなっているが、店内はいつものように明るい照明と、清潔な床。そして、棚に溢れる商品で彩られている。

 だが、ルイーダが目指す場所は決まっていた。


「おや、ルイザさん、いらっしゃい。いつものですか?」


 そうルイーダに声をかけてきたのは、この店の店主だ。店主はいつもどおり朱と白の派手な上着を着て、ニコリとルイーダを迎えてくれる。


「ああ。すまんが一つくれ」


 自分でも言い方はないのかと思うが、二十云年通してきた話し方だ。ほかに言いようはない。

 ルイーダのぶっきらぼうな物言いにも、店主は物怖じ一つしない。相変わらず不健康そうな顔だが、笑みを浮かべてルイーダの注文に取り掛かる。

 

「…寝ているのか?」


「いやぁ、誰か店番が来てくれれば良いんですがね…」


 そうルイーダが心配になって聞けば、店主は苦笑を浮かべながら答えを返す。相変わらず、ここには店主一人しかいないらしい。


「…この時間は、店を閉めても良いのではないか? 私以外客がいないではないか」


 店内に、ルイーダ以外の客はいない。

 すでに深夜を回ろうかという時間なのだ。街の店もこの時間は店を閉めてしまう中、この店だけが開いている。

 ルイーダの問いかけに、店主は小さく首を振る。


「そういうわけにもいかないんですよ。ほら、ルイザさんみたいな例もありますし」


「…迷惑か?」


 一瞬、心臓がドキリと鳴った。まさか迷惑に思われてるんじゃないか?

 そんな嫌な考えが頭をよぎる。

 そんなふうにドギマギしていると、店主は小さく首を振りながら、ルイーダの注文の品を持ってきた。


「そんな訳ありませんよ。ただ、必要だからいるだけです―――どうぞ?」


 そう言って、店主はいつもの紙コップというものを、ルイーダに渡してくる。その中身はいつものように暖かだった。

 ルイーダがそれを押し抱くように受け取ると、店主は小さく笑みを浮かべる。


「…懐かしいですね。ルイザさんがダンジョンから帰ってきたときもそんなふうにコーヒー飲んでましたっけ?」


「…昔のことを持ち出すな」


 ルイーダは、思わず鋭い口調で言ってしまった。

 以前これをやってしまって、貴族の子息を漏らさせてしまったのは記憶に新しい。

 だが、店主は先程と変わらない笑みを浮かべているだけだ。その様子にルイーダは内心安堵の息をついた。


「まあまあ、そう怒らずに。あのときはびっくりしましたよ? あなたみたいな美人が、ぼろぼろになって駆け込んでくるんですから」


 それは盛大なカウンターパンチだった。

 店主が言う『あのとき』とは、ルイーダがダンジョンに挑んだときだ。

 あのときは必死だったのだ。

 領内の魔物の動きが活発になったのを研究者たちに調べさせたら、ダンジョンがまた魔力災害を引き起こすなんて言われたのだ。

 当時はまだ領内は貧窮しており、名うての冒険者など雇う金はなかった。

 当時領内にいた弱小冒険者など連れていけば、せいぜい無駄死にするしかないことはわかっていた。

 そしてそんな危機を布告すれば、周りの貴族に付け入られる。

 結局、自身がやらなければという責任感だけで、ルイーダは単身ダンジョンに乗り込むしかなかったのだ。誰に知られるわけにもいかず、たった一人、人目につかない夜を狙って。

 もちろん、結果は惨敗。命からがら出てくるのが精一杯だった。30層まではなんとかたどり着いたが、そこから先は補給も頼れる相手もなしでは、どうしようもなかった。

 そうして何度も挑んでいたある日、ダンジョンからぼろぼろになって出てきたルイーダを迎えたのが、この店だった。


「あのときは驚きましたよ。入ってきた途端、食い物をくれなんて言うんですから」


「…いいかげん忘れてくれ」


 あのときは更に無理をして、33層まで進んだのだ。そして帰ってくる頃には、飢えと乾きで錯乱していたとしか言いようもない。

 当時、この辺りはただ広いだけの草原だった。そこに、ダンジョンから出てくると店ができていたのだ。普通だったら警戒する。あのときの自分はどうかしていたのだ。

 だが、今だからこそ言える。あのときの自分の勘は冴えていた。店に転がり込んだルイーダを目を丸くしながら迎えた店主は、ルイーダに食糧と飲み物を提供して、風呂にまで入れてくれた―――ダンジョンというのは数日以上は風呂に入れない。つまり相当臭かったはずだ。

 少々余計なことも思い出したが、その後店主はルイーダの話を熱心に聞いてくれ、なんとダンジョン攻略のための食糧提供やサポートをしてくれることになった。

 その御蔭でルイーダはなんとかダンジョンを攻略し、その制御に成功したのだ。

 その時も色々と店主がサポートしてくれたのは、今でも覚えている。


「そんなこともありましたね…」


 そんな話を面白そうに店主はする。

 ルイーダは顔から火を吹きそうだった。ごまかすように、コーヒーを一口含む。

 当時は苦いだけだったこれも、飲み慣れてしまえば美味いと思える。当時、食事をとってすぐダンジョンに取って返そうとした自分を呼び止めて、勧めてくれたのがこれだった。あのときはなぜ店主がこれを美味そうにすすれるのか、理解できなかったが。

 なんとなく、胸の中に温かいものが灯った気がした。


「…すまん、邪魔をした。また来る」


「いえいえ、ルイザさんならいつでも歓迎ですよ。またお待ちしています。ありがとうございました。ニコニコマートのまたのご利用をお待ちしています」


 くしゃりと紙のカップを潰しゴミ箱に放り投げると、ルイザは踵を返してセファンの街へと出ていった。帰り際に見た店主の顔は、いつものような穏やかな笑みを浮かべている。

 一歩店の外に出れば、この辺りは今やすっかり街の中心外だ。

 街へと繰り出したルイーダは、いつものように帽子を目深に被り、提督府への道を登っていった。

 なぜだかいつもあの店に行ったあとは気持ちが軽い。

 このときばかりは数字だらけの書類も、簡単に片付けられそうな気がするから不思議だ。


「また明日にでもいくか…」


 ちなみにルイザとは、とっさに名乗ったルイーダの偽名だ。

 こうやって都市提督がお忍びでニコニコマートに通っているのは流石に具合が悪いので、それで通しているし店主自身に知らせたこともない。

 誰にともなくつぶやいたルイーダは小さく鼻歌を歌いながら、歩き慣れた道を帰っていく。


 ちなみにセファンの街の住人は、この時間にここを通る、夜中に帽子という奇妙な冒険者は見ても見ぬふりをしろというのが暗黙のルールとなっている。

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ニコニコマートダンジョン前支店 コーヒーメイカー @caffeemaker01

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