第2話
一週間後、コヨルは先生を星の集まる場所へ連れて行った。今日もまた、歩いているとその場所へ星が落ちて行くのを何度か見かける。
たどり着いた時、先生は星の光量にますます目を輝かせた。
「へえ……これはすごい。あとで、ここに何があって星が引き寄せられるのか調べてもらう必要があるかもね。今までこういう場所は磁場の問題だって言われてたけど、他にも何かあるのかも。まあ、この場所のことを役所に報告すれば、そんな忠告をせずとも学者連中はここに飛んでくるだろうけどね。……それで、その穴ってどこ?」
「えっとね……確かこの辺だったはず」
けれど、一週間前に来た時よりも、よりたくさんの星が落ちていて、地面が埋まってしまっていた。不意に足元でぶつかった石が消えてなくなるように落ちて行ったので、穴を見つけることが出来た。
その穴をしげしげと見つめて、先生は感慨深そうに嘆息した。
「本当に穴がある……。この先が、太陽のある世界なのか」
その言葉に頷き、コヨルはしゃがみこんで、穴に話しかける。
「おーい、チュウヤ、そこにいる?」
穴に木霊していくコヨルの声。すると、すぐに返事が来た。
「はい、いますよ」
くぐもってはいるが、確実に耳に入ってくる人間の少年の声。驚くよりも、先生は目を輝かせた。
「うわっ、本当に声が聞こえる!」
「だから、そう言ってるのに」
先生の声も向こう側にどうやら聞こえたようだ。
「コヨルくん以外にも誰かそこにいるんですか?」
「うん。僕の学校の先生なんだ。いろんなことを知ってるし、自分の知らないいろんなことを知りたがるから、今日は一緒に来たいって」
「へぇ……」
「それにね……多分、これが一番の理由なんだけど、そっちの世界に憧れているんだって。小さいころから、ずっと」
「そうなんですか」
恥ずかしいから言わないでよ、と、先生は頬を赤らめて、小声でぼそりと呟いた。いひひ、と、コヨルは笑った。
自分の憧れを話すことは、何も恥ずかしいことではないのに。馬鹿みたいな夢だと笑う人がいたって、先生の夢は今そこにあるのだから。
コヨルは純粋にそう思ったが、大人はきっとそうもいかないのだろう。
こほん、と、咳払いをしてから、先生は改めて穴へと向き直り、語りかけた。
「サヨリ、と言います。どうぞ、よろしく」
「よろしくお願いします。僕はチュウヤと言います」
二人の挨拶も待ちきれぬ、といったふうで、割って入ってくるように、コヨルはチュウヤに話しかけた。
「チュウヤ、こっちのね、月と星の見える暗い世界を君に見せるいいものを先生が持っていたから、今からそっちに落とすよ。でも、頭ぶつけたり、瓶が割れたりしないように気を付けて、ちゃんとキャッチしてね」
「……頭?……はい……わかりました」
「じゃあ、行くよー」
穴をぎりぎり通って行けるくらいの大きさの瓶を、コヨルは慎重に落とした。でも、いくら慎重にしたところで、重力というものには逆らえないだろうが。
数分待っても、チュウヤの声は聞こえてこない。どうなったのか気になり、そわそわしていたコヨルは、ついに穴に向かって声をかけ、尋ねてしまう。
「大丈夫だった?」
すぐに返事は来た。
「はい。瓶も僕も無事です」
ほっと胸をなでおろす。せっかくできた見知らぬ親友が怪我をするのも、先生の思い出が詰まっている瓶が粉々に砕けるのも、そして何より、チュウヤにあの景色が見てもらえなくなることは、すなわち、この暗闇の世界が悲しいものに変わってしまう瞬間にもなり得る。
そうはならなかったどころか、むしろ、チュウヤは歓喜の声を上げている。
「うわぁ……暗いと、こんなに光が綺麗に見えるんですね。星っていうのは、いびつな円の形をしている、この一番大きく光っているものですか?」
「違うよ。それは月。星は、空全体にちりばめられている小さな光」
「そうなんですか。空の色合いが、単なる黒い闇じゃなくて、小さな光がそこにあるから、複雑な色をしていて……太陽の光と違う意味で、優しくて暖かいですね」
「気に入ってくれたかな?」
「はい」
この世界から見える景色を気に入ってくれたと言ってもらえて、嬉しくてくすぐったいような、でも、誇らしいような気分になる。
先生の笑顔にも、安心したような、でも、少し照れ臭そうな様子が見えた。
「良かった。……本を読んで太陽というものがあるかもしれないということを知った時に、不意にこの世界がとても美しく見えたんだ。私たちが太陽を知らないということは、きっと太陽を知っている人は月や星を知らない。そういう人が見たら、この世界は綺麗だって言ってもらえるだろうか、って、そう思ったらね。それで、どうにかしてその空を閉じ込めたいと思って作ったものなんだ」
しばらく、沈黙の静けさが訪れる。チュウヤは何を考えているんだろう。ドキドキと、コヨルの心臓は鳴り止まず、うるさいくらいだというのに。
「……ありがとうございます」静かに、チュウヤの声が足元から落ちて来る。「僕からも、そちらに、こちらの空をお見せしたいと思います」
「うん!……って、気を付けたほうがいい?」
「いや、大丈夫ですよ。ただ、無くならないようには気を付けてください」
「……うん?」
チュウヤの言葉の意味が最初はわからなかったが、十秒後にはわかることになる。
急に、穴の中からすっと、一枚の写真が浮き上がってきたのだ。
その刹那、強い風が通り抜け、ひゅっと写真が飛ばされて行きそうになるところを、慌ててコヨルは捕まえた。
無くならないように、とはこういう意味だったのか。
無事に写真を手に出来て、コヨルはほっとしていたが、先生はぽかんとして、まだ穴をしげしげと眺めていた。
「えーっ、何この不思議な感覚。重力なんてないみたいだ」
「……そうか、穴から出て来るんだもんね、足元から出て来るんだよね。こっちから穴に落とした時は、チュウヤの頭の上に落ちて行くんじゃないかって心配したんだけど……そっか、こういうことだよね」
「え……そこ?……納得するの?」
「納得っていうか安心」
「……そう」
何故だか、先生は腑に落ちていないようだった。二人は、気にしているところが微妙にずれている。
けれど、今はそこを論じている場合でもない。二人は改めて写真に目を落とした。
透き通るような青。そのところどこに絵の具をちりばめたような白。その中を横切って行く一羽の鳥。
眩しい。
その眩しさに目がくらんで、泣きそうになりながら、コヨルはチュウヤに尋ねた。
「この写真は君が撮ったの?」
「はい。一昨日、特に空の機嫌が良くて、太陽はちゃんと出ているけれど、雲一つない快晴というわけではなく、そこにある雲の白が却って綺麗で。僕は、これを君に見せたいと思って、撮ったんです」
これは、先生の思いの詰まったあの瓶の中の空と同じ。チュウヤの思いが詰まった空の風景だ。
透き通るように青い。どこまでも。
「太陽がある空は、青いんだ……」
「はい」
「ところどこにあるこの白いものは何?」
「雲です」
「雲?曇って、明るいとこんな色をしているの?」
「まあ、天気が悪いと、太陽が隠れてしまうんで、灰色になっていきますけど」
「へぇ……」
そこに視線を張り付けられてしまったように、写真から目を離さずに、先生はどこか独り言のようにつぶやいた。
「私は、ここの星空も好きだよ。でも、自分の目で明るい空も見てみたい。その青さを、自分の目に焼き付けたい。……また、この世界には昼と夜と両方がそこにあるようになればいいと思う」
「そうなったら素敵だね」
穴の中から微かに聞こえてくるチュウヤの声も、きっとほとんど無意識につぶやいたものだろう。
「僕も、本物の星の瞬きというものを見てみたいです」
ふと、コヨルの中に予感が生まれた。もしかすると、自分はいつかチュウヤに会えるのではないか。その時、きっと太陽と月は一つの世界になる。
こんなちっぽけな少年が、世界をひっくり返すようなことを考えるなんて、馬鹿げていると笑われるかもしれない。
けれど、胸の中に灯った炎は、風に揺らめいても消えない。心臓の行動が、せっつくのだ。
そんなことを話したら、チュウヤは笑わないだろうか。
ほんのちょっぴり、さっき自分の夢を語られた時に、恥ずかしがっていた先生の気持ちもわかる。
そう考えた時だった。コヨルの視界の端に空を走るきらめきが映った。
いつもだったら、空からの恵みだとそこをめがけて走って行くが、今日は、恐怖で背筋に悪寒が走った。
コヨルは、ぱっと先生の方を振り向いた。
「ねえ、先生……」
「え……」
星が、空を走って行く。こちらへ向かって。
そう、ここは吸い寄せられるように星が落ちて来る場所なのだ。自分たちがいる時に、目の前に落ちてきても不思議はないということを、どうして今の今まで考えられなかったのだろう。
びゅう、でも、ごうごう、でもない、あるいは、その二つが混ざったような、鼓膜が避けるような轟音とともに、光が向かってくる。
その風圧に上手く乗って、なんとか着地点のど真ん中からは逃げることが出来た。
どぉん、という、星が地についた音が、どこまでも遠くまで響き渡って行った。
コヨルも先生も息をするのも忘れていた。
「あ……ぶなかったぁ……」
どちらともなくそんな言葉が漏れ出て来たのは、たっぷり一分は経ってからだろう。
後一メートルのところに落ちて来た、ひときわ大きな星。そのぶん、光は鈍いが。
それをぼんやりと眺めながら、コヨルはぽそりとつぶやく。
「そういえば、星が目の前に落ちて来るっていうことを経験したことはなかったよね。そうだよね、落ちて来るってこういうことだよ。……危ないかも」
「何で……誰もそんなことを考えなかったのか……っていうか、星が落ちて来るところには今まで運よく人がいなかったのは何故だろう。いつも、私たちが見つけるのはその後だ」
「神様の優しさ?」
なんとなく思いついたことをコヨルは口にしただけだけれど、先生はやっぱり納得のいっていないような顔をしていた。
「そう……言っていいのかな」
「さあ……」
今の衝撃の余波で、からん、と、一つ穴の中に星が落ちて行く。その星に乗せるように、コヨルは語りかけた。さっき、飲み込んだ言葉を。
「ねえ、チュウヤ……」
「はい」
「星はね、ただ綺麗なだけじゃないみたい……。それでもね、きっとこの光は、そちらの世界にだってあるべきものなんじゃないかと思うんだよ。太陽の光だって、ここにあるべきものだと思う。もともと、世界には両方あったならば。笑われるかもしれないけど、思うんだ。僕たちはきっと、二つの世界を繋げられるんじゃないかって」
返事は直ぐには返ってこない。やっぱり馬鹿なことを言ってしまったのではないかと、どんどんと体温が奪われていく感覚に襲われたけれども、それは杞憂に終わった。
実際にどんな様子で言っているのかは見えないけれど、チュウヤのその声に熱がこもっていたことは確かだ。
「できます、できるはずです!……今だって、この穴が繋げてくれているんですから」
「うん!」
それは果たして、それは少年たちの浅はかな夢なのだろうか。でも、もう、この小さな穴を見つけたその瞬間から、すべては始まっているのだ。
果たしてそれは偶然なのか、神様の作った必然なのか。それはわからないけれど。
星の降る夜に 胡桃ゆず @yuzu_kurumi
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