星の降る夜に

胡桃ゆず

第1話

 太陽が昇り、光を照らす。やがて沈んでいき、空の主役を月に渡す。

 それが、当たり前のことだと思っているでしょう。

 もしも、朝がやって来なかったら。

 ある日突然、太陽が、空に姿を現すことのない世界になっていたとしたら。

 そこには、ずっと静かな闇しかない。

 太陽はずっと昔に盗まれて、もうその存在を知る者はいない。ここにいる者が知っているのは、暗い闇と、空に浮かぶ月だけ。

 それから、ぽつぽつと闇を飾る星。

 生まれた時から、そんな世界しか見ていないので、誰も自分を取り巻くそんな世界の闇に不安を感じることはなかった。


 空を見上げた少年も、また同じ。


 目の前に広がる暗闇は、日常の当り前。月の満ち欠けと、空を飾る星座の変化で、月日の移ろいを知り、季節を感じる。凍るような空気に、白くなる息を吐きながら。

 うさぎ座、いっかくじゅう座、おおいぬ座……ぼんやりと空を見ながら歩いていると、足元がおろそかになる。ただでさえも視界が悪いのに。

 少し大きめの石があることに気づかず、躓いてしまった。痛いけど大丈夫。打ち付けただけで、どこも擦り剥いてもいない。

 のろのろと立ち上がり、服の埃を払って、また空を見上げたその時だった。

 ひゅん、と、星が空を走って行く。だいたいどこに落ちたのか見当はつく。そう遠くはない。少年は走った。光の痕跡を見失わないうちに、そこへたどり着かなくては。

 どういうわけか。

 走っている間にもう一つ星が流れる。それは、さっきと同じ場所へ落ちて行った。さらに一つ、もう一つ。

 今日はなんて日だろう。

 幸運。その昔は、星が流れた時に願い事を三回言うと叶う、と言われていたらしい。今でもそういうことをする人がいないわけではないが、それよりも、流れ落ちた星には大事な意味がある。

 この暗闇の中で、生活するための唯一の光として採集するのだ。流れる星が落ちてくるのを見つけるのは、財源を見つけるのに等しい。

 その光は、金貨と同じ。

 近づけば、その場所は直ぐに分かった。強い光を放つ場所がある。そこをめがけて、少年は走って行く。

 近づけば近づくほど、眩しくて目がチカチカしそうになる。

 こんなにたくさんの星は、初めて見た。

 稀に、集中して星が落ちる場所というのがあるのだという話は聞く。その時の磁場の影響などがあって、そこに引っ張られて落ちるらしい。

 でも、これほどとは。

 闇が消える。そこにあるものが、はっきりと姿を現す。そんなことなど、有り得ないと思っていたのに。

 ここは本来ならば、たまに小さな石ころが落ちている以外に草一つもないような、ただどこまでも続く退屈な平野のはずだった。

 しかし、今は無数の柔らかな光で飾られている、この世界で最も美しい場所になっている。

 いつも、いろんなものの輪郭は闇を纏って薄ぼんやりとしていた。普通に生活に使っている星のかけらが照らしてくれるのはせいぜい半径五十センチくらいだ。

 降ってくる星の数と、それを求める人々の数。どんなに計算が苦手な人だって、釣り合わないことは簡単に分かる。

 だから、乱獲は禁止されている。もしも、こんなにちょっとした山が出来そうなくらい大量に落ちている場所を発見したならば、必ず役所に報告をしなければならないだろう。それが、奪い合いで余計な争いを生まないための規則だ。

 暗闇に恐怖は感じない。そこにあるものだから。しかし、視界の悪さで不便なのは否めない。

 大きさにもよるが、ひとかけらが拳くらいの大きさのものならば、光はもって一週間。一番大きいものの記録は成人男性一人分くらいの大きさであったが、割って分け合ったので、実際その大きさでどれくらい持つのかはわからずじまいだった。それを、科学者たちは悔しがっていたが。

 数を増やすためもあるが、実は大きさは小さければ小さいほど、光は強くなる。そのことは研究結果でわかっているので、大きいものが見つかっても、小さく砕くのも決まりごとになっているのだ。

 稀に、あまり強い光を好まぬ人もいて、大きいまま使いたがる場合もあるが。

 ここには、大きいものも小さいものも、しばらくは困らぬくらいある。こんな場所を見つけたとあれば、きっとみんなは褒めてくれるだろうか。

 早く帰って知らせなければ。

 はやる気持ちで、少し足元が危うくなってよろけると、こつん、と、かかとに星のかけらが当たって、蹴ってしまった。それだけなら良かったのだが、足元にちょうどその星のかけらが入るくらいの穴が開いていて、そこに落ちて行ってしまう。

「あっ……」

 どれだけ深い穴なのか。星の光は見えなくなってしまう。貴重な資源を一つ失ってしまって、少年は肩を落とした。

 怒られるだろうなぁ。

 たとえ一つでも、失ってしまえば。

 途方に暮れて穴を眺めている少年は考える。なんとか、この中に手を突っ込んで届かないだろうか。

 どのくらいの深さがあるかもわからないが、子供の手なら入ることが出来るだろう。そう思って手を入れようとした時だった。


 わっ、びっくりしたぁ。


 急にどこからかそんな声が聞こえてきた。


 何だ、これ?


 気のせいではない。この穴の中から、本当に、微かにだが聞こえてくる。人の声だ。しかも、少年の声。

 こちらから声をかければ、返事は来るだろうか。おそるおそる、少年は穴に向かって叫んでみた。

「もしもし……そこに誰かいるの?」

 まるでオウムのように同じ言葉を彼は返してくる。

「わっ……えっ……誰かそこにいるんですか?」

「うん、いるよ」

「穴の中に?」

「ここは穴の中じゃないよ。そっちこそ、穴の中じゃないの?」

「違いますよ。この石みたいなものは、あなたが落としたものですか?」

 きっとそれは、さっきけり落してしまった星のことだろう。

「そうだよ」

 ふーん、と彼が唸る声が聞こえた。

「これは何ですか?」

「星だよ」

「星?」

「そう。星が落ちて来たもの」

 相手が黙り込んで、しん、と、急に静かになる。

「星って何ですか?」

 まさか、そんな当たり前のことを聞かれるなんて。星を知らない人がこの世の中にいるわけはないだろうと思っていた。いつでも、見上げればそこにあるのに。生活に必要なものなのに。

「空に光ってるだろう」

「星なんて、空にはありませんよ。雲と太陽だけです」

「太陽って何だよ」

「空から明るく照らしてくれる光です」

「そっちは明るいの?」

「ええ」

 この小さな穴一つでつながった向こう側に誰かがいて、まったく違う世界がある。そんなこと、学者だって知らないことだろう。たくさんの星が落ちて来るし、この場所は何か特別なことがあるのだろうか。

 向こう側で話している少年は、いったいどんな子だろう。言葉はやたらと丁寧だから、育ちのいい子だろうか。

 いろんな疑問が頭に湧いてくる。

 しかし、相手のことを知りたければ、まず自分のことを教えるべきだ。

「僕の名前はコヨル。君は?」

「チュウヤ」

「もしかして、そこは世界の反対側なのかな」

「もしそうだったらすごいですね。本当に届くんだ。世界の裏側に。そして、こんなものがあるなんて知らなかった」

「それは僕たちの唯一の光なんだ」

「唯一の?」

「そうだよ。ここはいつでも真っ暗だ」

「そんなことってあるんですか?……ここは明るいから、この石がどれほど光っているのかはよくわからない」

「そうなの……ここじゃ、とても綺麗な光なのに」

 星の光など負けてしまうくらいの光が、空にある。それは、いったいどんな世界なのだろう。

 星が落ちて来るのを祈り、必死になってかき集める必要もないのか。

 向こうの世界を羨ましく思うと同時に、がっかりしている自分がいるのを、コヨルははっきり感じた。星の柔らかい光は優しく、空を飾る宝石のようで、コヨルは好きだったのだ。それが、チュウヤにはわからないことが悲しい。

 でも、自分は明るい世界の素晴らしさも知らない。

「ねえ、明るい世界って、どんなの?」

「天気がいいと、いろんなものが光を跳ね返し、世界がキラキラして見えるんです。太陽の光は温かさをくれます。でも、ちょっと日差しが頑張りすぎると暑くて、逆に辛かったりする場合もありますが。……僕こそ興味があります。この星というものの光が美しいという、暗い世界はどんなものなのかと」

 この空を、チュウヤにも見せてあげたい。チュウヤも、同じことを考えていたようだ。

「こちらは、太陽の光を浴びて輝く葉の緑や、花の色、そして、おひさまの匂いのする洗濯物とか、いろんなものを君に見せたいです」

 お互いの知らない、素敵なもの。それを、分けてあげたいと思う気持ち。そして、知らないものを知りたいという気持ち。

 二人の気持ちは同じだった。こんなにわくわくすることってあるだろうか。

 見てほしい。その一心で、コヨルは熱のこもった口調で、穴に向かって語りかけた。

「君にここの景色を見せるために、なんとかならないか考えてみるよ。一週間後のこの時間に、またここに来てくれるかな」

「はい。僕も考えてみます」

 それから、走って向かった先は、役所ではなくコヨルに勉学を教えてくれている先生のところだった。いまならまだ学校にいるかもしれない。

 コヨルにしてみれば、一番知恵を持っていそうな人間のところへ行ったというわけである。

 もうすぐ四十になろうかという女性教員。コヨルの母親の親友なのだ。だから、学校以外でもこうしてしょっちゅう会うことがある。

 ちょうど、彼女は外でフクロウの観察をしていたようだ。見上げている大きな樫の木の枝に、一羽のメンフクロウが留まっている。

 まるで、何か言葉を介さぬ秘密の会話でもしているかのように、両者は互いに見つめ合っていた。フクロウが、ホウ、と小さく泣いたその時に、コヨルは声をかけた。

「先生!」

「おお、どうした」

「星の山を見つけたよ」

 フクロウの首がこちらを向くのと同時に、彼女の首が傾いだ。

「星の山?」

「うん!」

「役所に報告したの?」

「あ……忘れてた」

「こらこら」

 フクロウも加勢するように、一声鳴く。すると、コヨルは困ったように眉尻を下げて、まるで言い訳するように言葉を並べた。

「だって、ちょっと興奮しててさ。そこで見つけた穴が反対側の世界に繋がっていたんだもん」

「反対側の世界?」

「そうなんだよ。穴の中から声がして、向こう側は太陽っていうものがあって、ずっと明るいから、星の光の明るさがわからないんだって。だから、あの子に教えてあげたいんだ。空に光る月や、星の光を。それで、どうしたらいいかなって相談に来たんだよ」

 興奮気味に捲し立てるコヨルの様子に、先生は呆気に取られていたものの、やがてにやりとからかうように笑みを見せた。

「あの子……って、女の子?」

「違うよ。男の子」

「ふーん。……まあ、いろいろ方法はあるだろうね。絵を描いてもいいだろうし、写真を撮ってもいいだろうし」

 ごく当たり前の、そして一番現実的で建設的な提案。だが、コヨルは項垂れてしまう。

「僕は絵が下手くそだし。この綺麗な空をちゃんと伝えられるように描ける自信はないなぁ。写真だって、撮り方が下手くそだから、月なんてちっぽけにしか写らないし。目で見た方が綺麗なんだ。どうして僕には芸術的センスがないんだろう」

「うーん……まあねぇ、何でも向き不向きってあるからねぇ。でも、コヨルにはいろんなものを目に映るのを通して心で見る力はあるから。それを表現する術を知らないだけだよ」

「そうかな」

 そこでふっと、何かを思いついたように、一瞬先生の目が見開かれた。

「……ああ、そういえば……いいものがあるよ。ちょっと待ってて」

 そう言い残して、彼女は学校の校舎の中へ入って行って、五分ほどして戻ってきた。前と違うことがあるとすると、その手には小瓶が握られていたことだ。彼女はそれをコヨルに手渡した。

 その便の中身を見た後に、思わず彼は空を見上げた。同じだ。偶然にも、月の欠け具合もそのままに、この中にある。

「これは……」

「これは、私の忘れられないある日の空を閉じ込めたものだよ。とはいっても、そこに再現しただけだけど」

「どうやって?」

「まあでも、一種の芸術表現だね。絵を描くのに近いっちゃ近いかなぁ。樹脂と絵の具とか金箔とか蛍光塗料とかその他いろんな金属とか、光らなくなった星の欠片とか、そういうもので出来てる」

「へぇ……でもまるで、本当にこの中に空を閉じ込めたみたいだ」

「でしょう」先生は得意げに笑った。「子供の頃にね、私が読んだ本に書いてあったんだ。もともと世界は明るい時間と暗い時間とを半分ずつ持っていたって。今は二つに分断されている。太陽を盗まれた世界と、闇を盗まれた世界。それを知った時に、私はもっともっと世界を知りたいと思った。だから、当たり前だと思っているこの暗い空を、こうして採集しておくのは、きっと価値のある事だろうと思ってね。もしも、反対側の世界に通じることが出来たとしたら。君は、その反対側の世界と対に通じることが出来たんだ。どうか、届けてあげて」

「でも、いいの?」

「何で?」

 ひゅん、と、空からまた一つ星が落ちてくる。流れ去ってしまう、きらめきのように。

 コヨルは、きゅっと瓶を握りしめた。

「だって、これは先生の大事な思い出なんでしょう」

「いいんだよ。思い出はしっかりここにあるから」とんとん、と、先生は自分の頭を軽く人差し指で突いた。「それより、私は教師だからね。未知のことを伝えたり知ったりすることの方が大事」

「そう……なんだ。喜んでくれるといいな」

「これは、私が一番美しいと思った空だよ」

 もう一度、コヨルはその便をじっと眺めてみた。ただ月や星がキラキラ光っているだけではない。ただ暗いだけじゃない、じんわりと滲む、闇の包むような優しさ。深い、深い色。

「うん、綺麗だ」

「伝わるといいね」

 コヨルは頷いた。それと同時に、相手は一体どんなものであちらの世界を伝えてくれるのか、ますます楽しみになった。

 嬉しくなって瓶の中の夜空を眺めていると、もじもじと、どこか遠慮がちに先生が声をかけて来た。

「あのさぁ……」

「何?」

「できれば、私もその少年と話をしてみたいな」

「え……」

 急な申し出に、コヨルは思わず目をぱちくりさせてしまった。先生は恥ずかしそうに、俯きながら小さな声を絞り出すようにして言う。

「さっきも言ったけど、子供の頃に読んだ本が忘れられなくて、本当に太陽のある世界というのがあるなら、私はそれを知りたい。ずっと憧れだったんだ」

「……うん」

 その目は、まるで少女のようにきらめいていた。あるいは、空を飾る星のように。

 やっぱり、コヨルはすごいものを見つけたのだ。宝の山よりも、すごいものを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る