愁いを知らぬ鳥のうた

PURIN

お留守番の日の出来事

 あたし、うたがとっても好きな小学一年生! 将来は絶対歌手になるって決めてるんだ!

 名字に「鳥」って字が入ってるから、友達には「鳥」とか「鳥ちゃん」って呼ばれてるの。あたしにぴったりで、いいあだ名でしょ?

 あ、それとね、「鳥」って漢字、まだ学校で習ってないんだけど、もう書けるんだよ! すごいでしょ!


 話は全然変わるんだけど、さっきすっごくびっくりしちゃうことがあったの!

 あたしマンションの2階に住んでるんだけど、今日はみんな出かけちゃってお留守番だから、一人でうたってたの。そしたら、いきなりどしーん! って!

 びっくりしてカーテンを開けてみたら、ベランダにスーツを着た大人の人がうつ伏せに倒れてたの! 見たこともない人! もーびっくり!


「大丈夫⁉︎」

 窓を開けてベランダに出て、話しかけてみたの。最初のうちは何も答えてくれなかったけど、何度も何度も話しかけてたら、そのうち「うーん」って言いながら体を起こした。


「良かった! 起きたんだね、おはよう!」

 その人は寝ぼけてるのか、体育座りのままぼーっとしてた。

 けど、少しの間あたしの顔をじーっと見て、「え……?」って言った。びっくりしてるみたいだった。びっくりしたのはこっちなのに。


「上の階の人? 落っこってきちゃったの?」

「……あー、えーと、うん……」

「大丈夫? 痛くない?」

「うん、そう言えば平気……」


 痛くないなら良かった。じゃあ、このままあたしのおうちを通ってマンションの廊下に出て、エレベーターに乗っておうちに帰りなよ。気をつけて帰ってね。

 そんなことを言おうと口を開いた。けど、あたしより先にその人が言った。


「君は…… 鳥、だよね?」


 これが今日で一番びっくりしたかもしれない。


「なんで知ってるの⁉︎」

「い、いや、その、えーと……」

「あっ待って、分かった! うたが上手だから有名なんだね!」

 その人はぽかんとして…… でもあたしの言ったことがだったのか(「ずぼし」ってこれで使い方あってるよね?)少ししてから「う、うん、そうだよ」ってうなずいた。


「そっかー! じゃあせっかくだから、一曲聴かせてあげるよ!」

 たまたまとはいえ、こうして会えたのも何かの縁ってやつだ。あたしのうたで楽しんでもらおう。

 あたしは一番得意なうた…… 一番好きなアニメのオープニングを歌い始めた。

 大きな声で。あのアニメの好きなシーンを思い浮かべながら。何よりも、あたし自身が楽しみながら。


 大人の人は最初はきょとんとしてたけど、ちょっとずつ表情が緩んできて…… うたい終わった時には、拍手をしてくれた。

「ね、良かったでしょ!」

「うん、とっても上手だったよ」

「ありがとう! あたしね、大人になったら絶対歌手になるんだ!」

 そう宣言したら、その人はふっと微笑んだ。

「知ってるよ。誰よりも知ってる」


 わあ、あたしって本当に有名人なんだ! そう言おうとして、その前に一つまばたきをした。

「……あれ?」

 目を開けたら、ほんのついさっきまでそこにいた大人の人はいなくなってた。

 なんで? 本当に一瞬だったのに…… あっ、きっとあたしのうたで元気が出て、それで上の階まで思いっきりジャンプして帰っていったんだね!

 喜んでくれたなら良かった。また会えるといいなあ。




「はっ!」

 唐突に、私は覚醒した。

 スマホを確認してみる。時刻は午後一時。貴重な休日をまたこんな時間まで寝て過ごしてしまった。


 それにしても不思議な夢だった。

 まさか幼い頃の自分と対面して、あまつさえ何故か歌まで聴かされてしまうとは……


 いや…… 本当にただの夢か?

 私が子どもの頃「鳥」だの「鳥ちゃん」だの呼ばれていたことも、歌手になる気満々だったのも事実だ。


 それに何より…… あのくらいの歳の頃、私は「あの人」に確かに出会っていた。

 ベランダに突然現れ、突然去っていったあの大人の人。子どもの頃の記憶など、仕事に追われる日々の中でいつしか朧げになっていたけれど。

 今、思い出した。あたかもこの先の人生には楽しいことしかないと信じて疑わないような、あの愁いを知らない、鳥の歌で。


「知ってるよ。誰よりも知ってる」

 あれは、そういう意味の言葉だったのか。


 あの頃は本気で歌が好きで、本気で歌手になるつもりでいた。

 いつからだろう。そんな情熱を失ってしまったのは。

 いつからだろう。そんな夢を見ていたことすら忘れてしまったのは。


「あたしね、大人になったら絶対歌手になるんだ!」

 鳥、私ね、大人になったんだよ。今からでも、間に合うかな。


 過ぎてしまった時間は膨大すぎる。歌に関して何の努力も勉強もしてこなかったんだ、今更歌手になるのはきっと無理だ。

 けれど一度思い出してしまったんだ。もう二度と忘れられない。

 せめて、歌に関わりたい。そうだ、この世にある仕事は今の仕事だけじゃない。見つけよう。歌に触れられる仕事を。

 違う形にはなってしまうだろう。けれど、少しでも叶えたい。鳥の夢も、私の夢も。


 心の中で決意し、まずはベッドから身を起こした。

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