教皇オランド、ジュリウス=ターナーの訪問を受ける。


「忙しいところお時間頂き感謝します」


 部屋に入ってきた少年がこちらに向かって深々と一礼した。

 私が書類から顔を上げて席を勧めると、彼は流れるような所作で目の前の椅子に腰かける。

 十歳を少し越えたその年齢で、すでに得ている帝国貴族としての完璧な礼儀作法に私は目を見張る。


「いえいえ、私はすでに隠居の身。退屈で退屈で」


 もちろん冗談だ。

 神官長の座を後進に譲るにあたって、私はとうの昔に消え失せていた教皇という名誉職を引っ張り出した。

 まだまだマール教会は女王国の中で確固たる立場を築けていない。

 ここで私が一線を引いてしまえば、女王国になってからの十数年で得た権益を誰かに奪い取られかねなかった。

 生きている間に最低でも百年は万全の体制を作るべく、私は今も昔と変わらず精力的に仕事に取り組んでいた。


「――して、こんな老いぼれに何の御用ですかな?」


 私は目の前の少年――ジュリウス=ターナー君に問いかけた。



 ジュリウス=ターナー。

 名門貴族ターナー家の嫡男だ。

 父は『女王国建国の立役者』テオドール。

 母はいまだ女王の相談役として圧倒的な存在感を示し続けているクロエ――本名メルティーナ=アンダーソン。

 姉は女王国平定後急激に頭角を現し、宰相位も望みさえすれば……とまことしやかに囁かれるケイト=バーゼル。

 その一家の中で彼はあまりにも無名だった。年齢も年齢だから仕方ない部分もあるだろうが、それでも。

 しかし少年からは一切の焦りや気負いを感じられなかった。

 年上の姪であるレイラ=バーゼルが早々に女王の傍に仕え、着々と権力基盤を整えているにも関わらず。

 この余裕はどこから来るのか興味があった。

 ただの無能なのか、それとも――。

 この年になっても焦りしかない自分としては是非ご教授頂きたいとさえ思う。

 決して皮肉などではなく、心の底から。


「孫娘さんを僕に頂けないかと思いまして」


 私の問いかけに、彼はそう笑顔で返してきた。


「……それは上の孫娘ですかな? ……それとも――」


「もちろん、先日誕生された下の孫娘さんですよ?」


 その笑顔が怖かった。

『そういう嗜好だったとは、ついぞ存じ上げませんでしたな?』などという軽口さえ叩けぬほどの圧倒的な眼力が私を見据える。

 まさかこんな年端も行かない少年に恐れを抱くとは!


「……流石に他家に嫁ぐ花嫁を奪うような真似は致しませんよ」 


 上の孫娘はすでに婚約済なのを知っていたらしい。


「少しばかり気が早いのではございませんかな? それにジュリウス様のような素敵な殿方であれば他の女性も放っては置きますまい」


 私の言葉に彼は微笑む。


「確かに縁談自体はすでに父を介して何件かの申し入れがあります。ですが、あまり役に立ちそうにありませんでしたので、適当な理由で片っ端からお断りしている次第です」


 ……役に立つ?

 この少年は何を狙っている?

 彼の真意を探ろうと私は彼の目を見つめるが、ジュリウス少年は教会関係者なら震えだすような私の視線をモノともせずニコリと微笑んだ。


「僕はこのセカイが欲しいのです」


 彼はさらりととんでもないことを口走る。

 この年齢にありがちな大言壮語たいげんそうごと切り捨てたいのは山々だったが、彼の纏う空気がそれをさせなかった。


「……女王となるには、生まれてくる性別を間違いましたな」


 私は声を押し殺して笑う。

 笑い声でこの緊張感あふれる空気を飛ばすつもりだったが、目の前の彼は首を竦めるだけだ。


「なに、女王にならずとも女王のもしくはになればいいのです」


 彼は真っ直ぐにド真ん中を射抜いてきた。

 誰しもが考えるセカイの制し方。

 彼もそれを狙うという。



 ジュリウス君は初めて目を伏せた。


「僕が生まれたときには、もうこのセカイはアリシア女王によって平定されていました。神の声を聴く機会さえもありませんでした。もちろん途轍もなく恵まれた環境に生まれ育ったことは理解しているつもりです。……ですがこのセカイを上手く楽しめていないのです。両親や姉の昔話を聞くのはそこそこ楽しいですが、もし自分がその時代に生きていたならば、どのように女王国とのだろうと考えてしまうのです」

 

 彼は何度も頭の中で試してみたのだという。

 父であるテオドールがどう女王国をけしかければ、レジスタンスはより良い条件で帝国の権力構造に深くまで入り込むことが出来たのか。

 母であるクロエがどう動けば女王を出し抜き、さらに骨抜きに出来たのか。

 姉であるケイトがどうクロード一行を誘導すれば女王国と帝都の共倒れを狙えたのか。


「別に自分の実力を過信している訳ではありません。ただただのです。ジュリウス=ターナーはセカイを手に入れることが出来るのか。……はたまた返り討ちにあって適当な罪をおっかぶせられ、見せしめとして首を落とされるのか。逃げ惑って野垂れ死ぬ程度の小さな存在でしかなかったのか」


 その目は好奇心で前を向いていた。

 このセカイを楽しみ尽くしたいとその目で叫んでいた。

 実は私も何度か思ったことがあった。

 もし自分があと三十歳若ければ、もっと……と。




「――女王はよほどのことがない限り、あと数十年は生きるでしょう。姪であるレイラやフィリス=アンダーソンの代が女王の椅子に座ることありません」


 それは私も常々思っていたことだった。

 ケイト=ターナーも随分と焦って子供を産んだものだと。

 彼はそんな私の考えを読み切ったとばかりに告げる。


「――それに関しては、姉が勝手に例の会議に乗っかる形で長年の想いをロレント殿にぶつけ、強引に初恋を成就させただけの話です。次期女王の座なんて本当に心からどうでも良かった。……更にその流れに乗っかるようにアンジェラ=マストヴァルまでも幼少時からの想い人を捕まえた、と」


 クスクスと笑うジュリウス少年は母親の生き写しのようだった。

 もしかしたらさいのうを受け継いでいたのは姉ケイトではなく目の前の少年だったのか?

 確かあの日女王も言っていたではないか。

 ――「クロエの血が思わぬところで暴発する」と。

 まさかそれが目の前の彼なのか?




「次期女王争いは水面下ではすでに活発に行われています」


 居住まいをただす少年に私も背筋を伸ばして向き直った。

 もうあなどるまい。


「先日カイル=マストヴァルの長女とウィルヘルム=ハルバートの長男との面通しがあったそうです。女王と母がそれに立ち会いました。何気ない世間話の中で、将来結婚うんぬんの言葉が飛び出したそうです」


 まだお互い幼年学校にすら通えない年齢だろう。

 随分と気が早い話だ。

 だがその場に女王とクロエ=ターナーが居合わせことに意味があるのだろう。

 もし両家を繋ぐ娘が出来れば――。

 私の目を見て彼は何度も頷く。


「はい。マストヴァル家はいまだ健在。ハルバート家も言わずもがな旧東方三か国を束ねる存在。……両家を繋ぐ娘が誕生すれば、その祖母に当たるのは『女王の妹』と呼ばれているパール=ハルバート。本命中の本命に躍り出るかと」


 誰が言い出したのか『女王の妹』という呼び名はパール=ハルバートに唯一無二の存在感を与えることになる。

 それ以降、元山猫を妻に欲しがる若い次期領主が続出した。

 女王と近く、国のウラオモテの情報を手にできる山猫は若い野心を形にするこの上ないパートナーだ。

 既存勢力に対抗すべく公然と工作をはじめる新しい世代の領主らの存在は、波乱を望むマール神の願いにもかなっており、教会としてはそれを黙認せざるを得ない状況。

 数十年後に母親が元山猫という領主連合が誕生しても何ら不思議はない。

 そしてその頂点に立つのはおそらくハルバート夫妻。

 彼女らの孫娘が次期女王最有力候補になるのは自然な流れだった。




「……本命といえば、レイラ=バーゼル様とフィリス=アンダーソン様も大変仲がよろしいとか」


 今度は私が切り出す。

 もっと大っぴらに争うかと思えば、意外と仲がよさそうだ。

 表面的には対抗しているように見せてはいるが所詮子供の浅知恵。

 見る人間が見ればわかる。

 もし本気でやりあうならば、絶対に互いの両親が絡んでくるはずなのにその気配が見えない。

 おそらく両家は今動くべきではないと静観を決め込んでいるのだ。

 次の世代を見据えて――。


「もしかするとお互いの子供を結婚させるぐらいの話は出来ているかもしれませんね。そうなると僕は完全に蚊帳の外になってしまいます」


 それは教会としても同じこと。

 各陣営に恩を売るいい機会ではあるのだが、私が死んでからも教会指導部がきっちりとその舵取りをこなせるのかははなはだ疑問。


「僕はあえてこの流れに一石を投じたいのです。その相方として教会あなたを選びました」


 私は無言のまま思考する。


「別に今すぐに答えを求めておりません。そもそも僕の花嫁候補の令嬢はまだ首も座っていない訳ですし。……更にその娘となれば、ねぇ?」


 晴れやかに笑う姿はあのメルティーナ=アンダーソンにそっくりで。


「この話は誰かに相談されましたか?」


 暗に母親の差し金かと尋ねる。


「いいえ。……まぁ母親あたりが聞くと大笑いしそうな案件ではありますが」


 アレが大笑いと。

 それは少し見てみたい気がする。

 いつも淑女の仮面を被って微笑むか、皮肉気に口元を歪める彼女の大笑いだ。

 それを鑑賞出来るならば、幾らか金を包んでも惜しくはない。


「今日はあくまで世間話のつもりでしたので、これぐらいでおいとまさせて頂きますね?」


 ジュリウス君は再び優雅な一礼で去っていった。 




 私は夜中になってから身体を起こした。

 窓の外は満天の星空。

 明日もいい天気になるだろう。

 主だった神官が寝静まった聖堂内を物音を立てずに歩く。

 普段は家に帰っている時間だが、教皇室に泊まることも少なくないので誰も気に留めない。深夜でも教会騎士が寝ずの番で巡回を続ける。私は勤勉な彼らをねぎらうように軽く手を挙げ、大聖堂に入った。

 仰ぐほどに大きなマール神像が出迎える。

 私は彼の足元に片膝をついて熱心に祈り始めた。

 もちろん神に祈るのは、あくまでそんな熱心な私の姿を周囲に見せる為。

 本当にそれだけのこと。

 そもそも私は初めから神の救いなど望んでいなかった。野心ある没落貴族の庶子が頂点に上り詰める為の手段として教会を選んだという話でしかない。

 だが、以降、私は心を入れ替えて熱心に祈ることになった。

 

 ――まさか本当に神が存在したとは!


 今まで考えもしなかった。

 そして私好みの『曲がった性格』をしていた。 

 だから思った。

 ……が自分たちの神ならば本気で祈るのも悪くないな、と。



 私は誰にも聞こえないように小さく呟く。


「マール様。……私はジュリウス少年の話に乗ろうかと思います」

 

 答えなど求めていない。

 だが神は確かに私たちを見ている。

 それならば話しかける価値ぐらいはある。

 私は事あるごとに自らの進退を神に報告することにしていた。


『――それも一興いっきょう。我もそろそろ仲良しごっこに飽きてきたところだからな』


 頭に十数年ぶりの声が響いてきた。

 まさか返事があろうとは!

 しかし驚きで頭を跳ね上げたりしない。 

 それこそ誰が見ているか分からないのだ。

 私は微動だにせず、そのまま続けた。

 

「……誠に恥ずかしい話なのですが、恒久的に貴方様と教会われわれの権威を保つための手を見出せずにいました。……そういう意味ではようやく機会が巡ってきたのかと」


『うむ。我としても正直なところ、あのような人間が出てくるのはもっと先のことかと思っていた。……まだどれほどの器か判断しかねるが』


 それは私も真っ先に考えたことだった。

 口だけの無能など世の中に掃いて捨てるほど存在する。


『だがヒトは目的を得てこそ育つもの。どれだけの才があろうとも目指す高みがなければその才に気付けず、並みの人材として一生を終えるだろう。……その逆に足らぬ者でも立場がそれを求めれば限界まで引き出さねばならぬ。それでもなお足らぬなら足す為に必死に知恵を絞り何らかの策を繰り出すだろう。……そなたのように。……それがヒトの強さたる所以ゆえんよな』


 本当にありがたい言葉。

 自分の才を過信したことは一度だってない。

 私は私に出来ることを精一杯やって今の地位を手に入れた。

 やはり神はまごうことなく神だ。

 信奉するに値する。


『……もちろん身の程を知って諦める者の方が多いのは言わずもがな、だが。……まぁ、中々面白そうなヤツだとは思う。彷彿ほうふつさせるな』

 

 神の言う彼奴きゃつとはアリシア女王のことだろう。

 つまり


「そのお言葉を聞いて完全に心は決まりました。教会は彼とその娘を全力で後押し致します」


『――うむ。その決断の速さこそがそなたの美徳よな。それでこそ我が見込んだ男よ』


「ありがたきお言葉。そのお言葉さえあれば、今この場で果てようとも思い残すことなどございません」


 神のクツクツとした笑い声が頭に響く。


『おいおい、それは困るぞ。生きている限りはちゃんとジュリウスの後ろ盾となってやれ。アレはまだまだ若いのだ』


「了解いたしました」


『では、また何かあれば我を呼ぶとよい。陰ながらそなたの幸運を祈っておるぞ』


「……ありがとうございます」


 私はしばらくの間マール像に頭を下げ続けていた。




       ≪完≫



―――――――――――――


 以上をもちまして、『2周目は鬼畜プレイで』完結致します。

 長らくの応援感謝の極みです。


 アフターストーリーのラストは『次世代のエース』ジュリウスでした。

 彼がどんな暗躍を見せるのか、それは皆さまご想像にお任せします。




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2周目は鬼畜プレイで【完全版】 わかやまみかん @mikan-wakayama

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