第3話 X
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「多賀さーん。お疲れッス!」
キーボードを叩く音だけが響く室内に、無神経な声が届く。新人の安住が入ってきたのだ。
「お疲れ」
「うわ、めっちゃ疲れてそうな顔ですね先輩」
「ほっとけ」
誰のせいだと思っているのだ。
「あ、聞きましたよ先輩」
安住が嫌らしいにやけ顔を俺に向けた。
「先輩って、あの多賀さんなんですね」
……ため息を吐きたくなるのを、ぐっと我慢する。
「何の話だ?」
「またまた、ご冗談を。わかるでしょ?」
「わからないな」
「良いじゃないですか。教えてくださいよ」
まあ、確かに今さらではある。この研究所で俺のことを知らないのはごく一部。ほとんどは俺の事情を知っている。しかし、素直に話すのは癪だった。
「……よくわからないが、昔報告書で呼んだ話ならしてやってもいい」
「あーはいはい、それで良いですよ」
俺は息をついて、椅子に深くもたれかかる。
「あるクローン居住区に住んでいる男がいた。中学一年生のガキだ。仮にAとしておく」
「Aねぇ」
安住から茶々が入る。俺はムッとして、彼を一瞥した。
「茶化すならやめるぞ」
「あ、すみませんした。お願いします、何卒」
安住が形だけの謝罪をする。まあ良いだろう。
「Aはたまたま自分の住む世界が偽物だと気づいた。クローン居住区には歪がある。要は穴だ。世界と世界をつなぐ穴。その穴を見つけたAは、好奇心まかせにその穴を通ったわけだ」
「あちゃー」
安住の合いの手は気にしないことにする。
「で、Aは自分がクローンだって気づいちまった。絶望したんだろうな。でも、自分の力は信じていた。中学生のガキだからな。その時期特有のアレだよ、アレ」
「あー、わかります。アレですね。僕もありました」
あの頃は自分が何だってできる気がしていた。自分は特別だって無邪気に信じていた。特別だからこそ穴を見つけられたのだと本気で思っていた。そんなのはただの偶然なのに。
「そんなアレな中学生は、なんでかそこらにいた子供を人質に取って、黒幕を呼び出そうとした」
「黒幕?」
「実験の首謀者、と今なら言えるが、Aは何も考えてなんてなかっただろうな。ただ何か悪い奴がいて、そいつを倒せばすべて解決ハッピーエンド、って思ったんだろ」
「あっはは。だいぶアレですね」
キッと安住を睨みつける。
「さーせん」
「でも残念ながらAは捕まった。当然だ。人質を取って脅迫するのは犯罪だからな。たいていはそこで捕まっておしまいだ」
「たいていは?」
「ああ。穴を出た世界すらもクローン居住区だと気づくやつが現れる。これをBとしておこうか」
「B」
「BもAと同じように人質を取るんだが、警察から逃げることに成功する。そしてまた歪――世界と世界をつなぐ穴を見つけて、別のクローン居住区に行くんだ」
これで話を終わりにしても良かったけれど、安住が俺の顔を覗き込む。
「訊いて良いですか?」
「なんだ」
「どうして穴の先もクローン居住区だって気づいたんですか?」
「……監視カメラだ」
「はい?」
「だから、監視カメラ。クローン居住区の監視カメラは異様に多い。それで判断していた。まあ、どの居住区でも人質を取って犯罪行為はしてたけどな」
「えー、またどうして」
「お前が黒幕なんだろ、お前のところまで行ってやるからな! みたいなやつだ。それに、監視カメラが多くても居住区じゃない可能性がある。もしかしたら実験の首謀者が出てくるかもしれないと期待してたんじゃないか?」
「ははあ、なるほど」
……にやけた顔しやがって。
「だが、いくつも居住区を進んだBもミスをした。肩にボールを当てられて、そこら辺にいた大人たちに取り押さえられたりしてな」
「なるほど。その中で失敗せずにこの世界にたどり着いたのが、先輩ってわけですね」
「……さあな。まあでも、そういうやつもいるかもな」
そうはぐらかして、俺は仕事に戻る。
ここは「始まりの世界」だ。クローン居住区実験が初めて行われた世界。証拠は歪が見つかっていないこと。おそらく、その見立ては正しい。
この世界にやって来た時の俺は、ずいぶんと疲弊していた。いつまで続くのかわからない旅だったから当然だ。なぜこんなことをしているのか、と自問するほどだった。きっと俺は信じていたんだろう。自分には何かを変える力があると。
しかし俺は、ただのクローン――造り物だった。偽物、つまりは虚構だ。そんな俺に何かができるわけなどなかったのだ。
そして俺はこの研究所で雇われることになった。ここで働きながらも特殊なケース、研究対象として観察されている。
ああ、本当に。どうして「自分なら」なんて思ってしまったのか。
キーボードを叩く音が無機質に響く。しかし唐突に、キーボードが反応しなくなった。
「ん?」
「エマージェンシー! エマージェンシー! 異変を察知。直ちに各居住区の様子を確認してください」
研究所内に警報が轟く。何事だ? こんなことは今までなかった。慌てそうになるがボケーッとしている安住を見て落ち着きを取り戻す。
居住区の観察は俺の仕事じゃない。今は待っておくべきだろう。と言うか、それしかできない。
しばらくして、館内放送が始まった。声の主は所長だった。
「現在第FZ居住区より大量の人クローンが第FY居住区へ移動中! ほどなくして第FX居住区に侵入する見込み! このままではさらに勢力を拡大してこの世界に乗り込んでくる可能性が高い!」
モニターにその大量の人クローンとやらが映し出される。その一人には見覚えがあった。資料でしか確認したことはないが、間違いない。名前もはっきり覚えている。真田翔子。俺ではない俺にボールを投げつけてきた女。
モニターに映る偽物たちの大群は、その真田翔子を先頭に動いていた。
「総員ただちにプランシックスを実行せよ! 繰り返す! 総員ただちにプランシックスを実行せよ!」
無理だ。プランシックスではどうにもできない。モニターに映された真田翔子の顔を見る。こいつもまた、造り物だ。俺と同じクローン。虚妄の産物。何でこいつが、こいつらが……
所長の放送が所内に響く。虚無的に響いている。
……世界の変わる予感がした。
クローン居住区 本木蝙蝠 @motoki_kohmori
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