一目惚れ、なんて

ゆず 柚子湯

一目惚れ、なんて


 一目惚れ、なんて素敵な響き。早くそんな運命の恋に堕ちてみたい。


「はぁ~、私の運命の人はいったいどこにいるの?」

「リコまだそんなこと言ってんのー?」

 始業前、教室に着くなり嘆いた私、平山リコに、親友のリサは呆れたように言った。彼女とは小学校からの付き合いだけど、それなりに恋愛経験を積んできたリサに比べて、私にはまだ初恋のはの字も見えてこない。エリが呆れるのも、飽きられるのも無理はない。ないけど……。

「でもさぁ!」

「運命の出会いをした初恋の人と結婚するんだーでしょ? 何年も聞かされたから覚えちゃったじゃない」

 ジト目で私の言葉を遮るエリ。さすが私の親友、よく分かってらっしゃる。

「そ! 一目惚れした二人は永遠の愛を誓い合うの! ステキでしょ?」

「今時こんなピュアな子も珍しいわ……」

「えへへぇ」

「なぜ照れる」

 だってピュアって誉め言葉でしょ? ヒロインはみんなそうだもの。でもエリのツッコミも、いつもリズムが絶妙で私は大好きなのだ。

「じゃあエリも憧れないの? 運命の相手とかさ」

「いやいや、現実そんなのいないよ。初恋の人と結婚なんて漫画の見すぎよ、リコ。周りのみんなもそうでしょう? 長く続いても一年とかそのへんじゃない?」

「うぅ……。でもでも、それは運命の相手じゃないからだもん! 一目惚れすればだいじょうブイ!」

 頬杖をついてけだるげに見上げるエリに、私はふたつのピースサインを突き出す。ふっ、とそれを見て呆れたように笑うエリ。仕方ないなほんとこの子は、みたいに思ってそう。確かにエリみたいに大人っぽくはないかもだけどさぁ……。

「ま、リコはそのままでいいと思うよ。頭はちょっと、いやかなりの少女マンガ脳で残念だけど、見た目は本当にヒロインみたいに可愛いんだから」

「むむ、食パンくわえて登校した方が良かったか……、しまったなー」

「昭和か」

「1990年代が最盛期だね」

「ガチ勢こっわ……」

 そこで、先生が教室に入ってきて私も自分の席に戻った。もうホームルームの時間だ。

「あー、一目惚れしたいなー」

 窓の外に広がる青空を見ながら、小さく言葉をこぼす。

 もう十六歳なのに恋の始まり方すら知らない私だけど、ネットで知り合った人と付き合うとか、で、出会い系サイトとか? そういうのより一目惚れの方が断然いいに決まってるよね。なんてったって数々の名作が証明してるんだからね。


 一目惚れ、なんて素敵な響き。早くそんな運命の恋に堕ちてみたい。



           *


 一目惚れ、なんて絶対しない。誰がそんな不純な恋を肯定するのか。


「ケントお兄ちゃん、準備できたぁ?」

 僕を呼ぶ、まだ舌足らずの妹の声が下から聞こえてきた。既に準備を終えてSNSを見ていた僕は、スマホの電源を切って階段を下りた。

「ごめんね、こんな時期に転校なんて」

 玄関で立っていた母さんが申し訳なさそうにする。そんな優しくてどこか悲しげな表情を、僕はあまり見たくないのに。

「母さんが仕事頑張ってるんだから、僕は東京だって全然大丈夫だよ」

「ユリ、お母さんもケントお兄ちゃんもだいすき!」

 僕らが笑ってそう言っても、その表情は変わることはなく、目を細めてユリの頭を撫でた。不意に、朧げな記憶の中にしかいない、自分の父親にあたる男を憎みたくなる。

 父親は五歳下のユリが生まれてすぐに出ていった。母さんが耐えられなくなったのだ。自己中心的な性格で、ほとんど家にも帰らず浮気を繰り返し、暴力もしばしば。しかし、容姿だけは整っていて、母さんは一目惚れをして結婚したのだという。そんな体験があるからか、母さんはたびたび僕らに言い聞かせる。まるで過去の自分に言うかのように。

「人を好きになる時は、見た目じゃなくて心を見るものよ」

 大体、どのみち老いれば顔は変わっていくわけだし、中身を好きになった方が幸せになれるに決まってるんだ。そう考えると、一目惚れって心を一切知らないのに好きになることなわけで、母さんみたいに傷つく人が出てくるのも当然なのかもしれない。

「じゃあ、新しい学校、無理しないでね」

「大丈夫だよ、もう高校生なんだし。母さんこそ仕事無理しないでね」

「ケント……。気を付けていってらっしゃい」

「うん、いってきます」


 一目惚れ、なんて絶対しない。誰がそんな不純な恋を肯定するのか。


            *


「はーい。じゃあ今日はね、転校生を紹介しまーす」

 朝のホームルーム。可愛らしい声で担任のワカ先生が突然そう告げると、教室が一気にざわついた。みんな、思い思いの予想、想像、妄想を繰り広げているみたいだ。

「リコの運命の人だったりしてー」

「じゃー、金髪碧眼のハーフ希望かな~」

 私とエリも冗談を言い合って笑っていたのも束の間。「入って」と促されて教室に足を踏み入れた転校生を見た途端、私は呼吸を忘れた。

 粟色の髪、少し猫背気味で身長も私と変わらないくらいの小さめ。特に目立って端麗な見た目では決してなかった。女の子じゃないせいもあったのか、教室の熱が冷めるのを私ですら肌に感じた。

「残念だったね、リコ。普通の子で」

「………………」

「リコ?」

 エリが口を動かしているのは横目に見えたけど、全く耳に入らない。教室の中で私と彼だけがスポットライトを浴びているみたいな。他はモノクロ。彼のまとった雰囲気、空気、なんかよく分かんないけど、とにかく彼の存在そのものが。私にぴったり。直感的にそう確信した。

「小松ケントです、よろしくお願いします」

 そう珍しくもないテノールの声が、頭の中でぐるぐる回る。目が離せないでいると、不意に彼と目が合った。彼は一瞬目を見開いて、すぐ逸らした。ストン。その一瞬、私の胸の中で、何かが落ちるような、何かに堕ちるような、そんな音がした。そして、数秒経って気付いた。気付いた時には立ち上がっていた。立ち上がったと同時に声を上げていた。ガタンと椅子を後ろの机にぶつけたから彼を含めてクラスのみんなが私に注目していた。でもそんなの気にならないほど。もう止められそうもなかった。血が躍るように騒ぐのを感じる。それは、ずっと探し求めていたもの。私は何かに導かれるように、彼に向かって叫んだ。


「私、あなたに一目惚れした!」



         *


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 教室中に驚きの叫び声が響く。僕は何が起きたのかわからないまま、彼女を指差してなんとか声を上げた。

「ふ、ふふ不純だ! 不潔だ!! 破廉恥だあああ!!!」

 その叫びの勢いそのままに、気付いたら僕は教室を飛び出してしまっていた。でも今はとにかく教室から離れたい……!

「なんなんだあの子……! あまりにもいきなりすぎるでしょラブコメかよ!!」

 一人、初めて通る廊下でツッコんだ。僕の地雷を的確に踏んづけてみせた彼女に脅威すら覚える。もとい驚異だ。まてまて落ち着け。さすがに動揺しすぎだ。ただ、一目惚れしたって言われただけじゃないか。いや……もう動揺の理由がそれだけじゃないことくらいは、ちゃんと気付いていた。だけど……。

「とりあえずここどこ?!」

 転校初日に一人で校舎を動き回ってはいけない。ひとつ教訓を得たね。二度と使わないな。とりあえず言い訳がてら保健室でも探してみるかな……。


         *


 一方、教室ではなぜだか大盛り上がり。それも当然。私のこういう性格はもう皆にはとっくに知られているのだ。

「おいおい平山やるなぁー」

「転校生めっちゃ顔赤くしてたよな」

「小松くんだっけ? ちょっと可愛くない?」

「まさかリコああいうのがタイプだったとは……」

「ひゅーひゅー」

「えへへぇ」

「いやだからなぜ照れる」

 クラス中の冷やかしもなぜか運命を祝福されているようで、むしろ嬉しかった。流石に収拾をつけようと、先生が私に声をかける。

「もう! 平山さんすごいわね!」

「感心するところじゃないですけど!」

 なぜかリコがワカ先生に全力でツッコんでくれた。

「とにかく平山さん! 責任もって小松くん連れ戻してきてー?」

「はーい!」

 教室からの冷やかしの声を背に、私は彼を探しに出た。迷っていたりしたら大変だ。



            *


 艶やかな黒髪、笑顔が映える白い歯、どこかぼんやりとした輪郭に餅のように柔らかそうな肌。女子にしては少し高めの背。すらっとしたスタイル。そして、眩しいくらいに純粋でまっすぐな瞳。目が合った刹那、全身に鳥肌が立った。全身の血が沸き上がった。そして、僕は悟った。しかし、それをなかったことにしようとすぐさま目を逸らしたんだ。

「んはぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 保健室のベッドの枕に思い切り叫びを吸収させる。幸い先生もいなかったので勝手にベッドの一つを拝借することにしたのである。


 ────ふ、ふふ不純だ! 不潔だ!! 破廉恥だあああ!!!


「ああああ!!! なんてこと言ってんだ!! 一生の黒歴史だ……!」

 なかったことになんてできない。本当はもう分かってる。あれは半分自分に向けたものだ。一目惚れを忌み嫌うくせに、一目惚れしかけた僕に対する罵倒だ。

「いやしてないけどね!? 一目惚れなんてしてないけどね!?」

 だって、僕にはちゃんといる。忘れられない人がいるんだ。


 二年前の夏、僕らが愛知に住んでいたころ。父親の話を初めて母さんから聞いて、僕は学校に行けなくなった。人に会うのが恐くて、家すら出ていくことができなかった。その時、たまたまSNSで同い年の女の子ハルミと知り合った。学校に行くのが怖いとつぶやいた僕にハルミが話しかけてくれたんだ。

 彼女は学校でこんな実験をしたとか、こんな歌を歌ったとか、彼女が住む東京にはこんなものがあるとか、好きな映画や漫画にいたるまで、色んな事を教えてくれた。夏休みになると、彼女は海や流しそうめんなんかの写真も送ってくれた。いつか会えたらいいねなんて現実味のない話さえ楽しかった。単純だけど、顔も越えも知らないけど、心を好きになった。あの距離感が、心地よさが、なによりハルミの夏みたいな明るさが、優しさが、僕は大好きだった。

 そして、ハルミを好きになって、二学期は学校に行けるようになった。もう誰かに一目ぼれする心配なんてなくなったからかもしれない。そうして、立ち直った直後、ハルミとの連絡は途絶えた。


『ケンくん学校楽しめてる?』

『うん! めっちゃたのしいよ!』

『それは良かった!』

『ほんとにありがと! ハルミとも早く遊びたいな』


 それなりに勇気を出して打った言葉は、ハルミに届いたのかもわからない。受験とかで忙しくなっただけだとは思うんだけどね。彼女は今もずっと僕の心に残っている。なのに、それなのに。

「なんで一目惚れなんて馬鹿なことを……!」


「一目惚れはすっごくステキなんだよ?!」

「う、うわあああでたああ!!」

 唐突な大声と共に現れたのは、問題の張本人だった。びっくりしすぎてベッドから飛び起きた。それに情けない声も聞かれた……恥ずかしい。

「もう、お化けじゃないんだから」

「ご、ごめん。驚いて……。あの、君の名前って」

「あ、私の名前は平山リコ」

「平山さんノックくらいしてよ……」

「そんなことより!!」

 彼女が急に身を乗り出す。え、なに押し倒されちゃう。

「一目惚れが馬鹿なんて言っちゃいやだよ!」

「いやだって……そりゃやっぱ人は見た目だけで判断するもんじゃないし……?」

 彼女のまっすぐな瞳を間近で見てはいけない気がして、必死に俯いてしどろもどろになりながらも答える。

「でもあなたもしたよね! 一目惚れ!」

「ぎくぅ!?」

「私、感じたの! この人と結ばれる運命なんだって! だからあなたと見つめ合った一瞬で分かったんだよ、あなたも私を好きなんだって」

 この子は何を恥ずかしげもなく言っているんだ……?

「そんな、勝手に決めつけられても……ん?」

 僕は彼女の上履きに入った刺繍に目を留めた。

「ど、どうしたの?」

「いや、天宮城うぶしろ中学出身なんだと思って……」

「あ、そう。うちの高校、上履きは中学の使ってもいい決まりなんだよー。……ん? にしても〝うぶしろ〟なんてよく読めたね? うちの中学の名前、初見で読めた人いないのに。まぁ私は変わってて好きだけどねー」

「は、ハルミ……」

「……え?」

 忘れるはずもない。彼女とそんな話をしたんだ。確か、宿題がこんなにあるって写真が送られてきたときにものすごい学校名が映り込んでいたから話題にしたんだ。


『てんぐうじょうちゅうがっこう?』

『あ、気付いちゃった?笑 これ、天宮城って書いてうぶしろって読むんだよ』

『えー! なにそれ、絶対読めない』

『私も最初はびっくりしたよ笑 でも今は変わっててかっこいいと思ってるけどね!』


 ────変わってて好きだけどねー……。


「ね、ねぇ。小松くんってもしかして……愛知から来た、とか?」

「ほ、本当にハルミなのか!?」

「ええ、ケンくん!?」

「「ええええええええええええええええええええええええ」」


「ははっ、まじかー。いやもうここまできたら馬鹿にできないよ。ハルミ、じゃなくてリコは、僕の運命の人なのかもしれない」

「でしょでしょ!?」

「うん。でもやっぱ僕、一目惚れはしてなかったよ」

「え、この期に及んでまだそんなこと言うの?」

「だって僕、二年前からずっと、す、好きだったから」

「ええ!? うそだあ! だって顔も声も教えてないんだよ?」

「見た目とか関係ないよ、そんないつか変わっちゃうもので好きにならない」

 僕は母さんの口癖を思い出しながら言った。

「でもでも、一目惚れは見た目だけで判断してるわけじゃないよ? なんていうのかな、ビビビーンって感じなの!」

「た、確かに……そうだったかも」

 リコと目が合った時の、身体が沸き立つ感覚が蘇る。確かに、僕も特別リコみたいな顔や声が好みなわけではなかった。

「それにね、心だって変わっていくんだよ。毎日、少しずつ」

「そっか……。そうだよなー……」

 人の気持ちが、性格が、全く変わらない訳がないっていうのは、改めて言われてみれば当たり前のようなことに感じた。今まで、どうしてそれに気付かなかったんだろう。

「でも」

 リコは不意に立ち上がって背を向けた。真剣な声色で彼女は続ける。

「ケンくんはあまり変わってないね。嬉しいよ。何も説明できずに、私SNSやめちゃったからさ。まあ、やめさせられたんだけどね」

「どういうこと?」

 苦笑するリコに、僕は意味が分からず尋ねる。

「いやー、それはもうすぐ受験生なのにぜーんぜん勉強してなかったからだよ! 当然だよねー、毎日漫画読んで君と話して、そしたら期末テスト学年最下位だよ? 最下位! そりゃスマホも取り上げられるし、アプリも色々消されるよ、うんうん」

 自分で納得するように頷くリコ。まあ確かに、この高校はかなりの進学校らしいし、中二から親が焦ったのも当然なのかな。東京の受験戦争って、なんか熾烈なイメージもあるし。

「でも、本当にあの時はお世話になった。ありがとう」

「いいのいいの! それに今は心を好きになった方がいいってケンくんの言う意味も分かる。だから、ちゃんと聞いててね」

「?」

 僕も立ち上がると、彼女は少し顔を赤らめて、はにかみながら。


「好きだよ、ケンくん。私と、ずっと一緒にいてください……」


「え、う、うん……?」

「もう! なんでそっちの方が照れてんだよー!」

 リコの言う通り僕は耳まで真っ赤になっていた。確かにお互い好きなんだから告白なんて流れも当然なんだろうけど、こう改めて言われるとは思わなかったから……。

「僕も、ず、ずっと一緒にいます……」

「へへ、変な返事」

 破顔した彼女の顔はやっぱり夏みたいに明るくて、僕の憂いも吹き飛んでいく。


「私たち元々心も知ってて、一目惚れもしたんだからさいきょーじゃない? ムテキでしょ!」

「たしかに。さいきょーかも」


 彼女の運命を信じ切った笑顔につられて、僕ら、どこまででも行ける気がした。

 それこそ、死ぬ時までだって。


「どんな風に好きになるかなんて、本当は関係ないのかもしれないな」

「あら、そうなの?」

「どんな恋の堕ち方をしたって、一目惚れで始まる恋だって、ネットで知り合った相手だって、最期まで添い遂げられたら勝ちだよ」

 そして、僕らはそれができる。だって、運命だからね。

「そうだね、じゃあ私たちは勝ち組だ。だって、運命だもん!」

「ふふふ」

 思ったこととまるで同じことを彼女が言うので、思わず笑ってしまう。

「あー! なんで笑うの! 馬鹿にしたでしょー! ひどい!」

「違うって。でも面白いから言わない」

「むう、ずっと一緒の私にかくしごとですかー」

「はは、じゃあ教室戻ったらね。場所、案内してね?」

「あ、学校ってこと忘れてた……」


 ずっと一緒なんてちゃんちゃらおかしなことなのかもしれない。人の見た目も心も、時の流れに抗えずに変わり続けてしまう。今日の僕らと明日の僕らは全く同じでは有り得ない。

 だけど、こうも思うんだ。

 今のこの「好き」を、明日に運ぶことさえできたら、何も心配要らない。

 こっちはもう二年も繋いできたんだし、なんてったって、運命……だからね。

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