さよなら映画たち

たくさんの映画や音楽とサヨナラした。


母が亡くなり、実家を取り壊すので、荷物の整理をしていたところ、納戸から300本近いビデオテープと、大切にしてきた気に入った沢山の小説と、山のような音楽のカセットテープ、そして自分の書いたお蔵入りの原稿たちが出てきた。


これらを置ける場所は自分の家にはないし、せいぜい100冊程度の本と、自分の原稿を残して、あとは燃やせないゴミとして処分するしかなかった。


ビデオテープも音楽のカセットテープも、そもそもデッキがないから見られないし、持って帰ろうにも置き場所がないというのはどうにもならないことなのだ。


名作、名曲が山ほどあった。

しかもビデオテープに関しては買ったものではない。全て自分がテレビの主に深夜放送やNHKの月一回の名作劇場など、ノーカット字幕スーパーのをなるべく選んでコツコツと録画したものだ。

フェリーニ、ビスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニなどの傑作はもちろん、黒澤明、小津安二郎、溝口健二、衣笠貞之助、ゴダール、ルイ・マル、トリュフォー、ルルーシュ、もう数え上げれば何十人という映像作家たちの傑作を、私はゴミ袋に入れて捨てた。

カセットの保存状態は悪くないから、デッキを買えば見られるだろう。

しかし私は、捨てることを選んだ。

理由はもうひとつ、もう古い、ということだ。


最近の私の内には少し辛い考えがある。

それらの名作は確かに私という人間を育んでくれたが、もう、誰からも必要とされていないのだ。今という時代には、今の価値観がある。ある程度はそれに乗っかり、勉強し、身につけなければ、社会から取り残されてしまう。

いつかまた、私が特に好きなたとえばタルコフスキーが、あるいはアラン・レネが時代に必要とされる時がくるだろうか、といえば、それはノーだと思う。

一部の人に語り継がれることはあっても、時の価値観を左右するほどにもてはやされることはないだろう。

彼らの時代は終わったのだ。

確実に時代は変わったのだ。

そう考えた。

私はそれらをいくつもの緑色の大きなビニール袋に詰め込んで、実家の入り口に置いた。朝の8時20分。

それからさらに荷物整理を続け、昼前に外に出てみると、もう袋はなかった。

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夕暮れ時の幻想。過ぎた日々の夢。 レネ @asamurakamei

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