第22話 エピローグ

「ボタン、いらんかね~。木製ボタン一個、1レプトンだよ。木製ボタンとボタンホールセットは、2デナリオンで販売中だよ~」


 私は、王都の市場で声を張り上げている。


「ボタン、ボタンはいらんかね~。真鍮製のボタン1個、1アサリオンだよ。真鍮ボタンとボタンホールセットは、2デナリオンで販売中だよ~」


 木製のボタンは、樹脂を塗ることによって防水可能となり、販売が可能となった。樹脂を塗るというアイデアはロバートが出してくれた。


 また、真鍮製のボタンを製造するために、レベッカさんが協力をしてくれた。


「おぉ、いた、いた。真鍮の方を十セット頼むよ」と私に話しかけてきたのは、貴族用の服をオーダーメイドで作っているお店の女主だ。


「ありがとうございます」


「ボタン付きの服、便利だって貴族から評判が良くてね~。注文ひっきりなしだよ。ボタン付きの服が舞踏会でも流行しているよ。それに、ボタンがあると、デザインにも幅が広がって、作りがいがあるよ」


 最近では、ボタン付きの服をデザインして、貴族に販売する人さえ現れている。利便性もあり、真鍮のボタンは黄金のようで見栄えも良いため、評判は上々だ。


 ボタンのラインナップは、二種類ある。


 木製のボタンは、貧しい人たちから一般の家の人まで普及をして、人気を博している。


 真鍮製のボタンは、材料費も高いので強気の値段設定だけど、上流階級から人気である。注文はひっきりなしだ。


 商品ラインナップでいえば、木製ボタンはロークラスで普及用。真鍮製のがハイクラス向けの商品といったところだろう。


 

 ボタンの販売を始めて三ヶ月。ボタンの売れ行きは好調だ。人間の生活に欠かせない衣・食・住の衣服であるし、最近では、王都近郊からの大量注文も来ている。


 商売として順調である。


 ボタンの構造は単純だから、真似をして商売しようとする人もいた。だけど、その人たちはすぐに諦める。


 なぜなら、この世界のやり方でボタンを作ろうとすると、かなり高額になるからだ。とても私たちと同じ値段設定でボタンを売ることはできない。


 熟練の鍛冶師が、ボタンの形の鋳型を粘土で作り、乾燥して固まった鋳型に金属を流し込み、冷やして、粘土を割って、ボタンとなる金属を取り出す。


 そして、余分な部分を削って、四穴なり二穴なりと穴を造る。

 


 そうやってやっと一個のボタンができる。どんなに頑張っても、一人では一日に一個か二個のボタンを作れたら良い方である。


 でも、私たちは『分業』をしている。


 前の世界で有名な話があった。釘を作る話だ。


 一人で作業しては、釘を一日一本作ることはできない。だが、作業を単純な工程に分割し、十人で作業すれば、十人で四万八千本の釘を作ることができる。十人で作った場合、一人で四千八百もの釘を作ったことになる。


 一日に一本程度しか出来ないのと、一日に一人で四千八百も作ってしまうのと。


 しかも、単純化された作業に技術は不要だ。子供だってできてしまう。


 現にいまだって、たくさんのボタンを作っているのは、コゼットさんが拾って来た『孤児院』の多くの子供達だ。


 四千八百 対 一  


 採算のとれる値段が変わってくる。


 はっきり言って勝負にならない。四千八百倍も高いボタンなんて誰も買わない。


 分業、大量生産・大量消費の幕開けとなる知識だ。それによっていま、ボタンに関しては、この王都で、いや、この世界でだろうけど圧倒的な生産力を誇っている。


 私は、この分業という考えを誰にも伝えるつもりはない。ボタンの製造にだけ使うつもりだ。だって、この世界でそんなことを大々的に広めたら、大量の失業者が出てしまう。

 熟練の職人は、複雑な工程を一人で行っている。

 だけど、その工程を単純な要素に分解していったら、折り曲げる、嵌める、叩く、ネジを締めるという単純な、誰にでもできることになる。

 とても危険な知識だ。


「さて、売り切ったし、一旦家に帰ろうかな」


 私はついでに市場で、卵や野菜を買ってかえる。



 コゼットさんの家の近く。


 建築中の建物がある。大きな建物である。庭も広い。


 私が来る前に流行病で一家がみんな亡くなって空き家になっていた二つの家を買い取って新しい建物を建築している真っ最中だ。


 そんなお金がどこにあたったか? 


 秘密は、貝灰だ。


 貝灰を販売したのだ。


 王都から離れた東の山から採掘し、加工して運んで来た消石灰。


 石灰岩鉱山の運営費や輸送費用などが加わってか、かなり高価な品物だった。


 王都の河岸から拾って来た貝殻を自家製の炉で焼く。


 貝殻は無料だし、モルタルとしてはほとんど同じ成分である。少しだけ安い値段設定にしたら飛ぶように売れた。モルタルは建築から道路敷設など、多様な需要がある。


 ロバートが建築現場で積極的に使ってくれて、多くの大工から品質に申し分ないという認識が広まったことも大きいだろう。


 王都の川岸の貝殻を全部もらってきて、売りきった頃には、一財産が出来ていた。


 長年、王都の人たちが貝を食べ、捨ててきた貝殻。貝塚の山。その資源を全部、使い切ってしまったのだけど、ゴミを片付けてくれてありがたいと船着き場の人たちからはとても感謝された。


「ソフィー!!」


 コゼットさんの家の近くの建築現場。


 建築の指揮を執っているのは、ロバートだ。大工の次期棟りょうのロバートである。



 ロバートは、梁の上で作業中に私に気付いたのだろう。梁の上に立って私に手を振っている。


「危ないから気を付けて!」と私は叫ぶ。


 命綱など付けていないのに梁の上に立ってロバートは私に手を振る。私は心配になる。……と思ったら、スルスルと柱をつたって降りてきている。


 もう。ロバートの命は、もうロバートだけのものじゃないのに。


 私はそう愚痴る。ロバートの命の半分は、私の中に宿っている私たちの新しい命のものだ。

 


 大工の次期棟りょうのロバート。説明を少し付け加えるとするなら、ロバートは私の旦那でもある。


 私たちは結婚をした。



「ソフィー!」


 建築現場から降りて来たロバートが私を抱きしめる。


 私も、ロバートを抱きしめる。


「今日も順調?」


「はい」と私は笑顔で答える。お腹の子供も、ボタンの売れ行きも好調だ。


 だけど……


「ん? どうしたんだい?」


「市場の噂話なんだけど、自分は神の子だって名乗った男が処刑されるそうなの……」


「大丈夫だよ。僕が守る」


 ロバートはもっと強く私を抱きしめる。


 私が元聖女だと王宮に知られたら、王国は私のことを放っておかないかもしれない。殺そうとするかも知れない。もしかしたら、王宮に連れ戻されるかもしれない。そんなの絶対にいやだった。今の生活から……ロバートから引き離されるなんて想像すらしたくない。



「ソフィー。道を空けよう。兵士たちが通るようだ」



 兵士達が道を空けろと叫んでいる。


 どうやら、例の男を処刑場まで見せしめとして歩かせているようだ。処刑される男は、自らが磔となる十字架を背負っている。

 

 その処刑される男の姿を見て、私はハッとする。


 間違いない。あの人だ。私を処刑から助けてくれた声。そして、井戸でまた出会って、レベッカさんを助ける水をくれた人だ。


 背負っている十字架の重みのせいだろうか。その人は地面へと倒れ込んだ。



「助けなきゃ!」


「ダメだ! ソフィー!」


 ロバートが私の手を掴んで離さない。私を抱きしめる。


「だめだ。君を失いたくない」


 ロバートが耳元で囁く。


「あの人は、私の命を救ってくれた人なの……それに、レベッカさんも……」


「それだとしても、だめだ。兵士たちに逆らったら君も殺されてしまう」



「婦人よ。行きなさい」



 その人はそう言って、立ち上がり、また歩いていった。


 きっと、私に向かってそう言ったのだろう。 


 私は、十字架を背負いながらよろよろと歩いていくその人をただ道ばたで見送ることしかできなかった。

 

 どうして、彼は、石打ちの刑を受けて殺されるはずだった私を助けて助けたのだろうか?


 どうして、井戸でまた現れてレベッカさんを助けてくれたのだろうか? 


 私を助けた理由は、分からない。


 なにか理由があったのだろうか?


 彼はいまから処刑されるらしい。もう、理由など聞く術がない。


 だけど……『行きなさい』

 

 その言葉が、なぜか私を突き動かす。


「あのね……ロバート」


「なんだい。ソフィー」


「私、コゼットさんがやっていること。私もやろうと思うの……どうかな?」


 私を突き動かす『行きなさい』という言葉。コゼットさんがしていたこと。それはつまり、孤児院だ。

 

 私もコゼットさんの後をついで



「もちろんだ。だから、大きな家を僕だって作っているんじゃないか。コゼットさんに拾って貰えたから僕は生きているし、ソフィー。君に出会えた」


「ありがとう」


 そして、愛している。ロバート。




 ・


 ・


 ・


 

 王都では、噂が絶えない。


 噂は言う。


 王宮に住む聖女様が、ときおり王都の町に出て奇跡を行っている。


 噂は言う。


 王都から流行病が減ったのは、聖女様のお力である。


 噂は言う。


 聖女様は、身寄りのなくなった孤児を大切にされている。


 噂は言う。


 時として、王都に新しい知恵を授けてくださる。


 噂は言う。


 聖女様は、どんな病気の人間でも見捨てない。たとえ助からずとも、聖女様だけは泣いてくださる。最後まで傍にいてくださる。


 噂は言う……


 いつもその聖女様は、幸せそうだった、と。


 そして聖女様はこう言った、と。


「どんなことがあっても、立ち上がれる。きっと、あなたを支えてくれる人は、かならずあなたの傍にいる。絶対に」


 You raise me up.


 あなたを立ち上がらせ、肩を貸してくれる人は絶対にあなたの横にいる。









【後書き】


最後まで読んでくださってありがとうございました。

最後まで読んでくださる方がいて、こんなに嬉しいことはありません!


もし良かった、評価、コメント等もいただけたら嬉しいです。


もし良かったら続編も少しあるのでお付き合いください。


以下、参考文献。

・ルイス・ダートネル著、 東郷えりか訳『この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた』河出文庫、2018

・阿部 謹也『中世を旅する人びと―ヨーロッパ庶民生活点描』ちくま学芸文庫、2008

・阿部 謹也『西洋中世の男と女』ちくま学芸文庫、2007

・ヤコブス・デ・ウォラギネ著、 前田 敬作訳, 今村 孝 訳『黄金伝説 1』 人文書院、1979

・山北篤著『現代知識チートマニュアル』 モーニングスターブックス、2017

(順不同)

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