第4話 過去を乗り切って
翌日、僕はいつものように夕方の十七時に居酒屋に出勤していた。だが、今日はいつもと違って店は慌ただしかった。それもそのはず、今日は店を貸し切りにして団体客の予約が入っているのだ。その数は八十人。つまり八十人分の席と料理の準備で忙しいのだ。
「予約は十九時からです。後二時間でテーブルの準備をするように皆さんで協力しましょう。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
佐野店長が前に立って朝礼を済ます。僕はテーブルの上に食器を並べるのに大忙しであった。まだ九月なので忘年会のシーズンはまだ早い。この時期にこの人数で予約を取るということは会社の歓迎会——あるいは送別会といったところだろうか。十二月になれば居酒屋としては地獄である。毎日が忘年会のようなものだから。
客が来る三十分前になれば大概の準備は整ってきた。みんなで協力すれば容易いものである。しかし、本番はここから。客が揃った時である。飲み放題なので八十人分のドリンクが一気に雪崩れ込むのだ。店員である僕としたら大忙しである。
十九時十分前になれば続々と予約していた団体客が店に雪崩れ込んで来る。普段は襖でそれぞれの席を囲っているが、今日だけは全て開いた状態で大広間の空間を作り上げてある。最初に来た客はどの席に座るか探っている。酔いやすい人はトイレが近い席に座るし各テーブルでグループが出来上がっているようにも見受けられる。いわば、飲み会において最初の席が最も重量な選択となる。
男女の割合では七対三の割合で男が多い。女は女のテーブルで固まっている。よく見る光景である。
「アザラシさん。注文いいですか?」
「はい。只今!」
店で使っているあだ名は客が呼ぶこともある。胸に名札が付いているのでそれを見て客も親近感を持って呼んでくれるのだ。
「えっと、生二つ。梅酒ロック一つ。カシスオレンジ一つ。ウーロン茶一つでお願いします」
「はい。生二、梅酒ロック一、カシスオレンジ一、ウーロン茶二ですね?」
「あー違う、違う。ウーロン茶一つだよ」
「申し訳ありませんでした。ウーロン茶一ですね。すぐにお持ち致し……」
僕は客の顔を見て固まった。オーダーを頼んだ客の一番奥に座る一人の女性。茶髪のセミロングのストレート。目はブラウンで大きめ。鼻は小さく、口元はふっくらとしていて、肌は全体的に白い。細身がある女性である。人違いなんかではない。見間違えるはずもない。僕の目の前に遠山紅羽が座っていたのだ。僕は逃げるようにして厨房に戻っていった。
幸い、遠山紅羽は同僚と会話に夢中になっており、僕の顔は見られていない。何故ここにいるのかと思ったが、地元の為会う可能性は充分にあると自分に言い聞かせた。会いたかったようで会いたくない人。昔と変わらず今でも可愛くて心が踊りそうになる。変わったとしたら髪が茶髪になっているくらいで見た目はクレハと瓜二つ。いや、クレハのモデルは彼女なのだ。似ていて当たり前なのだ。それにしても数年会っていないにも関わらず現在の姿を的中させてしまった僕はある意味天才なのではないだろうか。なんてそんなどうでもいいことを考えているより仕事をしろと自分に言い聞かせる。
「オーダーお願いします。生二と梅酒ロック……」
「アザラシ君! そのオーダー自分で作って自分で出して」
よしりんは忙しそうに言った。
「いや、あの……分かりました」
一瞬、誰かにあの席のオーダーを届けてもらうことを考えたが、今の状況を見てその考えは打ち砕かれた。自分以外は忙しそうに動いている。頼むにしても難しい相談である。
頼まれたドリンクを自分で入れてオボンに乗せ、遠山紅羽がいるテーブルに運ぶ。
「お待たせしまししゃ! 生のお客しゃま!」
僕は顔がバレないように尺れる。言葉も少し鈍っていることも言った後で気づく。
「はい。手前に置いていって下さい。回していきますので」と手前に座っていた女性は言った。
「恐れ入ります」と僕は心の中で安心した。これで彼女の方に行かなくて済むと。
「では失礼致し……」と顔を上げた時、僕は視線を感じた。一番奥に座っている遠山紅羽の視線がこちらを向いているのだ。ジッと僕を見つめている。ひょっとしてバレている?
不安を感じる中、遠山紅羽は自分が頼んだドリンクを受け取って同僚たちとの会話を再開した。気付かれているのはどうやら勘違いのようだ。
苦難を乗り越え、乾杯の挨拶を終えて飲み会が始まった。その後の僕は厨房とテーブルの往復を繰り返す。何回も生を持って来るのが面倒になり、注文が多いテーブルにはピッチャーごとテーブルに置く形になる。二時間のコースなので終了の予定は二十一時。しかし、大概の飲み会は時間が過ぎても店に長居し、店の外でも気が済むまで滞在するのが現状である。少数の場合は声を掛けるが、団体の場合は声を掛けづらい。客が気の済むまでジッと待つ。
コース料理全て出し、ラストオーダーに差し掛かった段階でようやく落ち着きを見せた。
オーダーのドリンクを入れているとシュートが肩を叩いた。
「もう少しだな。俺も半分持っていくよ」
「ありがとう。助かるよ」
忙しい中、シュートは僕の仕事を手伝ってくれた。気配りが出来、周りをよく見ているところがシュートのいいところであるとつくづく思う。
「はい。注目! そろそろ閉めたいと思いますので皆さんご起立ください!」
団体の幹事が注目を呼びかけた。ようやく頃合いのようだ。店員である僕からしたら業務終了のチャイムのように感じられる。
「ヨーーー!」という掛け声と共に全員で両手を叩いて一本締めをする。このノリは悪くはない。好きでもないが。
「以上、解散」と幹事の掛け声と共に一目散に帰って行く者、店内に長居して雑談をする者、店の入り口付近で立ち往生している者とバラバラである。そんな中、僕たち店員といえばテーブルの上に乱雑に置かれた食器やゴミを一斉に片付けに掛かるのだ。とにかくテーブルの上にあるモノを片っ端にオボンに積み上げる。
「あれ?」と、テーブルの下に置かれたスマホを発見する。こういう忘れ物も後日では客も店員も手間が掛かるので客が帰る前に届けたいものである。
「すいません。どなたかスマホを忘れた方いませんか?」
僕は落し物であるスマホを掲げながら大きな声で呼びかける。
「あ、すいません。私です」
人と人の間を縫うようにこちらに向かってきた女性は僕の元に駆け寄る。
「あっ」と思わず声を漏らす。その女性は遠山紅羽である。と、いうことはこのスマホは彼女のモノ。僕は手で口元を隠す。なんとも運が悪いのだろうか。
「すいません。もう少しで忘れるところでした」
「い、いえ。気をつけて」
スマホを受け取った遠山紅羽は安心したように胸に手を当てホッとした。
「ありがとうございます。アザラシ……さんでしたっけ」
遠山紅羽は僕の名札を見てお礼を言った後、ジッと僕の顔を見つめる。
「あの、何か?」
僕は冷や汗を掻きながら言う。
「どこかで会ったことありましたっけ?」と、遠山紅羽は首を傾げた。
「いえ。気のせいだと思います」
「ごめんなさい。コンタクトの調子が悪くて今、裸眼なんですよね」
そう言って遠山紅羽は鞄からメガネを取り出し、掛けた。何故?
「あ、やっぱ見覚えがある。同級生だったわよね? 確か名前は……そう、九石君でしょ?」
バレた。完全に向こうは僕のことをハッキリ覚えている。と、なればあの事も覚えているのだろうか。苛めていた方は苛めていた事を忘れてしまうものであるが苛められていた立場は一生覚えているもの。僕は一生忘れることはないが果たして彼女はあの事を今でも覚えているのだろうか。
「えぇ、まぁ」と、僕は曖昧な事を言って視線を横に逸らす。
「あ、やっぱり。懐かしいな。この歳になると同級生との接点がなくなるから本当、地元って感じ」
遠山紅羽は両手を合わせて嬉しそうに言った。やっぱり彼女は可愛かった。
「実は私、この間まで県外に飛ばされていたの。最近、また地元に帰ってきてラッキーって感じでさ。今日は私と新人さんの歓迎会でもあるんだ」
「へ、へー」
「でも、地元の子とはまだ連絡が取れていなくていずれまた会いたいなって思っていたところなの。ってなわけで、九石君は地元のメンツの第一号だよ。わお」
遠山紅羽は淡々と喋りまくった。一体なんのつもりで僕に喋り掛けてくるのだろうか。遠くから見ていただけだが、こんなに喋る子であったのか僕は記憶を必死に辿る。うん。確かに喋る子であった気がする。それは確かだ。よく喋るし、よく笑う。それが天使のように僕ながらに感じていた。
「ってか、アザラシって何? 九石を文字ってアザラシ? 面白いね。自分で考えたの?」
尚も遠山紅羽は喋り続ける。今になってこのあだ名を付けたココアに殺意が湧いた。かなり恥ずかしい。
「居酒屋店員か。忙しそうだね」
「あの、僕、まだ仕事が……」と、僕はなんとかその場を切り抜けようとする。
「あ、そっか。お仕事の途中か、ごめんね。邪魔して。そうだ。最後に一つだけ」
そう言って遠山紅羽はメモ帳に何かを書いてそれを破り、僕に差し出す。
「私の連絡先。機会があればまた集まろう」
「あ、ありがとう」
僕はその紙切れを受け取ってポケットに入れていた。それを見た遠山紅羽は手を振って店内から去って行った。
激務の後の明け方、僕は家に帰宅した。居酒屋は夜が忙しい分、朝は落ち着いた気分になれる。眠いのを通り越して目が冴えてくるほどだ。帰宅するとクレハは充電中である。足を伸ばして充電器がある壁際にもたれ掛かった状態で瞼を閉じている。一見、奇妙な寝方に見えるが、クレハにとってこれが楽であるようだ。ちなみにクレハは充電が完了するまでは絶対に起きない。その寝顔を見て僕は風呂に入り、寝室に入る。外が明るくなった頃に僕の眠りはピークを増す。眠気と格闘する中、僕は一枚の紙切れを眺めていた。憧れだった女の子の連絡先がここに書かれている。その一方で騙された事も思い返していた。遠山紅羽は自分が行った仕打ちに対してまるで忘れてしまったかのような振る舞いだった。数年ぶりに会った事で思いが一層高まった自分が不思議に思えた。十一桁の番号を目に焼き付け、僕はダイヤルに番号を打ち込む。十桁まで打ち込んだところで最後の数字を押す手前で思い留まり、目を閉じた。すると僕はいつのまにか深い眠りに付いていた。
「——はい。遠山です」
スマホの向こう側に遠山紅羽が電話に出た。
三日ほど考えたのち、僕は思い切って電話をかけることにした。もう一度会いたい気持ちが半分、もう二度と会いたくない気持ちが半分あったがわずかな差でもう一度会いたい気持ちが優っていたからだ。
「えっと、九石だけど今、電話大丈夫かな?」
申し訳ないように言った。少々遠慮がちに。
「あぁ、九石君。この間はどうも。全然大丈夫。丁度暇していたところだから。それよりやっと掛けてくれたんだね。もしかしたら掛けてくれないのかもと思っちゃった」
電話の相手が僕だと分かった瞬間、遠山紅羽は友達と話すような軽い口調で喋り出した。
「そんなことないよ。僕もまた会いたいと思っていたから」
「そうなんだ。じゃ、近いうちに会ってみない?」
「うん。いいけど」
「ほんと? なら一層のこと今からどう?」
「え? 今から?」
「うん。暇していたって言ったでしょ? それとも都合悪いかな?」
「いや、そんなことはないけど」
「なら決まり!」
そんなこんなで僕たちは時間と待ち合わせ場所を決めた後、電話を切った。
待ち合わせた場所は近くのゲームセンターだった。何故、よりによってここなのか不明であったがどうやら遠山紅羽は今、ここにいるらしい。
店内に入ると、ゲーム機の雑音が耳に響く。いろんな機械の音が混ざり合って僕はあまり好きではない。ゲームをするのであれば誰もいない自宅で静かにやりたいものである。
広い店内に遠山紅羽を探す。電話でどこにいるのか聞けば早い話であるが、電話をいちいちかけるのが面倒に感じる。店内を捜索しているとある付近に人集りが集中していた。その中心にはダンスゲームで誰かが対戦している。上下左右の指示器にタイミングを合わせてステップを踏むリズムゲームだ。場所を広く取る為、あまり見かけないゲームであるが、ここでは未だに健在のようだ。その舞台に立っている人物をよく見ると遠山紅羽である。鮮やかで華麗なステップでミスなくゲームを進めている。そしてその対戦相手は中学生くらいの女の子であった。黒髮の短髪で身体は細いが肉付きがあり、スポーツをやっているような体型である。その女の子も遠山紅羽に負けを劣らずステップを踏んでいる。二人とも余りにも完璧なダンスに周囲の野次馬も見とれてしまうほどであった。何より、遠山紅羽は汗をキラキラ流し楽しそうである。僕は野次馬と一緒に見とれていた。
「フィニッシュ‼」
決めポーズと共に野次馬たちから拍手が起こった。僕も釣られて拍手をする。
そして、気になる成績の結果がモニターに映し出される。
「私の勝ち!」と、遠山紅羽はガッツポーズをする。
「また、負けた。やっぱお姉ちゃん強いわ」
女の子は悔しがるように肩を落とす。
「いやーまだまだ若いものには負けられませんな」
遠山紅羽はおっさん見たいな発言をする。
「ん? あぁ、九石君居たんだ」
「ど、どうも」
遠山紅羽はたった今、気が付いたようにステージから降りた。
合流した僕たちはゲームセンターの隅にある休憩スペースに移動していた。
「あの子、誰?」
「ん? あぁ、樹ちゃん。近所に住んでいる中学生。顔を合わせたら喋るし、よく遊んでいた子。たまたまここで会ったから一緒に遊んでいたの」
「そうなんだ」
いつの間にかその樹ちゃんという子はどこかに行ってしまった。
「ダンス。上手いね。感動した」
「そう? ありがとう。昔からリズムゲームは好きだったから。よくゲームセンターで練習していたから今ではプロ級かもね。あははは」
本当にプロ級である。そこらのアイドルなんかよりも断然上手い。
「そ、そうだ。喉渇かない? 何かジュース買ってあげるよ」
「本当? ラッキー。身体、激しく動かしたから喉カラカラなんだよね」
「何がいい?」
「炭酸系が欲しいな」
「分かった。待っていて」
僕は自販機に駆け寄り、カルピスソーダを二つ購入して彼女に手渡す。
「ありがとう。頂きます」
遠山紅羽は美味しそうにグビグビ飲む。まるでビールを呑んでいるように「たまらんわ」とか可愛げのない発言の連呼。だが、それはそれで可愛く見える。
「あのさ!」
僕は注目をさせるように呼びかける。それに対し、彼女は振り返りながら首を傾げる。
「どういうつもり?」
「ん? 何が?」
「なんで僕と関わろうとしたの?」
「関わろうとした¬ーーじゃなくて関わってきたのはそっちじゃない?」
「え?」
「九石君の言いたいことは分かる。なんであんなことがあったのに平然としていられるのだろうって。でも、逆にあんなことがあったのに九石君は何事もなかったかのように私に電話をかけてきた。これはどういう意味があるのかな?」
「それは……」
「私に会いたいってことなんだよね?」
僕が驚いた反応をすると遠山紅羽は分かっていたかのように余裕のある表情をした。
「あんなに酷い仕打ちをしたにも関わらず、それでもあなたは私に会いたいと思ったからこうして足を運んだ。居酒屋で会ったのは偶然だけど、その偶然があって今がある。今回、私はあなたにどうしても言いたいことがあったからあの時、連絡先を教えた」
「言いたいこと?」
遠山紅羽は立ち上がった。そして、僕の前に見下ろすように立った。
「ごめんなさい」
遠山紅羽は深く頭を下げた。
「今更、謝られても……」
遠山紅羽は尚も頭を上げない。
「私のこと、恨んでいるよね?」
「いや、そんなことはないよ」
「嘘! だってあんな酷いドッキリ、私が逆の立場だったら嫌だもの。やられたら墓場まで許さない」
遠山紅羽は頭を上げて訴える。
「確かにあの時は傷付いたけど、今はなんとも思っていないよ」
僕は目を合わせないように言った。
「ただ、感じたのはどうして今更謝るの?」
あれから約十年は経っている。どうしてそんな時間差で謝るのか。今となっては不思議な感覚である。
「一つだけ言わせてもらうと、当時は本気で嘲笑っていた。見下すように」
そう言われて僕は顔を引きつった。やはりそうだったのかと。
「あぁ、勘違いしないでね。今では当時のことは反省しているから安心して。レベルが低い行動だったって自覚しているから」
遠山紅羽は両手を左右に振って否定する素振りをする。
「当時は僕のこと、貶していたのには変わらないんだよね?」
「……はい」
遠山紅羽は否定をしなかった。
「ちょっとだけ昔話をしてもいいかな?」と前置きをしてから彼女は言う。
「実は私ね、当時、上島君と付き合っていました」
「え?」
衝撃の事実に僕は膠着する。まさかあの問題児の上島和虎と遠山紅羽が付き合っていたとは知らなかった。ただ、僕が疎いだけなのかもしれないがそれでも衝撃は大きかった。心のどこかで羨ましいと思ってしまっていた自分が情けない。
「当時の私は彼に尽くしていた。確かに問題をよく起こしていたけど、喋ってみると楽しいし優しいし良い人だなって思った。毎日一緒にいると凄く幸せな気持ちになれた。女心も分かってくれるし気配りも出来る最高の人。あの頃は本当に楽しかったな」
嫌いな人の話を聞いて嫌な思いをした。その感情が顔に出ていたのか、彼女は「ごめん」と謝る。
「若い頃はーー特に学生の頃は楽しければそれでいいと思っていたけど、将来的に考えたら違うって思えた。彼、将来のこと考えてなさそうだし。多分、悪いことをしてお金を得ていると思うけど、かなり金遣いが荒かった。当時からタバコやギャンブルは日常茶飯事。見て見ぬ振りをしていたけど、そういう人って一生治らないと思うの。おまけに私以外にも多くの女と絡みがあるから浮気も隠す気はなかった。平然と女遊びを繰り返す人よ」
「それで別れたの?」
「ええ。高校の卒業と共に。私も当時はどうかしていたよ。悪いことを悪いと認識しきれていなかった。まぁ、一つの思い出としては良かったかもしれないけど」
「今、楽しい?」
「そうね。楽しいと言えば楽しいかな。仕事も安定してきたし、職場の人も優しいし楽しいよ。唯一物足りないと言えば彼氏がいないことかな? あいつと別れてから何人かと付き合ってみたけど長続きしなかった。私、もう二十六だから早く良い人見つけないと独身おばさんになっちゃう。そういえば、九石君って今彼女いるの?」
その振りに僕は変な期待をしてしまう。いないのなら私と付き合わない? という流れを想像してしまう。現に頭の中で映像が流れてしまっているのだ。我ながらバカバカしいと思う。
「いるといえばいるかな」と、曖昧に答えてみる。
「なーんだ。残念」
え? と、僕は彼女を見る。その発言の意味にはどのような意味をもたらしているのだろうか。期待をしてもいいのだろうか。
「先輩が誰か良い人いないのかって聞かれて紹介してあげようかと思ったのに」
なんだ、そっちか。と、こっちが残念な気持ちになる。ちなみにその先輩はいくつ? と聞いたら三十六歳と返ってきた。ちょっと年齢差があるのではないか。仮にいなかったら三十六歳を押し付ける気だったのだろうかと不安が過ぎる。
今になって話してみればあの頃が笑い話に思えてきて二人で笑い合った。本当にあの屈辱が嘘であったかのように気軽に話せていたのが嘘みたいである。
と、その時、僕たちの目の前にある集団がゾロゾロと雪崩れ込んできた。合計で五人の男たちである。自販機の前に群れ始める。
「いやーまさかこの俺が賭けに負けるとは」
「先輩、ゴチになります」
「分かったよ。俺も男だ。二言はねぇ。全員分のジュースくらい奢ってやるよ」
「先輩イケメンですね」
「流石です。俺たち一生、先輩についていきますから」
「ふん。調子良い時だけ下手に出やがって。都合が良いな、お前たち」
「先輩程でもないですよ」
とかなんとか楽しそうに自販機に群がる男たち。僕たちは少し気まずくなる。その場を離れようと彼女とアイコンタクトをしていた時であった。
「言い忘れていた。俺、やっぱ炭酸がいいわ」
六人目として現れた男がそう言った時であった。僕とその男は目と目が合ってしまった。
「ん? テメェ、九石か?」
「な、なんのことでしょう?」
その男は上島和虎であったのだ。咄嗟に顔を尺れて見せるがどうにも誤魔化せない。
「ん? 隣にいるのは紅羽か?」
「あはは。久しぶり」
遠山紅羽は無理に作り笑いをする。僕にとっても遠山紅羽にとっても最悪の再会とも言える。「なんでお前らが二人でいる」と上島和虎が言いかけたその時、遠山紅羽は僕の手を引いて全力でその場から走り去る。
「ま、待て! お前ら。あいつらを追え!」
上島和虎の呼びかけと共に他の五人は一斉に僕たちを追いかけ始めた。
ゲームセンターを飛び出して商店街に逃げ込む。
「ねぇ、君が奴から逃げる理由でもあるの?」と自分は逃げる理由があるけど、と心の中で思いながら彼女に聞いた。
「私から振ったって言ったでしょ? その後、しつこいくらいに付き纏われて大変だったの。それを逃れる為に地元から離れたけど、戻ってきた途端にこれよ」
大変な目に遭ったのだろうとつくづく思う。上島和虎はプライドだけは人一倍高い人物である。そんな彼が付き合っていた彼女から別れを切り出されたらどうなるかは想像がつく。おそらく地の果てまで追い詰めてくるに違いない。顔を見た瞬間に逃げ出すのも納得である。
建物と建物の間をすり抜けるように男たちを振り切ろうとする。僕は足が速い訳ではない。だが、僕の手を引く彼女はかなり速い。昔からスポーツをやっていたのが印象的だったのを思い出す。何度も曲がり角を使って撹乱させようと試みるがなかなか振り切れない。
「あっ! やば」
遠山紅羽は突如、足を止めた。その先は行き止まりだったのだ。引き返すも男たちの影がすぐそこまで迫っていた。万事休すか。
「こっち! 早く」
誰かが右側の扉から呼びかけてくる。迷っている暇はなかった。僕たちは扉に逃げ込んだ。
「あれ? おかしいな。こっちに来たと思ったのにな」
「多分、もう一つの曲がり角の方だ。行くぞ。逃したら上島さんに大目玉を食う」
「お、おう」
扉に耳を澄ますと足音が離れて行くのが伝わる。
「どうやら行ったようだね」
「うん」
一難去ったところで安堵していた。
「で、あいつら何? なんで追われていたの?」
後ろから声をかけられ、僕たちは振り向く。
「き、君は……」
「え? 何? 知り合い?」
そこに立っていたのはココアである。僕はその姿に驚いた。
「何よ、人を幽霊みたいな反応をして。感じ悪いんだけど。せっかく助けてあげたのに」
「ごめん。そんなつもりじゃないよ。突然、君が現れて驚いただけ」
「ふーん」
そう言ってココアは遠山紅羽を舐め回すように見る。
「あ、あの、何か?」
「ねぇ、アザラシさん。この人、人間だよね? もしかしてこの人があのロボ……」
ココアが言いかけたその時、僕はココアの口を塞いで止める。
「アザラシさん? この人、人間って何を言っているの? この子」
「あはは、さぁ、ちょっとおかしな子で困っちゃうんだよね」
そう言いながら僕はココアを連れて遠山紅羽に聞こえないところまで移動をした。
「ちょっと、何よ。痛いじゃない」
「静かに。頼むから彼女の前ではロボットの話を持ち出さないでくれ」
「その反応をするからに状況は掴めました。そういうことですか。分かりました」
何が分かったのか分からないがひとまず僕は安堵する。
「但し、条件があります」とココアは不敵な笑みを浮かべながらそう言った。
「な、なんだよ」と、僕は悪い予感しかしなかった。
「後日、私と一日デートをして下さい。それで彼女には黙っていきましょう」
「こ、こいつ」
ココアは痛いところをついてきた。もし、断ってしまえば間違いなくココアはクレハのことを全て遠山紅羽に話すだろう。そうなってしまえば遠山紅羽が好きだったことも彼女を元に作り上げたロボットと暮らしていることが全てバレてしまう。そしたら彼女を傷付けることになるし、何より僕のこともドン引きしてしまうことは避けられないだろう。
「わ、分かったよ」
「本当ですか? 約束ですよ? 逃げても無駄ですよ? 今の言葉、ちゃんとここに録音しましたので」
そう言ってココアはスマホを見せつける。どこまで用意周到なのだろうか。だが、全てをバラされるよりデートをした方がマシであろう。
「初めまして。愛土沙彩です。ココアって呼んで下さいね。アザラシさんとは元バイト仲間なんです」
ココアは笑顔が眩しいくらい元気に挨拶をした。第一印象はずば抜けていいんだよな。第一印象だけは。
「あ、初めまして。遠山紅羽です。九石君とは高校の同級生です。よろしくね。ココアちゃん」
「くれは?」
そう、言いながらココアは僕を見下すように見つめる。言いたいことは分かる。「名前までもロボットと同じなのか、マジ引くわ」とでも言いたいのだろう。だが、ココアは約束を守ってあえて口に出さない。
「ところでココアはなんでこんなところに居たの?」
「なんでって、ここは私が勤めている職場よ。たまたま声が聞こえたから見にきた訳」
「あれ? 前、ボーリング場で働いているって聞いたけど」と、僕は聞く。
「聞いた? あぁ、お姉ちゃんが言ったのね。朝と昼はボーリング場で働いているよ。夜はここ、ガールズバーよ。少し前から働き出したの。良かったら呑んで行く? 多少のサービスはするわよ?」
ココアは人差し指を立てながらウインクをする。
「へー。いいじゃない。ガールズバーって私、行ってみたかったんだー」
遠山紅羽は興味津々の様子である。
「じゃ、ちょっとだけ寄る?」
「そうしましょう」
まだ開店前であったが、ココアの顔もあり、今回は特別に開店前のガールズバーに入ることができた。僕たちはカウンター席に腰掛ける。
「あれ? 女の子ってココアだけ?」
「開店前だからまだ来てないの。私は開店前の準備があったから早出勤している訳。何? 私だけじゃ不安? 私一人でも女の子三人分の価値はあると思うけど」
ココアは恥じらいもなく堂々と言ってみせた。
「それに女の子なら隣にいるじゃない」とココアは遠山紅羽に視線を送る。
「私、一応客なんだけど」と苦笑いしながら遠山紅羽は答える。
僕は女の子に挟まれサンドイッチ状態である。ある意味羨ましいポジションではないだろうか。
「そういえばバーに欠かせないマスターがいないみたいだけど」と、僕は店内を見渡しながら言った。
「あぁ、下準備で奥にいるよ。それよりオーダー取らないと。はい、どうぞ」
ココアはメニューを差し出す。
「どれにしよう。オススメはありますか? 遠山紅羽はココアに聞く。
「ピーチカクテルがオススメですよ」
「じゃ、私はそれで」
「じゃ、僕も同じものをお願い」
「注文頂きました」
ココアはカウンターの奥の方へ消える。と、言ってもここからカウンターは丸見えだからあまり離れた感じはしない。
「お客様。私、当店のマドンナ、ココアが今回のお客様の話し相手を致しますのでよろしくお願いします」
ココアは突然、ビジネス口調で接してきた。ココアは接客のプロフェッショナルだ。言われて悪い気はしない。
「そういえばずっと気になっていたけど、その制服可愛いね。素敵」
遠山紅羽は目を輝かせるように言った。ピンクの丈が短いスカートになっており、まるでメイド服のような服装であった。確かに可愛い。
「お褒めの言葉ありがとうございます。紅羽さんも着てみますか? 似合うと思います」
「え? いやいや。私、もう二十六だし、今更スカートなんて痛々しいよ」と、手を左右に振って否定する。
僕は頭の中で想像してみる。
「ありかも」
「え?」
遠山紅羽は驚くように見る。思わず言葉に出てしまっていたようだ。
「ところでお二人さん、親しい関係なんですか?」
「いや、そんなんじゃないよ。今日初めて遊んだの」と、遠山紅羽は答える。
「へぇ、では今日は何故また?」
「居酒屋で再会して懐かしくなって成り行きで」
「そうなんですか。再会してどうですか?」
ココアはスライドするようにスッとピーチカクテルをカウンターに差し出す。
「別に普通かな。あ、これ美味しい」
「恐れ入ります。普通ですか。残念でしたね。アザラシさん」
ココアは嫌味のように僕に視線を送る。
「アザラシさんってことはココアちゃんもあの居酒屋で働いていたの?」
「えぇ、数ヶ月前に辞めました。なんだかんだありまして。ねぇ? アザラシさん?」
「え? うん。あはは」と、僕は片言でココアと目を合わせないように言った。
「そうなんだ。ココアちゃんはこういうお仕事好きなの?」
「別に好きではないです。ただ、私、夜型だし可愛いしこういうとこって時給良いし結構優遇良いし何より私は異性と話しをするのが好きだから向いていると思っただけです」
「そうなんだ」
遠山紅羽はさりげなく自分を褒めたココアに対してツッコミを入れなかった。もしかしたら既にココアに対して嫌気がさしているのかもしれない。
「でも凄いね。朝から昼までボーリング場で夜はガールズバー。大変じゃない?」
「でも、やってみると凄く楽しい。みんなが私をチヤホヤしてくれるしプレゼントもいっぱいくれるの。生きているのが罪なんだなって罪悪感、ぱないっすわ」
ココアがそう言うも遠山紅羽は何も言わずにニコニコ笑顔だ。もしかして心の中で激おこ? と、僕は横にいるのが辛かった。
「あははは。ココアちゃんって面白いね」
遠山紅羽は意外にも大声で笑った。その反応に僕は拍子抜けする。
「分かった。ココアちゃんも周りから注目を浴びないとと気が済まないタイプでしょ?」
「当たり! 『も』ってことは紅羽さんもですか?」
「さて、どうでしょう。実はそうだったりして。でも男にちょっと色気つけておくと仕事を手伝ってくれるしなんか奢ってくれるし得だよね。たまに本気にされたら後々面倒なのが難点だけど」
「あははは。そうなんだ。分かる、それ。そんな時の回避の仕方を教えてあげようか?」
——え? と、僕は思わず声を荒げそうになった。ココアは良いとして遠山紅羽もそのようなタイプであることは正直思いたくない事実である。年上の女性として話を合わせているだけであると願いたい。
それはともあれ、ココアと遠山紅羽は喋り出してから何故か意気投合していた。歳は離れているけど、同級生と話すように気軽なトークを繰り広げている。たまに話を振られる僕も間に入りづらいのが現状だった。
時間が過ぎることも忘れ、気がつけば二十二時を過ぎていた。
「あ、私そろそろ帰らないと」
遠山紅羽の一言で僕たちはガールズバーを後にする。会計は僕が払うつもりであったが、遠山紅羽も払うと引かなかったので半分ずつ出し合った。
「楽しかったね。久しぶりに盛り上がっちゃった」
店を出た後、遠山紅羽は伸びをしながら言った。
「ココアの前じゃないんだし、無理しなくて良いよ。ずっと気を使っていたんでしょ?」
「ん? そう見えた?」
遠山紅羽は首を傾げながらそう言った。
「別に私はそんなんじゃないよ。あれが演技に見えたのなら私は役者並のプロだよ。素で楽しんじゃった。ココアちゃんって面白い人だね。また会いたいな」
同性から嫌われるタイプのココアを気に入る遠山紅羽が大きく見えた。単純にこの子は心が広いのだろうと感じた。
「ねぇ、九石君はココアちゃんのこと好き?」
「え?」
不意打ちの質問に僕は戸惑う。好きと言えば好きであるが嫌いと言えば嫌いである。どちらかと言われればどちらでもない。簡単に言葉では言い表せない人物であるのだ。
「私から見て、おそらくココアちゃんは九石君のことが好きだと思う。私の勘だけど」
その勘は正しく的中していた。しかし、そのことに関しては何も触れないようにした。後々面倒なことになると判断したからだ。
「今、どこに住んでいるの? 家まで送ろうか?」と、僕は提案する。
「今は一時的に実家に住んでいる。もう少しでどこかアパートを探して一人暮らしする予定。ありがとう。でも、大丈夫。もう近くだから平気だよ」
「そっか」
僕は残念なようなホッとしたような複雑な心境であった。
「今日はありがとう。久しぶりに会えて楽しかったよ。また機会があれば遊ぼうね」
遠山紅羽は笑顔で言った。これぞ、まさに天使に見えたとびっきりの笑顔だ。
「あ、そうそう」と、遠山紅羽は何かを思い出したかのように振り返った。
「足元に注意した方がいいよ」
クスッと遠山紅羽は微笑んだ。「それはどういう意味?」と聞こうとしたが、遠山紅羽は手を振りながら帰ってしまった。僕はその後ろ姿を追うように彼女の姿が見えなくなるまで見届けていた。
「ただいまっと……わっ!」
鍵を回し、扉を開けて中に入ろうとしたその時であった。僕は玄関先に仁王立ちしていたクレハの姿に驚いてしまった。
「ケンちゃん。こんな時間までどこでほっつき歩いていたの?」
クレハはかなり不機嫌な様子である。怒った顔も可愛いと思ってしまう僕は変態であるのかもしれない。それにさっきまで同じ顔と遊んでいてすぐにその顔が目の前にいればびっくりする。
ちなみに現在の時刻は二十三時を過ぎたところであり、外出の前に昔の旧友と会ってくると言って出かけたのだ。
「いや、ちょっと盛り上がっちゃってさ。酔って倒れていたから友達を家に送っていたんだよ」
などと僕は苦し紛れの言い訳を並べる。
「それなら仕方がないけど、少しは私の気持ちも考えてくれても……」
クレハは一時停止してしまったように動きを止めた。
「……? クレハ?」
僕は両手を目元の方に振って意識確認をするも反応はなかった。
「クレハ! おい! しっかりしろ!」
その後、僕がいくら呼びかけてもクレハの反応はなかった。
「私は高性能人間型恋愛ロボット。クレハです。ここは……?」
「クレハ。おはよう」
「ケンちゃん? 私は一体何を?」と、クレハは状況を確認するように周囲に視点を置いた。
「安心しなよ。ここは僕たちの家。クレハは感情を高ぶらせたせいで脳にオーバーフローを起こしてしまっただけだよ」
そう、あの時、突如思考停止してしまったクレハはオーバーフローにより動きが止まってしまったのだ。最初は何が起きてしまったか分からなかった。救急車を呼ぶにしてもロボットは受け付けてくれないだろうと、自分なりに説明書やリモコンで調べていくうちに大元の原因が分かった。
「そうですか。ご迷惑をかけてしまって申し訳ないです」
「ひとまず、データが飛んでいなくて安心したよ。それと謝るのは僕の方だよ。クレハに負担をかけて無理をさせてしまった。ごめん。クレハに押し付け過ぎていたよ」
「いえ……。あ、掃除は私がやりますからどうか休んでいてください」
「いや、僕がやるよ。クレハは大人しくしていてよ」
「いや、でも……」
「いいから。ね?」
「はい。分かりました」
クレハは家事を奪われて少し納得がいかない様子だった。
「あのさ、クレハ」
「なんでしょう?」
「今度、デートに行こうよ。クレハはどこに行きたい?」
「海!」
クレハは即答で答えた。
「私、自然豊かな景色と青い海が見てみたいです」
クレハは生まれてから海を見たことがない。ここは科学が発達した最先端技術が施された街。海とは無縁の場所とも言える。
「海か。分かった。でも、ここからはそう簡単に行ける場所ではないからホテルとか交通機関のスケジュールを組んでから行こうか」
「そうですね。その役、私がしておきましょうか?」
「え? いいの?」
「はい。私の最先端技術に頼ればスムーズにことが運びますよ」
「そっか。じゃ、頼むよ」
「はい!」
クレハは嬉しそうに言った。
「スケジュールは二人で決めましょう」
「そうだな。できれば二泊三日くらいで計画立てたいかな」
「いいですね。どうしようかな」
最近、クレハとデートに出かける機会がなかったので今回の企画は良いアイデアであると思う。最も忙しいという言い訳でデートをしなかった僕が逃げていただけなのかもしれない。
いつだって男が女をリードするものだと言われているけど、僕はそういうのは苦手だ。むしろリードされたい側である。
結局、海に行くデートはホテルの都合や休みの調整もあり、およそ一ヶ月先で話はまとまった。楽しみが先延ばしにされてしまったが一ヶ月なんてすぐである。気ままに待つのが一番だ。
「ケンちゃん、電話が鳴っていますよ?」
クレハにそのように言われ、スマホの画面を見る。相手はココアである。クレハの前で出るのはまずいと思い、一旦外に出てから通話ボタンをスライドさせる。
「もしもし」
「あ、アザラシさん。私、ココアでーす。暇していましたか? 絶対暇だろうと思ったからかけちゃいました」と、ココアはハイテンションで応答する。
「暇を前提でかけてこないでくれよ。僕だってこれでも忙しい身なんだよ」
「忙しいってどう、忙しいのですか?」
そう問われて僕は考える。
「あ、あれだよ。家事とか。一人暮らしはどんなの時も忙しいものなんだよ」
「一人暮らし? ロボットさんは人として入らないんですか? 犬や猫も立派な家族の一員と考える人がいるのにアザラシさんは違うと?」
「いや、そういう訳じゃないけど……てか、何の用なの?」
僕は話を逸らすように質問をする。
「何の用って分かっているくせに。この間の約束——守ってもらおうかと思って」
電話越しで不敵な笑みを浮かべているのが目に見えた。
「この間の約束? 何のことかな?」
「意地悪言わないで下さいよ。一日デートするって約束したじゃありませんか」
そう、ココアがデートの話を持ち出すのは分かっていた。
「まさか男に二言があるとは言わないですよね? アザラシさん」
ココアは囁くように言う。
「分かったよ。約束は守るよ」
「やった! じゃ、来週一日空いているところありますか?」
「十四日の火曜日ならシフトは入っていなかったけど」
「十四日ですね? じゃ、その日で調整しておきますのでお願いしますね。詳細は折り入ってご連絡いたしますので。じゃ、またね。アザラシさん」
ココアは嬉しそうに電話を切った。
僕は手を顔に当てて悔やんだ。クレハとのデートの前にココアとのデートが先であることを今、思い知らされた。
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