第23話 外伝① 王子の追憶と聖女の宿題
僕が九歳の時だった。僕は、婚約をした。なんと、『神託』を受ける聖女様と婚約することになったのだ。
聖女の名はソフィア。僕より一歳年上だった。
年齢が近い息子がいたことを王も……女王も……つまり、僕のお父さんもお母さんも喜んでいた。
なにより僕も、あの愛らしい姿の少女とやがて結婚すると考えると嬉しくなった。
「やぁ、ソフィア」
王宮の庭でソフィアは、羊皮紙に向かって何か書き物をしていた。また神託があったのかもしれない。
人知を越えた知識を神様から授かる。
それは大変なことであると簡単に想像することができた。
ソフィアも、羊皮紙に向かいながら、ときどき頭を抱えたり、難しい顔をして空を見上げたりしている。
神託を受けているときには邪魔をしてはいけないよ、と言われていた。
だけど、僕は我慢することができなかった。異国の商人が来た時に、ソフィアにプレゼントしようと思った品があったのだ。
「どうされたのです? 王子」
年齢が1歳上なだけだとは信じられないほど大人びた、僕のフィアンセ。
「これを見てくれ!」
両手で後ろに隠していたプレゼントをソフィアに差し出した。
異国から輸入された珍しい品物だ。紫や赤色、青色と沢山の鮮やかな色があり、世界中の宝石を集めたような品だ。
「ソフィア……これは異国の珍しい品で————」
「ガラス玉? おはじき……ですか?」
なんとソフィアはこの透明なものの正体を知っていた……。
「おはじき遊びをされたいのですか? もしよろしければご一緒いたしますが……」
異国の珍しい品の正体を一瞬で見破られた。それに……おはじき遊び? それはどんな遊びだ? 分からない……。
「ち、ちがうんだ。こ、これは……」
「あっ。」
ソフィアはハッとした後、悲しい顔をした。
「申し訳ありません……このおはじきを造る技術……改良していけば、このようなコップや……平らで大きなガラスの板を造れば建物の窓にも使えて、部屋の中に効率よく太陽の光を採り入れることができるのですが……私にはどのようにすれば良いのか分からないんです」
ソフィアはそう言って、顔をしわくちゃにした。今にも泣きそうな顔だった。僕にはソフィアが何を言っているのか分からなかった。
ただ、分かったのは、ソフィアは僕が『神託』を要求したと思ったということだ。
違うんだ……。僕は君を悲しませようと思ったんじゃない。
ソフィアを悲しませたガラス玉。僕も持っていたくなかった。たまたま王宮に来ていた貴族の娘に何の気なしに渡した。
『こんなに珍しい品を下賜してくださるなんて』
花咲くような笑顔でその貴族令嬢は大喜びしてくれた。僕がソフィアに求めていた反応そのものだった。
・
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寒い冬の日だった。
紅葉もすっかりと葉を落とし、王国の大地は茶色に染まる。花が咲き誇る春。新緑が萌えいでる夏や、黄金色の実がなる秋に比べたら、冬の景色は殺風景だ。
ソフィアは、景色を観るのが好きなのだろう。
だけど、冬はやはり殺風景でつまらないかもしれない。
「ソフィア、乾燥した地方で造られた、枯れない花だよ。君のこの部屋が少し明るくなればと思って……持って来たんだ」
花はうつろう。だけど、このように加工された花は、永遠に咲き続ける。貴族が恋人に永遠の愛の印として、枯れない花を贈るのが流行している。
僕もそれに倣ってソフィアに贈ろうと思った。
「ドライフラワーですか……
そしてソフィアは首を振った。
「乾燥剤の造りかたも、私には……分かりません」
また、ソフィアを悲しませてしまった。違うんだ。僕が求めているのは『神託』じゃなくて君の笑顔なんだ。
ソフィアは、どこまでも聖女だった。僕とはまったく違う人間のように思えた。ソフィアの存在が恐くなった。
乾燥させやすい花……試しに他の貴族の令嬢に渡してみたら、頬を真っ赤に染めて喜んでくれた。僕がソフィアに求めていた反応そのものだった。
僕はいつしか、ソフィアを避けるようになった……。
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聖女を処断して数ヶ月がった。
収穫期も終わった。諸侯会議の季節がやってきた。
そうなれば王都は賑やかになる。領主たちがこの王都にやってくるのだ。
貴族達は権勢を誇ろうと従者たちに煌びやかな格好をさせ、豪華な馬車でやって来る。
今年も、貴族たちの顔色は明るい。
豊作であったのだろう。豊作が続いている。慢性的な不作が続いていたこの王国で、毎年のような豊作。
王の直轄領でも、収穫量がまた前年を上回ったという報告は上がっている。
収穫が衰えるどころか、かつての豊かだった王国の収穫量に迫る勢いだと、記録官が驚いていた。
会議の席に並ぶ貴族たちは笑顔だ。五、六年前まで、いかに減税してもらおうかと必死の形相の貴族達が嘘のようだ。食料を他国へ輸出し始めた貴族までいる。
豊作の原因は至って単純。
聖女が神託によって伝えた『聖女の農法』だ。
もうほとんど作物が採れないとされていた土地から、再び豊かな実りが生まれているという奇跡のような……いや、だからこそ『聖女の農法』なのだろうが、そんな驚くべき報告すらある。
信じがたいことだ。いや……信じがたいことを成すからこそ、聖女であったのだろう。
今まで王国では、 農地を、畑と、家畜を放牧する土地の二種類であった。
農業をしようにも、半分の土地は休ませなければならなかった。
それは、生き続けようとする知恵であった。
土地すべてを農地にすることは可能だった。だが、そうすると不思議と収穫量は減っていき、やがては何を植えても実らない土地となる。
だが、聖女が考案した『聖女の農法』は違った。
小麦、ジャガイモ、大麦、牧草地と、農地を四分割したらどうだろうか?
畑で鍬を持ったことが……いや、土を触ったことがあるかも分からない、ナイフよりも重い物をもったことがないような聖女がある日、何気なく言った。
私と目を合わすことなく、私に言ったのだ。
口惜しかった。悲しかった。
だが、神託は神託だ。導入するように命じた。農地を改革する。神託だけに聞くべきだが、万が一失敗した場合には、民が飢えることとなる。
失敗は許されない。
まずは王領の農地の一部で試した。
効果は劇的だった。
牧草地となるのは畑の二十五パーセントだ。単純に計算をして、農業に使える土地がいままでの倍になるのだ。だが、それで次の年の収穫量が減ってしまっては意味がない。
唯一、貴族達が不安な顔をしているのは、聖女を処断したということ。
聖女様を処刑されて、神罰は大丈夫なのでしょうか?
大飢饉などが来なければ良いのですが。
貴族達は口々に言う。
だが、僕は聖女が生きていることを知っている。処刑命令を出したはずだが、なぜだか生き残った。
それを知ったのは、王都のスラム街に聖女の名を騙った者がいるという報告があったからだ。聖女の名を騙るのは、神の名を騙ることと同じく重罪で死罪である。
『聖女様の井戸周辺を汚すなかれ。これより井戸に近い場所で糞尿を捨てることを禁じる』
そんな看板が立っていたという報告だ。
何を目的としている看板なのか分からなかった。錬金術師たちも首を傾げた。
だからこそ、これは間違いなくソフィアが行ったことだという確信が持てた。
僕は密かにその現場に行った。
井戸で、子供と一緒に楽しそうに井戸で水を汲んでいる女性。
間違いなくソフィアだった。聖女だった。
ソフィアはあんなふうに笑うのか。
ふっと、胸のシコリが取れた気がした。聖女の容姿は、街の民にまでは知れ渡っていない。だが、それだけではない。
ただの町娘のようじゃないか。聖女だと言っても、誰も信じないだろう。聖女ではなく、普通の女性だった。
今の僕もそうなのだろう。お忍びの格好。僕がここで実は王子だと言っても、きっと誰も信じない。
どうして僕はあんなにもソフィアを恐れ、遠ざけ、逃げ回っていたのか。
あんなに楽しそうなソフィアを王宮で見たことがない。このまま街で暮らすのがソフィアの幸せなのだろう。
「この件は問題ない。今後も同様のことがあっても無視しろ」
警備兵たちにそう厳命した。
さて……諸侯会議が始まる。
今年の会議の重要な案件は……『聖女の川』の建設だ。
聖女が残した羊皮紙の数々。その多くが錬金術師たちにも理解出来ないものだった。
だが、理解できるものもあった。その中の一つだ。
正確には、『運河』というらしい。
人の手によって、神が造りたもうた大地を、地形を変える。それも、数百キロ以上に及ぶ長さの川を平地に造るというのだ。
畏るべき『神託』である。
だが『聖女の川』を造ることによって、川がなかった地域でも、水を手に入れることができる。そして、農地を造ることができる。
また、その川は、小舟も行き来できるほどの広さにして、人や物の移動も活発になるという。そして、何より、雇用を生み出せるという。
『聖女の川』を造るのに数十年という長い年月が必要という試算が出た。莫大な費用と労力がかかる。だが、建設できたらより王国の民が幸せに暮らせることになる。
『聖女の川』の建設。今の王国になら可能だ。『聖女の農法』によって劇的に王国は豊かになったからだ。
どうして聖女は、この『聖女の川』という神託を告げなかったのか。理由や定かではない。聞きに行くことも憚られる。
身勝手かもしれないが、僕は、この残された『聖女の川』は、僕への聖女からの宿題だと思っている。僕はもうすぐ王になる。僕の治世とその労力のほとんどが、この建設に費やされるだろう。
財政的な困難もあるだろう。
僕は立ち上がった。席に座っている貴族達を見渡す。
「諸侯等よ、よくぞ今年も集まってくれた。さっそくではあるが、諸卿らに協力を求めたいことがある!」
やり遂げよう。聖女からの宿題を。
僕は君から、一度、逃げ出したかもしれない。だけど、再び向き合おう。
そう。僕は、立ち上がった。席に座っているのは貴族たちだ。
王国の人々を豊かにするために。
君をきっと誰かが立ち上がらせたように、僕を君が立ち上がらせた。
僕も、誰かを立ち上がらせることができたら。
「信じて欲しい。この『聖女の川』は、数十年、貴族の君たち、また、王家の財政を圧迫するものだ。だが、この計画をやり遂げたら……」
ソフィア。いや、聖女よ。今なら分かる。
いまさら君に頼むのは面目が立たない。だけど、敢えて言おう。
どうか、僕に力をくれ。
You raise me up。
追放された聖女は立ち上がる ~You raise me up ~ 池田瑛 @IkedaAkira
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