第12話 無垢・1

 隣では酔いつぶれたブラドが気持ちよさそうに眠っている。ポルトたちが共にいる安心感からか、随分大量のアルコールを摂取したようだ。眠るから後はよろしくと言い置いてパタリと横になり、そのまますぐに動かなくなった。だが酔いつぶれていても野生の生き物らしくその眠りはほぼ無音だ。しんと静まり返った樹上の寝床には、宴のあとのもの寂しさが漂っている。

 そんな中、ポルトは皆が食い散らかした後片付けをしていた。特に指示は受けていないが、おそらくそこらの葉っぱで急ごしらえしたような皿は使い捨てであり、わざわざ木を彫って作った器や匙などは洗って持ち歩くのだろうと思われる。とりあえずそのそれらの選別をしながら、この先どうしていこうかなどとぼんやりと考えていた。


 まだ日は落ちきっていないが、少しずつ森の中の明度が下がっているような頃だった。


 木の下ではラバスが夜に備えて火を焚き始め、レダは木を飛び降りたり登ったりを繰り返して飛行のためのリハビリを行っている。

 羽ばたきながらの滑空を三度繰り返したそのときだった。不意に羽ばたきを止めたレダがギャギャッと普段あまり上げないような声を上げ、そのまま墜落する勢いで地面に落下した。

「どうしたの、レダ。大丈夫?」

 ポルトは寝床から顔を出し下を覗き見る。

「ポルト、大変だ。地竜が近くにいる」

 ラバスが下から声を張り上げた。レダは飛行に失敗して落ちたわけではなく、いち早くその鋭い感覚で危険を察知したのだ。慌てた瞬間に体がうまくうごかせなくなったのか、それを素早くラバスに伝えるためにあえて落下したのかはわからないが。

 ラバスは感覚を研ぎ澄ますように、虚空をにらみつけながらその場でじっと動かない。レダだけが慌てて木をよじ登ってきていた。

「確かにいる。あっちだ」

 ラバスは少し森の開けた南の方を指差した。

「まずいな、こっちに向かっている」

 ラバスは近くに置いてあった槍を手に取った。いざという時には戦うつもりなのだろう。

「ポルトはそこで身を隠してて」

 そう言われたけれど、小さな体で木をよじ登ってくるレダが心配で、下に向かって手を伸ばした。

「レダ、早く!」

 ポルトの声に返事をするようにレダが鳴き声をあげる。いいからお前は早く隠れろと、きっとそんなことを叫んでいるのだろうけれど、聞き取れないから無視だ。


 背後でブラドも体を起こした気配がする。酔いつぶれて眠っていたって身の危険は察知できるものらしい。アルコールの影響などどこにも感じさせない動きで武器を手に取り向かい来る危険に備える。

「まっすぐここに向かってくるじゃねえか。俺の寝床を荒らそうってのはどこのどいつだ?」

 これまでに聞いたことのない、殺意のこもった低い声だった。背中に走った悪寒に、反射的に振り返ると、ブラドは小さな短剣を両手に構えている。そういう戦闘スタイルらしい。爪や牙で戦っていた地竜だった頃と一番似た感覚で戦えるのかもしれない。


 手の届くところまで上がってきたレダをつかんで引き上げた時には、ポルトの耳にももう向かい来る地竜の足音が聞こえるほどになっていた。

「戦力にならないやつはおとなしく下がってろ」

 ブラドの強い言葉にポルトは身を竦めながら大きな幹に寄り添うようにして息を殺した。そんなポルトの前に立ちはだかるようにレダは小さな体で戦闘態勢を取る。


 大きく辺りの木を揺らし地竜がその姿を晒す。深緑色のザラッとしたその体は、樹上に作られたこの寝床よりも少し背が高いぐらいのサイズだ。突っ込んでこられたら寝床ごと壊されてしまうに違いない。

 初めから狙っていたかのように真っ直ぐにこちらに向かってくる地竜を、ポルトはただ見つめることしかできなかった。


 ブラドが床を蹴り、脅威の身体能力で中空へと大きく飛び出す。双剣を振りかざし、落下の勢いも乗せて地竜に飛びかかる。

 その刃が深緑色の硬い皮膚を切り裂く寸前のことだった。


「待ってくれ!攻撃するな!俺の体だ!」


 木の下からラバスが声を張り上げた。


「はあ!?」


 ブラドは強引に体を翻し、すんでのところで地竜を避けて地面へと飛び降りる。


「あれが探してた俺の体だ。殺してはだめだ」

「だけど中身は知れない。どうすんだ」

「多少はいい。けど致命傷は困る」

「手加減なんてしてる場合かよ」


 ブラドの動きに驚いたのか、地竜は直前で足を止めていた。激突して全て破壊されるという脅威からはひとまず脱したようだ。

 だが、地上の二人の戦士が手短に言葉を交わす間に首をにゅっとこちらに伸ばし、大きな口を開けて迫ってくる。深緑色の大きな顔がポルトの目の前に迫り、レダがその顔に飛びかかる。けれど小さなレダの爪など何のダメージにもならないようだ。勢いは止まらず、鋭い牙が並ぶ大きな口が近づく。


(食われるっ!)


 戦う術もなく逃げる余裕もなく、ポルトはただ身をかがめて目を瞑る。

 ほどなく全身を生暖かくざらついた感触が包み込むように覆い、しかし痛みはなく、ポルトの皮膚の上をなぞるようにたどって、やがて生暖かいものは去っていく。どろりとポルトの体は濡れていた。ただそれだけだった。想像していた食われるという事態は起きていない。

 目を開けると、寝床に顎を乗せた状態の大きな顔がくりくりと黒い目をこちらに向けてじっと見つめていた。


(舐められた、のか…?)


 一直線にポルトに寄ってきた地竜は、大きな舌でポルトをひと舐めし、大人しくこちらを見て座っている。

 この感じに、ポルトはなんとなく覚えがあった。


「大丈夫だからみんな攻撃しないで」


 ポルトは木の下で武器を構えている二人にも聞こえるように叫ぶ。そして立ち上がり、地竜に近寄った。


「もしかして、君、オージかい?」


 そっと頬に手を触れると、地竜はぐるぐると喉を鳴らした。それは天竜の体であった時にもよくやっていた喜びの表現だった。


 

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デルタ 月之 雫 @tsukinosizuku

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