第2話 秘密
「美味しいですか?」
「うん。美味しい」
「良かった」
クレハが作ってくれたハンバーグを食べていた時だった。僕の食べている姿をじっと見るクレハ。こんなにもジッと見られるとどうも食べにくい。
「そんなに見ないでよ。食べにくいだろ」
「ねぇ、ケンちゃん。食べるってどんな感覚ですか?」
「急にどうしたの?」
「私にはその食べる感覚が分からないので気になったのです」
そういえば、ロボットであるクレハは食べ物を食べる必要はない。食べなくても充電さえしていれば動けるのだから。クレハの気持ちになってみれば気になる点なのだろうか。
「美味しいものを食べることで生きているって思えることかな。感覚としては幸せだよ」
「食べると幸せな気持ちになれるんですね」
「ん? そうだけど」
「なら私も食べてみたいです」
「いや、お前には身体が合わないだろ。故障の原因になる」
「でも、見た目がタヌキの猫型ロボットは普通に人間の食事を取っていたので多分大丈夫です」
「何を根拠で大丈夫なの? それはアニメの世界の話だから。現実は違うから」
クレハはフリなのか、本当に僕のハンバーグを食べる動作をして見せたので慌てて止めに入った。
「そうですか。それは残念ですね。私も一度でいいから食べる感覚を味わってみたかったです」
「間違っても食べ物を口の中に入れないでくれよ?」
「安心してください。今のは冗談です。仮にも私はそんな幼稚な真似はしませんよ?」
「いや、口調と行動が少し本気だったから心配になっただけ」
「いくらロボットである私にも冗談くらいは言えますよ」
「それならいいけど」
「ケンちゃん、私のことはどう思いますか? 好きですか? 嫌いですか?」
「え? 好きだけど?」
「結構ハッキリ言うんですね」
「あっ」
僕は思わず口を押える。質問されたことを反射的に答えてしまい自分が恥ずかしい。
「いいんですよ。素直が一番です。ちなみに私もケンちゃんのこと好きですよ」
クレハは笑顔で言ってくれた。これが恋人同士の甘いやりとりというやつなのだろうか。初めての感覚に僕はときめく。
「何をニヤついているのですか。少し不気味なのでほどほどにしてください」
突然、クレハの毒舌に僕は無表情になる。もしかして僕って遊ばれているのだろうか。
「あぁ、そうそう。ケンちゃんの新しい職場、ネットで応募してきましたので今日の十七時に面接に行ってくださいね」
「え? なんで勝手に決めちゃうの?」
僕は飛び上がるように驚いた。
「この間、ケンちゃんが仕事をクビにされたのがいけないのです。せっかくいい調子だったのにやらかすから私が早い段階で手を打ったという訳です」
そう、この間僕は初歩的なミスをして職場全体に大きな損害を当ててしまったことが原因であえなくクビを言い渡されてしまったのだ。何が原因かというのは言いたくない。
「仕事は生きる為の術だというのが一般的な理論です。働かない人は社会のゴミ同然ということらしいので働くしかありません」
クレハは人差し指を立てながら説明口調で言う。
「それどこの情報だよ」
「ネットの一般的な情報です。今や人間が生み出したロボットのせいで人間の本来の職務を失ってしまい、ロボットが主導権を握ってしまう世の中なのです。それにより人間は働く意欲を失い、生活が出来ず家を無くしホームレスとして苦しむ現状が絶えません。生きるとは働いてこそなんぼであり、それを辞めてしまえば生きる術を無くて……」
「分かった! 分かったよ。働けばいいんでしょ? それでどこに応募した訳?」
僕が質問をするとクレハはニヤニヤしながら勿体ぶるように笑った。
「安心して下さい。ケンちゃんにピッタリのところですので」
「君が九石さんですね。歳はいくつだったかな?」
「今年、二十六歳になります」
「そうですか。何故うちで働こうと思ったのですか?」
「えっと……その……」
彼女に勝手に応募されたからとは言えずに頭の中で理由を整理する。そう、今回僕が面接に訪れたのはとある居酒屋である。何故よりによって接客業を推薦したのか僕は理解が出来なかった。ちなみに僕は今までに接客はしたがない。飲食関係で働いた経験はあるが主に厨房だったので接客は無に等しい。それなのに何故今回になって接客なのか意味が分らなかった。僕はできる限り人との関わりを減らすためにネットでの収入で生活を築き上げてきた訳だ。それなのに……。
「自分は人との関わりが苦手で今回それを克服する為にここで働こうと思いました」
自分の口が勝手に答えていた。
「そうですか。うちは大学生のアルバイトが多く若い人がメインで働いていますけど、ついて来られますか? 年下の先輩の指示を聞くことになりますが大丈夫ですか?」
面接官である佐野店長は試すような口調で僕に迫ってきた。気の弱い人ならここで耐えられず逃げ出してしまいそうであるが、僕は相手の視線を逸らさなかった。
「はい。もう、逃げないと決めたので何も問題ありません。言われたことを素直に受け入れると決めましたので」
真っすぐな眼差しで僕は佐野店長を見る。その熱意が伝わったのか、佐野店長は視線を落として言った。
「君の熱意はよくわかった。いつぐらいからシフトに入れるかな?」
「え? それって……」
「はい。採用します」
「あ、ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します」
「はい、こちらこそ。それでシフトの件なのだけど……」
「明日から大丈夫です」
「本当に? ならうちは十七時からの開店だからそこから入ることって……」
「出来ます!」
僕は合間を入れずに答えた。その動作に佐野店長は驚いたような反応を見せたがすぐに「助かるよ」と言ってくれた。こうして僕の新たな職場は決まったのだ。
「お帰りなさい。ケンちゃん。お風呂にする? ご飯にする? それともわ・た・し?」
家に帰宅するや否や、クレハは新婚のベタなお出迎えをする。
「ご飯。それと大事な話があるんだ」
「え? 嘘、まさかのプロポーズ? 待ってよ。まだ心の準備ができていないよ。私、困っちゃう」
「えっと、クレハさん? いつまでそのノリで行くの? 僕の方が困るんだけど」
「もーケンちゃん、ノリ悪い。恋人というのはこのような甘いやりとりをするのが定番なんですよ?」
「定番だけど実際にするのはちょっと違うような気もするけど」
「ではいつものノリに戻します。ちょっと度が過ぎましたね。ケンちゃんには少し刺激が大きいみたいですので。話……ですよね? 何でしょうか? 大体想像はつきますけど」
「残念ながらその想像は当たっているよ」
「あぁ、やはり面接をすっぽかしましたか。私の判断が間違っていたようです」
「その逆だよ。面接をして無事に受かった」
「え? 本当ですか? さすがにそこまで期待していませんでしたが良かったです。おめでとう、ケンちゃん」
「今、僕のこと貶していた?」
「気のせいです」
「そっか。まぁ、いいけど。そもそもなんで僕を居酒屋で働かせようと思った訳?」
「社会に復帰する為の通過点と感じたからです。居酒屋は多くの社会人の今宵の場。なので、その姿を見て是非自分に置き換えてほしいという思いで推薦しました」
クレハは律儀に自分の思いを述べるかのように淡々と答えた。今の自分に何が足りないのか、まさにクレハの言う通りである。
「そう……だよな。クレハは僕のことを思ってのことだよな」
「はい。私はケンちゃんの味方です」
クレハはニッコリと微笑んだ。
翌日――。僕の初出勤のことである。クレハに見送られて例の居酒屋へと足を運ぶ。僕が今日から働くのは鳥をメインにしたチェーン店であった。手軽な値段で品揃えが豊富なことから多くの人が出入りすることでも有名である。そんな有名チェーン店に僕は社会の勉強を含めて働くことになった。
「初めまして! 九石賢人です。九つに石と書いて九石です。本日からお世話になります。よろしくお願いします」
初めての環境では第一印象が最も重要である。僕は良い印象になれるように精一杯の声の高さで挨拶をした。
「よろしく。さざらし? 変わった名前だね」
「分からないことがあったらなんでも聞いてくれ」
「何歳? 結構、歳いってます?」
「頑張って行こうね」
挨拶をするや否やスタッフの人たちは迎え入れるかのように励ましの言葉をかけてくれた。若い力というのはこういうものなのだろうか。見た目では店長の次に僕が年上だと思う。
「ではまずあだ名を決めましょうか」
店長である佐野さんは背後から僕の肩に手を置いて言った。
「あ、あだ名ですか?」
僕はいきなりのことで戸惑いを見せる。
「この店で呼び合うあだ名だよ。皆のプレートを見てごらん」
そのように言われて僕はスタッフたちのプレートを見る。
キヨ。ココア。カエラ。シュート。アカト。モカ。よしりん。と名前は様々であるが、明らかに全員本名ではなくあだ名なのだ。まるで幼稚園に体験学習で来た中学生みたいなプレートである。ちなみに佐野店長は平仮名で『はじめてんちょー』という名前である。まるでどこかの有名YouTuberみたいな名前である。
「ここではお客さんが呼びやすいようにあだ名を決めて呼び合っています。勿論、同じ従業員として親近感が湧くよう意味を込めて付けています」
「そうなんですか」
「九石君。君に何かあだ名があれば教えてほしいのだが、何かないかね」
「そう言われましても特には……」
本当に何もなかった。小学生の頃は『くいし』だの『きゅうせき』だのと言われたことはあるが、個人的にはあまり好かないあだ名である。自分にあだ名とは無縁の存在であると感じていた。
「そうか。困ったな……では、皆に決めてもらおう!」
佐野店長は思いついたように言った。
スタッフたちは僕の顔を見て悩む。緊張の瞬間である。誰かにあだ名を付けてもらうのは何年振りであろうか。この歳になってあだ名を付けられる日がこようとは思いもしなかった。果たしてどのようなあだ名が出てくるのか、僕はソワソワしていた。
「はい! あの、よろしいでしょうか?」
挙手をしたのはプレートに『ココア』と書かれた女性であった。見た目からして若く黒髪にストレートで活発で元気そうな女の子だった。高校生……いや、下手をしたら中学生にも見える彼女であるが、夜遅くまで営業しお酒を提供する店で働いている時点でおそらく成人であることが伺える。
「ココアちゃん。何か良い案思いついた?」と、佐野店長は興味をそそられるように聞く。
「えっと。アザラシというのはどうでしょうか?」
「へ?」と僕は思わず惚けた顔になる。
「サザラシという名前なので一文字もじってアザラシです。よく見たらアザラシみたいな顔をしていますので。どうでしょうか?」
ココアという女性はそのように言う。ちなみに僕はアザラシのような可愛い顔をしている訳ではない。ましてはそんなことはありえない。何を根拠にそのように言ったのか理解できなかった。
「そう言われてみると似ているね。目がでかいし」
「確かに。マスコットキャラって感じ」
「いいじゃん。アザラシ」
周りの従業員は否定することなく乗り気である。そのやり取りに僕は取り残された感じであった。僕の話題なのに。視線が僕に集中して佐野店長は聞く。
「九石君。どうかな? アザラシというあだ名で。あくまでもこの店で使うあだ名なのでそこまで深く考えることはないと思うけど」
「分かりました。アザラシで問題ないです」
問題がないと言えば半分嘘になってしまうが、それ以外の候補を考えてもらうのも手間だし、なんといっても自分であだ名を考えるなんて馬鹿らしい。だってそうだろ? あだ名というのは自分で決めるのではなく他人に決めてもらうものなのだから。それよりも気掛かりなのはココアという女性が満面の笑みで僕を見つめていたのが気になった。
「うちには研修期間というのはないから基本、慣れで仕事を覚えてもらいます」
「はい。お願いします」
僕はよしりんという女性の後をついて仕事を覚える。聞けばよしりんはフリーターでここでは四年の経験があるという。それでも僕より年下である。
「初日ではまず雑務に専念していただきます。お客さんが帰った後のテーブルの後片付けや厨房での皿洗いや料理長のフォロー。接客は先輩たちを見ながら身に付けてください。ここまで大丈夫ですか? アザラシさん!」
「え? あ、はい」
アザラシという、呼ばれ慣れていないので反応が少々遅れる。そういえばこの店にいる間、自分は『アザラシ』として働くことになったんだっけ。
「アザラシっていうあだ名。本当は気に入っていないんでしょ?」
よしりんは見透かしたように聞いてきた。
「い、いえ。そんなことはないです。気に入っていますよ」
「どうだか。ココアちゃんには少し手を焼くかもしれないけど嫌いにならないでね」
「え? どういうことですか?」
「あまり言いたくないけど、あの子、表向きは好かれる容姿だけど少し変わっているのよね。数々の男を手玉に取ったとか、嘘を付いたり、他人の不幸をあざ笑うとか。まぁ、仕事はキチンとこなしてくれるからいいんだけど、プライベートでは何をしているか分かったものじゃない。本名も店長以外は誰も知らないって言うしね」
「へ、へー。そうなんですか」
話を合わせるように軽く頷いておく。真面目そうな見た目にそんな裏があるとは思えなかった。人は見た目によらないというのはこういうことなのだろうか。
それからというもの、初日は簡単な雑務を懸命にやって業務を終えた。皿洗いやテーブルの片付け、その他店の掃除やゴミ出し。初日ながらにして多くの仕事をこなせて達成感が湧いた。
「アザラシ君、お疲れ様」
帰る支度をしていた時、ココアが声をかけてきた。
「あ、はい。お疲れ様です」と、会釈をしながら返す。
「ふぅ」とココアは突如、僕の耳に吐息を吹きかけた。僕は耳に手を当てながらロッカーに背を向けて驚く。
「な、な、何?」と、自分がかなり動揺しているのが分かった。
「何も。ただ、お疲れ気味に見えたものだから元気付けてあげようかなって。明日も来るんだよね?」
「ええ、まぁ」
「そっか。じゃ、また明日」
ココアは満足したように片手を上げて休憩室から去っていった。僕はこの出会いに大きな波乱を起こすことはまだ知らなかった。
「アハハ! なにそれ。アザラシって可愛い」
家に帰宅し、その日の流れをクレハに報告したら大笑いであった。
「そんなに笑うことじゃないだろ」
「だってサザラシだからアザラシって可笑しいんだもん。まぁ、ある意味センスありますね。その子」
「うーん。そうかな?」
僕はココアの顔を浮かべた。クレハにはココアがどんな人なのか話していない。話すまでもないと思ったからだ。
「あだ名が必要であるならケンちゃんで良かったのに」
「それはクレハだけ。他の人には呼ばれたくない」
「それはつまり、私だけが認められた特別な呼び名と解釈してもよろしいですか?」
「いいけど」
「では他の人にケンちゃんって呼ばせないでくださいね」
「分かったよ」
「それと流れで居酒屋の仕事をさせてしまいましけど、実際どうですか? やりがいは感じられましたか?」
クレハに聞かれて今日のことを振り返った。
「まだ初日だからよくわからないけど、やりがいは感じたよ。仕事をしているって実感できた」
「それは良かったですね」
クレハは嬉しそうに笑った。
「居酒屋では多くのことを学ぶことが出来ます。ケンちゃんには充分理解して取り組んでいただけたら私は嬉しいです」
「うん。頑張るさ。それと、今日は疲れたからもう寝るよ」
「そうですか。おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
僕はベッドに入って瞼を閉じたらすぐに眠りについていた。
僕は居酒屋に十七時から午前二時までのシフトを週五日出している。居酒屋が混雑する土日は必ず出て平日に二日の休暇を貰っている。一日八時間の労働と週五日働いているので社会人と同じような勤務をしていることになるが夜の出勤なので生活のリズムが崩れつつあった。人間、夜に働くと寿命が減ると言われているが慣れてくると楽なものだ。それは無理やり身体に叩きこんでいるに過ぎないがこうして頑張ってこられるのはクレハの励ましが大きい。帰宅すると眩しい笑顔が僕を勇気づけてくれる。この子の為に頑張ろうと思えるのだ。それともう一つ。同じ職場の声援だ。初日はドキドキしていたけど慣れてくるうちにコミュニケーションも取れ、楽しく笑い合える仲になれたのが大きい。まるで家族のようなクラスメイトのような温かい環境とも言える。これが若さの秘訣と力なのかもしれない。
「おう。アザラシ! 今日は予約がいっぱい入っているからしっかり頑張ってくれよ」
「はい。頑張ります」
特に僕を気にかけてくれるのはシュートという青年であった。高身長で堂々としていて僕なんかより全然男らしい。シュートというのは秋人という名前からもじった名前だそうだ。そのあだ名の通り、中学、高校ではサッカーをしていることも最近聞いた。仕事ではムードメーカーとして従業員に一人一人声をかけて励ましてくれる。従業員の体調管理を知るのも大事なことなのでいつも彼が周りの状態を確認しているのだ。僕よりまだ若いのにしっかりしている。僕もあのようになれたらどんなに良いかとつくづく思う。
それと違う意味で僕に気にかけてくれる人がもう一人。
「アザラシさん。ちょっと手伝ってくれる?」
そう言ってきたのはココアである。謎が多い彼女は店の中ではヒロイン的なポジションである。気遣いや周りの気配りに一早く反応できるので接客に関しては誰よりも優れていると言える。お客さんの中には彼女目当てで来る人も少なくはない。佐野店長も彼女の仕事ぶりには感心しているという。その一方でプライベートには裏があると専らの噂が絶えない。大体が男絡みと聞くがその真相については分からない。知りたくもないし興味もない。所詮、働く為に仕方がなく関わるに過ぎない存在だ。プライベートは僕が踏み込むような領域なんかではない。
「これ運ぶのを手伝ってくれるかな? か弱い私には少し厳しいみたい」
ココアが示したのはビール瓶が詰まった箱である。中身が入った状態なのでかなり重いことが伺える。女の子にしてみれば少々荷が重いか。
「任せて」
僕は二箱ずつ運び、厨房の方へ移動させる。手際よく終わらせるとココアはすり寄ってきた。
「ありがとう。アザラシさんみたいに頼りになる男って素敵」
「そ、そう? それはどうも」
「もう。なんでそんな目を逸らすの? あなたのことですよ」
ココアは僕の反応が気にくわない様子である。それもそのはず。僕は極力ココアと目を合わせないようにしているからだ。別に彼女が嫌いという表れではない。顔を見ると調子が狂う気がしてならないのだ。直感的に変な方向に向けようとするのがヒリヒリと伝わってくる。彼女の顔を見れば耳に吐息を吹きかけられた変な感覚を思い出してしまいそうであるのも理由の一つである。
「ねぇ、仕事が終わったらお話があるんだけど、いいかな?」
次の仕事をする為、ココアに背を向けた時、背中に語り掛けられた。
「は、話って何?」
僕は振り返ることなく聞き返す。
「アザラシ。何、ボッサっとしているんだ。早くこい」
先輩であるシュートに呼ばれる。
「はい。すいません。今、行きます」と、言いながら僕はココアに振り返った。
「シュートさんが呼んでいますよ。早く行ってあげないと怒られますよ?」
そのように言われ、僕はシュートの元に駆け寄った。
午前二時。閉店時間を過ぎたことにより本日の業務の終わりを迎えた。身体に疲れが出て眠気を感じる。早く帰って眠りに就きたいと思い、帰りの身支度を済ます。
「アザラシさん。お疲れ様です」
声を掛けてきたのはココアであった。後ろから声を掛けられたことにより背筋が伸びる。
「お、お疲れ様です」
「何をそんなに驚いているんですか? てか、話があるって言ったにも関わらず、何も言わずに帰ろうとなんてしていませんよね?」
「も、勿論そんな常識がない行動をするわけがないじゃないか」
と、そのように言ったにも関わらず、実際は何も言わずに帰ろうとしていたことは言えるはずもない。
「それで話というのは?」
女の子から話があると男なら告白を匂わせる響きであるが、実際にはそんな都合良く事が運ぶことはないと思った方がいい。
過去に学年でアイドル級の女の子に呼び出された経験がある。勿論、その女の子と言葉を交わしたことなんて一度もない。しかし、接点がないにも関わらず、ある日突然体育館裏に呼び出されたのだ。大事な話があると言われ期待が高ぶったのだ。もしかしたらずっと僕を見ていて気になっていたがついに決心がついて気持ちを伝えるのだとそう思ったのだ。指定された時間に体育館裏に行くと後ろ姿で例の女の子が立っていたのだ。
「九石君。来てくれたんだね」
女の子は振り返った。
「勿論さ。それで話というのは?」
僕は実際に聞くまでは信じられなかった。その一方で気持ちに余裕があった。僕は今からアイドル級の女の子に告白されるのだと。何も知らない顔をして聞くのがなんともいやらしいように。
「じゃ、言うね。私ね、ずっと前から九石君が気になっていたの」
きた! 期待を裏切らない出だしに動揺しそうになるがグッと堪える。あくまでも平常心に。
「それでね。良ければ……なんだけど、私とその……付き合ってほしいなって思って。ダメかな?」
僕の心に花が咲いた瞬間であった。まさに僕が長年待ち受けていたセリフであり、初の彼女に心が躍る。当然、僕の返事は
「僕で良ければ喜んで」
カップル成立の瞬間であった。夢みたいな瞬間である。このまま夢が覚めてしまいそうなくらい信じられなかった。
「そんな訳ないだろ」
「そんな訳ないだろ」
「そんな訳ないだろ」
僕は突如、木や物陰から現れた三人の男に囲まれた。訳も分からず呆然となってしまう。その三人の中の一人、校内の中でも危険人物とされている上嶋和虎の姿があった。他校との喧嘩、カツアゲ、万引き、喫煙と様々な噂が後に耐えない要注意人物。その存在に僕は鳥肌が立つ。
一体どういうことなのだろうか。何故ここに上島和虎がいるのだろうか。そんな訳ないだろ? 一体何の話であろうか。
「くふ、ふふふ。あははは!」
甲高い笑い声を出したのは三人の男ではない。告白してきた女の子であった。
「マジ受けるんですけど! 本当に引っかかるなんて馬鹿よね。誰があんたみたいなダサい男と付き合わなくちゃいけないのよ。ありえないから!」
響き渡るように女の子は全否定してみせた。夢は一瞬にして覚めた瞬間であった。こんな形で裏切られることになるとは考えてもみなかった。まるで時が止まったかのように動けなかった。
「と、いう訳だ。残念だったな、九石。良いものを撮らせてもらったよ」
肩に手を回し嫌味を言うように上嶋和虎は耳元で囁いた。もう片手には携帯を左右に振って持っており、動画を撮られたことを知った。
全て上嶋和虎が仕組んだドッキリであることを認識した。そして僕はまんまと騙されたのだ。恥を掻いた。またこれをネタにパシリにされるのだと思ったら心が苦しかった。
そんな経験もあるので僕はそれ以来、女を信じなくなった。いや、女だけではない。僕は人間が信じられず、心を閉ざしたのだ。自分以外は皆、敵。もしかしたら一生誰も信じずにこれからも過ごすことになるのかもしれない。
「アザラシさん。私と付き合ってみませんか?」
ココアは何の前触れもなく言った。一瞬の間が僕の脳内で冷静さを取り留めた。落ち着け。これは罠だ。きっと僕の心を弄ぶ為に試されているに過ぎない。
「私、初めてアザラシさんを見てから良いなって思ったんですよ」
ココアは僕に向かって歩く。
「頼りになるし、たまに見せる弱みがなんだか女心を擽るっていうか」
ココアは僕と距離を詰める。
「ずっと傍に居たいと思うんです」
ココアは頭を僕の胸板に擦り付ける。
「私のこと、どうですか?」
ココアは両手を僕の背中に回した。
おそらく僕の心臓が激しく暴れているのがココアにバレている。過呼吸を起こし理性を失いそうになった。
「わ!」
思わず僕は両手でココアを突き放した。
「痛い」
ココアは崩れ落ちて触られた箇所に手を当てて痛がる素振りを見せる。
「あ、ご、ごめんね。痛かった?」
すぐに僕はココアに駆け寄り心配した。それに対してココアは無言である。僕が悪いことをしたのは明白なのでどうやって償えばいいのか迷った。
「なんちゃって。大丈夫ですよ。アザラシさん」
ココアは自分の力で立ち上がる。
「あの、本当に大丈夫?」
「うん。ちょっとお尻痛い」
「ど、どうしよう」
「私に付き合ってくれたら忘れます」
「いや、だから付き合うのは……」
「ファミレスでも行って話しませんか?」
午前二時過ぎであっても二十四時間営業している店は存在する。職場から徒歩数分の距離にあるファミレスにココアと二人で入った。明日は休暇であった為、気持ちとしては時間に余裕があった。ドリンクバーだけを頼み、向かい合わせで席について数分の沈黙の後、僕から切り出した。
「あの。僕に気が合うようだけど、なんで?」
「さっきも言ったじゃないですか。頼りになるし、たまに見せる弱みがなんだか女心を擽るって」
「いや、僕にそんな魅力なんてないから理解できないんだ」
「私がどのように感じるかは自由なはずです」
確かにそうだ。自分を下に見立て過ぎていたので言葉に信用がなかった。
「その言葉は嬉しいけど無理なんだ」
「私のこと嫌いですか?」
「いや、好きとか嫌いとかそういう訳じゃないけど、僕には彼女がいるんだ。だから君とは付き合えない」
「ふーん。彼女いるんだ。ふーん」
ココアは興味がなさそうに呆れ顔になる。
「そうなんだ。だから付き合うことは出来ない。納得してくれたかな?」
「なら、その彼女を見せてください。そしたら納得します」
「分かった」
僕はスマホに保存された二人で撮ったプリクラの画像を呼び出そうとする。しかし、その動作にココアは止める。
「見せる……と、いうのは写真ではありません。実際に私の目の前に見せるという意味です」
「へ?」
「写真なんかで私は認めません。本当に付き合っているのか私に見せつけてください。そしたら認めます」
「なんでそこまでしなきゃいけないの?」
「そこまでしないのであれば私はこれからもあなたを付きまといますよ? それでもいいんですか?」
ココアは脅しをかけるように言った。視線を逸らすことなくジッと僕を見つめる。彼女の目は本気だ。これを断ればまずいことになると直感した。
「わ、分かった。で? いつにする?」
「明日の昼過ぎでどうでしょう? 私、丁度明日休みなので」
「分かった」
「約束ですよ。それより、私、もっとアザラシさんのこと色々知りたいので質問良いですか?」
「答えられる範囲であれば構わないけど」
「それでは最初の質問。今まで彼女は何人居たか」
「一人……だけど」
「え? 今の彼女が初カノってことですか?」
「うん。まぁ」
初カノということで良いのか自分の中で口論した。ロボットを彼女にしてしまっている時点でどうかと思うがやはり僕にとって最高の彼女であることには変わりない。クレハが彼女であることは突き通すつもりだ。
「では次の質問です。アザラシさんに彼女が居ない定として私のことどう思いますか?」
「どうっていうのは?」
「単純に好きになるくらい可愛いとかこんな女とは関わりたくないとかそういう話です」
「そういうのって本人のいないところで話す内容じゃない?」
「私はいつでもウェルカムです。可愛いのは当然仕方がないことですけど、性格が悪いというのも充分自覚があります。ただ、私の場合は影でこそこそ言われるのではなく真っ正面から好きとか嫌いとか言ってもらった方が楽です。嫌なんですよね。見えないところで悪口言われるの。だから正直に答えて良いんですよ。私のこと」
ココアは両手を広げながら堂々とした口調で言って見せた。それを見た僕は視線を逸らしながら「どうって言われても」と口籠る。
だが、ココアは期待の目で僕をじっと見つめる。曖昧な言葉で誤魔化すことは難しそうであった。
「強いて言うとすれば、ココアは一般的に見て魅力だと思うよ。これは本心で」
「一般的はいいんです。あなたの思っていることのが私の欲しい答えです」
「じゃ、言うけど、普通に可愛い。もし、彼女がいなかったら付き合いたいくらいに」
「やっと本心を言えましたね」
言えたと言うより言わされたというのが正しいと思う。だが、ココアは女性らしく可愛い容姿をしていることは間違いない。こんな子が彼女だったらどんなにいいだろうかと思わせるくらいに。クレハがいなかったら間違いなく付き合ってしまいそうである。だが、クレハがいる以上、クレハを超えることはない。ココアとクレハを比べてしまえば僕の好みは間違いなくクレハだ。そこだけは絶対に譲れない。
「でも、今の彼女は私よりも可愛いということですよね?」
「うん。まぁ」
「ふーん。ますますその可愛い彼女を見てみたいですね」
「だからそれは明日」
「はい。楽しみにしています」
「それよりずっと気になっているけど、ココアの本名って何?」
「秘密です」
「へ?」
「秘密です」
ココアは念を押すように言った。しかも笑顔で。しかし、これ以上聞いても同じ答えが返ってくるだけなので追求はしないでおこう。
「アザラシさんってロリが好きなんですか?」
「え?」
不意打ちに聞かれた質問に僕は戸惑う。
「だって私、どちらかというと見た目ってロリじゃないですか。小さいし、童顔だし。私のこと可愛いと思えるということはロリなのかなって」
自分のことをロリと言える精神力にある意味感心した。確かにココアは年齢の割に意外と若く見えてしまう。高校生、はたまた中学生のような見た目だが、スタイルが良く魅力を感じてしまう。そもそも、ココアの歳は幾つなのだろうか。聞きたい気持ちもあるが聞きたくない気持ちも反面ある。
「そんなことはないと思う」と、逃げるように僕は答えていた。
しかし、ココアはスマホに夢中になっており、僕の返しを聞いていないように見える。若い子は人と会話している時でも御構い無しにスマホ弄りをする実態を僕は目の当たりにした。まぁ、別に悪いとは言わないが、おいてきぼりにされたような気分であり、なんとも言えないものであった。
「アザラシさん。ごめん。家の人がカンカンだわ。早く帰らないと」
そう言ってココアは席を立ち上がった。
「あ、ごめん。付き合わせて」
「何を言っているんですか。付き合わせたのは私の方です。じゃ、また明日。楽しみにしています。それでは」
明日の予定を合わせた後、ココアはファミレスを後にした。ココアがいなくなってから気づいた。伝票はテーブルに残されたままである。まんまとおごらされたというわけだ。まぁ、ドリンクバーくらいなら問題はない。僕は二人分の会計を済ませた後、自宅に帰った。
翌日、クレハには適当な理由をつけて待ち合わせの場所まで連れ出した。ちなみに直接ココアと対面して「彼女です」と紹介する訳ではない。デートをしている姿を後方で覗いているココアに見せつけるだけでいいのだ。一見、謎の展開であるが、認めさせる為には仕方がない。ココアの影が潜んでいるのは気掛かりであるが、またこうしてクレハと外でデートができる日が来るのは嬉しい限りである。最近は仕事で出かけるのが辛かった。
「嬉しいな。ケンちゃんがまたこうしてデートに誘ってくれるなんて」
クレハはわざとらしく胸を腕に押し付けてきた。いくらロボットとは言え、この感触は本物そのものである。顔がにやけるのをグッと押されて周囲の確認をする。スマホには既に現場に来ていると報告があるので姿は見えないがどこかに身を潜めているのは明白である。一瞬も油断が出来ない。いや、油断をしながら見せつけるべきなのだろうか。判断に困る。
「ケンちゃん。さっきからどこを見ているの?」
「へ?」
ココアの視線が気になり、目が散漫していたことが怪しまれてしまったようだ。
「いや、なんでもない。それよりクレハ。いつも言っているけど、人前では絶対にロボットだって悟られないような行動で頼むよ」
「? 言われなくてもそのつもりだよ?」と、クレハは首を傾げる。
「な、ならいいんだ。ははは」
今の発言で余計に怪しまれてしまった。僕は思っていることが表に出やすいようなので気を付けなければならない。
ひとまず、僕たちは昨日、ココアと共に入ったファミレスに入店し、恋人に見えるように楽しく会話をすることにした。恐らく、この光景をココアはどこかで覗いているので重い圧を感じながらクレハと他愛のない会話をする。最近のニュースについて、ドラマの展開についてといった本当に些細な薄い内容だ。
スマホのバイブが太ももに伝わり、トイレに行く振りをして中身を確認するとココアからである。
『どうやら彼女がいるというのは事実のようですね。良いものが見られました。私は帰ります。サヨナラ。デート楽しんで下さい』
その文面を見て僕はホッとする。これで疑いが晴れたということになる。一気に肩の力が抜けていく。
それにしてもこの素っ気ない文面はなんなのだろうか。ココアの普段のキャラとは真逆である。文章にしたらサバサバしているのだろうか。よく分からない子である。
「ココア」
「え?」
トイレから戻ってくるとクレハが言った。その言葉に僕は動揺してしまう。
「ケンちゃん。ココア好きだったよね? ドリンクバーから持ってきてあげようか?」
「あ、あーそっちね」
「そっちってどっち?」
「いや、なんでもない。ホットで頼むよ」
「分かった」
そう言ってクレハは席を立った。
自分は何を動揺しているのだろうか。自分の首を自分で絞めているくらいにボロが出てしまう。
クレハが席を立つと、再びスマホが震える。確認するとココアからであった。
『人生つまらない。ちょっと死んでくる』
「は?」と、僕は席を立ち上がって周囲の目が集中するような驚きをする。
「ケンちゃん。どうかしましたか?」
クレハはココアを持って心配そうに言った。
「ごめん。クレハ! 先、家に帰っていて。少し用事を思い出した」
僕は伝票を持ってレジに向かう。
「え? ケンちゃん。どこ行くの?」
クレハの呼びかけには答えず、僕は会計を済ませた後、店を飛び出した。
デートの様子を見ていたということはまだ近くにいるということである。店の周辺を隈なく探していく。
交差点の信号付近でココアと思わしき後ろ姿を目撃する。僕が追いかけようとするも信号は赤に変わり、行く手を阻まれる。
「ココア! 待ってくれ」
呼びかけるも車の行き交う音で声が届かない。このまま信号待ちをしていれば見失うことは間違いなかった。僕は歩道橋に目を向けて走り出す。一気に駆け上がって一気に駆け降りる。その先にココアの後ろ姿を捉えた。
「ココア!」
呼びかけるとココアは振り返った。その表情は涙で目が赤くなっているようにも見えた。だが、涙は溢れていない。拭き取ったのだろうか。
「アザラシさん。どうしたんですか? こんなところまで追いかけてきて」
「どうしたじゃないよ。死んでくるってどういう意味?」
「それを聞きにわざわざ追いかけて来たんですか。どういう意味って言葉の通りです。失恋した私には戻る術がありません。大人しく身を隠すとします」
「死んで終わらせるって正気か?」
「さて、どうでしょうか」
「真面目に聞いているんだよ。正気なのかって」
「冗談ですよ。本当に死ぬ訳ないじゃないですか。子供じゃないんだから。いちいち翻弄されないで下さいよ。可愛い嘘ってやつですよ」
「全然可愛くない! 死ぬなんて簡単に言う言葉じゃない」
僕がそう言った後、ココアは面白くないといった感じで目を細めながらじっと見た。
「口癖みたいなものですよ。『ウザ、マジ死ね』とか『死んだ方がマシ』とかそんな感覚です。アザラシさんは少し難しく考え過ぎなのでは? と、私は思います」
「それでも死ぬって言うのは良くない」
僕の発言から少しの間があった。そして、ココアは瞳を閉じながら言う。
「アザラシさんがそこまで言うのであればそういう発言は今後控えるようにします」
意外と素直なのか。僕は安心した。それよりも
「それよりも死ぬとか人生つまらないとか何が原因だったのさ」
「簡単なことです。私はあなたに振られました」
「たったそれだけのことで?」
「なら逆の立場で考えてください。振られた相手と毎日顔を合わせるのは気が引けるでしょ?」
考えてみたらそうだ。顔を合わせるだけで気まずい。ココアにとっては重く受け止めてしまったようである。そうさせてしまったのは僕が原因なのだ。
「恋人にはなれないけど、友達なら可能性は……」
「そんなの通用すると思っているんですか? 友達? どうせセフレとしてのキープで置いときたいんでしょ? そんなの見え見え。あーやだやだ」
「別にそんなつもりじゃ……」
「冗談ですよ。私、振られたことがなかったから悔しいだけです。私は全ての男性から愛されて思い通りにならないと気が済まない女。これを聞いて引いたでしょ?」
「どちらでもないよ。人それぞれの個性さ。僕がとやかく言う筋合いはない」
「あーあ。私の思い通りにならなかったのはアザラシさんが初めてです。例え、彼女が居たとしてもそれを引き離す自信はあったのにな。そしてまんまと私の元に来たら取れるモノだけ取って捨てようと思ったのに残念」と、ココアは両手を頭の後ろで組んで遠目になりながら言う。突如、本性を表したような素振りに僕は困惑する。
「お前、性格悪いな」
「なんとでも言ってください。これが私の本性です。これ以上相手をしても無駄と判断した相手に猫被っていても無意味なので。それに私には使命があります。その為には例え、何人犠牲にしようと仕方がないことです」
「使命って何?」
「教える義理はありません。もうあなたとは関係ないのですから」
振り払うかのようにココアは言った。そして、背を向けて歩き出そうとする。
「待って!」
「まだ何か?」
ココアは背を向けたまま言う。
「ごめん」
「何故、謝るんですか?」
「本当は誰にも言えない程、大きな何かを抱えているんだよね? それなのに協力できなくてごめん」
「分かったような口を利かないで下さい。そういうのが一番傷付くんです。だから謝らないでください」
「うん。ごめん」
言った傍で僕は謝っていた。
「サヨナラ。あなたみたいな男性は初めてでした。でも、これでお別れ。バイバイ」
「最後に一ついいかな?」
「はい?」
「ココアってどういう意味?」
「ココアがこの世で一番好きな飲み物だからです」
僕と一緒だ。ココアは僕も好きな飲み物だ。それだけ聞ければ満足である。
「あ、そうそう」と、ココアは思い出したかのように人差し指を顎に当てた。
「アザラシさんの彼女、随分良い動きをするロボットですね」
「え? もしかしてバレて……」
「うふ。じゃあね!」
ココアは見透かしたような笑顔でその場を去っていった。何もかも謎を残していったココアに対し、僕は複雑な心境でココアの姿が見えなくなるまで目で追っていた。最後の最後までよく分からない子であり、その一方でまた会ってみたいと思ってしまった。ミステリアスなココアに謎という魅力を感じる僕の姿があった。僕は謎を楽しんでしまっている。
そして翌日からココアは居酒屋のバイトに姿を見せることはなかった。
居酒屋のバイトを始めてからおよそ二ヵ月の月日が経過しようとした。同時にクレハとの付き合いもそれほど経とうとしていた。まだ数か月しか経過していないがお互いがお互いのことをなんとなく知れてきた頃合いだと思う。今まで一人で過ごしていた僕にしてみればクレハとの日常は至福である。いつまでもこんな毎日が続けばいいのに。
もう一つ、僕の中で変化した出来事はココアの存在だった。僕のことを好きと言ってきたのはココアが初めて。実際には過去に騙された経緯があるがココアもその部類に入るのだろう。ココアは誰からも愛されないと気が済まないタイプの女であり、僕を思い通りに出来なかったことを悔やんでいる様子であった。
僕にはクレハの存在があるのでココアの思い通りにならなかった。好きという気持ちとしてはありがたいことであるが、僕には二股をする度胸は持ち合わせていない。相手がたとえ、ロボットであろうと僕は一人の女性を愛すると決めている。その決断のせいか、ココアは居酒屋のバイト先には姿を見せなくなった。余程、応えたのだろうか。僕は何に対しても慎重であり、奥手なのだ。悪く言えば自信がなく臆病である。簡単に心変わりしないのがココアからしてみれば気に喰わなかったのかもしれない。
ただ一点、気になることがあった。別れ際のやりとりである。最後にココアはクレハをロボットであると見破ったのだ。近くから見ても本物と見分けが付かないにも関わらず、何故ココアはクレハがロボットであると見破ったのだろうか。あまり深く考えなかったが今になってみれば不思議である。高性能人間型恋愛ロボットは世間ではあまり知られていない存在である。噂は聞いたことはあるが実物を見たことがない人がほとんどである。ココアはクレハのようなロボットの情報を知っているのだろうか。その後、連絡をしても既読スルーされるだけであり、返ってくることはない。ココアは今、どこで何をしているのだろうか。今更ながら何故か気掛かりである。それにココアの使命とは一体何なのだろうか。全ての真相は謎に包まれたままである。
「何か悩み事でもありますか?」
クレハは聞いた。
「え? なんで?」
「悩んでいそうな顔をしていましたので」
「僕、そんな顔に出やすい?」
「えぇ。大抵は顔に出ていますよ」
思わず僕は顔に手を当てる。
「私で良ければなんでも話してください。いや、私だからこそ話してくれませんか? だって恋人なのですから」
「いや、大したことじゃないから!」
いつの間にか僕はむきになった態度になっていた。同時にクレハも引き下がろうとはせず意地でも聞き出すような素振りに変わっていく。目と目を合わせて睨み合いが続く。
「これまで二ヵ月間、ケンちゃんと過ごしてきましたがこれから先数ヶ月、数年と長い付き合いをしていくと思います。ケンちゃんの思考に沿って私は成り立っています。長く居るということは支え合って生きていかなくちゃいけないパートナーです。苦しい時、辛い時があれば共有することで半減できます。それともケンちゃんは私をパートナーと思っていないのですか? ケンちゃんにとって私はその程度なのですか?」
「クレハ……」
ずっと過信していた。そうだ、クレハは僕のパートナーだった。ただのロボットなんかじゃない。苦しい時は一緒に考えていかなくてはならないのだ。
「実は……」
そこで僕はクレハにココアとの出来事を打ち明けた。何でもない出来事だったはずなのに今となってはなんだかずっと頭に引っかかっているのだ。
クレハは今の話を聞いて顎に手を当てて考え込む素振りを見せる。
「クレハ?」
「自分だけを見てほしい。思い通りにならないと気が済まない。よくいるタイプです。でも、そういう人って何を求めていると思いますか?」
「え? 何って?」
「簡単に言えば嫉妬。しかし、その裏では精神的なダメージを負っている可能性があります。例えば過去に虐待や虐めを受けて心に大きな傷を負った反動で誰かに愛されたい、振り向いてほしいと衝動にかられます。他の誰でもない自分だけを見てほしいといった寂しさを紛らわす行動とも言えます。今回、自分の容姿に絶対的な自信を持っていた彼女はケンちゃんによって断たれた。今まで同じレールに乗っていたが突然崩れたらどうなるでしょうか」
「ど、どうなる訳?」
僕は固唾を飲んだ。
「自信を無くせばやる気が低下します。意欲がなくなれば引きこもりになったり不安や寂しさが増大し、最悪自ら命を絶つ傾向もあります」
「じ、自殺?」
僕は声が裏返りながら驚いた。
「あくまで最悪なケースです。しかし、罪悪感を持つ必要はありません。ケンちゃんは何も悪くありません。これは彼女自身の心の病です。って、ケンちゃん。どこ行くんですか?」
僕は立ち上がり、外出の支度をする。
「ごめん。ちょっと出かけてくるから留守番を頼む」
「出かけるってどこに? まさかココアって子の元に行く気じゃ……」
クレハのその問いかけに僕は答えることなく家を飛び出した。
真っ先に家を飛び出したがそもそも、ココアの名前も住所も分からない為、バイト先から以前借りたモノを返したいと適当な理由をつけて佐野店長からココアの住所を聞き出した。
「確かこの辺だと思うんだけど……」
バイト先から電車で三駅乗り継いで近くまで来たのだか、正確な場所が把握出来ずにいた。ココアの本名は『愛土沙彩』という。すみれ荘というアパートに住んでいるようだが、周囲に様々なアパートがあり、虱潰しに探す。
「もしかしてここ?」
僕が見つけたのは今にも崩れそうなアパートであった。年忌が入っていて柱や木材が腐りかけている。まさかこんなボロアパートにココアが住んでいるというのだろうか。二階建てになっており『二〇三号室』がココアの部屋である。表札にも『愛土』と書かれているのでここで間違いない。洗濯機が外に置かれて洗濯物が廊下で干されている状態である。一応、生活はできているということなのだろうか。
何も考えず、ここまで来てしまったけれど、自分なんかがまたココアに会う資格があるのだろうか、思い悩んだ。最後の別れ際、もう二度と会うことがないような別れをしていた。それなのに僕から会いに来てしまっていいのだろうか。思い悩んだ結果、僕は呼び鈴を押す。一目見るだけ。と、心に決めた。あくまでも安否確認のようなものだ。僕のせいで何かしらの支障が起きていれば謝らなければならない。その確認をするだけだ。音が響かないので室内に届いているのか謎である。少し待ってみるが扉が開く様子がない。ドアノブを回してみると開いていた。勝手に入っていいのか判断に困るが、安否確認ということで確かめない訳にはいかない。意を決し、扉を引いてみる。
「お邪魔します。入りますよ」
一応、一言声をかけてみる。
まず目にした光景は玄関である。足の踏み場がない程、靴やゴミが散乱している。ぱっと見、かなり汚い。本当にここで人が住んでいるかさえ怪しい。靴を脱ぐのも抵抗がある為、靴を履いたまま中へ突入する。
「ココア! いるなら返事をしてくれ」
部屋には更なるゴミの山が室内を占拠していた。この中に例え人が埋まっていたとしても掻き出さない限り分からないだろう。それ程部屋が散らかっているのだ。
部屋を物色するがやはり人はいなかった。ココアは一体どこに消えてしまったのだろうか。振り出しに戻ってしまった。
「やー!」
僕の背後に掛け声が。振り返った次の瞬間、物干し竿が僕の視界に迫っていった。僕は間一髪、両手で物干し竿を受け止めた。
「な、なんだ?」
物干し竿を振り下ろしたのは女性であった。その女性はココアではない。茶髪にパーマをかけておりボブショートといったところだろうか。小柄な体形であり、歳は僕とそれ程変わらない。いや、それ以上に若い。
「だ、誰?」と、僕は理解が追いつかず首を傾げることしかできなかった。しかし、以前物干し竿を振りかざす力は弱まらない。むしろ、徐々に力が増していく。気を抜けば僕の脳天を貫かれそうである。
「あんた、新手の借金取りね」
「え? ちょっ、何のこと?」
「問答無用!」
女性は物干し竿を大きく振りかざし再度、僕を目掛けて叩きつけようとする。
「待って下さい。僕はココアさんに会いに来ただけでお金を取るつもりなんてありません」
「ココア?」
僕は早口で説明すると寸前で女性は振り下ろすのを止めた。間一髪、僕の顔面スレスレで物干し竿が止まった。後、一センチ程の距離で。
数秒の沈黙がお互いに冷静さを取り戻し、事情を把握する。
どうやら『ココア』というあだ名は一部の親しい仲での名前らしく、その名前を聞いた女性は僕が怪しい不審者ではないことを分かってくれたようだ。おかげで首の皮が一枚繋がったと言える。
「私は愛土由莉耶。ココアの姉です。てっきり借金取りかと思ってごめんなさいね。手荒な真似をして」
「僕の方こそすいません。勝手に上がり込むような真似をしてしまって。その、ココアさんはどこに?」
「居ないわよ?」
その発言に僕は血の気が引いた。やはり最悪の結末を迎えていたということなのだろうか。
「ここ二、三日帰ってきてないけど、そのうちひょっこり帰ってくると思う」
ココアの姉の一言に安堵する。ひとまず生きていることは間違いなさそうだ。
「あの、ココアさんはお姉さんと二人で暮らしているってことですか?」
「ええ。元々私が一人で住んでいたんだけど、あの子は学校を辞めてから居場所がなくなってここに転がり込んだのよ」
「辞めたってどうしてですか?」
「さぁ。色々人間関係で悩んでいたみたいよ。深い事情は話したがらないからあまり知らないけど、なるべく聞かないようにしている。その代わり、ここに住みたいならせめて生活費は入れてくれっていう理由で働かせていたの」
「ココアさんは今、どこで働いているんですか?」
「確か、居酒屋を辞めた後はボーリング場で働いているって言っていたかな?」
「そうですか。あの、ココアさんにここ最近何か変わったことはありませんか。悩んでいることがあるとかなんでもいいんですけど」
その問いかけにココアの姉は目を逸らした。何か隠している素振りである。
「あなた、妹に何かされたのなら私から謝るわ。あの子には関わらないことをお勧めします。だから何も言わずに帰ってくれたら助かる」
「どういう意味ですか? 全然分かりません」
「知らないようであれば教えておくけど、あの子、今までに多くの男と付き合ってお金をせびっていたのよ。その度に追われて恨みを買う日々を過ごしてきた。最悪、命まで狙われる出来事もあった。一体何が欲しいのか分からないけど、どうしてもお金が必要みたい」
「それってさっきの借金取りがどうのこうのと関係があるんですか?」
「気になるなら直接本人に聞けばいい。けど、私としてはこれ以上関わらない方がいいと思う。あなたの為に。そんな訳だからあの子と縁を断ち切ることをお勧めするわ。私はいつもこうやってあの子の尻拭いをしているの」
そう言ってココアの姉は財布から諭吉を五枚抜き取って僕に差し出した。
「これで手を打ってくれるかしら」
「いえ。こんなもの、受け取れません。僕はココアさんを攻めに来たのではありません。助けに来たんです」
「助けるって……正気? それであなたに何のメリットがあるの?」
「メリットとかそんなんじゃありません。ほっとけないんです」
と、言いつつも僕はニケ月の間、何もしてあげなかった。そのことに対して自分が情けない。もっと早い段階で気付いてあげれば良かった。クレハに言われるまで何にも気づけなかったのだ。自分がなんだか情けなく思えた。
「ただいま!」
玄関から物音がした。ココアが帰宅したのだ。
「あんた、どこ、ほっつき歩いていたのよ」と、ココアの姉は不満そうに言った。
「うるさいなー。私の勝手でしょ。子供じゃないんだからさーって、え?」と、ココアは僕の存在に困惑する。思わぬ鉢合わせに(そんなこともないが)僕は躊躇しながら「お、おかえり」と呟いていた。
なんで僕がここにいるのかココアなりに詮索している様子だった。
数秒の間、見つめ合った後、段々と表情が険しくなっていくココアは次の瞬間、部屋から一目散に飛び出して行った。
「あ、ちょっと!」
「追いかけてあげな。助けてあげたいんでしょ?」
後ろからココアの姉に背中を押される。
「ありがとうございます」
僕はココアの姉にお礼を言った後、ココアの後を追いかけた。
「待って!」
すみれ荘の階段を駆け下りたところで僕はココアの肩に手を当てた。意外と足は僕の方が速かった。
「放して!」
ココアは僕の手を振り払った。
「どうして逃げるのさ!」
「どうしてあなたがこんなところにいるの。ストーカーにも程があるわ」
「突然、来てごめん。でもそんなんじゃない。僕はただ君のことが心配で」
「何が心配よ。私はあなたにとってどうでもいい存在でしょ。それなのになんでまた私と関わろうとするのよ。意味が分らないわ」
「そうだけど……」
言葉が止まってしまった。どうして僕は再び関わろうとしてしまったのだろうか。でも目の前であんな寂しそうな表情をされたら……。
「ほっとけないよ。僕は心の底から君を助けたい」
僕の一言でココアは動きを止めた。
「私を……助けたい?」
「そうさ、何があったのか分からないけど、深い事情があるんだろ? だからそれを紛らわす為に人を騙すようなことしていたんだろ? だったら僕に全部話せ。僕はいくら騙されても構わない。君の心が晴れるのならいくらでも騙してくれて構わない。だから、辛い事曝け出せよ」
僕は両手をガッチリとココアの肩を掴んで懸命に思いを伝える。ココアは力尽きたようにその場にしゃがみ込み、声が枯れるまで泣き叫んだ。
「私には五百万円の借金があるの」
近くの公園に移動した僕はココアの話を聞くことができた。ココアの切り出しに僕は真剣な眼差しである。
「私、友達の大切にしている車を廃車にしちゃってさ。今の世の中で運転する方が馬鹿だったよね。する必要がないにも関わらずそれをしてしまった。ね? 呆れるでしょ? お姉ちゃんも飽きれたし、親には追い出されるし仕方がないからお姉ちゃんの家に住まわせてもらっているけど何だかんだで私の味方なんだよね。それと私はその借金を返済した後、大きな使命があるの」
「使命? 以前にもそんなこと言っていたよね?」
「うん。私は管理者になりたい。マンションでも会社でも施設でもなんでもいい。私は何かの管理者になりたい。ずっと庶民の生活をしていくなんて真っ平ごめん。この世で管理側に付けば間違いなく今の生活から免れる。私はそれを目標に大金を集めている」
「管理側にならなくても別の方法もあるんじゃないか? 何をそんなにこだわって……」
「バカバカしいと思った? でも、私はそれでも本気なの。私は見下されるのは嫌いなの。上位に立てるのはどの世代だって金を持っている人が強い。それが私の全て」
「多くの人を犠牲にしてまで手に入れたいモノなのか?」
「どういう意味?」
「多くの人(主に男)から金を騙し取ってまで叶えたい夢なのかって聞いているんだよ」
「……悪い?」
ココアは嫌悪感満載で言い放った。どうらや今の発言で騙し取っていることは認めたようだ。
「誰からもちやほやされたい。でも、その為には大金が必要。自分の夢の為なら汚いことだろうとなんだってやる――まさに人間の本能丸出しって感じだな」
「もういい」
怒ったのか、ココアはその場を去ろうとする。
「待ってよ」
僕はココアの腕を掴む。
「もうこれで分かったでしょ? 私はどうしようもないダメ人間。これが私の本性よ。満足したでしょ?」
「僕も同じだよ」
「え?」
「僕もどうしようもないダメ人間さ。周りとのコミュニケーションがうまく取れずに部屋に引きこもって何年も人との関わりを避けてきた。なんも取柄もなく今更バイトをするような社会のお荷物さ」
「あんたと一緒にしないで。私はあんたとは違う」
「そうだよね。ごめん」
そこから少し間が開いた。お互いがどう切り出していいのか分からずにいたのだ。
「僕の独り言だけど」と僕は前置きを入れる。
「ココアは強い人間だと思う。最近では夢を掲げる人は減ってきた。夢を口にするだけでも恥ずかしいくらいに。でも、ココアはまっすぐと自分の夢を言い放つことができる。それは凄いことだよ。今の状況を抜け出すには努力がいるけど、清々しいくらいココアは目標を持っている。だから君なら出来るよ。必ず」
「……貶したと思ったら今度は褒めるの? 変な人」
ココアは少し微笑んだ。悪い気はしていないようである。
「その夢の裏には過去に受けた屈辱が反映しているんだよね? 自分を傷付けた相手を見返すって意味に聞こえるんだけど違う?」
「アザラシさんってひょっとしてエスパー? 凄いね。私と関わりが浅いのにそこまで見破ったんだ。そう、私こんな性格しているから虐められていたの。って言っても無視されていただけなんだけどね。でも、それが嫌だった。私は常にスポットライトに当たっているように注目してほしかった。ずっと寂しかったんだと思う。私はアザラシさんとは違って一人でいると胸がはち切れそうになるの。だからずっとこんな感じ」
「だったら信用できる素晴らしいパートナーを作ればいい。作っては切り捨てるのではなく永遠に身の回りに置いとけばいい。そうすれば楽しいじゃん」
「それも一時期考えたこともあるけど、私には性に合わない。なんていうか飽きっぽいのよね、私って」
ココアは視線を落とし、寂しげな表情を見せた。
ほっとけないと言いつつも具体的にどうしてあげればいいのか思いつかなかった。決断力と行動力がないところが僕の悪い癖である。せめて、一緒に考えてあげたいが答えまでたどり着かない。
「だったらさ」と、ココアは思いついたかのように言う。
「私と付き合ってみる?」
「なんでそうなるの?」と、僕は戸惑いを見せながら答えた。
「お試し期間と言うことでいいじゃない。私みたいな可愛い子はそうそういないよ?」
ココアは恥ずかしがる素ぶりなく言って見せた。
「いや、前にも言ったけど……」
「僕には彼女がいるから無理です。でしょ?」と、ココアは僕が答える前に言った。
「分かっているなら言わないでよ」
「あれを彼女と言える訳?」
「うっ……」と、僕は言葉に詰まる。
「話が変わるけど、ココアはなんでクレハがロボットだって分かったの?」
「へー。あのロボット彼女、クレハっていうんだ。アザラシさんが考えたの? センスないね」と、ココアにニヤニヤ笑う。
「関係ないだろ。それよりどうして……」
「うまく人間のように振舞っているようだけど、デートにしては不振な点がいくつかありました」と、ココアは凛としていた。
「不振な点?」と、僕は首を傾げる。
「歩き方に少し癖があることに不振を抱きました。全てが平行過ぎるし、横に歩く時は九十度になるから不自然過ぎます。何と言っても店に入って彼女だけ何も注文していないのがおかしいと思いました」
「それだけでロボットだって分かったの?」
「それだけでも分かります。実際には見たことありませんけど、情報だけは耳にするので」
「鋭いな。よく見ているね」
「人から好かれる為にはまず人を見る目がなくては話になりませんからね。常に人間観察するのがモテる為の秘訣です」
「なるほど。恐れ入ったよ」
「それよりどうしてロボットを彼女にしているんですか? 人間型ロボットの噂は聞いたことがありますが、実際に彼女としてなんのメリットがあるんですか? 人間は人間と恋愛するものですよ?」
ココアの突っかかるような質問攻めに僕は顔を引きつる。
「例え彼女がロボットでも僕の彼女には変わりない。僕は彼女を愛しているから」
「それでいいんだ。自分が設定した通りにしか動かず、全てが完璧でミスがない。たまに見せる弱みもなくただ忠実にご主人様の命令に従う操り人形が彼女でいいんだ。人間の生暖かさも感じることもなく、おまけにSEXも出来ない。そんな人間本来の生き方がなく面白みがないロボットと一生過ごすことでいいんだ」
「う、うるさい! それでいいんだよ。君にとやかく言われる筋合いはない」
僕は少しムキになって吐き捨てるように言った。
「そうだね。でも、いずれあのロボットさんに愛想を尽かす日が来ることは間違いないですよ」
「君に何が分かるんだよ」
「分かります。アザラシさん以前に私は男心が手に取るように分かるんです。だからここで宣言してみましょうか?」
ココアは両手を後ろにして前屈みになった。
「あなたはいずれ私のことを好きになります」
「そんな訳ないだろ」と、僕は即答で否定する。
「今すぐではありません。期間は設けませんが、必ずあなたは私を彼女の候補に上がります」
ココアは宣言する。何故か僕は反論出来なかった。
「私はアザラシさんのことが好きですよ。あの初対面の時からね。これだけは本当です。と、いう訳で今日はこの辺で失礼します。お姉ちゃんが待っていますので。それでは次の機会にお会いしましょう。今日は話を聞いてくれてありがとうございました。では」
ココアは気が済んだかのように、自宅の方へ帰って行った。僕はしばらくその後ろ姿を見ながら呆然と立ち尽くしていた。
ココアとの一件から自宅までの帰り道。僕は複雑な心境だった。
結局、ココアの目的は良い暮らしをするための行動であったと言える。だが、裏では違う目的があるような気がしたが、僕にはその理由を知ることはできなかった。それにココアの宣言にも悩まされた。僕がココアに意識が傾くことはないはずなのに何故か同じセリフが脳内で駆け巡っていた。この感覚はなんなのだろうか。この後、何かが起ころうとしているのだろうか。事が起こる前兆のように。そんな考え事をしていたら自宅の前まで辿り着いていた。
「ただいま」
中に入ると部屋は真っ暗だった。クレハの気配は感じられない。充電切れで眠っているのだろうか。リビングに入るとやはり真っ暗である。電気を付ける。
「うわ!」
部屋が明るくなった瞬間、クレハは椅子に座ってピクリとも動かずに遠くを見ていた。
「クレハ? そんなところで何やってんの?」
僕の問いかけにクレハは答えない。まさか本当に充電切れなのだろうか。そうであれば充電器を持ってきてあげなければならない。
「ココアに会いに行ったんですよね?」
僕が充電器を取りに行こうとした時、クレハは口を開いた事により、聞き耳を立てた。
クレハの方に振り向き固まる。
「私よりもその女が気になりますか?」
クレハの口調は敬語で落ち着いた感じであるが怒っている様子である。かなり機嫌が悪いことが伺える。
「あんなこと言われたらほっとける訳ないだろ。気になるとかそんなんじゃないから」
「あなたはいずれ私のことが好きになります」
その言葉に僕は眉間に皺を寄せる。
「どうしてそれを?」と、僕は言葉を選びながら聞く。
「さぁ、どうしてでしょう?」
クレハはクイズの問いかけのように聞き返した。
「まさか、後をついてきたのか?」
「そのまさかですね」
と、言うことは今までの行動を全て見られていたということになる。
「怒っている……のか?」
「いえ、別に怒っていませんけど」とそのように言ってみせるが、その口調から察するに明らかに怒っていることは見てとれた。
「僕は君をずっと大切にする。今までもこれからもずっと。それだけは変わらないよ」
「今はその言葉を信じるしかありませんね」
クレハは一息入れるように言った。まるで信じていないような口ぶりである。
「もしかして嫉妬しているのか?」
「誰だって恋人が異性に会いに行くのは不愉快だと思いますけど?」
初めての感覚に僕は焦った。嫉妬をされたのは初めてだし、さらに言えばロボットであるクレハがそのような感情を抱くのも驚いた。
「ごめん。不安にさせて」
僕はひとまず謝っておく。
「一つ約束をしていただけませんか?」
「何?」
「今後、ココアと二人で会わないと」
「分かった」
元々、ココアと会うつもりはなかった。今回は僕のせいで不幸にさせてしまっていたら後味が悪いと感じての行動であったのだ。その辺の割り切りはできている。
「約束ですよ」
クレハは微笑んだ。僕はその笑顔にドキドキしていた。
「それともう一つ」と、クレハは前置きをしながら言う。
「SEX……したいですか?」
「へ?」
唐突過ぎる問いかけに僕は聞き返す。
「SEX……したいですか?」
聞き間違いではない。クレハは間違いなくSEXしたいか聞いている。それはどういう意味なのだろうか。しなくないと言えば嘘になる。かと言って素直に好きなんて言えば変態に思われるかもしれない。
「ロボットはSEX出来ないと思っていましたか?」
僕が答えに悩んでいるとクレハは答えた。
「出来るの?」と、僕は食いついた。
「ロボットは本物の人間の温もりを味わえることがないと思いがちですが、本物同等の感触は味わえると思います。と言ってもやはり本物には及びませんが」
「それってもしかして」
「はい。ケンちゃんが望むのであればプレイをしてみますか?」
僕は今まで生まれてから女性と付き合ったとこはない。当然、童貞で過ごしてきた訳であってどのように反応していいのか分からなかった。彼女がいれば当たり前にやるものであるが僕にその資格があるのだろうか。
「いや、その、そういうのはお互いの気持ちが通じ合えた時にやるっていうか」
「何を戸惑っているんですか?」
一瞬の間があった。
「なんでもない。今日少し疲れたからもう寝るよ」
僕は逃げるように背を向けた。
「まだ、私とケンちゃんの間に愛が足りないと言うことですか」
クレハの問いかけに僕の足は止まる。
「そんなことないよ。むしろ、充分過ぎるくらい深まっているよ」
「少し、話が変わるのですが、よろしいですか?」
「何?」
「ココアの件で私なりに感じたことなのですが、欲しいモノを手に入れる為に多くの犠牲と代償を払っているように見えました」
そのことに関してはクレハと同感であった。彼女は若いのに将来に関して詰め込みすぎている印象であった。
「そこで私はその件をケンちゃんと置き換えてあることを考えました」
僕は後ろ向きのままクレハの言葉を待った。
「私は高性能人間型恋愛ロボット。現在の科学が長年の研究を得てようやく辿り着いた技術とも言えます。その長年の研究によって生み出されたのがこの私ですが、その希少価値は高く一般的にはまだ流通していません。買えたとしても人が一生働いても難しいとされる金額です。私を主流として使える人物で考えられるのは私の製作に当たった関係者、もしくは大富豪であると推測しますが、ケンちゃんは関係者でも大富豪でもない一般的な庶民です。普通の生活をしてきたケンちゃんには私を買えるような財産は持っていないと推測します。ずっと聞かないようにしてきましたが、聞かずにはいられません」
僕は固唾を飲んだ。冷汗が止まらない。
「ねぇ、ケンちゃん。一体どんな代償を払ったんですか?」
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