エピローグ

命ある限り

 夏旅行から帰って来て早二ヶ月、世間では山が紅葉を伴い始めた頃のこと。


『さて、みなさん、今横浜で話題となっている桜の狂い咲きはご存知ですか?』


 お昼のニュース番組で、俺の母校である一樂大学のニュースが報じられていた。

 何でも大学にある樹齢二百年を超える桜が、もう花びらをつけているらしいのだ。


「……へぇ」

「師匠! やりました! 俺っ、二次選考も突破してます」

「本当か鳴門くん、凄いな」


 鳴門くんや本城さんと言った弟子達の成績にも徐々に花が付き始めたらしく。

 俺は二人に対し、もしもプロデビューしたら、ご馳走してやると約束した。


「てっへへへ、あざーす。本城このままプロデビュー決めちゃいまーす、あざーす」

 俺から賛辞された本城さんは浮かれ調子で。


「本城、そのチョロさから察するに、お前尻軽だな」

 鳴門くんは嬉しい気持ちを隠しきれない様子で、自重と揶揄を繰り返している。


「俺も二人に負けてらんないよ」


 にしても、大学で狂い咲きした桜の様子が気になる。

 明日あたり、狂い咲きした桜でも見物しに行ってみるか。


 何でも大学はその桜のために今は一般開放しているらしい。


「ただいま三浦くん! 今夜は君のハートを頂くよ!」

「父さんやっほー」


 次第に宰子ちゃんたちもやって来て。


「どうするお前ら? 私たちプロデビューしたら次はお前らの番だよ~?」

「なんと!? 本城さんらはプロデビューが決まったのか!」

「本城、いたいけな小学生をぬか喜びさせるなよ」


 若子ちゃんは小学生らしいハイテンションで、二人の躍進に驚いていた。


 ◇


 翌日、大学まで赴き、話題の狂い咲きした桜を探している。

 いつか言ったように、俺は盛大な方向音痴だ。


 例えそれがかつて通っていた母校のキャンパス内だったとしても、道に迷う。

 方向音痴を自称するのなら行く先々で道に迷ってこそなんだ。

 という言い訳を心に認めていると、やっとこさお目当ての桜を見つけた。


「あ、あそこだな」

「信じられない、アキの方向音痴は治ってないんだね」


 え?


「……まさか、ウミン?」


 左手でレバーを操作して、彼女の声が聴こえた方を向いた。


「偶然だね」


 振り向くと、澄んだ黒い瞳を携えたウミンがそこにいた。

 最近になって整えたのか、髪の丈は出逢った頃のままに短めで。

 彼女の風貌は優しさと静けさを感受出来る雰囲気を纏っていた。


 ウミンの姿を目にした俺は、言葉を失っている。


「……あ、ああ、思わず言葉を失ったけど、偶然なんだな」

「アキも狂い咲きした桜を見に来たんでしょ?」

「と言うことは君も? あの桜に想い入れでもあったのか?」


「私はそうでもないけど、アキは?」


 俺も想い入れと言った特別な情念はなかった。


 ただここは――ウミンと過ごした学生時代の舞台だから。

 ウミンの幻影を想い馳せるには、格好の場所だ。


「俺は、昔を懐かしもうと思ってやって来たんだと思う」

「ふーん……今日は一緒にキャンパス内を見て回らない?」

「別にいいよ、確実に足引っ張るけど」


 と言えば、ウミンは無表情ながらも少し嘲笑するような感じで、そうだよね。と言う。


「アキのこと、駅で見つけて、後を追って様子見してたけど」

「駅からつけてたのか」

「凄い迂遠とした道のりを行くんだなって、正直ヤキモキしてたんだ」


 やめて、三浦アキのライフはもうゼロよ。

 そう言わないことにはウミンは永遠と俺の方向音痴癖を攻めて来そうだ。


「じゃあ先ずはどこに行く?」

「図書室にでも行ってみる?」


 彼女に行先を尋ねると、図書室をご所望のようだ。

 図書室に向かうまでの間、彼女とは世間話ていどの他愛ない話に興じる。


 例えばここ最近の弟子達の成績とか。


「凄いね、おめでとう」

「反応が冷たすぎるだろ、もっと祝ってやってくれよ」

「祝いたい気持ちももちろんあるけど、余りお薦めできないから」


 彼女の言いたいことは分かるようでも、弟子たちのために信じちゃいけないと思えた。

 二人で並び立って、当時の彼女が特に利用していた図書室に向かうと。


「あら? もしかして本間さんですか?」

「……お久しぶりにしています」


 誰? と思ったが、ウミンは図書室の司書さんと面識があったようだ。


「知り合い?」

「アキの著書にも書いてあった人で、名前は何と仰るんでしたか?」


「そちらに居るのは三浦くんですか? 私は三久サチコ、覚えていらっしゃらないのも無理ないかと思いますが、二人とも、ずいぶんと大人になりましたねぇ、懐かしい」


 三久サチコ……そっか、この人はウミンに対し図書室でのテロ活動を諫めた人だ。これはまた懐かしい人が出て来たぞ、と思った俺たちは気分を高揚させ、昔話にのめり込んだ。

 

「お二人はその後結婚でもしたの?」

「いいえ、私は別の人と結婚しました」

「ごめんなさい、聞いちゃいけなかったのね」


 まぁ、それでも聞かざるを得ないことだよな。


「今日はどのようなご用件でやって来たのですか?」


「狂い咲きした桜がニュースになってたので、急にこの学校が懐かしくなって来てみたら偶々彼と鉢合わせたんです」

「俺もきっと同じニュースを観て、彼女と同じで懐かしくなって来たんです」


 すると、三久さんはあの桜にまつわる逸話を語ってくれた。

 何でもあの桜は大戦前からあそこにあって。

 昭和二十年に起きた大空襲の際、一組の男女を守ったと言われているらしい。


「その人こそ、大学の創設者である升岡福蔵と言われているわ」


 つい、感嘆してしまった。

 あの桜にはそんな伝説があったのかと。


 その後、三久さんとしばしば会話し、俺達は図書室から文芸サークルの部室を目指した。


「……アキは知らなかったの?」

「何が?」

「大学創設者である升岡福蔵先生の話」

「知らなかった、ウミンは知ってたのか?」

「私は調べたからね、この学校に纏わることは一通り」


 それは、何と言うか、大変だったな。

 と言えば、ウミンは軽く微笑む。


「あの時はそうすること以外にやる気起きなかったし」

「あの時って?」

「アキが事故に遭った直後のことだね……絶望というよりも、心に負った傷が酷くて」


 ――それで、アキの著書である『俺カルチャー』の続きを私なりに書きたかった。


「そうやって私は……貴方を傍に感じていたかった」

「……」


 彼女の想いを汲み、つい涙しそうになった。

 俺は生まれて以来、誰かにここまで大切にされた思いもそうは感じられなくて。


 けど、彼女と俺が再び人生を交錯させる、人生を共に歩むことはもうなくて。

 彼女と俺の人生を私小説でなぞらえることは、もう無理だった。


「読みたいと思う? あの時私が書いたもの」

「ああ、是非とも読みたいな」

「じゃあ後で送っておくね。それと私今日はもう帰るから」


 と言い、ウミンは文芸サークルに立ち寄る前に帰ろうとしていた。

 彼女は多忙な人だから、仕方がないと言えばそうだ。


 傍には例の狂い咲きした桜があって、桜は花弁をゆったりと散らせている。

 きっと明日の今頃にはもう桜の見所は終わっているだろうな。


「アキ? 聞いてる?」

「……聞いてるよ、ちょっと眠たくなって来ただけだから気にしないで」

「アキも無理しないで、今日は帰った方がいいよ」

「それは分かった、時間が押してるんだろ? 先に帰っていいよ」

「そうするね……でも」


 するとウミンは急に感情を募らせ、涙声になった。

 声を酷く震わせ、涙を我慢して、彼女は肩を竦めていた。


「やっぱり、アキと会うのは今でも辛い」


 ――どうして私達はこうなってしまったのか、後悔しか覚えなくて。


「……でもさウミン、俺はこう思うんだ」

「なに?」


「君との人生は、確かにかけがえのない大切なものだったけど、今を否定するのは、この世に芽吹いた命や、沢山の人々の笑顔を否定するのと一緒だろ。だから今生きていることを、間違ってるとか、正しかったとか、そんな風に成否を問うのは別の話だと思うんだ。だから今の俺があるし、だから今の君がいるんだし、だから俺達のカルチャーはあるんだ」


 君とこうなったことに後悔はあっても、未練はなくて。


 今の所、時間の流れは巻き戻せないから、俺達は前を向いて生きている。


「もしもタイムマシーンが完成したら、今度こそウミンを幸せにするよ」

「……ありがとうアキ、でも今も十分幸せの範疇だから」

「わかってるから、もう行った方がいいだろ」


 と言えば、彼女はそうするねと言い、謝るように頭を垂れて立ち去って行った。

 彼女の姿が消えるのを見守っていると、狂い咲きした桜からまた一つ花弁が散り。


 ふと、意識が微睡む。


 視界は霧がかかったかのように、白くなって。

 頭がぼーとして、出逢った頃のウミンの幻影が見え始めた。


 彼女は本を片手に、俺を待ち呆けているようだ。

 まさか、走馬燈って奴か?


 何故だか、心が躍るように俺は喜んでいる。

 現実を照らし出した最期の光景が、ウミンでよかったと。


 次第に身体から力が抜けていくが、とても気分がいい。

 網膜に映し出された桜の花吹雪が、俺の最期を包んでくれるように舞っていた。


 ウミンと出逢ってからというもの、俺の人生はやっと意義を残せるようになれた。

 大学をなんとなしに卒業して、ニートになって。

 八年の月日が経った後、君と再会できたのは、生涯に残る幸運だったようだ。


 花吹雪の中で、自分の人生を振り返ると、まだ生きてたいなぁという想いが強くなる。

 まだ、ウミンやみんなと、人生を交錯させていたかったなあって。


「師匠、寝てるんですか?」

「っ……鳴門くん、それにみんなも」


 鳴門くんに呼び起され、微睡んでいた意識がはたと覚醒した。

 先ほどまで見ていたウミンの幻影は、単なる夢見だったようだ。


「父さん、こんな所で寝てると風邪を引く季節だよ? 気を付けて」

 ウミンとの間に残した俺の子が、心配そうに俺の手を握っている。


 小さい感触なのに、とても暖かくて。


「……帰ろうかみんな、それとも桜を見ていくか?」


「狂い咲きって何のことだ本城さん?」

「若子みたいなお子ちゃまには分からないことだよ」


 本城さんが若子ちゃんをからかうように戯れている。


「俺は帰ります、もう少しでプロに手が届きそうなんで、集中しないと」


 と言う鳴門くんに続き、本城さんも若子ちゃんを連れて帰路に向かっていった。


「行こう父さん」


 俺の人生は彼女を想ったまま逝くことを許してくれなかったようで。

 まだやり残したことがあるんだという天啓を、弟子を通じて受け取った。


 先ずは描くか。今の俺には描くことしかできない。ウミンとの出逢いや、トオルさんとの珍道中や、渡邊先輩との思い出だったり、弟子達と築きあげた大切な絆の証拠を。


 生涯に亘り、俺は自身の生き様を描き続ける。

 それが俺のカルチャー、俺がこの世に残せるたった一つの宝物だ。


 未来を担う後世が、舞い散る桜の花弁の向こう側で今一瞬を楽しむように喜びの声を上げている。そんな彼らの背中を後押ししたくて、俺は今も意欲を果てさせることなく、カルチャーを描いている。


 一体いつまで続けるつもりだって、渡邊先輩が呆れて言ってきそうだが。

 そんな先輩や、遥か上を行くウミンや、脇で笑っているトオルさんにこう認めるよ。


「父さん?」

「行こうか」


 命ある限り。


 命ある限り、俺は『俺カルチャー』を描き続ける。


 だって俺カルチャーは、俺にしか描けない、三浦アキの人生だったのだから。




 FIN.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺カルチャー サカイヌツク @minimum

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ