異世界で作ってみようオートクレーブ

烏川 ハル

高圧蒸気滅菌器《オートクレーブ》開発プロジェクト

   

 昼間は青かった空が暗くなり、人々の家に魔法灯の光がともされる頃。

 街の広場に面した『黒牛くろうし亭』では、それまでの安食堂という雰囲気から、いかにも酒場という感じに客層も変わリ、一日で最も繁盛する時間帯を迎えていた。

 そんな中。

 両開きのスイングドアを押して、一人の女性客が入ってくる。

 カウンターから店内全体の様子に目を光らせていた店主は、チラッとだけ女性客の方に目を向けた。だが彼女が常連客ではないことを確認すると、すぐに視線を元に戻すのだった。おそらく服装からして旅人――それも冒険者や傭兵のような怪しげな身分な者――だろう、と思いながら。


 夕方この街に来たばかりのラドミラは、広場の近くにある店へ、適当に入ってみただけだった。

 だが入った瞬間、店内で立ち込める香りに、強く空腹感を刺激される。なんだか急にアルコールと肉料理が欲しくなる、そんな匂いだ。

 ふぁさっと金髪をかき上げて、軽く店内を見回すラドミラ。

 すでに、かなり店内は賑わっていた。満席というわけではないし、いているテーブルもチラホラ目に入るが……。この様子では、食べているうちに相席を求められるかもしれない。

「それは嫌よね……」

 独り言と共に軽く頭を振ってから、彼女はカウンター席の方へと向かう。テーブルで見知らぬ誰かと向かい合って食事をするくらいならば、カウンター席の方がいいと思ったのだ。

 歩き始めたところで、カウンターの中に立っている男と目が合った。忙しく働いているというより、客や従業員を監視しているという感じなので、この店の主人なのだろう。そうラドミラは判断する。入店してきた時だって、ジロリと一瞥されたのを、はっきりと感じたくらいだった。

 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、店主は気さくに声をかけてくる。

「いらっしゃい。お酒かい? それとも食事?」

「両方よ。メニューはお任せでいいから、オススメ料理を一人分。それと、ここの地ビール……。えぇっと、苦味と甘味の同居するダークビールがある、って聞いたんだけど?」

 軽く手を振りながら答えるラドミラ。それから、どっこいしょといった仕草で、カウンター席に腰を下ろした。

 店主の顔が、にこやかになる。

「ああ! うちの自慢のミルクスタウトのことだね、お客さん! スタウト独特の芳醇な苦みに加えて、ほんのりとミルクの甘みもあるから、女子供にもオススメだよ!」

 この様子だとビールの話を持ち出して正解だったな、とラドミラは思う。店主の心象が良くなれば、料理をサービスしてもらえたり、色々と話を聞き出せたりするかもしれない。

 どうせ今晩は宿に泊まるだけで、仕事は明日なのだ。酔いつぶれるほど飲まなければ、ビールを嗜むのも悪くないはず。

 そんなことを考えると同時に。

 注文を受けて奥へ引っ込む店主の後ろ姿を見ながら、ラドミラは心の中でだけ、彼にツッコミを入れるのだった。「女子供にもオススメ」は言い過ぎだろう、と。さすがに『子供』にビールはダメだぞ、と。


 しばらくして。

「はいよ、おかわりだ」

 店主がラドミラの前に、パンの追加が入ったバスケットと、三杯目のダークビールを置く。

 赤と緑が鮮やかなサラダ、やわらかい仔牛のステーキ、濃厚なカボチャのポタージュなど、出された料理の大半は、すでにラドミラのおなかの中。空腹感は収まっていたが、彼女としては「まだまだ食べられるぞ」という気分だった。

 早速ビールの三杯目に口をつけてから、ラドミラは店主に声をかける。

「ところで、おやじさん」

「なんだい?」

 おそらく追加注文だと思ったのだろう。店主の顔には、愛想笑いが浮かんでいる。

「この近くに、アダチって人が住んでると思うんだけど……。知ってる?」

 ラドミラとしては、何気ない世間話という口調のつもりだった。だが、店主の顔から、スーッと営業用スマイルが消える。

「お客さん、『先生』に何か用事かい? もしも悪さしようっていうなら……」

 あらためて品定めするような視線を、ラドミラの全身に送る店主。『全身』といっても、彼女は座っているので上半身しか見えないのだが。

 ラドミラは苦笑する。それなりにスタイルに自信はあるものの、おそらく今の場合は、女性として『品定め』されているわけではないはずだ。

「あら、心配しないで。私、こう見えても、魔法士でね。魔法士協会からの依頼で、そのアダチって人を手伝いに来たのよ」

「魔法士? へえ……」

 店主は、少し意外そうな口調だ。

 まあ、無理もない。魔法士が好んで着るような白や黒のローブではなく、ラドミラの服装は、茶色くて動きやすそうな皮鎧。腰にはナイフも備え付けてある。冒険者に間違われるどころか、盗賊だと思われても不思議はない格好だった。

「ほら、魔法士って『対人戦闘は苦手』って印象があるでしょ? 追いはぎとかゴロツキとかに狙われやすくて……。それでなくても私、か弱い女の子だし。だから格好だけでも、荒事になれた冒険者って感じにしてるの」

「なるほど、格好でハッタリかますのも、一種の護身術ってわけかい」

 ラドミラの言葉に、店主は頷いている。

 実際のところ、彼女は『か弱い女の子』とは程遠く、対人戦闘もこなせる立派な魔法士なわけだが。

 何か一系統の魔法を得意とする魔法士が多い中、ラドミラは二つの系統、それも火と水という反対属性の魔法を使いこなす。『烈火燃焼バーニング・ファイヤー』はモンスターを一匹まるごと焼き尽くせる威力だし、『激圧水流ウォーター・スプラッシュ』は最大強度ならば人間の体を貫通するほどの水圧だ。

 もちろん、今そこまで説明するつもりなんて、ラドミラにはなかった。

「おやじさん、さっき『先生』って呼んだけど……。そのアダチって、この街で何か教えてるの?」

「いやいや、そうじゃないけどさ。ただ……」

 顔の前で手を振って、否定する店主。

「『先生』は、色々とアドバイスをくれるからね。それで、街のみんなから慕われて『先生』って呼ばれてるのさ」

「なるほどねえ。アダチって転生者なんでしょ? だったら、普通の人が知らないことも、いっぱい知ってるわけね……」

 転生者。こことは別の世界で一生を過ごした後、元の世界の記憶を保ったまま、この世界にやってきた者たちのことだ。

 彼らの世界では魔法が存在しない代わりに、驚くほど科学技術が発達しているらしい。だから彼ら転生者がもたらした知識によって、近年、この世界の科学も急激に発展を遂げている、と言われていた。

 とはいえ、日常生活レベルで『発展』を感じる機会は、あまりないのだが。少なくとも、ラドミラの感覚では。

「おっ、やっぱり『先生』の素性は、有名なんだねえ。そう、『先生』は転生者さ! 時々、うちの料理や酒にも、『こうしたらもっと美味しくなる』ってアドバイスをくれて……」

「え? もしかしてアダチって、元の世界では料理人だったの?」

「いや、確か医学に関わることで、でも医者ではなかった、って言ってたような……。とにかく『先生』は、うちの常連客の一人でさあ。ほら、今お客さんが飲んでるビール、それも『先生』の好物でね! 『先生』に言わせると、ダークビールの良さは……」

 店主が語り出したが、それをラドミラは聞き流して、ジョッキを口に運ぶ。これが『転生者』アダチの好む味なのか、と不思議な感慨を覚えながら。


――――――――――――


 翌日。

 宿屋で朝食の後、ラドミラが向かった先は、徒歩数分の距離にある民家。屋根だけは赤く、他は全体的に真っ白に塗られた、こじんまりとした家だった。

「邪魔するわよ。魔法士協会から派遣されてきた、ラドミラってもんだけど……」

 そう言いながらドアを開けると、

「おお、よく来たな。さあ、入ってくれ!」

 出迎えたのは、頭の禿げ上がった中年男。だが禿頭とくとうよりも先に目を引くのは、でっぷりと太った腹だろう。見た瞬間、ラドミラの脳裏に浮かんできたのは、昨日のビールの味と『ビールっ腹』という単語だった。

 なるほど、酒場の主人の言う通り、『先生』ことアダチはビール好きらしい。軽く笑みを浮かべながら、彼に続くラドミラ。

 案内された部屋は、思ったよりも広い部屋だった。魔法士協会の小会議室と同じくらいだ。

 中央には丸テーブルがあり、数人の来客が座っている。

「あら……」

 ラドミラの口から、小さな声が漏れた。呼ばれたのは自分だけではなかった、と今さら気づいたのだ。

 服装を見た感じ、魔法士らしき者もいれば、鍛冶屋らしき者もいる。鍜治屋は少し小柄なので、ドワーフ――優秀な職人が多いといわれる種族――の血を引いているのかもしれない。

 ほとんどは見知らぬ者たちばかりだが、魔法士の中に一人、見覚えのある顔もあった。清楚な白ローブに包まれた、端正な顔立ちの女性。名前はペトラといって、ラドミラとは異なる流派――ネオ・シャドウ流――を師事する、高名な魔法士だ。ネオ・シャドウ流は、攻撃魔法ではなく補助魔法を重視する派閥であり、確かペトラの得意魔法は『鉄壁防御パーフェクト・プロテクション』だったはず……。

 ラドミラが記憶の中から情報を引っ張り出していると、目が合ったペトラが、軽く会釈してきた。どうやらペトラの方でも、ラドミラのことを覚えていたらしい。ラドミラも、小さく頭を下げる。

「さあ、これで全員そろった! ようやく、話を始められるぞ! ……ラドミラさん、あんたも座ってくれ」

 嬉しそうなアダチの声。

 ラドミラは、別に遅れて来たつもりはないのだが……。いくつかの刺すような視線――「お前のせいで我々は待たされていたのだ」と言わんばかりの――を浴びながら、空いている席に座った。


「さて。ここにいる面々は、職人ギルドや魔法士協会を通して、集まってくれたわけだが……。俺の目的は、ギルドや協会から聞かされてるよな?」

 アダチの開口一番に対して、髭面ひげづらの職人と、黒ローブの魔法士が反応する。

「ああ、聞いておるぞ。新しい器具を作ろう、という話なのだろう? おぬしの世界にあった器具を、この世界に持ち込もう、というわけだ」

「転生者の生前の知識を活かして、というお話なのでしょう? ワクワクしますわ」

 他の者たちも、言葉には出さずとも、ウンウンと頷いたり、表情で同意したりしている。ラドミラも小さく一つ、首を縦に振った。

「よし、わかってくれてるなら話が早い。それで、その『器具』なんだが……。元の世界で俺が、医療系の研究職だった時に使っていた機械。その名もオートクレーブだ」

 ここでラドミラは、酒場の主人から聞いた話を思い出す。前世のアダチは医学に関する仕事をしており、でも医者ではなかった、と。

 一方、アダチの言葉に、全く違う反応を見せる者もいた。白ローブのペトラが、眉間にしわを寄せたのだ。整った顔つきを歪めない程度に。

「オートクレー? クレーじゃなくて?」

 いやいや、それでは食べ物になってしまう! 『器具』だと言っているではないか!

 心の中で顔をしかめて、ツッコミを入れるラドミラ。

 ペトラの人柄までは知らなかったが、甘い物好きのスイーツ女子なのだろうか。あるいは、微妙に勘違いの多い天然系女子なのだろうか。

 そんなことを思うラドミラとは異なり、

「ああ、これは俺がすまなかった。オートクレーブって言っても、この世界の人々にはわからんよなあ。高圧蒸気滅菌器、そう言えば最初から伝わったかな?」

 アダチは笑顔を浮かべて、穏やかな対応をしていた。

 これもペトラが美人なせいであって、そうでなければアダチだってツッコミを入れていたかもしれない。そう思うラドミラだが、口では真面目な言葉を発する。

「『高圧蒸気滅菌器』ということは……。高い圧力の蒸気で滅菌、つまりバイ菌を殺すのね?」

「ああ、そうだ。理解が早くて助かる」

 ラドミラの方を向いて、嬉しそうに頷くアダチ。

「一応説明しておくと、高圧蒸気滅菌器オートクレーブという器具は……」

 彼の説明が始まった。


 患者の治療に携わる医療施設だけでなく、医学系の研究機関においても、滅菌処理は重要だ。実験中、雑菌が混入したら研究実験は成り立たないし、終了後は終了後で、用いた病原性微生物は正しく処理しておかないと、周囲を汚染することに繋がるからだ。

 通常、微生物は100度のお湯で煮沸すれば死んでしまう。しかし中には、耐久性の高い細胞構造を含む細菌もいるので、これでは『雑菌』の排除には不十分。

「乾熱滅菌といって、180度で2時間も加熱してやりゃあ、完全に殺せるんだが……。この『乾熱滅菌』は、液体とか、熱に弱い容器には使えないという欠点がある」

 アダチの話を聞いてラドミラは、調理器具のオーブンを思い浮かべた。なるほど、オーブンにスープを2時間入れっぱなしにしたら干上がってしまうだろうし、また、そもそもオーブンに突っ込んではいけない皿やコップも存在している。

「だから、そういう場合に使うのが、高圧蒸気滅菌器オートクレーブだ。100度を超える高熱でも水っ気のあるサンプルを入れられるように、乾燥状態ではなく、内部は水蒸気で満たすようにする」

 一瞬ラドミラは「おや?」と思った。水は100度で沸騰してしまうから、『オートクレーブ』の中を水蒸気で満たした段階で、もう『100度を超える高熱』ではなく、ほぼ『100度』なのではないだろうか?

 しかし、その疑問はすぐに消えた。そういえば『蒸気滅菌器』ではなく『蒸気滅菌器』なのだから……。そこにラドミラが思い至ったのと時を同じくして、ちょうどアダチの説明も、その点に触れていた。

「で、水蒸気の温度を100度オーバーにするために、圧を加えるわけだ。2気圧120度、この条件にすることで滅菌時間も短縮されて、20分で済むようになる。湿潤状態だと早く滅菌される理屈に関しては、何か化学的な説明があったはずだが、今そこは聞かないでくれ。俺は化学系ではなく、生物系だったからな。うまく説明する自信がない」

 アダチは少し、はにかむような表情を見せた。中年おやじには似合わないな、とラドミラは思う。もっと若い美人、例えばペトラあたりが同じ態度を示したら、おそらくチャーミングに見えるだろうに。

「なるほど、わかった。細かい理屈は抜きにして、とにかく温度と圧力、それを正確に制御できる加熱器具を、わしらに作らせたいわけだな?」

 腕組みしていた小柄な鍛冶屋が、確認の意味で発言する。ウンウンと頷きながら。

 それに対して、アダチも同じく頷いてみせた。

「まあ、そんなところだ。それと、中は水蒸気で満たされるので、錆びないような金属を使ってもらわないと困る。というより、化学薬品とかも滅菌するせいで、腐食しやすいってのもあるだろうから、いっそう頑丈にしてもらう必要がある」

 ここで、チラッとペトラに目を向けるアダチ。

 それを見て、ラドミラは理解した。だから『鉄壁防御パーフェクト・プロテクション』の使い手も呼ばれたのか、と。

 そもそも一般家庭で使われる鍋や釜でさえ、高級な物ならば「錆びにくいように」と魔法で処理がしてある。ましてや、今回の高圧蒸気滅菌器オートクレーブは医療系機器だ。調理器具とは違って「そろそろ駄目になってきたから買い換えよう」というわけにはいかない。それに、複雑な機構の内部部品なんて、完成してしまえば外から見えないのだから、もしも腐食したってわからないのだ。だから、よりいっそうの注意で保護魔法をかけておく必要があるのだろう。

「ちなみに、俺の世界では、高圧蒸気滅菌器オートクレーブは電気式だったが……。こっちには『電気』って概念がなくて、何でも『魔力』で動かしてるんだろ? だから加熱も水蒸気を出すのも、魔法を組み込むことで、何とかしてもらいたい」

 今度はラドミラの方を向くアダチ。

 その視線を真っ向から受け止めて、ラドミラは自信たっぷりに頷いた。

 かなり最初に『加熱』の話が出た時点では、炎魔法の出番だと思っていた。もちろんラドミラも炎魔法は得意だが、それだけならば、別に彼女ではなくてもいい。だが話に『水蒸気』が出てきたところで、気づいたのだ。これは火と水、両方とも得意な魔法士の出番だ、と。つまり、ラドミラだ。


「ついでに言っておくと、あっちの世界で俺が働いていたところは、大きな部署ではなかったが、それでも高圧蒸気滅菌器オートクレーブは三台あってさあ」

 視線を戻したアダチの口調が、世間話でもしているかのような感じに変わる。

「医療機関じゃなくて研究機関だったからな。医療機関以上に、事後処理だけじゃなく、事前処理も重要だ。実験で使った病原体や器具の処理に二台、実験準備のための器具滅菌に一台。それぞれ別々にしてあった。まあ『滅菌』してしまうのだから、どちらも生物学的には『きれい』なはずだが……。一応、気分的に区別してあったのさ」

 わかるだろ、と言いたげな顔でウインクするアダチ。

 今この瞬間、彼が自分の方を向いていなくて良かった、とラドミラは思う。

「で、この『気分的に、きれい』というのが、これまた重要だ。要するに、実験準備用の方の高圧蒸気滅菌器オートクレーブは、俺たちにしてみれば、食べ物を入れても平気なくらい『きれい』という感覚で……」

 アダチの口元に、にやけ笑いが浮かぶ。

「少し話が逸れるが……。俺たちの世界に、焼きイモという料理があってなあ」

 これはまた『少し』どころではなく大きく逸れたな、と感じるラドミラ。同時に『焼きイモ』という単語から、ベイクドポテトを思い浮かべて「いかにもビール好きが好みそうな食べ物だ」と考えたのだが……。

「あ、こっちの世界で単純に『焼きイモ』と言ってしまうと、誤解されそうだな。イモはイモでも、黄褐色で丸っこいやつとは違う。やや細長い形で、皮は赤紫色で……。俺の世界じゃ『サツマイモ』って名前なんだが……」

「ああ、スイートポテトパイの材料になる方ですね!」

 ポンと手を叩いて、はしゃいだような声を挟んだのは、ペトラだった。

 やはり彼女はスイーツ好きの女子なのだろう。ラドミラは「自分は違う」と思ったが、そんなラドミラでも、ペトラの言っている『イモ』のことは理解できた。

「『紫イモ』とか『甘イモ』とかって言われてるやつでしょ?」

「そう、それだ!」

 補足したラドミラに対して、満足そうな声を上げてから、アダチは言葉を続ける。

「で、それを焼いたのが『焼きイモ』なんだが、特に加熱した石を使って焼くやつは『石焼きイモ』といって、それを売り歩く商売があるくらいで……」

 ノスタルジックに語るアダチは、おそらく今、二度と戻れない元の世界に想いを馳せているのだろう。生前の記憶を持ったまま『転生』して、新しい世界で第二の人生を送るというのは、良いことばかりではないのかもしれない。ラドミラは初めて、少し彼に同情的な気持ちになった。

「まあ家庭料理で『石焼きイモ』は難しいから、焼くどころか、蒸したり、茹でたり、電子レンジでチンしたり……」

 彼の言う『電子レンジ』が何なのか、その場の誰もわからなかった。だが「話の流れからして調理器具に違いない」と、皆スルーする。

「厳密には『焼きイモ』じゃなくて『かしイモ』なんだが、そういうのも含めて『焼きイモ』は、広く愛されてたわけだ」

 ここでアダチは、遠い目をやめて、その場の面々を見渡す。しかし続けて彼の口から出てくるのは、相変わらず元の世界の思い出話だった。

「それで、ある時、職場に大量のサツマイモを持ってきた奴がいてさあ。親戚にもらったか何かで、食べきれないから、みんなにおすそわけって感じで……。ちょうど焼きイモが美味しい季節でね。誰かが言い出したんだ、『今から焼きイモ集会パーティーをしよう』って! ちょうど、中の水分を保ったままイモを上手に加熱できる機械があったからな!」

 ここでラドミラは思い出した。そもそも、この話がどこから始まっていたのか、を。

 そう、アダチの、あの言葉だ。「この『気分的に、きれい』というのが、これまた重要」とか、「実験準備用の方の高圧蒸気滅菌器オートクレーブは、俺たちにしてみれば、食べ物を入れても平気なくらい『きれい』」とか。

「それで、サツマイモにアルミホイルを巻いて、高圧蒸気滅菌器オートクレーブに突っ込んだわけだ! すると! 甘くて美味しい焼きイモの出来上がり!」

 アダチの口元が緩む。

「さすが、高温高圧で加熱しただけのことはある。甘さがギュッと濃縮されて……。しかも湿潤条件下における加熱だから、中の水分が逃げることもない。割ればジュワァッと良い香りの湯気が出てくるし、食べればホクホク! 高圧蒸気滅菌器オートクレーブにはこんな使い道もあったのかと、俺たち感動したくらいで……」

 今にもヨダレを垂らしそうな表情のアダチ。

 思い出の味を頭に浮かべて愉悦に浸る彼とは対照的に、その場の面々は呆れ顔になっていた。あんぐりと口を大きく開ける者までいるくらいだ。

 ただ一人、ペトラだけは例外的に、アダチと一緒になって、手を叩いて喜んでいる。おそらく、彼の「甘くて美味しい」とか「甘さがギュッと濃縮」などのフレーズが、甘い物好きの心にストライクだったのだろう。

「いやはや……」

 小声で呟きながら、軽く左右に頭を振るラドミラ。ようやく、アダチの真意が見えてきたのだ。

 もしも『焼きイモ』とやらを作る目的で高圧蒸気滅菌器オートクレーブを開発しようとしても、そのための人材やスタッフを集めることは難しい。だが「異世界の医療機器」という点を前面に出しておけば、魔法士協会や職人ギルドだけではなく、王国政府だって協力してくれるはずだ。なにしろ、この世界の医学の発展に繋がりそうだと思えるのだから。

 たとえ、それがアダチの口実に過ぎないとしても。


「思い出補正もあるだろうが、ありゃあ、石焼きイモと比べても、勝るとも劣らぬ味だった! あと今にして思えば、トウモロコシだって、茹でたり蒸したりするくらいならば、むしろ高圧蒸気滅菌器オートクレーブを使って……」

 嬉々として語るアダチを見て。

 昨晩、酒場に――アダチが足繁く通う店に――立ち寄ったラドミラは、ふと想像してしまうのだった。

 せっかく完成した高圧蒸気滅菌器オートクレーブが、あの店に搬入されて、調理器具と化す日も遠くないのだろう、と。




(「異世界で作ってみようオートクレーブ ――高圧蒸気滅菌器《オートクレーブ》開発プロジェクト――」完)

   

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