さくらマルファス 004
「君がこの悪魔に願ったこと、それをもう一度よく思い出してごらん。悪魔と契約した場合、大きく三つのパターンがある。」
僕は桜ノ宮に悪魔との契約について説明した。
一つは、悪魔が契約者の願いを叶える。契約者は寿命を奪われて契約を終える。これが一番基本のパターンである。
二つめは、悪魔が願いを叶える。しかし契約者がその結果に納得せずに契約違反を主張する場合だ。悪魔は契約者の意図しない方法(破滅的な、倫理も道徳性のかけらもない方法)で願いを叶えることが多い。この場合、悪魔と相談して交渉することになる。まぁ人間に勝ち目はほぼないのだが。
三つめは、悪魔が願いを叶えられなかった場合だ。この場合、悪魔は寿命を奪えないが、悪魔は契約者が願いを叶えるまで、無償で力を貸し与え続ける必要がある。
「さて桜ノ宮さん、君は悪魔に何を願った?悪魔は願いを叶えたのか?叶えたとしてそれは君の満足のいくものだったのか?」
僕の問いに、桜ノ宮は頭を抱えた。
「私の願ったこと……。それは…………」
桜ノ宮は、思春期の女子のねちねちした友達関係にうんざりしていた。みんながお互いの悪口を言い続け、彼らの話を中立を装って聞き続けることに、いい加減人の顔色を覗うことに疲れて果てた。自分が嫌われないように、人の顔色ばかり気にすることを放棄したかった。
「誰のことも気にせずに、私らしく好きに生きたい。」
桜ノ宮は、自身の願いを…悪魔に願ったことを口にした。
「なるほど…。っでは、君の願いは叶ったのか?それとも叶わなかったのか?悪魔は願いを叶えたのか?叶えられなかったのか?」
陽が西の空に沈もうとしている。もう悪魔が出てきてもおかしくない時間だ。
「悪魔は…私の願いを……」
桜ノ宮ははっきりとした口調で言った。
「叶えられなかった。」
悪魔が願いを叶えるために、彼女に貸し与えた力は『人の心を読む』という力だ。
悪魔は、人の心を読む力を彼女に与えることで、人の顔色を覗う必要がなくなると考えた。人の顔色を覗わずに済む…、それはつまり、人の目を気にする必要がなくなり、彼女が自分らしく友人と関われるようになることだと踏んだ。
しかしその結果、余計に桜ノ宮は人目を気にし、部屋に引きこもり、自分らしく生きられなくなった。それはどう考えても願いを叶えたとはいえない。
悪魔は貸し与えた力を、そのまま無償で貸し与え続けるはめになり、契約は彼女が願いを叶えられないまま、今も継続しているのだった。
「契約は現在進行中、君の願いを叶えられなければ、悪魔も契約からは手が引けない。」
っでは、人間側から契約破棄を宣告すればいい。と簡単な話で解決できれば苦労はないが、そんな簡単ではない。
「たとえ悪魔の不備によって願いが叶わなくとも、人間が一方的に契約を破棄する権利はない。」
とどのつまり、一度悪魔と契約してしまってはもう…寿命をさし出して契約を成立させる方法を取るしかない。それが悪魔と契約することであり、悪魔に願った責任でもある。
「どうしたら…いいの?」
桜ノ宮咲は弱り果てた様子で尋ねてきた。
「簡単だよ。願いを叶えたらいい。そして寿命を奪われる。ただそれだけでいい。」
「えっ…。」
「基本的に、無傷で解決できるご都合主義的な話はないんだ。悪魔に願うってことはそんな生易しいものじゃない。」
悪魔と関わることは、下手をうてば、とても冷酷で、深刻で、残酷な結末が待っていることを、僕は自分の身で味わって知っている。
「さて、君は願いを叶えなければならない。簡単だよ。その悪魔からもらった力で、人目を気にせず自分らしく生きればいいだけだ。悪魔に願った自分勝手な願いを、自分勝手に振る舞うことで全うすればいい。」
僕の言葉に桜ノ宮はたじろいだ。そして悲痛な叫びをあげた。
「もういやっ!こんな力いらないっ!!!私がしてほしかったのはこんなことじゃない!私が本当に願ったのは、こんなことじゃない!」
桜ノ宮は頭をくしゃくしゃとかき回し、自暴自棄になったかのようにベンチから立ち上がった。そしてそのまま立ち去ろうとする彼女の腕を僕は掴んだ。
「落ち着け、桜ノ宮…。君はこのまま逃げてていいのか?」
「うるさいなっ!心が読める気持ちなんてわからないでしょ!」
桜ノ宮は僕の腕を振り払った。
「あぁわからないさ。人の心なんて分からない!それが当然じゃないか!っじゃあ君に、心を読まれる人の気持ちがわかるのか?」
僕の問いに、彼女は一瞬呆気にとられた表情を見せた。
「人の心は汚いものだ。醜い物だ。バカで阿呆で、鼻で笑ってしまうほど愚かなものだ。そんなことは当たり前だろう。だからこそ人に心を見せるのは怖いし、恥ずかしいし、必死に隠そうと努力している。醜い心を御するための理性がある。僕だって君に勝手に心を読まれてると思ったら、本当は恥ずかしい。……試しに、こんなシリアスな場面で、真面目なことを話す僕の思考を読んでみたらいい。」
僕は頭の中で、ともかく彼女を褒めたたえ、賛美する言葉を恥ずかしげなく考えた。
なんと可愛らしい女の子なんだろう。つぶらな瞳、小さい整った鼻、柔らかそうな唇、思わず抱きしめたくなる華奢な骨格、なんて可愛いんだ。守ってあげたい、幸せにしてあげたい、愛してあげたい!もういっそ抱きしめていいかな?ギュッてしてもいいかな、いいよね?そのまま唇を奪ってもいいかな?そして僕が責任をとって、この子を幸せにしよう!
「何考えてんですかっ!」
僕は桜ノ宮咲に、女子中学生に思い切り頬をはたかれた。
「最低です!もう消えてください!というか私が消えます!」
ふんっとそっぽを向く彼女に、僕は必死に訴えかけた。
「なんだ、元気が出てきたじゃないか!」
その言葉に、桜ノ宮は足をとめた。
「勝手に人の心を読むなんてよくないことだ。だって、人には隠したい気持ちがいっぱいあるんだからな。隠したいのは、それが表に出してはいけない気持ちだって、ちゃんと理性で分かっているからだ。人間の心なんてのは、醜いし、汚いし、グロイし、エロいし、時に下劣で残酷で、悪魔だってあきれ果てるようなものかもしれない。でもそれだけじゃないだろう…。」
人間の心は醜いものを制御できる感情も同時にある。それだけではない。心から誰かの事を、笑顔にしたい、親切にしたい、愛したい、守りたい、幸せにしたい、喜ばせたい、と願う気持ちだってあるはずだ。僕が今、ただ彼女に元気を出してほしいと願う様に。
「人の心に絶望するのは…まだ早いんじゃないか。相手の心が知れるなんて、やっぱりすごい力だ。変な事考えてるやつが居たって、鼻で笑って無視したらいい。それかいっそのこと、相手の考えを利用して手玉にとってやればいい。」
相手の心が読めるなんて、バトル漫画じゃ最強のチート能力だ。すでに悪魔と契約してしまった以上、その力を振るう権利が彼女にはある。
「それでも人の心の言葉に、どうしても君がひどく傷ついてしまうというなら……。お互い本音をぶつけられるような、心を読まなくても相手を理解し合えるような、君が自分らしく生きられる、そんな友達に僕がなるよ。」
しばらく桜ノ宮は夕日をバックに立ちすくんでいた。何を考えているのだろうか…残念ながら、僕には彼女の心が読めない。でも、悪魔に関わる辛さは理解できる。
桜の宮は、ゆっくりと僕の方を振り向いた。
「須崎さん……私は、あなたみたいな友達はいりません!」
桜ノ宮はそう言って、ほほ笑んだ…気がした。逆光になっていてよく見えなかったが、きっととても可愛らしい笑顔だったに違いない。まさか、渾身の友達申請が断られるとはね…。涙で前が見えないや。
悪魔語り 冨田秀一 @daikitimuku
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