第3話 真相

「ねぇ、ケンちゃん。一体どんな代償を払ったんですか?」

 クレハはジッと僕の背後に視線を向けた。まるで蛇に睨まれた鼠の気分である。下手に動いたらやられそうである。さすがにここまで追い詰められたら話さない訳にもいかなかった。

 当然ながら僕はロボットを作り上げた関係者でもないし、ましてや億万長者という訳でもない。誰が見てもその辺にいる一般人であることには変わりなかった。それなのに高性能人間型恋愛ロボットを所有しているなんて可笑しな話である。

「一応確認ですけど、悪いこと……していませんよね?」

 疑うようにクレハは尋ねた。

「そ、そんなことしていないよ。い、命をかけてでもしていないって誓えるから。本当に」

 言葉に詰まりながら早口で言うのが余計に怪しさを増していたかもしれない。しかし、断じて悪に走っていないと言うのだけは本当である。

「それなら良かった」と、クレハはひとまず安心したようだ。

「でも、それならどうして私を所有できたんですか? 話してもらえますか?」

 僕は言うか悩んだ。しかし、いずれ質問されることは分かっていた。そのタイミングが今となってしまったに過ぎない。いつかは話さなくてはならない話。僕は決断した。

「分かったよ。クレハには聞く権利があると思うから話すよ」

「はい」

 クレハは視線を真っ直ぐ向け、真剣な眼差しでこちらを見た。

 

 僕は建設士の父と事務員の母との間で生まれた。どちらも平凡な家庭であり、またそこから生まれた僕も平凡な訳である。一人っ子として育った僕は親から多少の甘えを受けて育った。しかし僕が中学に上がった時、母は今まで勤めてきた事務の仕事を退職した。理由は認知症であった。母は四十代とまだ若かったにも関わらず、認知症を患ってしまったのだ。原因は日常のストレスからだった。家庭では特に目立った要因はなかったが、父と母の距離は離れていると当時は感じていた。時間をずらして食事を摂ったり、朝に顔を合わせても会話がなかったりしたが、長年の夫婦ではよくある現象ではないのだろうか。僕自身もそこまで不審には感じなかったが、母の様子がだんだん変わってきたことはよく頭に焼きついている。突然、呪文のように同じ言葉を呟いたり、いつも当たり前にやっていた家事のやり方が分らなくなったりした時は流石にやばいと感じた。父は気を遣って家事を率先的にやっていたが母の認知症が治ることはなかった。

 高校を卒業とともに僕はIT企業に就職の駒を決めたある時だった。

−−母は突然死んだ。

 認知症の進行により、母は日常生活をするのも不充分な身体になっていた。当然、外出なんてとんでもないことである。それなのに母はその日に限って外出したのだ。僕と父は口を酸っぱくして外出することを禁じたにも関わらず。

 母は川の中に入って溺死したのだ。その川は遊泳禁止の場所であり、底が深く流れが急なことで地元では有名な場所である。そんな危険な川に自ら侵入していった母は還らぬ人となった。何故あの日、母は川の中へ引き込まれるかのように入って行ったのだろうか。現在でもその真相は謎のままである。だが、悲劇はそれだけでは終わらなかった。

 母の死から五年後のことである。母の死をきっかけに僕は一人暮らしを始めた。そう、今住んでいるマンションである。父は職場から近いアパートに引っ越した。元々、父とはあまり口を聞かないせいもあり、お互いが気まずいという理由での引っ越したのだ。実の親子であるにも関わらず。引っ越してからお互い連絡を取ろうとしない。だが、ある日に父の死を告げられたのである。事故だった。建設士として働く父は当時、高層ビルの建設に携わっていた。高所で作業をしていた時、父は足を踏み外してしまったのだ。命綱を付けていたがその命綱は破損した状態だった。整備不良が事故に繋がった。結果、父を守る術がなく高所から転落し即死だったと言う。短期の間に両親が立て続けに亡くなった僕は悲しんだ。運がなかったとしか言いようがない結果となってしまった。

 僕は意欲を無くし勤めていた職場を退職し引きこもりを始めた。何もかもやる気が起きずただ飯を食べて寝るだけの生活を送っていたのだ。生活は貯金とパソコンの知識でオークションや投資などで食い繋いでいた。父の死から数ヶ月。父の最後の贈り物とも言えるモノが僕に送られてきた。生命保険から降りた多額の保険金である。父は若い頃から保険をかけていたのだ。父だけではない。その保険金の中には母の分も含まれているのだ。両親から託された最後の贈り物である。その金額は二人合わせて一千五百万円。大金を手にした僕は鳥肌が立った。

「その保険金で私を購入したと言うわけですか」

 ここまで話を聞いたクレハは渋い顔で言った。

「結果、そういうことになる」

 僕は視線を逸らしながら答えた。

「両親の死を私に換金したと言うことは腑に落ちませんね」

「僕の金だ。何に使おうと僕の勝手だろ」

「あなたの両親のお金です」

 クレハに反論され、僕は言葉に詰まった。

「まぁ、お金の糸口は掴むことができました。問題は私の購入ルートです。一般的なルートでは手に入れることはできません。非販売ですので。一体、誰から買い取ったのですか?」

「それは……その……」

 僕は答えるかどうか迷った。だが、この空気では逃げることができないと感じた。


 両親の死で保険金を受け取った僕は引きこもりを始めた。大金を受け取ったからと言ってそれで一生暮らしていけるなんてそんな甘い考えは持ち合わせていない。ネットで収入を得られるように勉強しながらどこか適当なアルバイトを転々としながら生活の政経を立てた。一人で生活する分には充分である。極力、人との関わりを避けながら生活するようになって将来の不安を感じ始めた。

 一生、このまま一人で過ごすのだろうかと。親もいない。彼女もいない。友達もいない。信頼できる人がいない。孤独のままでいいのかと。せめて、彼女がいれば少しは変わるのだろうが、自分にはできる要素は見当たらない。

 ある日、コンビニ帰りに道ゆく人に肩と肩がぶつかった。その拍子に相手は何か落としていった。すぐにそれを拾って渡そうとしたが、その人物は姿を消していた。僕はその落し物を確認する。名刺入れに名刺とUSBが入っていた。しばらく辺りを捜索したがそれらしい人物が見当たらずその日は諦めた。明日、警察にでも届けようか。最悪名刺があるので直接渡すことは可能なので焦ることはない。

 家に帰宅し、家事を一段落した後に帰りに拾った名刺を眺めていた。名刺にはこう記載されている。『オリエンタルロボット研究委員会。研究員兼総務。兼平悠次郎』である。その他に会社の住所と連絡先も記載されているので相手のことは掴めた。一緒に入っていたUSBには何のデータが入っているのだろうか。流石に企業の情報が入った大事なデータを僕みたいな一般人が盗み見る訳にもいかない。それよりも気になるのが企業名だ。オリエンタルロボット研究委員会。企業というわけではないがどこかの役員なのだろうか。僕はパソコンを立ち上げてオリエンタルロボット研究委員会という単語を検索した。そこでは『人間型ロボット』の開発が進められているという情報が書き込まれている。僕もその噂を耳にしたことがある。近代化が進む日本に遂にロボットが登場すると言う噂が広まっていたのだ。研究と開発は何年も前から進んでいる噂も立っていたが完成されたというのがどこからかリークしたらしい。まだ現実ではないがその完成の発表もそう遠い未来ではないのも事実。つまり、この名刺の男は人間型ロボットの開発に携わっている可能性が高いという訳である。

 最先端技術を駆使した人間型ロボット。ネットに書き込まれたその予想図を見るだけで本当にこんなのが人間のように動くのかと疑いたくなる。それと同時に完成に踏み切ったと言う情報と別にその価格もリークされていた。安くて一千万円となっていたため、多くの人は諦めてしまうような金額だ。たとえ発売されても誰も買えないと思う。僕も同じように諦めかけていたが、保険金のことが頭を遮る。あれを使えば手に入れることができるのではないだろうか。予想図を見れば見るほど魅力を感じる。

 僕は手元にあるUSBに目を向ける。ここにロボットの情報が積み込まれていると思うと見たい衝動に駆られた。赤の他人が見れば情報漏洩で罪に囚われる可能性があり、これは犯罪であると罪悪感が襲うが、その一方で少しくらいなら大丈夫かもしれないと甘い考えもあった。脳内に天使と悪魔の囁きが入り混じる。心が揺れる中、僕は判断を迫られた。耐えきれなくなり、僕は手を伸ばした。


 次の日、僕は近所の喫茶店に訪れていた。店に入ってから十分後くらいに待ち合わせしたらしき人物が入店した。幸い店には若い人妻達三人組と老人が一人だけであったのですぐに僕だと判断して向かってきた。

「あなたが九石賢人さんでいらっしゃいますか?」

 現れたのはメガネをかけて少し頭髪が薄くなっており、目が細く気の弱そうな男性であった。年齢は三十代後半といったところだろうか。「そうですけど」と言うと男は名乗った。

「私、オリエンタルロボット研究委員会の兼平悠次郎という者です」と懐から名刺を差し出そうとするがその名刺は、僕は持っているので兼平という男に返した。

「これは失敬」と兼平は名刺を回収した。

 席について兼平はコーヒーを注文する。店員が去った後で兼平の表情は固くなる。

「まずは大事なモノを拾っていただきお礼を致します。ありがとうございました」

 兼平は深々と頭を下げた。

「それと、今日はその例のモノを持ってきて頂けましたか?」

「はい。これですよね?」

 僕はUSBをスッと差し出した。

「そう、これです。確かに受け取りました」

 店員がコーヒーを持ってきたその間、僕たちは沈黙。店員が去るのを見計らって兼平は言った。

「警察に届けられなくて良かったです。もし、これが警察の目に入ったら一大事になっていたかもしれません。今回、あなたの判断がなければ私は終わっていました」

 まるで犯罪の情報が詰まっているかのようなモノの言い方であった。

 兼平はコーヒーを一口啜った後、周囲を警戒するように手を口元に添えながら聞いてきた。

「時に九石さん。念の為に確認ですが、この中身……見られていないでしょうかね?」

「大丈夫です。見ていません」

 あの後、僕の中の天使が勝って名刺にある携帯番号に掛けて今回の会う約束をしたのだ。

「疑うつもりはありませんが、この中にある情報は身内にしか許されないモノであり、一般人には決して見せる訳にはいかない財産なのです。例え見ていないと仰っていただいても我々にはそれを確かめる術はない」

「というと?」

「我々が行なっているプロジェクトは世界を驚かす人間型ロボットの開発です。噂くらいは聞いたことがあると思いますが、その真相は決して知られる訳にはいかないのです。今回、私が不注意で大事な情報を落としたことも企業からしたら重罪です。現に私はクビだけでは済まない事態に陥っているのです。幸い、失くしたことは企業にバレていない。うまく誤魔化して逃れています。しかし、あなたに情報が渡り、最悪情報をネットに公開でもされてしまえば大きな問題に繋がります。なので、あなたにはこのことはなかったと約束してほしいのです」

 兼平は鞄から封筒を取り出してテーブルに置いた。

「ここに現金で百万円あります。どうかこれで手を打ってくれないでしょうか」

 大金を差し出され、僕は戸惑う。兼平は何としても僕に情報を拾われたことをなかったことにしたいようだ。この大金はいわば口封じという訳だ。

「う、受け取れませんよ。こんな大金」

「受け取れないということは情報を流すということですか?」

 兼平は疑いの眼差しで僕を睨みつけた。受け取らない=情報を流すと解釈してしまったのだろうか。

「いえ、そういう訳ではありません。そもそも僕はロボットの情報を知らない」

「ではなんだというのですか」

 兼平は少しムキになる。

「では、現金を受け取らない代わりにロボットについて聞かせてもらってもいいですか?」

「今の話を聞いていましたか? この情報は一般人には流せない情報と先程お話しましたよね?」

 兼平は少し興奮したように言った。

「ええ。それを聞いた上で聞きたいのです。人間型ロボットというのに興味があるんです。一体どのような仕組みなのか気になって。聞ける範囲だけでいいのでお聞かせできませんか? もちろん聞いた内容は口外しないと約束します。僕の中で留めますのでお願いできませんか?」

 兼平は難しい顔をした。コーヒーを啜り考える素ぶりをする。

「どうしてもと言うのであれば誓約書を書いて頂けますか?」

「分かりました」

 僕は差し出された誓約書に名前を記入する。今後一切ロボットについて他言無用という内容のものだった。

「これで信用したとは言えませんがこの話はここだけでお願いしますよ」

 兼平は念を押すように言った。僕は頷いた。

「可能な限りでお話します。何が聞きたいのか仰って下さい」

「人間型ロボットというのはどこまでの性能なのでしょう?」

「まず、見た目はほぼ人間と全く一緒です。その他に仕草、動き、知性、感触といった全てが人間そのものです。更に男性、女性とそれぞれの性別に適した動きを可能にしました。完全に一人の人間と言えるでしょう」

「そうなんですか。じゃ、もう一つ。つかぬ事を聞きますけど、ロボットとの恋愛って可能ですか?」

 これは僕の最も聞きたいことであった。人間との恋愛がうまくできないのであればロボットとすればいいという飛び抜けた発想であった。それを聞いたら普通の人間であれば距離を置きたくなるような発言に違いない。兼平もそのような反応を取るのかと思いきや、真顔になり答えた。

「USBの中身を見ていないのですよね?」

「? 見ていませんけど」

「それなら偶然としては出来過ぎている。なんといったって我々は人間型恋愛ロボットの試作も同時に行なっていたのですから」

 話を聞けば通常のロボットと恋愛のロボットに分けて制作をしていたという。通常のモノは主に労働力として人間の仕事が出来るロボットを指す。そして恋愛のモノは労働力の他に知性がより優れたロボットのことである。感情が豊かになり人間と同じような考えも持つことができる。それは恋愛として適した構造になっており、新たな生命体とも言えるほどだという。まさに夢のロボットであった。

「それいくらするんですか?」

 僕は思わず質問していた。

「通常のモノであればただの労働力の為、一千万円程。これでも安い方です。これにも多少の知性がありますが、人間のような的確な受け答えはできない。問題は恋愛型ロボット。これは知性があり、人と全く同じような受け答えがある分、通常より割高で一千五百万円から二千万円とされている。あくまで予想金額であるがこれほどの価値があると私は推定します。まぁ、一般的に買えるような品物ではないことは間違いないと……」

「買います!」

「え?」

「その、恋愛型ロボットというやつを買い取らせて下さい」

 僕の発言に兼平は一時停止したかのように固まった。聞き間違いなのでは? という目をしている。だが、断じて聞き間違いなんかではない。僕は買いたいという欲求が抑えられなかった。何が何でもそのロボットを手に入れたいと思った。

「買うと言ってもまだ今の段階では研究段階なので販売されていません。それに気軽に買えるような金額でもありません」

 兼平はあくまでも平常心で答えた。

「もう完成はしているんですよね? 後は簡単なテストさえすれば商品化に踏み切れるということ。それにお金も大丈夫です。臨時収入が入りましたので」

「気は確かですか? 少し考えてもいいのでは? それにまだ売るとは言っていません。今の段階ではまだ商品化をするのは難しいと私は考えます」

 兼平は僕からこの話を遠ざけようという素振り見え見えだった。意地でも引き離そうという口調だ。

「こうして接触できたのも何かの縁なのでは? なんとかなりませんか?」

 僕は熱意を伝えるべく真剣な眼差しでお願いを媚びた。

 兼平は頭を悩ませた。かなり追い込まれた状況に見える。

「これは言ってもいいのか迷うところですが」

「なんでしょう」と僕は聞き耳を立てる。

「ここだけの話なのですが、実は今、試作品のテストを誰かにやってもらいたいと考えています。性能のテストは行えたのですが、いざ商品化ができた場合に不備がないか日常生活で調べる必要があります。それには施設ではなく自宅でする必要があるということになります。そこでその代役をするというのはどうでしょう」

「その代役を僕がやってもいいのですか?」

「はい。これで手を打ってくれるのであれば喜んで任せましょう。ただし、くれぐれも口外しないこと。これは企業秘密なのですから」

「約束は守ります」

 こうして僕は日常生活を行いながらロボットの性能を体感することになった。お試し期間ということで一年間使うことになった。そして満足できる品であればその時点で買い取りということになる。そう、それがクレハというロボットということになる。


「………………」

 僕がクレハを手にする一通りの流れを語った後、クレハは刻が止まったかのように黙って聞いていた。その後、「うーん」と考え込むかのように腕を組んで目を閉じた。僕はクレハの言葉をジッと待つ。

「そもそも私ってまだ試作品だったのですか。初めて知りました」

 クレハは納得したかのように頷く。

「そこ?」と僕は思わずツッコミを入れる。

「ええ。私は完成品の超高性能人間型恋愛ロボットだと自認していましたので」

「超って……」と、一文字余計な単語があることに苦笑いをする。

「しかしそこはさておき結果、私とケンちゃんはこうして巡り会えた。それでいいじゃありませんか」

 クレハはニッコリと微笑んだ。

「そ、そうだね」

「時にケンちゃん。人間は信頼できないからロボットと付き合うという経緯は掴めましたが、それは恋愛から逃げたという意味ですよね?」

「それが何? 悪い?」

「いえ。悪い訳ではありません。それもまた個性です。私が言いたいのは過去の恋愛に対してトラウマがあるのではないのかということです。例えば、過去に好きだった女の子に酷い仕打ちを受けたとか?」

「き、君にそんなこと関係ないだろ。過去のことなんて今更」

「果たしてそうでしょうか?」

「どういう意味?」

「私の名前はF−九〇八というシリアルナンバーから取った名前ですよね?」

「そうだけど?」

「仮に別のところから取ったとしたらどうでしょうか?」

「別のところ?」

「そうですね。例えば、過去に好きだった女の子の名前から取ったとしたらどうでしょう? ケンちゃんはその子が忘れられなくて私をその子に代わりとして傍に置いているとしたら面白いと思いませんか?」

「その仮定は実に面白いと思うよ。そうだったら笑えるね」

「ですよね? どんだけ未練タラタラのタラ男なんだよってくらいに面白いです」

「あははは」

「あははは」

 僕とクレハは大声で笑った後、静まり返ったように沈黙した。

「私の仮説は事実ということで合っていますか?」と、クレハは目を細めながら言った。

「な、なんのことかな?」

 僕は声が裏返ってしまい、挙動不審になっていた。嘘を付いているのがモロに出ていると言える。

「嘘を付くのが下手なんですね。ケンちゃん」

 尚もクレハは笑顔を崩さず、落ち着いた仕草で言った。そして続けてクレハは言う。

「遠山紅羽」

「え?」

「ケンちゃんの同級生の中で唯一私と同じ名前の人物が彼女です。この遠山紅羽という子が初恋の女の子なんじゃありませんか?」

「お前、どこでそんな情報を!」

「ケンちゃんの卒業アルバムを見た時です」

「あの一瞬で全ての同級生の名前を覚えたっていうのか?」

「えぇ。覚えたというより写真のように映像で頭に残っております。名前だけではなく顔も記憶しています。最も彼女の名前は私と同じだったので印象に残っていました。それに私が見た中では彼女が一番男子目線から見れば断然可愛いと思います。好きになるのも無理もないほどに。どうですか? ケンちゃん。ここまで的確に言われて尚も言い逃れをするおつもりですか?」と、クレハは全てを見通したかのように言い切った。

「あぁ、そうだよ。僕は高校の頃に遠山紅羽に恋を抱いていたよ。そして、その恋は報われず、ずっと引きずってそのまま名前を君に付けた。だからなんだ」

「その遠山紅羽に恋を抱いていたならその気持ちは伝えなかったのでしょうか?」

「いや、それは……」

 僕は過去の記憶が蘇る。

「私ね、ずっと前から九石君が気になっていたの。それでね。良ければ……なんだけど、私とその……付き合ってほしいなって。ダメかな」

「そんな訳ないだろ」

「そんな訳ないだろ」

「そんな訳ないだろ」

「あははは! マジ受けるんですけど! 本当に引っかかるなんて馬鹿よね。誰があんたみたいなダサい男と付き合わなくちゃいけないのよ。ありえないから!」

 頭の中であの時の記憶が蘇る。僕の気持ちを弄んだあの時の顔は新鮮に蘇る。あんなに酷い仕打ちをされたにも関わらず、僕は今になっても彼女を憎めない気持ちがどこかにあった。憎いはずなのに。

「……ちゃん。ケンちゃん」

「え?」

 クレハは心配そうに蹲み込んでいる僕の肩に手を添えて呼びかけていた。

「大丈夫ですか? 何か思い悩んでいるように見えます。ひょっとして私が思っている以上に辛い過去だったのですか?」

「大丈夫。なんでもないから」

「彼女のことが今でも忘れられないのであれば一緒に探すお手伝いをしましょうか?」

「は? 何でそうなるんだよ」

「だって、会いたいんでしょ? そんな顔をしています」

「し、していないから。僕は過去に執われるような真似はしない。断じて」

「どこ行くんですか?」

「寝る!」

「おやすみなさい」

 クレハは寂しげにそう言ったが、僕は振り返ることなく寝室に行き、ベッドに飛び込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る