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翌日、俺達は帰路へと就くのを旅館の応接室で待っていた。
外は酷い暑さだから、遅刻している迎えの車を冷房が利いた室内で待っていた。
「……来ませんね」
旅館の女将である荏原さんは俺達を見送るために、一緒にいる。
「すいません、ご迷惑お掛けして」
「いえ、三浦さんのお知り合いのことじゃなくて……伍堂くんのことです」
「伍堂アラタですか? 彼なら昨日お別れを済ませたので来ないと思いますよ」
「……時に三浦さんは、伍堂くんの著書を読んだことはありますか?」
「いえ、彼は特に教えようとしてはくれなかったし」
「でしたら、今持ってきますね。帰り道のお供として是非持って行ってください」
それには及びませんよと、荏原さんに言おうとしたのだが。
俺の制止も聞かず、彼女は奥手へと向かっていく。
彼女は一度こうと決めたことにはすぐさま行動を起こすタイプだから。
「にしても、トオルくん遅いね」
応接室で甲子園中継を見守っていた宰子ちゃんは欠伸をしながらそう言う。
「トオルさんも忙しい人だからな」
「それはないと思うけど」
「宰子ちゃん、今後はトオルさんを頼りになる叔父さんと思って接してやってくれよ」
説得気味にトオルさんのフォローをしてやると、宰子ちゃんは俺の双眸見詰め返した。
そして彼女は神妙な顔つきで訊くんだ、どうして? と。
得も言えぬ宰子ちゃんの様子に、言葉を返し辛くて。
「いよう三浦先生、まだ帰ってなかったみたいだな」
そのまま十分もすれば、トオルさんの代わりに伍堂アラタがやって来たのだ。
「すいません三浦さん、伍堂くんの著書を探したんですけど、見つからなくて」
――結局、伍堂くん本人を呼びました。
荏原さんは伍堂アラタを自ら呼び寄せたようだ。
俺や、延いては二人の修羅場を見て来た弟子達も困惑の色を若干隠せないでいる。
「それはいいんですが、荏原さん、もう彼との喧嘩は落ち着いたんですか?」
と問えば、荏原さんは微笑みをたたえたままだった。
「伍堂くんとの喧嘩は、もう過ぎ去ったことですから」
「え? だって」
「そんなこと、どーでもいいだろ? 俺とタカコの可能性を最後まで否定しなかったあんたらしくない反応だぜ三浦先生。それでこれが俺の著書、タイトルはマイプライド。今後ともご贔屓に」
本を手渡された俺は、思わず面映ゆい気持ちになった。
伍堂アラタと荏原さんの関係がどうなったかは知らないけど。
二人の間は確実に変貌している。
これは俺が求めていた二人の展望に似ている情景だと思えた。
「……三浦先生をリスペクトして創られた小説だからよ、大切にしてやってくれよ」
「ありがとう、二人とも。君達が出した答えは、生涯の宝物だよ」
すると伍堂アラタは荏原さんの車椅子のハンドルを掴み。
これからは二人で人生を歩んでいくことを示している様だったんだ。
「三浦さん、またお越しになられてくださいね。私ども熊夜はいつまでも三浦さんの来訪をお待ちしておりますから」
伍堂アラタから例の話を聞かされたからか、荏原さんの目には涙がせり上がっている。
とすると、俺はいつの間にか彼女達との間にも絆を紡いでいたようだった。
俺はもうじき死ぬ。
それがいつになるか、確たる予言は残せないが。
「また来ます、必ず」
二人との絆を確かめるために、出来もしない口約束を交わすのだった。
けど、もしも二人との約束を守れたとしたら。
その時は、二人の間柄を見守らせてもらって。
そしてまた修羅場を繰り広げる二人の傍に、安堵した面持ちで居させて貰おう。
それが俺の次のカルチャー。
俺が次に果たすべきカルチャーの、大切な一ページだった。
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