第10話 ひまりとみつき
透明な窓は冷たい風を遮る。息苦しいほどにストーブで温められた室内には、柔らかな笑い声が満ちていた。
窓は、寒くないんだろうか。
馬鹿なことを思って、ガラスに手を伸ばしかけた私を透明な声が遮る。
「ひまり」
彼女の声だ。
「さっきの数学の問題わかった?」
「あ! それ私も聞きたかったんだ」
みつきの後ろから、こちらに向かっていた友達が笑い声をあげる。そのこえはやはり、夢の中のみつきの笑い声ほど綺麗ではない。楽しい気持ちにさせてくれるのは確かなのに、どうしてだろう───胸がときめかない。
「ひまり、教えてくれる?」
爪の先にまで神経が通っているみたいな動きでみつきが長い髪の毛を耳にかける。両親の期待ほど大きくならなかった彼女の制服は、今でも少し大きい。紺色の袖が、彼女の細い手首を覆い尽くしている。
それを剥ぎ取ったら、戻れるんだろうか。
「ひまり?」
また馬鹿な思考に落ちかけた私を、みつきは救い上げてくれた。彼女はいつだって、私のことを助けてくれる。
「ごめん、ぼーっとしてた。なんだっけ?」
「もう……数学の問題の話」
「あー、たぶん分かるよ。どれ?」
シャープペンシルを握る細い指で、今まで誰と手を繋いできたのだろう。ずっと私の左手とつながっていたはずのその手は、今ではもう随分と遠くに行ってしまった。
みつきの綺麗な時の横に、わたしの乱雑な文字が並ぶ。白くて細い指と、太い色黒の指。あの頃は、もっと私は彼女に近かった。
「ひまりの字、好きだなぁ」
みつきの声が私の心をぐらぐらと揺さぶる。その揺れはときめきに最も近く、安堵に最も遠い。そして、そのどれにも含まれるべきではない仄暗い憎悪が含まれている。
違う。違うよ。あなたは私の字を見て「もっと綺麗に書きなよ」と怒るはずでしょう? そんな風に媚びた声で話す人じゃないでしょう?
心の中の憎悪が膨れ上がって、涙が出そうになる。濁流のように私を過去に押し流そうとする感情は、名前をつけられないほど複雑な色をしている。濁流に身を任せると、体育館の匂いが鼻の奥をくすぐる。
歓声が耳を劈く。体育館に響くみんなの叫び声と、ボールの跳ねる音と、シューズの擦れる音。私は中学生になりたての頃、その音がなによりも好きだった。中学生活が半分を過ぎた頃、私はその音をなによりも嫌いになっていた。
なんてことはない嫌がらせと悪口は一年生の六月には始まった。多感で気の強い女の子ばかりが集まった部活で問題を起こすな、という方が無理がある。ターゲットが次々に変わるそのゲームに嫌気がさして、何人もの同級生が辞めていく。私は自分を守るためにみつきの悪口を言い、みつきは私の悪口を囁いた。
完璧だと思っていた友情にひびが入ったのは、そん些細なことが原因だった。
中学生活が半分過ぎたところで、私が部活をやめ、三分の二が過ぎた頃にはみつきもやめていた。それでも私たちの仲が戻ることはなかった。
私はみつきに対して言葉にできないうえに整理もつかない感情を持ったまま、それに笑顔で蓋をしている。
尖った割り箸と綿飴 甲池 幸 @k__n_ike
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