エリクの絹姫

佑佳

エリクの絹姫

 シルキーをご存知だろうか。


 旧い家にひっそりと現れる亡霊のような妖精のようなモンスターのようなモノらしいのだが、なんでも家事を家主に見つからないようにこなしてくれるそうで。

 代々受け継がれたふるいお屋敷に棲み憑いている女性の念やら何やらが、『シルキー』となって家を内側からお護りしてくれるんだとか。

 ただ、シルキーを見た者は居ないようで。

 だから『亡霊』だなんて噂が立つんだなと、俺は伸びてきた黒い顎ヒゲをジャリ、と触って口角を上げた。

「そんな都合のいい妖精さまに、是非ともお目にかかりたいもんだァねぇ」

 村の酒場で今日も煙をたのしみながら、出された酒で身体を潤す。三年物のこの果実酒は近年の中の物と比べれば、まあまあの出来だと個人評。

「へぇ。アンノウン・クエスタント探究者のエリクにも、知らないアンノウンがまだいるわけですか」

アンノウン未知だからクエスト探究すんだよ、オヤジ」

 片目を瞑り、カウンター越しの店主へそうしてケラケラと笑った。

「本業の歴史学者ヒストリアンやってるとさァ、いろーんな種族のことも目につくわけよ。何だと思って調べンだがどれも文献は無いとくる。だから俺が作ってんのね」

 そろそろ吸ってくれと言わんばかりに、葉巻が煙を細く上げている。しゃあねぇな、と咥えて一吸い。

「どこ行ったら会えるかなー、シルキー」

 ふぉわあ、と煙を鼻から口から滲み出す。

「シルキーは旧家に棲み憑いてるらしいからなぁ。由緒あるお屋敷とか、セラピス首都市の王族なんかはもしかしたら『飼ってる』かもわからんよ」

「おいおい、ペットじゃねんだよ。飼ってるなんて言ってやるなよ」

「はっは、すまん」

 店主とそんな会話をして、徐々に目がとろんとなったところで、葉巻の火を灰皿にグリグリと押し付けて消した。酒にいたっては、残りをぐいっと一気に食道の奥へ流し込む。

「あんがとな、オヤジ。情報料も込みで置いてくぜ」

「へえへえ、ありがてぇ。気ィ付けて帰れ、エリク」

「あいよォ。またなァー」

 へらりへらり、背中で手を降り酒場を出る。

「んーっ、だあー。さてと。資料まとめすっか」

 上へひと伸びしつつ、酔い醒ましの夜の空気をいっぱいに吸う。

 今日は風の無い静かな夜だ。頭上の満点の星空は、酔いの回った『燻銀いぶしぎん』の身体にはちぃとばかし眩しい。

 自宅までは散歩と言えるような近い距離。酒場の店主から仕入れたシルキーに関する情報を脳内で順に整理しながら、ヘタクソな鼻歌を星空へ向ける。

 家事手伝いをひととおり『やってくれる』というシルキー。なぜ誰も見たことがないんだろうか。なぜ誰も見たことがないのに『家事手伝いをひととおりやってくれる』とわかるんだろうか。

 簡単な物事ほど、謎であることが多いと俺は思う。それを明かして文献にして、後世に遺しつつ、種族の存在を知ってほしいってのが俺の願い。まぁ、こんな種族だからこうしてくれよなっていう、取り扱い説明書みたいなもんを発行するのが俺の仕事ってわけだ。

「たっだいまー」

 誰もいない自宅。その石製扉を引き開ける。この家は、正直一人きりでは広すぎる。

 俺には、かつて結婚を約束していた女がいた。だけどいろいろあって、結局結婚はできなかった。ここは彼女と暮らすはずの家だったんだ。

 ……ハハ、オジサンのセンチメンタル話なんて誰も得しねぇわ、やめやめっと。

 ひとまず入口側の蝋立てに灯を点ける。別に魔法でほんわり灯したっていいんだが、俺は『火』の灯が好きなんでね。

 家の各所を灯していきながら、茶でも飲むかと湯を沸かすことにした。

「あれ、なんだこれ」

 火元にあったのは、既に沸かされてあった湯。愛用の片手鍋なんだが、まだ鍋底から空気の丸い小粒がチチチチと音を立てている。

 沸かしたてだ。

「どうして……」

 はぁーん、盗人だな。俺は瞬時に覚る。

 ハッハー、上等じゃねぇの。こんなカビクセェ家に盗みに入るってことは、金品目的じゃあねぇな。なんだ? 俺の命か? 盗ったって誰も得しねぇぞ?

 俺は右手で顎ヒゲを二度ジャリ、ジャリ、と触って口角を上げた。

「…………」

 じゃあおかしいだろう。

 なぜ盗みに入った家で湯を沸かすんだろうか。

 そもそもどこも荒らされたようには見えなかったし、ドアにも鍵がかけてあった。窓だって無事だ、外の風や物音が過敏に入ってきていないから簡単にわかる。

 逡巡の末、しかし酒も入っていることもあって正しい判断に至らない。上げていた口角がゆっくりと下がる。

 これが本物のシルキーの仕業だったら、願ったり叶ったりなんだがなァ。まぁ、ねぇとは思うがよ。

「──おい、出てこい。シルキーなら許してやる」

 そんな冗談を言いながら声色を真剣に振り返り、カサカサの唇をひと舐めする。ついでに書きかけの資料がやられてなきゃいいんだがな、と呼んでいない来訪者の所業に心配の目を向けた。

「どぉわっ!」

 振り返った先に見えたものに、変な声を上げて驚き、思わず仰け反った。

「あの……初めて呼んでいただいたので、つい」

 蒼白い肌、美しさを欠いたブロンドの長髪、薄汚れているが柔らかそうな白のブラウスに灰色のメイド用ドレスを纏う女が立っていた。顎を引き、両手を胸元に納めこちゃこちゃと指先が忙しない。

 彼女は人間じゃないとすぐにわかった。なぜか。それは、彼女が全体的に少し透けているからに他ならない。

 ひとつ咳払いをして、俺は落ち着こうとやや焦り気味に口を動かす。

「呼んでいただいたって、一体誰に」

「ご主人に、です、もちろん」

「ご、ご主人?」

「ええ、その……あ、あなた様に、です。ご主人」

「は?」

 お世辞にも綺麗とは言い難い前髪の隙間から、そろりと深い青に色付けられた眼球が覗く。驚いたことに、その瞳だけは極上に美しい。宝石の類いに例えることを憚られてしまうくらいだ。

 つい生唾を呑んじまったら、オジサンだから変なとこに入っちまって激しくむせた。

「ガハガハっ、ガハ、ゴハァ! ……ハァー、んぐ」

「大丈夫ですか、ご主人?」

「ご主人ご主人ってな、ゲホっゲホっ、ハァー。俺はキミのこと、知らないけど?」

「シルキーと、お呼びでは? 出てこいと仰いましたよね、ええ」

 口元にあてがった掌をそっと退ける。

「えーっと、『あの』シルキーなの? キミ。マジで」

「ええ、まぁ」

 あっさりと肯定してくれる。なんだこれ、どういうこと? まだニングル森小人に出会ったって方が驚きは少ない。

 シルキーだと名乗る彼女は俯きがちに、透けるような声色で説明を始めた。

「その……実はわたくし、あんまり自ら明かしてはならないんですけど、その、あの」

 蒼白い頬に少しだけ『血を通わせたかのように』ポッと赤くなる。

 へぇ、可愛らしいとこのある亡霊妖精だな。

「な、長らく、あなた様にお仕えしておりました、実は、です。このお屋敷の家政婦として、密やかに、はい」

「家政婦」

「ええ」

「あのー……あのな、ここ全然『由緒正しきお屋敷』でも『代々受け継がれる旧家』でもねぇよ? いいの?」

「はい」

 やっぱりあっさり肯定してくれる。うーん、じっくり話が聞きたいところだが。

「それにしても。よくお気付きになりましたね? わたくし、バレるかバレないかのギリギリで、その、家政婦業務をこなしておりましたのに、はい」

「んー、まぁ」

 そういうことにしておこうかな、と俺は苦笑いで耳の後ろを掻く。まさか盗人をわざと『シルキーアンノウン』扱いしたとは言えたもんじゃない。

「もちろんご主人が大切になさっている資料には、一度も触れておりません。わたくしは、その辺りを弁えることもおつとめのひとつですので、ええ」

「ふぅん」

 顎ヒゲをジャリ、と触ってそのまま口元を覆う。シルキーの上から下へ、下から上へと眺めてみる。

 少ーし透けてるなぁ、と改めて彼女に対して思う。一体物はどこまで掴めるのだろうか。

「どうしてお湯沸かしてたの?」

「はい。それは、ご主人がお酒を嗜まれた後はいつも、温かいお茶を召し上がるから、です」

「俺のお茶淹れようとしててくれたってこと?」

「もっ、申し上げましたとおり、長くご主人にお仕えしておりましたので、あの、お好みとかルーティーンとか、きちんと覚えているのです、ええ」

 シルキーはさっき赤くなった範囲をやや広めた。俯きも過度になってきた。

 へぇ、照れてる照れてる、結構可愛らしい女の子なんだねぇ。

「そっか……はぁーん? 長ーく家を空けた後なのに空にしたはずの保温器に水が入ってたり、それがしかも温かくて新鮮だったのは、全部キミの仕業だった、ってことか。な、る、ほ、どォ」

 くるり半身を翻し、俺はテーブル黒いの上の小さな保温ケトルを眺める。

「あっ、ねぇキミがこの家で他にやってたこと教えてよ」

「他にやっていたこと、ですか?」

「『家政婦』がどこまで俺のために家事代行をしてたのか知りたいなァ。言われてみりゃ、俺が一人でやったにしちゃ確かにいろいろと行き届きすぎてる」

 顎ヒゲをジャリ、ジャリと触りながら口角を上げ、シルキーをゆっくりと一周する。

「中でも掃除が一番顕著だよね。本来、埃がもっと積もってたっていいのに、俺の集めた書籍とか資料の上にはいつまで経っても埃が積もらん」

 シルキーが現れるまでは微塵も気が付かなかった、ってのは伏せておこう。

「俺は、掃除は人並みにはやってる方だと思ってるけど、長く置きっぱなしにした物の上だとか、空の花瓶の中だとか、出窓の手摺なんかは一度だって掃除したことない。それらがいつまで経っても不自然に綺麗を保ってる」

 そうして俺はシルキーの目の前に戻ってきた。

「こういうのを手入れしてくれてたのが、キミってわけ?」

 真正面から問いかけると、シルキーは相変わらず指先をもちゃもちゃさせながら、小さくカクカクと頷いた。

 そうかそうか、彼女のお陰だったわけねと、確信を得た俺は目尻をくしゃりとした。

「ご、ご迷惑でしたらっ、わたくしはもういたしませんっ」

「ふふ、別にいンだよ」

 俺はそっと右掌を彼女の頭の上にかざす。

「あんがとなァ。俺ホントは掃除すんげぇ苦手でよォ、テキパキやってくれるが居るってわかってすげぇ嬉しいよ」

 娘ほど歳が離れてるような身なりだもんで、つい撫でてやろうと思って伸ばした手は、しかし空を掻いた。シュワン、というまるで霧を撫でたような手触りだけが掌にじとっと残る。

「あ、ん?」

「ごっ、ご主人、すみません。わたくし、霊体のようなものなので、その、生体アライブでは触れられません、はい」

 ワキワキ、と右手を握ったり開けたりして、オジサンの気恥ずかしさをやり過ごす。咳払いをして誤魔化して、「そ、そうだよなァ、すまん」と明るく努めた。

「ご主人の、そのお優しさ、その、とてもとても嬉しいですので、感謝申し上げます、ええ」

「そ、そう?」

 シルキーは「ええ!」とようやくほんのり微笑んだ。

「あ……」

 その笑顔が、結婚しようと思っていた彼女にそっくりなことにやっと気が付いた。つい俺は呼吸を止めて、高速で記憶を辿る。

 くすんだブロンドの長い髪をいつも綺麗にとかして、高い位置で結い上げていたっけな。深い青色の大きな瞳はいつだって希望に満ち溢れていた。その瞳の色に合わせて、結わえた髪に大きなリボンを付けていたっけ。

 俺をいつも励ましてくれて、支えてくれて、暖かく包んでくれて──。

 このシルキーは、死に別れた彼女の成り代わりかもしれない。死んでもなお、俺の世話を焼こうとしてるって?

「……バカなオッサンになったもんだな、俺は」

 嘲笑を漏らして目を閉じる。シルキーは心配そうに「あの、あの」と俺を覗くが、その瞳は見れば見るほど生前の彼女にとても似ている気がしてきた。

「ご主人? あの、その、いかがされました?」

「んーん。なんでもない、すまんね」

 俺は眉を下げて首を振った。

「ね、キミが居てくれれば俺はとっても助かるってわかった。今まで俺が仕事に打ち込めんのはある意味キミの家事をこなす気持ちのお陰ってワケ。だからさ──」

 俺はシルキーの顔をグッと覗き込んだ。とても近い距離。シルキーはまた赤くなる。こんなオッサンでも顔を赤くしてくれるのは、正直気恥ずかしいけどね。

 ふふふ、耐性無いところをこうして見るのは、幼かった頃の彼女を見ているみたいだ。心に懐かしい想いが点灯する。

「出来れば気の済むまで、ここで今までどおり家政婦さんをやってくれねぇかなァ。本当に今までどおりでいいんだよ、気付くか気付かねぇかくらいでいい」

「今まで、どおり」

「そ、今までどおり」

 俺はそうしてニーッと笑う。シルキーはきょとんとしている。

「キミがもし、このボロい石の家に見切り付けちまったら……うーん、オジサンとしては悲しいけど、我慢してキミが旅立つのを応援するかなぁ」

「あの、ご主人? わたくしは『ご主人の身の回りをやらせていただけなければ』消えてしまうのです、はい」

「え、シルキーってそういう種族なの?」

「ええ」

「建物に棲み憑いてるって話を聞いたんだけど」

「ちょっと、きっと違うのでしょうね、はい」

 肩の辺りをガシッと掴もうと腕が延びたが、シュワンシュワンと空を掻き拳に変わる。ええいお構いなしだ。そのまま「シルキーの肩を掴んだ」と俺が認識しとけばいンだよ。

「ね、よかったら資料作成の仕事も手伝ってくんない? キミが居てくれたことを、書き留めておきたくなった」

 シルキーは前髪の間から真ん丸の瞳を覗かせて、口をきゅっと小さく噤んだ。

「キミが嫌じゃなかったら、それも手伝ってくれる?」

 そっと訊ねてみる。口角は上がっているものの、眼を真剣なものに切り替える。

 シルキーはゆらりゆらりと灰色のドレスを揺らめかせて、胸元でこちゃこちゃしていた指先で顔を覆った。

「あのっあの、それが家政婦のおつとめのひとつとご主人が認定されたのであれば、そのっ、協力させていただきたく、はい」

「フッ、んじゃ決まりってことで」

 細く小さく早口でそう答えたシルキー。やっぱり可愛らしいところがあるだなぁと微笑ましく思う。人間だろうと妖精だろうと、こうしてれば本当に関係ないんだ。マジでね。

「今までずゥーっとありがとな。この瞬間から改めて、こんなオジサンをよろしくなァ、シルキー」

「は、はいっ、ご主人!」

 シルキーにはもう少し多く微笑んでもらおうかな、なァんて。

 年甲斐もねぇことを思っちまう、オジサンの話。




  おわり



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