第6話 太陽
海の洞窟は、思いのほかすんなりと進めた。
たしかに足はつかないが、岩が隆起したポイントもいくつかあり、そこを支えにすれば休息もとれた。
落ち着いて見れば、むしろ洞窟の岩肌に苔のような植物が生えていた。
正常に生育した植物だ。
海水にも、瘴気が少ないように思える。魚は、ここから来たのだろうか。
そもそも、陽子は何者なのか。
洞窟の先に陽子がいる。こちらを振り向いて、笑顔で手を振ってきた。
瘴気をものともしない体。
異常なほどの身体能力。
そもそもこんな場所で一人で暮らしていることからして、異様だ。
本人に訊いても要領を得なかった疑問の答えが、ここにあるのだろうか。
「……ああ」
洞窟を抜けると、円形の岸壁に囲まれた砂浜が現れた。
青いせせらぎが遊ぶ白浜から、上り斜面が森のほうへ向かっている。
砂浜から先に、色とりどりの花が咲いている。赤、黄、白、青、紫、橙、碧、朱、茶、金、藍、紅、桃、瑠璃――広くない岸壁の中は別世界のように色にあふれている。花と花の間を数匹の虹色の蝶が舞う。その姿を追って見上げると、円く切り抜かれた淀んだ曇天が見下ろしている。
まるで、腐りきった世界からすべての色を救い集めたかのようだ。
「驚いた? きれいでしょ」
髪の水を払いながら、陽子が自慢げに言った。
「そうだな」
素直な感想だった。
中央首府にだって花はある。生物工学の粋を集めて開発された植物類は、中央首府市民特有の閉塞感や圧迫感を和らげるのに一役買っている。
しかし、ここの花はそうではない。
なんの目的を課せられているわけでもなく、ただ咲くためだけに咲く。
そんな当たり前のことが、この世界では奇跡に等しい。
「ああ」
陽子を見る。
ただ、あるがままに生きる彼女。
この花と同じかもしれない。
それに違和感を覚えていた俺たちのほうこそ、不自然な存在だったのだ。
彼女が何者であれ、本来は彼女のほうこそが――
陽子の腹部に穴が開く。
断面は黒く焦げ、喪われた肉は白い煙と化す。
一瞬遅れて、雷鳴のような銃声が轟く。
――浄化銃!
「動くな」
それほど大きくないのに腹に響く声が、円形の海岸に響き渡る。
花畑の上に、紫電をまとった浄化銃を構える、親父がいた。
岸壁の周囲にも、複数の
「親父――これは、なんだ!」
「久しぶりだな、陽子」
親父の視線は、俺のほうには向いていない。
銃口とともに、うずくまる陽子へと向けられている。
腹部を抑えながら、なんとか笑ってみせている。
「君か。変わったね」
「お前はやはり変わらないな。もう、二十年だ。いい加減、約束を果たしに来た」
「ま、待てよ!」
俺は、二人の間に割って入る。
周囲の
「全然意味が分からない。一体、なんなんだ!」
「コードS。そいつ――陽子のことだ。今回の遠征の目標だ」
「なっ」
「そいつは、触媒だ。瘴気に触れるだけで、無害化しちまう」
とんでもない話だが、すぐに納得する。
陽子が生活するこの海だけ浄化されているのは、そういうことなのだ。
「だから、排除する」
親父は足元の花を蹴り飛ばす。紅の花弁がバラバラになって散った。
「な、なんでだよ! 浄化するなら、俺たちにはむしろ必要な存在だろ!」
「お前にはわからんだろうが、いるんだよ。本当に浄化されちまったら困る御仁たちが、上のほうにはな」
今度こそ、言葉が出ない。
ただ、言いようがない怒りだけが沸き上がる。
そんなもののために、親父は、陽子を殺そうとしているのか!
「あと、ついでに付け加えると――そいつは、人魚だ。動きは早いし、不老不死。
背後で、風が舞った。
振り返ると同時に、四方から銃声が轟く。だが、砂浜の足跡を穿つだけだ。
陽子は水中以上の速度で砂浜を駆る。
腹部の傷は、完全にふさがっていた。
岸壁の岩を殴りつけ、粉砕。はじけ飛んだ岩の破片を空中でつかみ、そのまま投げつける。銃弾の速度で飛んだ礫は、岸壁の上の
反撃とばかりに次々と浄化銃を打ち下ろすが、誰も陽子を捉えることはできない。
「銃口を見てんだよ」
親父が防護服を脱ぎ、体を隠すように前へ広げる。
その陰から、浄化銃を発射。
青白い光弾が、陽子の右足首を吹き飛ばした。
「くっ――」
一瞬顔をしかめるが、とっさに右手の礫を親父に投げつける。
礫は親父が隠れていた防護服を貫くが、そこにはもう親父の姿はなかった。
だが、その隙に陽子は海へと飛び込もうとする。
「おお、逃げるといい。たしかにオレたちじゃお前を追いきれない。だから――」
銃声が、俺の腹を貫いた。
不思議と衝撃はない。
ただ、腹から下の感覚が刈り取られる。
立とうと踏ん張ったつもりだが、そのまま崩れ落ちてしまう。
「海斗!」
陽子がとっさに俺の手を引く。
いくつもの閃光が俺たちを照らす。
陽子に抱きしめられ、気付いたら水の中にいた。
水面に揺らめく無数の閃光。
複雑な水の動きに乱反射した光が、暗い水中をまばゆく照らす。
浄化の光は太陽の光だ、と教えられたことがあった。
それなら、太陽というのはずいぶんきれいなものだ。
「海斗!」
抱きしめているはずの陽子の声が、いやに遠くから聞こえた気がした。
体の感覚がなくなっていき、どんどん冷えていく。
俺もさっきの
それならそれで、悪くない気もする――。
唇に、熱い感触。
強く、激しいものが、俺の中へと流し込まれた。
「――さよなら――」
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