第21話 ボタンの二つの解決策と世界のボタンの掛け違い
モルタルを使っての屋根の修理も終わった。雨が降らなかったので、順調に作業できたことも大きい。野外作業は天候に左右されるのは、前の世界でもこの世界でも変わらない。
「隙間なく固まっていていい感じです。これで大きな穴は防げました。風で屋根が飛ばされることはないはずです」
コゼットさんの家の屋根の上で作業しているロバートさんが、庭にいる私たちに言う。
高所での作業は危ないということで、私やセト君は、庭でロバートさんとドットさんの作業を見守ることしかできなかった。
セト君はハンス君と、庭の石を積んで遊んでいる。どうやらセト君は弟が出来たと喜んでいるようだ。遊んでいる二人の姿は本当の兄弟のように見える。
ロバートさんとドットさんがハシゴを使って屋根から庭へと降りてきた。私は準備しておいた二人に湿らせた布を渡す。汗拭き用である。
「お疲れ様です」
「ありがとうございます」
「朝食も出来ているようです」
コゼットさんとレベッカさんが朝食を作ってくれた。
「屋根の壁の木材部分に虫食いのあとがありました。樹脂を塗りなおさなきゃならないでしょうね」
ロバートさんは大工としての見解を朝食の席で述べる。
「屋根の方は大丈夫だったのですか?」と私は質問をしてみる。
「
なるほどと思う。
前の世界の昔ながらの古い建物に、茅葺き屋根というのがあった。その建物は、竃や囲炉裏が家の中央にあり、そこで日常的に火を焚き、その煙が上に上がっていき、茅葺きを燻し、消毒、殺虫、防虫などの効果を果たしていた。
人が住まなくなり、囲炉裏の煙が上がっていかなくなると、あっという間に茅葺きの中で虫が発生したりカビたりして屋根が駄目になってしまう。茅葺きに虫が発生すると、その虫を求めて鳥も屋根をつつくし、数年で雨漏りするほど痛むこともあると古民家ツアーで聞いた記憶がある。人が住めば数十年持つけれど、住まなくなると数年で荒廃する。
煙によって害虫を防ぐ。
同じようなことがこの世界の屋根でも仕組みとしてあるのだろう。
「あぁ、それで家の竃には煙突がなかったんですね」
「その通りです。竃の煙が屋根部分にある換気窓から出て行くようになっているんです。良く気がつきましたね、ソフィーさん」
ロバートさんが褒めてくれた。
「いえ……庭の『ロバート&ソフィーの炉』には煙突があるのに、どうして家の竃にはないのかなと疑問に思っていたのです」
家の竃に煙突がなくて、料理などをしていて煙たいと感じるときもある。煙が出すぎたときは、目も染みたりする。
どうして煙突をつけて野外に煙を排出するようにしてないのだろうかと不便に思っていたけれど、煙による防虫などの対策だったようだ。
なにか役に立つような現代知識がないか、と色々と考えていると、逆にたくさんの疑問が出てきてしまう。
分からないことだらけだ。
でも、それが本当に知識を使うということなのかもしれない。
『ソフィアの板』、つまり洗濯板だって、棍棒のようなもので衣服を叩くという洗濯のしかたが非効率であるという問題点に気付けたからだ。
『ソフィアの遊戯』、オセロも、退屈を紛らわすことができるものはないか、という課題に遊戯という形で答えることができた。
『ソフィアの井戸』、釣瓶式の井戸だって、桶を投げ入れて縄を引っ張って水を汲むという作業がとても力がいるし、腰を痛めやすいという問題に気づけたからだ。
問題があり、改善点があり、必要があるからこそ、知識や技術が発達していくのだろう。
王宮で、豪華な暮らしをしながら、前の世界の知識を利用できないかと考えても、それは机上の空論でしかなかったのだろう。
しかも、この世界のことを分かっていない私が、いくら机上で考えても、有益な知識や技術を提供できるはずがなかった。
どこに問題点があるのか、改善が必要なのかを考えないまま、王宮で考えていても、それでは何も思いつかない。
現場主義であるべきということなのだろう。
いや……むしろ中途半端な知識でこの王国を振り回さなくてよかったかな。
たとえばだ。
『王族が保有する金貨と信用を背景に、兌換手形を発行して、重い金貨を持ち歩かなくてもいいようにしましょう』なんて『神託』が降った聖女であった当時の私が言えば、きっと王国はそれを実行しただろう。
そしてきっと……流通する通貨量を上手にコントロール出来ずに、王国の経済はめちゃくちゃになっていたかもしれない。ハイパーインフレとかハイパーデフレとかで、パン一個が金貨五枚分の兌換手形という事態になっていたかもしれない。
ボタンの失敗で、浅知恵では失敗する、生兵法は大怪我のもとだと今更ながら悟れた。前の世界の中央銀行総裁が一生懸命、通貨量をコントロールしても結局景気は良くならない。 優秀な経済学者など専門家がやろうとしても上手く行かないのだ。
王国の人に兌換手形なんていう神託をして、本当に実行されたら、きっと打ち出の小槌のように無尽蔵にお金が使えると思って、遠からず王国財政が破綻しだろう。
他には、運河を作って、王国の物流インフラを整備するということも思い付いた。アメリカが世界恐慌を乗り切るために実施した大規模公共事業として有名なニューディール政策と、中国の随の運河建設を組み合わせた完全なパクリである。
もし、運河を建設することになっていたら、王国をあげての大規模事業となっていただろう。だが、もし実行されていたら数十年の工事を要し、王国財政が破綻していたかもしれない。
「壁の方はしばらく手入れをしてないからねぇ。この際だから壁の手入れもやっちゃいたいねぇ」とコゼットさんが言った。
「じゃあ、今日の仕事の帰りにでも樹脂を買ってきますよ。それを壁の木材部分に塗れば、またしばらく大丈夫でしょう」
「あぁ、頼むよ」
ロバートさんドットさん、レベッカさんは仕事に出かけた。私も、庭の炉で貝灰を作りつつ、ボタンの素材の実験をする。コンクリート、つまり、モルタルは、色々な用途に使えるので、たくさんあっても困らない。むしろ、販売してもいいくらいだ。
まずは、西のスラム街の井戸の周りをモルタルで固めちゃおうということになった。
土が露出していると、やっぱり雨の時など地面が泥濘むし、当然、雨の日でも人間は水を必要とするから、井戸に水を汲みにくる。だから、井戸周辺は、人の往来が激しく、それだけ土が泥濘み滑りやすくなるのだ。
私も雨の日に、井戸の水を汲むために踏ん張ったら滑りそうになった経験がある。
それに、囲いを抜けて井戸に雨水が侵入しないように井戸壁にもモルタルを塗っちゃおうと思っている。地表から濾過されながら地中に浸透した井戸水は濾過されているけど、雨水はそうではない。井戸周辺は最近は衛生的になっているけど、他から糞尿混じりの雨水が井戸に流れ込む可能性だってある。
雨が降っても、地面がモルタルならば滑り止めにもなるし、いいことだらけだ。
モルタルは順調。
だけど、ボタンはやはり上手くいかない。情けなくて泣きたくなる。
昨晩、桶に付けておいたボタンを庭の石の上で天日干ししていたら、割れてしまっていた。濡れて乾燥すると、木目のところから、まるで割り箸のように真っ二つにボタンが割れるのだ。
ボタンの材質では行き詰まったので、ボタンの厚みを変えたり、四穴ボタンから二穴ボタンに形状を変えて作ってもらったりして、耐久性の向上を図るのだけど、駄目である。
根本的に、木材という素材に限界があるのだ。
う~ん。
プラスチックとかの素材がないとボタンは作れないのだろうか。前の世界でボタンはプラスチック製だったものなぁ。軽いし、丈夫で、水に濡れても傷まない。
この世界ではボタンはオーバーテクノロジーなのかもしれない……。
プラスチック作れないかな〜。石油製品だっけ? 石油どこにある? って石油があったとしてどうやって作る? 無理だ。
発想を逆にするのだ。
プラスチックの登場によってプラスチックに代用され使われなくなった天然素材ってなんだろう。昔は何をボタンの素材として使っていたのか。
あっ!!!!!
冬物のダッフルコートとかのボタンは動物の牙のような形をしていた。
象牙か! 象牙なら水には強そう! ピアノの鍵盤とか、そういえば麻雀パイとかも象牙で作られていたって!
って、象をこの世界で見かけたことがない。王宮にたまにサーカス団みたいなのがやってきて芸を披露していたけど、まぁ、猿とかチーターとか孔雀とかはいたけど象やキリンはいなかった。
いや、象牙とかサイの角をとるのは前の世界では禁止だった。こちらの世界でも禁止だろう。高価なものとなってしまう。ボタンの素材としては却下だ。
思いつかない。
もういいや、と私は諦める。いくら考えても思いつかないものは思いつかないのだ。
「ただいま〜」
レベッカさんが帰って来たようだ。
「お帰りなさい。お仕事お疲れ様です」
「ほらよ。これ、頼まれていたやつ」
レベッカさんは、私の手の上に金属製のものを置いた。
抜き型だ。
「ありがとうございます! これでクッキー作れます! 私、卵を買ってきますね!」
卵は高価だけど、今のコゼット家の財政状態からすると、そこまで贅沢ということではない。
「なら、これ持っていきな」
レベッカさんはそういってアサリオン硬貨を三枚ほど私に渡してくれた。
「ありがとうございます」
砂糖を買える金額ではないけれど、バターは買えそうだ。
・
私が卵とバターを買って家に戻ったときには、ドットさんも帰宅していた。
レベッカさんがクッキーを作るのみたいということで、レベッカさんと一緒にクッキーを作ることにした。ドットさんもセト君、ハンス君も興味津々に台所を覗いている。
クッキーを作ると、言っても捏ねて混ぜて、型抜きして、焼くだけだけど。材料も素朴なものだ。
小麦粉、バター、塩少々、卵。
「捏ね終わったら麺棒で適度な厚さになるまで伸ばしていきます」
「へぇ。このままパンを作るみたいに手で形を作っていかないのかい?」
「はい。それをしなくていいように、レベッカさんが作ってくれた抜き型があるんです」
レベッカさんも興味津々なようで教え甲斐があるというものだ。お菓子作りはとっても楽しい。
「では、型抜きしていきま〜す」
レベッカさんが作ってくれた星型の抜き型。それを生地に押し込み、型を抜いていく。
「え? なんだいそりゃ?」
レベッカさんは驚いている。本当に教え甲斐がある人だ。好奇心が旺盛で、リアクションがあるので、私もやる気になる。
「この方法でいいのは、こうやって切り取って余った生地をまた集めて捏ねて、また平らにすれば、材料が無駄にならないんです!」
型抜きして残った部分は、また集めて捏ねる。無駄にならない。
「あっ! レベッカさんもやってみますか?」
「あぁ。是非やらせてくれ……」
レベッカさんは、麺棒で平らにしては型抜きしながら独り言を言い始めた。
「そうだよなぁ。こんなふうに延べて薄くして、堅いもので抜き取れば、わざわざ鋳型を作ってそこに流し込むことなんてしなくていいし、削り出す手間が省けるよなぁ」
「えっとレベッカさん?」
「それに余った部分も、また炉で溶かせば無駄にならないし……一個一個を鍛造するよりも早いし確実じゃないか……どうして熱いなかでハンマーで叩いてたんだ???」
「あのレベッカさん……」
ダメだ。レベッカさんはどこかの世界にトリップしてしまったようにブツブツ独り言を言っている。
「このまま並べて焼きます〜」
だめだ……レベッカさん聞いちゃいない……。
「焼き上がりは、キツネ色になったらオッケーです」
レベッカさん聞いちゃいない……完全に放心状態だ……。
・
「樹脂を探していたら遅くなりました」
クッキーも焼き上がり、夕食も出来上がったころ、ロバートさんが帰って来た。壁修理の材料を買ってきてくれたようだ。
全員が揃った。楽しい晩餐の時だ。
今日、町であった噂話や出来事などを各々が思い付いたままに話す。たわいもない話だけど、聞いているだけで嬉しい。
ハンス君も一日、とても楽しかったようだ。セト君も、お兄さんとしての自覚があるようで、本当のお兄さんのように面倒を見ている。セト君のお兄ちゃんとしての成長。子どもの成長には驚かされる。
こんなに嬉しいことはない
「でもよ〜ソフィーはずっとため息を吐いていたぜ〜」
げっ。セト君、避けないことを言わなくていいのに……
「何か困ったことがあるのですか?」
ロバートさんが真剣な声で聞いた。
明るかった晩餐が一気に暗い雰囲気になってしまった。ロバートさんが真剣に聞くからだ。
「たいしたことではないんです……」
「深刻そうだったけどな——」
こら、セト君。余計なことを言わない!
「ソフィーさん。独りで抱えないで、話してください。僕は、幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまでソフィーさんを支えると誓ったんです」
なんかそれ、結婚式の誓いの言葉みたいだと思うのは、私の気のせいだろうか。
って、晩餐の場を沈黙が支配した。どうやらみんな、私が話し出すのを待っているらしい。
ロバートさんの眼差しが私の胸を刺す。私のことを真剣に想ってくれている。いや……ロバートさんだけじゃない。コゼットさんも、ドットさんも、レベッカさんも、セト君も……。
ハンス君だけがちょっとこの場の雰囲気にどうしていいのか分からずおろおろしている。
話すまでずっと待っているという堅い決意を感じる。せっかくの夕飯が冷めてしまうのも気にしないというような、そんな気迫を感じる。
「あの……実は……」
私は自白した。自分の無能を。
『ボタン』というものを作ろうとしてうまくいっていないこと……。水に濡れるとふやけて耐久性が保てないのだ。
そして、ボタンを売って、レベッカさんの治療代を稼ぐつもりだったこと。
でも、もう大丈夫だけど、コゼット家の家計に貢献したかったこと……。
そして……まったくお金を稼げていない私は役立たずであること……だけど、この家にずっと居たいこと。この家の住人として、みんなを助けたかったこと……。
私が元聖女であるということ以外は全部話した。
本当に情けない話だ。月にだって人が行ける、そんな世界が私の世界だ。世界は平らなお皿のようなものに乗っかっていて、そのお皿を大きな怪獣のようなカメが支えているんだって。お月様には、大っきな蟹だとか、ウサギが餅ついているとか、今時の子供でも信じないようなことを本気で信じている世界。
でも……この世界で……私は……役に立たない……。
聖女失格……そんなことはどうでもいい。王宮を追い出されてもいい……。
「だけど……温かいこのコゼットさんの家でずっと暮らしたい……でも……やっぱり私は役立たずで……この家にもいる資格のない役立たず……なんです」
「ばっかじゃないの?」
レベッカさんが叫んだ。
「言っとくけどね! アタシもロバートもドットも、普通なら死んでる病なんだよ! あたしゃともかく、ロバートやドットの病気は、罹ったら即刻、王都の外れの死の谷へと捨てに行くほどの病気なんだよ! それをあんたは治した! それに、北も東も南も、中央も、王都の中は流行病だらけ! でも、西側だけは不思議とみんな元気だよ。きっとあんたの仕業なんだろう?」
「ちっ、違います。私は単に『病原菌』の『感染経路』を防いで『予防』しただけですし、ロバートさんにいたっては『抗生物質』や『ワクチン』を作れたらそれでよかったのになにもできなかった! ドットさんだって、あきらかな『脱水症状』で、『生理食塩水』を『静脈』『注射』するのが適切な処置だって『テレビ』『ドラマ』で観たんだもん!」
「わけの分からない外国語ばっかり並べて!!! それになんだい。ボタンが割れるって! さっき私にすごいのを見せつけておいて! なんだい。さっきのクッキーとかいうのの作り方。あんたがやったように、私が錬金工房で作っている金属を叩いて延ばして、あの薄さにする。それで、あんたが言っていた『抜き型』ってやつで、あんたの言ってたのは星型だけど、丸形にして、木槌で叩けば、あんたの言っていたボタンって奴ができるでしょ。あとは、くり貫いた丸いのに、キリで穴をあければできあがりだい。金属だったら濡れても割れたりしないよ。うちの扱っている金属は、水には強いんだからね! あんた、そのことも最初から知っていたんだろう? 私を試しているつもりだったのかい?」
「レベッカや。落ち着きなさい」
コゼットさんが静かな声で言った。
「ちっ……」
舌打ちをしたあと、またレベッカさんは喋りだした。
「すまなかったね。でも、あたしの気持ちもわかっておくれよ。いままで、粘土で型を造り、そこに熱い金属を流し込み、冷やして、粘土を割って、そこから最新の注意を注意を払いながらノミで削って、そのあと細かい細工をしていた。私が五年かかって習得した技を、子供でもできちゃうようなことだって見せつけたんだからね」
私はそんなつもりではなかった。ただ、クッキーの型を抜いただけだ。レベッカさんを馬鹿になどするつもりではなかった。一緒に、美味しいクッキーが焼けたらと想っただけだ。
「そんなつもりじゃなかったんです。ごめんなさい」
私には謝ることしかできない。
「あんたに悪気がないのは、そのクッキーを楽しそうに作っている姿を見てれば分かるよ。すまないね。私もカッとなっちまった。私だって、金属ギルドの一員っていう矜持があるからね。プライドがズタズタだ。だがね、言っておくよ。あんたの言ってるそのボタンってやつ、そのクッキーの生地の型抜き? って方法で作れるよ。簡単に。そうだねぇ〜この方法は、『ソフィーの金属加工』とでもいうのかね。たくさん、そのボタンってのを造ってあげるよ」
レベッカさんはさきほどとは違って上機嫌だ。さっきまでのレベッカさんは恐かった。職人気質なのだろうか。
それに……みんな私が『異常』だってことに気付いているのだろうか。ロバートさんやドットさんの病気は、治らない病気じゃない。だけど……
「私からも良いですか?……」
ロバートさんがぽつりと言った。
「ソフィーさんが、実は、ボタンが割れてしまうということに悩んでいたのには少し前から気付いていました。気付きながら私は観て見ぬ振りをしていました。まずは、それを謝罪させてください」
ロバートさんが深々と私に頭を下げた。
「あ、頭を上げてください」
「あなたが許してくれるまで頭をあげません」
「許してます! というか、なにも分かっていません!」
私は溜まらず言った。
「ありがとうございます。それで……これをみてください」
ロバートさんは、桶の中から琥珀色の固まりを取り出し、机に置いた。壁の修理に使うと言って買ってきた材料であろう。
「これは、木の樹脂。松脂が固まったものです」
「そ、そうなんですか?」
私はロバートさんの言わんとしていることが分からない。ロバートさんはただ、真剣に私の目を見ている。
「実は、家の壁の木材が痛んでいるというのはただの口実です。これを温めて溶かすと、液体になり、それを塗ってまた置いておくと、防虫の効果だけでなく、撥水性があります。ソフィーさん。ボタンにこの松脂を二度塗りしておけば、洗濯程度で濡れても、中の木が濡れて割れたりすることはありません。樹脂を塗るんです。この色が気にくわなかったら、黒色の樹脂だってあります。漆と言って、人によっては手が痒くなりますが、水に対して強いんです」
漆……漆器……そうか。どうして思いつかなかったんだろう。味噌汁茶碗は木製の食器だ。いつも洗われる。毎日水洗いされているが長持ちする。味噌汁……前の世界で、いつもお気に入りの漆塗りの碗で飲んでいた……。
「私って馬鹿ですね……」
私はとことんダメである。どうして、私、こんな簡単なことが思い付かない……。
木材がそのままだと、木材が吸収してふやけたりして強度が著しく落ちる。
塗料を塗ってコーティングすれば良かったのか。
前の世界で、夏の日差しで焼けないように、UVカットの日焼け止めを塗っていた。それと同じだ。床にワックスぬって傷や痛みから防いだり、スキーやサーフィンで雪や波と滑りやすいようにワックス塗るのと同じだ。
味噌茶碗だって、漆が塗ってあるじゃないか。
自分の応用力のなさに愕然とする。
まさか、前の世界で毎日朝飲んでいた味噌汁の食器にヒントがあったなんて……。
「馬鹿ですよ……」
ロバートさんが言った。そして続けて言う。
「だって、ソフィーさんには、僕たちがいるのに、独りで抱え込もうとする。僕たちは独りではなにもできないし、生きてさえいけないんです。たとえ……それが聖女のソフィア様であったとしても……独りでは生きていけないんです」
私は、ドキリとする。もしかしたら、もうみんなとっくに気付いているのかも知れない。
「でも、あなたはソフィーさんで、このコゼット長屋の仲間じゃないですか」
「はい……そうです……ごめんなさい……でも……ありがとう……私……
「もちろんだね、そりゃー」
コゼットさんがそう言った。
「その代わり、サボるなよー」
セト君が言った。
「おうよ」
ドットさんが言った。
「当たり前だね」
レベッカさんが言った。
「だって、僕の妻じゃないですか」
ロバートさんが言った。
「ロバートさん、それにはまだ心の準備が……」
ロバートさんの言葉にだけ、ちょっと保留をさせてもらった。だけど、私の感情と、そして涙には保留はきかなかったのだ。
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