時間がない
ちひろ
第1話 時間がない
1
私は真っ暗やみの中にいた。
なんで……。
なんだか重苦しい不安な感じ。
闇にぽっと穴が開いた。そこが少し明るくなって、すうっと黄金の光が一筋差し込んだ。
その光に身体が包まれる。
身体の力がすっと抜けた。
足元に目をやる。
ドライアイスのように白い湯気のようなモノが立ち込めていた。
それは熱くも冷たくもない風が吹いているだけ……。
足元の白い湯気がすうっと解け始める。
その時分かった。足元のそれが雲だということを……。
足元の雲が全部なくなったとき、ぽっかり空いた雲の穴から自分の部屋のベッドに横たわる自分の姿が目に入った。
え、どういうこと……? 夢だよね。
「夢じゃないわ。結城うるう……」
女の人の透きとおるような声がどこからか聞こえた。
夢じゃないって……どういうこと……。
「今、あなたは、あなたの身体を離れてしまったの」
……って、死んでしまったの、私?
涙が溢れた。まだ、十八になったばかりなのに……。恋愛経験もないんだよ。
「あなたの感情はもうすぐ溶けてゆくわ」
溶けるって……。
「悲しいって感情があると、逝けないのよ」
もう一度、戻りたい。自分の身体に……。
「ごめんなさい。私には、それはできないの」
神さまでしょ?
「私は、神じゃないの。……ただの遣いの者だから……」
透きとおるような声が、申し訳無さそうに言った。
「じゃあ、二十分だけなら……」
二十分過ぎちゃったら?
「少し寄り道するだけ……あなたの運命は変えられないわ」
私の身体がその声に包まれる。身体がサッと温かい何かに撫でられたような気がして、私はすうっと雲の下に落ちた。
2
気がつくと同級生の立花レインくんの家の前に立っていた。彼は幼稚園の頃からの幼なじみだ。スマホを握りしめて。さっきはフワフワと浮いているような感じだったけれど、今は地面の固さを感じている。
スマホをタップして、時間を確かめた。朝の五時。あの遣いだという人が言ったことが本当なら、タイムリミットは五時二十分だ。その時間にアラームをセットした。
ガチャ
予定していたかのようにレインくん家の玄関が開いた。紺色のジャージ姿のレインくんが出てきた。胸が高鳴った。
「え、うるう? なんで……」
レインくんが驚いたような声で私に聞いた。
なんでって……。
「え、ちょっとね……レインくんに会いたくなっちゃって」
手汗が凄い。
「でも、久しぶりだよね。うるう、お前さ、なんかちっと痩せたんじゃねえ?」
レインくんの冷たくて大きい手のひらが、私のオデコに触れた。耳たぶがカアッと熱くなる。
「痩せた? 気のせいでしょ。……あのさ、私、時間無いんだよね」
私はスマホの画面をタップした。
「時間? ああ、俺にもねえし。朝のジョギング行かねえと……」
「試合だっけ。ゴメンね。私、練習のジャマしちゃって」
「玄関でお前見たとき、俺、キュンとしちゃったよ」
えっ……。
私の中の時間が止まっていた。
「えっ、あ……私もなの」
さっきは私のオデコにあったレインくんの手のひらが、今度は私の頭をナデナデしてくれた。髪がクシャクシャになっていく。
「いつもだよね。レインくん……」
「えっ……」
頭を撫でるレインくんの手のひらが止まった。
「同い年なのに、レインくん、いつも子供扱い……」
ちゅっ……。
レインくんの固くて冷たい唇が私の唇に重なった。私は固まった。
「これでも?」
また、レインくんの手のひらが私の頭を撫でる。
「ずるいよ。レインくん……。不意打ちでキスなんて……」
溜まった涙のせいでレインくんが見えなくなった。
んぐっ……。
レインくんの唇に私の唇が覆われて、今度はねっとりとした舌で私の口の中を探り出す。身体が震えた。私もそれに答える。
「うるう、うるう、俺、お前が大好きなんだ」
「レイン……私も……」
ブーン、ブーン。
スマホのバイブが時間を知らせる。
「ゴメン、レインくん……本当に私には時間がないの」
「えっ……?」
「レインくん、ありがとうね。バイバイ」
約束の時間よ。透きとおるような声が私にささやく。
私の身体がすうっと浮かび上がる。
せめて、彼が幸せでありますように……。
時間がない ちひろ @chihiro196407
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