最終話 海が太陽のきらり

 海斗。

 アーカイブによれば、『斗』には量りや容れ物、そして柄杓という意味があるようだ。

 海を入れる容器とは我ながら恐れ入るが、俺に限っては、まさにその名の通りだったのかもしれない。

 陽子という能力の容れ物なのだ。

 それは外へと振り撒くための、一時的な柄杓でしかないことも。

 俺はそんなことをつらつらと考えながら、眼下を見る。

 地球だ。

 かつては青い惑星と呼ばれていたようだが、瘴気の雲が覆われたことで、黴のようなまだらな緑色となっている。

 その99パーセントは汚染され、残された中央首府セントラルは卓越したテクノロジーをもって人類滅亡を食い止めようとしていた――と思わされていた。

 ここはその中央首府セントラルが誇る軌道エレベーター上。その巨大なターミナルの躯体の上だ。

 地上から3万6千キロ、当然大気も重力もない。

 並の生物はもちろん、瘴気を食らう異形生物ミュータントさえも生きていくことはできない。

 ただ一人、それを可能としたモノがいた。

 陽子だ。

 瘴気を浄化し、超人的な身体能力を有し、不老不死。

 親父は、彼女を人魚と称した。

 なるほど、言いえて妙だ。

 人魚の肉を食った人間は、自らも人魚と同じ不老不死となる。

 一年前。腹を光弾に貫かれた俺は、死ぬ間際だった。そこを陽子の口づけで、彼女の能力を譲り受けてしまった。

 親父の狙いもそれだった。

 親父は昔、あの浜で陽子と出会った。彼女の能力を知った親父は、ある計画を持ち掛ける。

 完全なる地上の浄化だ。

 しかし、中央首府セントラルの上層部は既得権益を守るため、陽子を抹消することが予想された。そこで、陽子の力を俺に委譲させた。俺を殺そうとすれば、陽子がその力を移して助けるだろうから。

 そして俺に移った浄化の力を秘密裏に確保した。一方で、陽子の遺体を見せることで、浄化の力が絶えたと思わせることにも成功した。

 それに関しては、正直今も納得はいっていない。ほかに方法がなかったのもわかる。遅かれ早かれ、陽子は殺されていたか、殺せないためにもっとひどい状態にされていただろう。それに陽子自身、こうなることをわかっていたようにも思う。

 最後の夜、世界を浄化したいという俺の願いは叶うとはっきり言った彼女の言葉が、今も耳に残っている。

 なんにしても、俺は果たさなければならない。

「約束、だからな」

 大気のない虚空へ決意を吐き出す。

 地球を覆う緑の雲の各所に、青い炎がまたたいた。

 ようやく、始まったようだ。

 懐から、小瓶を取り出す。

 中には青い粒子が詰まっている。

 これが、陽子と俺の中にある浄化能力を結晶化したものだ。

 中央首府セントラルの上層部の目をかいくぐりながら、開発した、この世界を救う粒子。

 この軌道エレベーター上からポットに乗せ、地球各所へと投下した。

 それが大気圏に到着したようだ。

 気流に乗って、この粒子が大気中にばらまかれるだろう。

 これで、俺の役目は果たした。

 あとは、俺の自由にさせてもらう。

 俺は立ち上がる。

 疑似重力フィールドを制御し、壁面を駆ける。

 地球が頭上へと来たときに、跳躍。

 重力場を切断。

 真上の地球へと落ちていく。

 同時に、軌道エレベーターが光へと変わる。

 衝撃波が俺の体を吹きすさぶ。

 荒波のような波動の中を、俺は泳ぐように姿勢を保つ。

 陽子のように。

 皮膚が焼けるが、すぐさま再生する。肉まで焼け落ちることはない。激痛が走るが、痛覚は意志で抑えられる。

 重力フィールドで軌道を制御しながら、地球へと近づいていく。

 衛星軌道からでも、マッハ25なら地球まで一時間と少しだ。

 眼前には、視界を埋め尽くすほど大きくなった地球の姿があった。

 俺は、息を呑む。

 人魚の肉体を得た今、宇宙空間も原子炉爆発も物理的な脅威は感じない。

 だが、海の深淵を感じたときと同じ、言い知れない恐怖を感じる。

 ――それでも、俺は――。

 まっすぐ、地球へと飛び込む。

 雲が晴れてきた。

 鉛色の海に、漆黒の大陸が見える。

 俺はその大陸の隣にある、弓形の列島を見つけた。

 セクション552。

 アーカイブ曰く、太古はヒノモトと呼ばれていた土地。

 陽子のいた場所。

 全身を、衝撃波が襲う。

 大気圏に突入した。

 圧縮された大気がたしかな質量を帯びて全身を圧迫する。

 轟音。

 体が焼ける。

 全身に力を込める。気を抜くと、バラバラにちぎれて四散しそうになる。さすがに消し炭になっては再生もできなくなる。

 俺は重力フィールドを逆展開。

 全力でブレーキをかけてもスピードは落ちない。

 両手の先が燃え尽きる。

 再生よりも燃焼のほうが早い。

 目が焼かれ、鼓膜が破れ、全身の皮膚も炭と化す。

 すべての感覚が消失。

 やはり、ダメだったか。

 それでも、いいかもしれない。親父に担がれ、陽子に生き永らえさせてもらった命だ。浄化の約束も果たした今、生きていてもしかたがない。

 だからもう、いいんだ。

 俺も陽子のところへ――


『ちから抜けば浮かべるよ』


 体が風をつかんだ。

 過重に圧縮された空気は水と同じだ。水ならば、泳げる。泳げるのなら、陽子の力に任せればいい。


『はい、だいじょうぶ』


 目を、開ける。

 海。

 再生した視界が映し出した、青い世界。

 ここは、彼女と約束した場所。

 空は晴れ渡っている。空のあちこちに軌道エレベーターの断片が流星となって降り注いでいる。

 そして真上には、太陽。

 陽子と同じ名前を持つ恒星。

 俺たちがこの星に取り戻した光だ。


 重力フィールドを再展開。

 十分に減速し、海中へとダイブした。

 衝撃で両手が粉砕したが、二秒で再生する。

 大量の泡にまかれながら、俺は水面を見上げる。

 誰もいない、浄化が始まったばかりの海。

 ただ太陽の光だけが、きらきらと、水の中の俺を見ていた。

 陽子は、もうこの海にはいない。

 そして、この世界中にいる。

 彼女が救い出したこの世界に、彼女は、俺たちはいるんだ。



                               了

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海が太陽のきらり 京路 @miyakomiti

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