第11話 鍵・3
「さて、次は俺が話す番かな」
ポルトたちの話に満足したのか、ブラドはトントンと自分の膝を叩き、何が聞きたいのかと促した。
「ラバスの体について知っていることを」
「ふむ… それについて俺が知っていることは少ないよ」
ブラドは木の実で作ったおつまみ をひょいと口に放り込み、記憶を探るように少し思案する。
「俺があの時、旅を急ぐふりをしてすぐにここを離れたのは、ひょっとしてどこかにその体があるかもしれないと思ったからだ。聞いた話から、あるとすればすぐ近くだと思ったからね」
さらりと何の悪気もなくそう話すブラドのその態度にポルトは少しぞっとした。あんなに友好的な雰囲気だったのに、心の中ではあいつの体を探して奪ってやろうなどと考えていたのだ。ラバスが口にしてもあまりピンとこなかった地竜独特の情が薄い部分というものを初めて肌で感じた気がした。
確かにラバスは特殊なのだ。人間に憧れるあまり本質的に人間寄りになっているのかもしれない。ラバスと接していても感じたことのない、恐怖と嫌悪が入り混じったような感情がポルトの中にうっすらと芽生えた。
それでも、ブラドの態度はどこまでも友好的で、憎めないキャラクターなのだ。決して嫌いではない。けれど警戒を怠ってはいけない、そんな気がする。
人間であるこの人の生活はもしかしたら全てが演技なのかもしれない。人間でもない彼の本心はポルトにはきっと想像できないのだ。きっとその差異はラバスの時とは比べ物にならない。見た目の人間らしさに惑わされてはいけない。
「まあ、天竜に食われてる可能性の方が高いだろうなとは思ってたんだけど、捜索範囲はそんなに広くなくてもいいし、森の中だからうまく隠れられる可能性もなくはないと思ってね。探す価値はあると判断したんだ。案の定すぐに発見できたよ。何しろ別段隠れるわけでもなくそこに転がっていたんだからね。傷ひとつないのには心底驚いたよ」
ブラドは当時の胸躍る気分を反芻するように少し興奮しながら嬉しそうに語る。本人に向けて話す態度としてはかなりの違和感を感じるが、ラバスは別段気にする様子もなさそうだ。地竜同士の会話というのはこんな感じが普通なのだろうか。思いやりというものがかけらも感じられない。
「君たち知っているかい?体に戻るには期限がある。だってそうだろう、放置された体がいつまでも朽ちもせず存在し続けると思うかい?厳密に言えば死体とは若干違う状態のようだが、それでももって1週間から10日程度だ。生命活動のなされない体は当然腐敗していく。だから俺は君らには内緒で出来る限り急いだんだ」
その言葉にポルトは息を飲んだ。無表情だったラバスも僅かに顔色を変えた。言われてみればその通りだ。
ブラドと出会った時点ですでに3日ほど経過していたはずだ。そしてポルトたちがエラルドの町についた辺りで10日ほど経過している。ということは、現在ではとうに期限を超えてしまっていることになる。既に朽ちてしまったのだろうか。いやしかしあの場はあまりにもきれいすぎた。腐敗が始まっていたとしても、数日で跡形も無くなってしまうようなことはないはずだ。
「俺が見つけた時には本当にきれいな体だった。すぐさま自分のものにしようとしたよ。いつ
酒の影響もあるのか随分と調子よく饒舌になってきたブラドは研究結果を発表するように少し誇らしげに自分の考えた説を唱える。人間としては嫌悪感も伴う話であるが、それは貴重な彼の体験した事実でもある。数少ない情報の一つとして記憶にとどめておくべきものだ。
それはきっと、ラバスの魂をレダの体から抜くときも同じだと思うのだ。肉体の死か魂の消滅しか選択肢がないのであれば、希望を叶えることは極めて不可能に近いということになる。けれどまだ絶望はしない。それはあくまで一例に過ぎないのだ。それ以外の選択肢がないとは限らない。
「それで、ラバスの体をどうしたの?」
「どうもしないさ。本当はどこか別の場所に隠したかったけど、この体では無理だろう」
「じゃあ一体どこに…?」
「俺もそれを聞こうと思ってここで君たちを待ってみたんだよ。何も知らないとわかって俺だって困惑してる。言ったろ?俺にわかることは少ないって」
ラバスの体に入ることができないとわかったブラドは、その後すぐにエラルドの町に向かったと言う。あの町にここらで一番大きな図書館があると知っていたからだ。何でもいい、何かしらの情報やヒントになることがあるかもしれないと考えたのだ。そこでポルトが読んだあの本を読み聞かせてもらい、急ぎ戻った時にはきれいさっぱりラバスの体は消えてなくなっていたのだそうだ。つまり状況はポルトたちと同じである。その行先に心当たりはない。
「俺が移動していた5、6日の間に、その体に入る方法を知っている第三者が奪っていったとしか思えない」
「そんな奇跡みたいな偶然が重なることがあると思う?」
「可能性は限りなく低いけどゼロではないだろう?期限を過ぎたら忽然と消えてしまう、なんていうよりかは現実的だ」
三人は押し黙り、誰からともなくため息をついた。互いの話を突き合わせても、得るものはこれといってなかったのだ。ただラバスの体が消えたという現実と、その謎だけが残った。
「わからんものはしょうがない」
ブラドは器に酒を継ぎ足して勢いよく呷った。やけ酒というやつだろうか。話しながら既に結構な量を摂取しているが、さほど酔っ払った様子はないので、頭を働かせるためにこれでもセーブしていたのかもしれない。もうその必要はないとばかりに、所持する全てを飲み干すぐらいにガブガブといき始める。
「ラバスもお酒は強かったりするの?」
地竜の体質的なものかと思って隣のラバスを見やるが、ラバスは静かに首を横に振った。
「酒は自然界にはないから飲んだことがない」
「そりゃそうだ。俺もこの体になって初めて飲んだよ。人間が作るものでこれがいちばんの傑作だと俺は思うね」
お前も飲んでみるかとブラドが酒を差し出すが、ラバスは右手でそれを制して断る。
「この体はまだ子供だ。レダの成長に何か支障が出てはいけない」
「はあ、つまらん男だね」
ブラドは蔑むような目でラバスを見たが、ポルトは嬉しかった。レダの体に入っているのがラバスでよかった。ラバスはレダの体をいちばんに大切にしてくれる。おそらく他の地竜が持ち得ない、他人を思いやる気持ちというものをラバスは持っている。そうありたいという信念がある。自分本位を当然としか思わないブラドを見ているとより深く実感する。
「僕は諦めないよ。それでもどこかにラバスの体はある」
「中に入ってるだろう何者かをどこかへ追いやってか?」
「それは!……見つけてから考えるよ」
「行き当たりばったりでは野垂れ死ぬぞ」
「臨機応変っていうんだよ。どのみちもともと明確な目的がある旅でもないんだ。僕は生きるし探し続ける」
膝の上にレダを抱え上げ、両手でぎゅっと抱きしめた。
それはただの強がりかもしれない。
目の前の
自分を奮い立たせるためにそう言った。望みは口にする方が叶う。そう教えてくれたのはレダだ。いつでも有言実行な強さを持った友だ。
「好きにすればいいさ。俺は非現実的なことは考えない主義だが、他人にもそれを強要する趣味はないよ」
自分に影響がなければ他人のことなどどうでもいい、それが地竜だ。彼は多分非常にスタンダードな地竜なのだ。それは責められることではない。
「俺は平和主義なんだ。君たちが有益な情報を持っていなくとも争うつもりはないから安心して。しっかり食べてしっかり休むといい。そうだなあ、君が納得できるように言えば、これは暇つぶしだよ。俺が楽しけりゃそれでいいのさ」
ポルトの視線に少し不穏なものを感じたのか、ブラドはそう言って小さく肩を竦めた。
ブラドのその言葉には嘘はない気がした。戻れるならば地竜の体に戻りたいし、そのチャンスがあるならば全力で臨むけれど、そのためだけに躍起になって生きているわけではなさそうなのだ。大部分諦めているというのもあるのかもしれない。人間としての生き方をわりと楽しんでいるようにも見えるし、興味を引くものがあれば飛びつく性格のようだ。熱し易く冷め易い、そんな人となりがこれまでの会話から感じられた。好戦的ではないというのもわかる。もし彼が好戦的な地竜であったなら、こんな風に人の世に溶け込むなどという選択はしなかったはずだ。
「僕たちと喋るのは楽しい?体が手に入らなかったとしても?」
「ああ、まあ体は手に入ればラッキーだとは今でも思ってるけど、それとは関係なしに君らは今まで出会った誰よりも特殊だし、刺激的だよねえ。酒が進むよ」
「僕も、再会できて嬉しかった。こんな風に全てを話すことができる相手がいるなんて思わなかった」
「抱えてるもんは吐露したら楽になるんだろ?俺にはあんまりわからない感覚だけどな」
感覚的に理解できないのはお互い様らしい。全く別の生物なのだから、生き方
も考え方も共感できないのは仕方がない。ただ見た目が一緒になってしまったので混乱する。同じ言葉を交わせるようになってしまったから錯覚する。
ラバスはなぜ人間に共感できるのだろうかと、ちらりと隣を見た。彼は口にしたことのない人間の料理というものを堪能しているようだった。ラバスとの旅の中でこんなに手の込んだ料理をしてあげたことはない。家でろくに手伝いもしなかったからそんなスキルがないのだ。人間の技術であるのに
ラバスにだって、きっと人間と同じ感覚があるわけではないのだ。わからないそれを知りたいと思い、なぜなのかというところを学んで理解したのだろう。そして自分もそうありたいと努力したのだろう。
(僕たちの関係は、ラバスがこちらに歩み寄ってくれてるから成立してるんだ)
そんなことを今更ながらに理解した。
(僕は本当の君をちゃんと見れているんだろうか)
「どうした?ポルト。」
ぼんやりしているポルトをラバスは心配そうに見つめてくる。
「何でもないよ。ちょっと考え事」
「食べないのか?どれもうまいぞ。特にこれだな。レダの好物かな」
「それはカレーだね!僕も大好き」
ポルトはラバスが差し出した皿の中身を一口いただく。ポルトの口には少し刺激的すぎるスパイスが懐かしさとともに襲いかかってくる。ポルトの家のカレーはもう少し甘口で、レダの家で出るカレーは辛めだった。
「レダん家のカレーによく似てるよ。天竜でも食べれるのかな」
膝の上のレダにも差し出すと、レダは少しだけ舐めて噎せ返った。
「わっ、赤ん坊の体には刺激が強すぎた?」
慌てる二人を見てうっすらと笑みを浮かべたラバスは、噎せるレダにそっと水を差し出した。
———僕の願いは君の願いに反しているかもしれないのにね。
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