『ヴィヨンの妻』を

雪瀬ひうろ

第1話

「ではいってきます」


 そう言って妻は家を出た。私はそれに「ああ」とも「おお」ともつかない唸り声のようなもので応えた。こんな体でも妻が出勤する時間に起きているだけ普段に比べれば随分とましなことだ。普段の私は妻を見送ることもせず、正午前まで寝ているのだ。

 朝食をわざわざ取る気にもなれなかった。昨日の二日酔いのためである。昨晩は酔った。珍しく旧友どもから誘いがあり、のこのこと出かけて行ったのだ。内容は、まあ散々なものだった。久しぶりに会った旧友は皆、結婚していた。これは私も対等と言って良いものかもしれないが、明確に私が劣っていたのは私のみが自力で生計を立てる術を得ていないことであった。学生時代、私は彼ら旧友の中で最も優等であった。それは最終学府までは揺るぎのないものであったが、その後は違ったのだ。私はひたすら酒をあおるしかなかった。

 妻が置いて行った金を無造作に財布にねじ込み、適当な服を着こんで私は家を出た。


 電車を乗り継ぎ、やってきたのは歓楽街だった。昼間から怪しげで下種な空気が満ち満ちていると感じた。こんな空気を見下していたのは一体いつのことであっただろう。

 私は馴染みのピンクサロンの暖簾をくぐった。顔なじみになったボーイの下卑た笑い顔を睨みつけながら、私は最低限の照明しかない消毒臭い部屋に入る。

 妻の金で見知らぬ女を抱くという背徳感が一層行為を荒っぽいものにした。しかし、それも一般的な(と私がおおよそ考えているだけだが)交わりの範囲を超えないあたりが私らしい。いっそ破壊し、蹂躙し、相手を死なせてしまうくらいの方がかえって救いがあるくらいかもしれない。

 背徳感を基にした行為の後に訪れる罪悪感と虚無感は一入のものだった。私は自分が使った相手に嫌悪を越えた憎悪を抱きながら、店を後にした。

 この街のどこか下種な空気を作りだしているのは、紛れもない自分自身の肺臓だ。


 その帰り道、少し混み始めた電車に揺られる。茜の陽光が窓から車内を照らしだしていた。大学時代、妻と二人、益体もないことを語りあったのもちょうどこんな時間帯が多かった様に思う。妻と、当時はまだ結婚していなかったが、語りあったのは創作に関することが主であった。妻とは大学の文芸サークルで出会った。妻は私の作品が好きだと言った。当時の私はその言葉を単なる社交辞令の延長程度にしか捉えていなかった。それが今ではどうなったか。それがどうして一体こんな有り様になってしまったのだろう。

 大学を卒業したとき、私には職の当てはなかった。人並みに就職活動はしたつもりであったのだが、一つも実を結んだものはなかった。妻は言った。こうなったらいっそ文筆活動に専念してみては、と。私はそれも良いのかもしれないと思い、それにすがった。それは愚かしい選択であったことは明らかであったが、私はそれに目を瞑った。

 一年間。それで芽が出ぬようならすっぱり諦める。そういう条件で私は小説に専念することになった。初めの数カ月は客観的に見ても、充分に粒粒辛苦していると言っても良かっただろう。しかし、刻限の一年が近づく頃、私の精神は蝕まれ、そして確実に緩んでいた。

 そもそも私はなぜ文筆によって生計を立てたいと考えていたのだろう。そんな愚にもつかない考えだけを堂々巡りさせ、ただ悪戯に月日を空費していたのだ。

 ある日、私は気付いてしまった。いや、正確に言えば、そのときに認めざるを得なくなったというべきだろうか。要するに私は働きたくなかったのだ。月並みな言い方をすれば社会の歯車になることをよしとしなかった。尊大な自尊心のためである。だからといって、人を使う立場になるほどの器もなく、またその器を作ろうとする気概もなかった。歯車か、器か。私にとって文筆とはそれらの隙間を縫って生きられるかもしれない唯一の手段であったのだった。

 約束の一年が終わろうとしていたころ、ついに私の作品がとある文学賞の端にかかった。編集もつき、もしかしたら文筆によって生計が立てられるかもしれないという目処がついた。私はその当時まだ付き合っていた妻にプロポーズした。そして、私達は結婚した。このときの私には明るい未来しか見えていなかった。

 しかし、それも嘘なのかもしれない。本当は、心の奥底に居る私の本体は表面の自分が考えている以上に、醜悪で救い難いものなのかもしれない。

 結局、私の作品が書籍になることはなかった。賞の端にかかったくらいでどうにかなるほど甘い世界でないことは承知していたはずだったが、それでもここまで酷い結果となるとは考えてもいなかった。結局、二年経っても三年経っても私は生計を立てられずにいた。

 その頃になると既に実家の支援も絶え、自然、妻の稼ぎで暮らすようになっていた。私はそのことに非常な心苦しさを覚えていた。しかし、何よりも感じていたのは、自らの矜持が辱められていることに対する憤りだった。私は最低の人間だろう。妻への感謝や申し訳なさよりも自身のプライドの方ばかり気にかけていたのであるから。

 しかし、だ。そういった浅はかな考えはまだ可愛いものだったのかもしれない。最近になって思うのは、なぜあの時私は妻に結婚を申し込んだのかということであった。万事がうまくいく兆しが見え始めて浮かれていたからだ。ずっとそう思うことにしていた。しかし、心底にある私の魂が考えていたのは、妻に寄生してしまおうということではなかっただろうか。矜持を気にしているのは、心の表層だけで、本当はそれすらもただのフリだったのではないかと考えざるを得なくなっていたのだった。


 大きくはないアパート。そこで私は妻と二人で暮らしていた。結婚する時に妻の実家とは一悶着あった。定職についていない男と一緒になろうとしている娘を心配しない親がどこにあろうか。結果、こういう有り様になっている。御義父さん、あなたの懸念は正しかった。

 名ばかりの書斎に胡坐をかく。畳もそろそろ変えるべきなのかもしれない。腐る一歩手前だ。

 昨日、泥酔し、手にとって床に捨て置いた古く薄汚れた文庫本を手に取る。『ヴィヨンの妻』だ。昔から太宰の中ではこの話が一番好きだった。『斜陽』も『人間失格』もなかなかだがやはりこれだろう。そう思っていた。

 『ヴィヨンの妻』は大谷という男の妻の視点で語られる。大谷という男はどうしようもない男で、華族の出の詩人であるが、妻子ある身でありながらひっきりなしに女を作り、借金を踏み倒し、あげく盗みまでやっておきながらその賠償を女にやらせるのだった。高校生の時分に、初めてこの話を読んだ時には大谷という男の生き方に義憤を感じざるを得なかった。まだ、私も若かったのだ。しかし、大学生になり、将来を見据えねばならない頃に再びこの話を読み返すと大谷の生き様に、一種の憧れのようなものを見出し始めていた。憧れ、というと少し違うかも知れない。しかし、私はこのように破天荒で反社会的な行動ばかり取るこの男でも、周囲の人間からはどこか憎めない男であると見られていることが羨ましかったのだ。盗みの被害者の飲み屋の主人すらそう言うのだから筋金だ。私はそういう男になりたかったのかもしれない。

 大谷の妻は借金を作り、女を作る大谷を笑って許しているのだった。無論、思うところがないわけではないようであったが結局は許してしまうのだ。昔はそういう女は嫌いだと、私は思っていたはずなのだ。

 私が妻と交際を始めて以来、結婚した今に至るまで妻は自分のことを一度も「好き」と言ってくれた記憶はなかった。ほのめかす程度のことはあったはずだが、明確に言葉にしたことは結局、一度もなかった。妻はなぜ私と結婚したのだろう。そんな風に考え始めて以来、妻と床を共にすることはなくなった。しかし、性欲というものは溜まるので風俗に行くようになった。風俗にかかわる輩を見下す心を持ちながら、あえて交わったのだった。これで私も屑の仲間入りだ、なんて考えた。それですら奢りだろう。わかってはいるのだ。

 そもそも私はどうして妻が好きだったのだろうか。一番の理由は、ウマがあったからだ。それは紛れもない真実だった。くだらない冗談を言い合うのが楽しかったのだ。しかし、今、二人の間は冷え切り、ろくな会話もなかった。今は妻を愛してはいるけれど、もう好きではなくなってしまったのかもしれない。

 『ヴィヨンの妻』の中で好きな部分は二つあった。一つは、「トランプの遊びのように、マイナスを全部あつめるとプラスに変るという事は、この世の道徳には起り得ない事でしょうか」という妻の独白だ。戦後の苦しい世の中でどんなに上品な人もくだらない犯罪をせねば生きていけないような時代だ。そういった世の中を嘆き、そして、自分と夫の境遇を鑑みて出た言葉だろう。昔はこの台詞を滑稽だと思った。今ではただ重苦しいだけの言葉だった。

 もう一つは物語の最後。妻の台詞だ。大谷が金を盗んだのは実は妻のためだった、だから、私は人非人でないと彼女に主張するのだ。本当は盗んだ金は別の女に貢いでしまっているということを妻は知っているのに、しゃあしゃあとこんなことを言うのだった。それに対して妻は「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と返すのだ。初めて読んだときには、なんとなく印象に残っただけのこの台詞が今となっては私の心を真っ直ぐに貫いているのだった。

 小説を進めようと机の前に座る。しかし、一文字すら物語にふさわしい文字を見つけられないのだ。昔は一体どうやって小説を書いていたのだろうか。妻が好きだと言っていた、あの小説を。

 書きかけの小説を一行も進めることもできずに私は床に転がった。私の頭に無造作に床にころがした文庫本が触れた。書斎を見渡すとあちこちにものが散乱している。少しは片づけるべきなのかもしれない。

 私は床に転がった本や資料を本棚に戻し、バラバラになっていたファイルを揃えて机の上に立てかけた。多すぎるボロボロになった文庫本の全てを本棚に納めることはかなわずに、本棚の上に無造作に何冊かの本を置いた。上手く置くことができなかったのであろう。高い本棚の天辺から一冊の文庫本が転げ落ち、脳天にあたった。天罰でも受けたような気分だった。屈みこみ、その文庫本を手に取る。転げ落ちた表紙に何度も開いたために、癖になったページが開いていた。


『私は格別うれしくもなく、

「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」

 と言いました。』


 もうすぐ妻が帰ってくる。

                         〈了〉



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