カリン、両親に白状する。
「――ということがあったの! ホント二人とも初々しい感じで……」
「本当に可愛らしかったですね。もうあれから十数年経ちますが、今でもあの光景ははっきりと思い出せます」
アリシア女王陛下とクロエ様は顔を見合わせてニヤニヤしている。
あっしはそんな二人の間で小さくなっていた。
――後生ですからはっきりと思い出さないであげて下さい!
もうこれ以上両親をイジらないでください!
それにしても何故こんなにも詳しく知っているのだろうか?
その語りぶりから、計画を立てたのが目の前の二人なのは十分過ぎる程に理解した。だけど当事者たる両親からの伝聞にしては鮮やか過ぎるのだ。
二人が絶対に話したがらないようなことまで、それこそ目に浮かぶかのように。
まるで誰かがあの二人のことをずっと監視していたかのよう――。
そこまで考えてあっしはハタと思いつく。
あの勘の鋭い両親、まして当時現役山猫最強の一角だった母さんを相手に気付かれないように監視し続ける能力。
身を隠しやすい里ならともかく、道中や見晴らしのいい甲板で二人の決定的な会話まで完璧に聞き取れる程の人間。
――そんなの絶対にあの人だけだよね?
あの屈託のない微笑み。
だけど何かの拍子にちょこっと顔を出す『凄み』は、命のやり取りをしていた女王陛下の最側近としての日々を否応なく感じさせて。
あんな風になりたいと憧れ、山猫を目指した。
この熱い気持ちは今も変わらない。
現在では帝国有数の淑女としても名高い伝説の山猫。
――パール=ハルバート。
国を挙げての狂騒曲の一端を垣間見て、あっしは肩を落としながら家路についた。
我が家は貴族屋敷が立ち並ぶ一画にある。
ウチ自体は貴族でもなんでもない。
新婚の頃は下町に住んでいたらしいが、あっしが生まれる前にこっちに引っ越してきたそうだ。何でも女王陛下がわざわざ二人の為に探してくれたらしい。お金も無利子で貸してくれたとか。
「……ただいま」
帰宅すると珍しく父さんが先に帰っていた。
あっしの顔を見て人懐っこい笑みで手を挙げる。
「ういっす! いつもお勤めご苦労さん!」
父さんはいつもにこやかだ。
あっしの声が聞こえたのか、遥か向こうからパタパタと全速力で駆けてくる小さい影が二つ。
「「ねぇちゃ~ん!」」
双子の幼い弟たちが犬っコロのような感じで、あっしにまとわりついてくる。
そんな彼らとじゃれ合っていると台所の扉が開き、今度は母さんがひょっこりと顔を出してきた。
「ん? 帰ったか?」
「もう! あっしも手伝うからじっとしててって言ってるでしょうが!」
母さんは来月には弟か妹が生む予定の身重なのに、全く気にせず軽やかに動き回る。見ているこっちとしては気が気じゃない。本当にウチはいっつもこんな感じで落ち着きのない家だ。だけどそれが楽しい。
両親、特に母さんがこんなにぎやかな家庭を作りたかったそうだ。
当然母さんもあっしの憧れだ。
料理はいつもおいしいし。
父さんは事あるごとに「昔はメシマズだった」と言うけれど、絶対に照れ隠しか何かだと思う。下手な食堂のごはんよりよっぽど美味しかったりするのに。母さんお手製のお弁当は他の山猫たちにも好評だ。
晩御飯も終わり、後片付けに動こうとする母さんをあっしと父さんで押しとどめるのに一苦労して……。ついでに弟たちをお風呂に入れて寝かしつけてから戻ると、両親は例によって晩酌を始めていた。
「いつもありがと。ホントお前って誰の娘だよっていうぐらい気が利くなぁ」
母さんがグラスを傾けながら楽しそうに笑った。
その向かいで父さんも笑いながら頷く。
お酒は飲めないけれど、あっしも余程のことがない限り毎日この晩酌に付き合うことにしている。酔っ払いの話の中でも何気に勉強になることが多く、知らない人間関係なんかも知ることがあって山猫の仕事にも役立つのだ。
「実は今日ね――」
あっしは今日の任務中に女王陛下とクロエ様に捕まった話をした。隠しておくには少々気が重い。
「――聞くつもりなかったんだけどね、なんかゴメンね?」
「仕方ないわな。そもそもあの本気の姐さん相手に逃げ切れる人間がこのセカイにいるとは思えん」
「そうそう、クロエのねぇさん相手に命があっただけで儲けモノってね」
あっしの杞憂だったのか、両親は実にあっさりとしたもの。
「よかったの?」
「いやぁ、…………何か、もう慣れた」
いっそ清々しい笑顔で白旗をあげる父さん。それを受けて母さんが爆笑した。
「……え? 慣れたって?」
「あぁ、たぶん女王国の中では俺が一番姐さんと付き合いが長いんだろうな。だからそういう意味では一番オモチャにされてきた人間でもある。クロエさんは母さんのことメチャクチャ気に入ってるし」
父さんはお酒を傾けながら口を潤す。
「基本的にあの人たちは、嫌いな人間や腹に何かを抱えた人間を近くに置きたがらないからな。寝首を掻かれる怖さを知っているし、本人たちがそういう人生を送ってきたという自覚もある。その中で俺たちは絶対的に信頼されていると言ってもいい。……誇らしさ半分、迷惑半分ってトコだが」
「……もう二十年近く今日のお前みたいな感じで遊ばれているんだよ、ワタシたち夫婦はね。……あきらめの境地さ」
両親は顔を見合わせて弾けるように笑い出した。
ひとしきり笑ったあと、父さんは少しだけ気まずそうに頬を掻く。
「結局のところ今回も娘のお前を利用して俺たちの反応を楽しむつもりだったんだろうさ。もちろんお前の初々しい反応も、な? ……今夜お前が俺たちにこの話をするのも当然織り込み済み」
「ワタシたちの子供として生まれてきたアンタたち姉弟は、あの二人からすれば『可愛いオモチャ』ってこと。……そのうち、この子も」
母さんは近所でも評判の美しい顔に慈愛ある微笑みを浮かべながら、お腹をゆっくりと撫でる。
「……コレってば、要するに『久し振りに顔を出せ』ってことでいいんだよな?」
父さんが母さんに真剣な顔で話しかけた。
声も少し抑え気味で。
毎日こういう顔ならカッコいいのにとあっしは常々思っている。
普段のへらへらのせいで野性味あふれた精悍さが台無しだ。
対する母さんも真顔。
……母さんの真顔って久し振りに見たかも。
あっしが骨折した時でも「付け方さえ間違えなけりゃそのうち直る」ってあっけらかんとしていたのに。
何か元側近の二人にしか分からない
「……たぶん。特にワタシはこの子がお腹に入ってからこっち、会いに行ってないからなぁ。……寂しいのかな?」
……寂しい!?
あの二人にこれほど似つかわしくない言葉ってあったんだ!
あっしはいきなり飛び出してきた予想外の言葉に絶句していたが、その間も両親は続ける。
「……パールも最近は旧聖王都に引っ込むことが多いし、レッドの旦那に至っては早々に引退しちまって登城すること自体滅多になくなった。……俺も出仕自体はするんだが軍職の人間は戦時中ならともかく、平和になった今となりゃ基本的にあの人たちと一緒に仕事することは無いし」
沈痛な面持ちのまま両親は溜め息を吐いた。そして顔を見合わせると一転して再び弾けるように笑いだす。
「しっかし、相変わらず分かりにくい愛情表現をする人たちだなぁ!」
母さんはグラスに残っていたお酒を一気に呷る。そしてあっしを見るとイタズラっぽい顔で見つめてきた。
「明日昼にでも息子二人を連れて遊びに行くからって姐さんに伝えといてよ」
「……うん、わかった」
よく分からないなりに頷いて見せると、そんなあっしを眺めながら両親はお腹を抱えて本格的に笑い出した。
こうなったら完全にお酒が回ってきた証拠だ。
何が可笑しいのかひたすら笑いながら取り留めもない話をして、お酒を飲んでまた笑う。これが二人の飲み方だ。
「ったく! 俺たちが必要以上に構うと、ほっとけと言わんばかりに不機嫌な顔して黙り込むのに、ちょっと会いに行かなかったらコレだ!」
「ホント、ホント。そういうところ絶対に猫っぽいよねあの二人って。似た者同士だ」
それから二人の思い出話に花が咲く。
あっしはそれを黙って聞いていた。
「――ちょっと、ガキどもの寝顔を見てくる」
酔っぱらった父がいつものように弟たちの寝室に遊びに行く。
「せっかく寝かしたんだから起こさないでよ?」
あっしが釘をさすと、父さんは分かっているのか分かっていないのか上機嫌に手を振って部屋を出ていった。それを母さんと二人して見送る。
「その、……慣れたって、母さんもそうなの?」
「まぁね。あの二人、特に姐さんは寂しがりなんだよね。あんな感じだけどさ」
本当に意外だ。あんな優雅に他人を振り回す女性。
周りに人が絶えることなんてない。警護をしているとよく分かる。
寂しいとは無縁の生活だ。
「ワタシでさえ、こんなに幸せな日々を過ごしながらでも、ポルトグランデでの日々を思い出して胸が締め付けられそうになることがあるんだ」
両親の思い出話の定番だ。ポルトグランデ。
女王国としても大事な場所。
「今でこそ、ワタシたち夫婦を含めた側近たちはこうやって立派な屋敷を持てる身分になったケドさ。あの頃の山猫はみんな雑魚寝。でもホント楽しかったんだよ。夜遅くまで騒いだりしてさ。たまに『うるさい!』って姐さんが怒鳴り込んでくるんだけど、結局姐さんも含めてみんなで夜通し騒いじゃったりして。……で、翌朝クロエのねぇさんにみんなまとめて怒られる。でもそれは自分も一緒に騒ぎたかったのにっていう思いの裏返しだったり。……そんな夢のような毎日だった」
母さんは少ししんみりした顔を伏せる。
あっしもいつか陛下たちとそんな楽しい思い出を作れるといいなって思えた。
「アンタはワタシたち夫婦の両方に似ているから、二人からしたら一粒で二度美味しい感覚なんだろうね。……だから代わりに付き合ってあげて?」
「あっしなんかが――」
「アンタ、もしかしてあの二人から逃げ切れるとか思っていないよね?」
母さんが艶やかに笑った。
同性の、それも血のつながった娘であるあっしですら
若干引いてしまったあっしを見て、母さんはいつものような優しい笑みを浮かべる。
「まぁ、今のは冗談だけどさ。……でも、アンタが生まれたときってそりゃもう凄かったんだから。嫌がらせかって思うぐらい立派なお祝いの品が山ほど届いてさ」
その光景を思い出したのか苦々しそうに口元を歪める。
「メチャクチャ恥ずかしかったんだからな。ご近所さんからも変な目で見られてさ。『どこの王族が生まれたの?』って。あの二人の最大級の愛情表現だって分かっているんだけど、当時は引っ越しの片付けやら何やらでいっぱいいっぱいだからね。……ウガーって暴れたくなった」
両親のその慌てふためく姿が想像できて、あっしは思わず吹き出してしまう。
それを見咎めるように睨みつけてくる母さん。
でもその目は優しい。
「慣れない子育てもクロエのねぇさんや近所の御婦人方に教わったりしてさ。……ホントみんなに助けてもらいながらアンタたちを育てたんだよ? ……アンタはみんなから愛されてきた。今も愛されている。それだけは絶対に忘れちゃダメだからな」
母さんは幸せそうな笑顔で立ち上がると、弟たちの寝顔を満喫してきたホクホク顔の父さんと一緒に寝室に戻っていった。
身重の母さんを気遣う父さんの背中が妙に頼もしかったりして。
実際父さんは女王国でも頼りにされている将軍なんだけど、家での印象が強すぎてどうも軽んじてしまうところがある。そんな二人を見送りながらあっしもこんな幸せな家庭を持ちたいと思った。
晩酌の後片付けを済ませてから寝室へと戻り、夜着に着替えるとほっと一息。
そしていつものように陛下からもらった鏡台の前に座った。
これからクロエさんにもらった美容液で肌の手入れだ。
山猫たるもの、ということらしい。
これもきっとあっしたち山猫に対する愛情表現なのだろう。
――仕方ないなぁ。
寂しがりやの二人にとことん付き合いますか!
あっしは仕上げとばかりにパチンとほっぺたを叩いてからベッドに向かった。
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