第2話 『脱デ~ブ~』


生まれ変わりたいという願望がある。


現在に失望し、理想を夢見る。しかし、現実は厳しい。


ここに、願望もなく理想に行き着いたひとりの女性がいた。


晒名 栖妓子 (さらしな すぎこ) 30歳。美人へと生まれ変わる。



『第2話 脱デ~ブ~』


「はぁ~ぁ……」


今日も朝から思い溜息が喉元を通過する。

外の景色は、死にたくなるくらいに心地よい秋晴れだった。

今、私は、田舎の実家でのんびりとした生活を送っている。

金銭的余裕もあり、生活が苦しいことは何もなく、三度のメシにもタダでありつける。昼寝付き。では、何故、私はこんなにも溜息がでるのかというと……


私の実家は大きなお屋敷だった。自分で言うのもなんだが、これだけ大きな家はこの田舎でもなかなか無い。ひょっとしたら村一番のお屋敷かもしれない。一応、何代か続いている由緒ある家らしいのだが、そんなこと、私にとってはどうでも良いことだった。


私は、和室の部屋の隅に立てかけてある鏡を覗き込む。

生気と覇気のない貧乏神のような顔をしている。やせた。ここ数年で30キロ痩せた。スラッとした足にたるみのない腹。顔もスリムでむくみも無い。

出る部分は出ているし、ひっこむ部分はひっこんでいる。それは理想の体型ではある。それでも私の顔色はすぐれない。心に空いた穴から隙間風が吹き込む。

私は目を閉じ、数年前の悪夢を思い出す。それも毎日の日課のように……


「スギちゃ~ん! お友達来たわよ~!」


1階の玄関から、母の声が聞こえた。

またか、またアイツか。毎朝、毎朝、飽きずによく来るものだ。

私はボリボリと頭を掻きながら、ジャージを履いて階段をミシミシと下りる。


「やぁ! おはよう、スギちゃん」


くったくのない顔でヘラヘラと笑うその男。

阿久津純一(あくつじゅんいち)。いちおう幼馴染。プラス腐れ縁。

開いているのか閉じているのかわからない目で、いつもニヤニヤしている顔だ。


「まぁッ! スギちゃんったらそんな格好で! 早く着替えてらっしゃい!」


「どーせ、またジョギングのおさそいでしょ? だったらこれでじゅーぶんよ」


「まッ! この子ったら……ごめんなさいね、ジュンくん」


母は、阿久津純一(あくつじゅんいち)にペコペコと頭を下げた。

どちらかというと、この男は母のお気に入りらしい。でもそんなことはどうでもよかった。


「どーせヒマだから付き合ってあげるわよ、ジュンくん」


私は、台所に戻って、たくあんを2~3個バリバリと口に入れて、冷めたお茶でうがいした。


「んまぁッ! お行儀の悪いッ!」


私は、母親に向かって鼻息をフンと吹きかけると、ワザと玄関の戸をピシャリと大きく閉めた。


「はは……スギちゃんはあいかわらずだね。」


苦笑いしているジュンくんを尻目に、私は軽く背を伸ばしてウォーミングアップしながら、トコトコと走り出した。家の敷地から出ると、見渡す限り、山、山、山……田んぼ、田んぼ、田んぼ……ちょっと道路。そんな見慣れた景色から少し外れた川沿いの堤防へと向かう。


「はは、まぁ、お互い実家に帰ってきたもの同士、仲良くしようよ」


ジュンくんは、またヘラヘラと笑いかける。


「なにが仲良くよ? アンタとは子供の頃から一緒にいてロクなことなかったわよ」


「え? そうかな? ボクはけっこう楽しかったけど、何かあったっけ?」


「あったっけじゃないわよ! アンタの好奇心旺盛な実験に付き合って、なんども死ぬ思いしたわよ!」


この男、阿久津純一(あくつじゅんいち)。

子供の頃から、調べ物や実験が好きで、一度取り掛かるとテコでも止めないという筋金入りだった。そんな性格が幸いしたのか、成績は優秀で、大学を出て、今は考古学の教授をしているそうだ。この前は、エジプトへ調査に行ったとかで、それが終わったので実家に戻っているらしい。村では一番の出世頭だと、良い評判しか聞かない。田舎の人間である母にとっては、優秀な人間だと思うのは当然だろう。田舎の人間ならそう思うのだろう。人のウワサだけが情報源のこの村の人間なら。


「それでさぁ、昨日もよく考えたんだけどね!」


来た……

この男、阿久津純一(あくつじゅんいち)は、しつこく物事を分析するのが大好きであった。だから、5年前に私の身に起こった事件……そう、あのおぞましき事件を、5年経った今でも事細かに考察しているのだ。


「スギちゃんがあの時ホテルで死んでいた男の殺人犯として矛先が向いたのは当然と言えるが不審な点が多いのも事実だと思う。まずスギちゃんと死亡した男、六田成男(ろくだ なしお)とは初対面で六田がホテルで殺された夜スギちゃんはこの男と初めて飲み屋で会って意気投合してそのままホテルへと直行。絵に描いたようなだらしない男女の関係が始まるも普通は性行為があるのが然るべきだが警察の調査によって性行為は行われなかったことが判明。それはどうしてかというと……」


「あーッ! そこまで言わんでよろしい!」


私は面倒臭そうに会話をさえぎる。

そう、私が5年前に巻き込まれた殺人事件。その犯人として最有力候補にあったのも当然私。そして、その難事件を解決してくれたのも、ジュンくんのおかげである以上、私は反論できない。


「で、ホテルで目の前に見知らぬ男がシャワー室で死んでいたのを目撃したスギちゃんはある行動をとる。それが、ある男への電話だった」


「わーった、わーった。いわんでよろし」


「幼馴染であるボクへの電話だった。パニック状態だったスギちゃんは、まず一番頼りになる相手に電話をかけた。それがボク。たまたま海外から帰国していたボクは、実家から少し離れたS市のホテルへと向かった。だが何故スギちゃんは旦那さんへと電話しなかったというとそれは旦那さんへの気まずさであることは間違いない。それはそうだ。結婚して2児の母親であるスギちゃんが夜のスーパーのアルバイトと言って出かけたのに実はただひとりで飲み歩きたいがための口実であり家に帰れば旦那は早く寝ているのでしめしめと思っていただけにまことに悪質であった。」


「はいはい……返す言葉もありませんよーだ」


「そしてもうひとつ。スギちゃんがとったもうひとつの行動それは弁護士である知り合いの人物だ」


天地 忠人 (あまち ただひと) 弁護士。


「彼に電話してしまったのはスギちゃんがパニックすることによる現実逃避でありまず最初に警察に電話しなかったのがこの事件の巧妙さに拍車をかけることになったのであった。」


ジュンくんは、相変わらずひとり言のようにブツブツと言いながら、堤防をモタモタとジョギングしている。これはいつもの光景なので、私は何も言わない。実際、ジュンくんに助けてもらったのは事実だし、ジュンくんがいなければ、私は殺人事件の犯人として刑務所に入れられていたかもしれない。仕方なく彼の考察をぼーっと聞き流してやるくらいは恩があるのだ。


「スギちゃんが電話した弁護士、天地 忠人(あまち ただひと) は実家の田舎からS市に就職していたスギちゃんとは事件のあった3ヶ月前に偶然再会した高校の友人であった。そして天地はボクとほぼ同時刻にホテルの一室に到着して落ち着いた様子でこう言った。」


『大丈夫。オレが殺人犯にはさせないから』


「その言葉を聞いたボクは違和感を覚えた。何故この男はスギちゃんの説明を聞くまでも無く『殺人犯』というワードを言い出したのだろうか? 結果、答えはカンタンだった。死亡した六田 成男(ろくだ なしお)の妻である六田 満子(ろくだ みつこ)が天地と不倫していて、それをうとましく感じた天地が計画的に六田 成男(ろくだ なしお)を殺害しようとしてスギちゃんを犯人に仕立てたのだった。ここまではいい。感情論としてはわかる話だ。ではどうやって殺害の犯人をなすりつけたのかというとひと言でいうと、『スギちゃんのだらしなさ』だった。」


「もうわかったから! 私はどうせ、だらしない女ですよ。だから旦那にも愛想をつかされたんですよー!」


「そう、スギちゃんは、『だらしない女』だった。そこから事件が始まったんだ。」


私は、もはや言い返す気力も無く、ジュンくんの推理の回想を聞き流すだけだった。


「だらしない性格のスギちゃんは天地にとって格好の標的だった。偶然出会ったのは間違いないが、狡猾な天地は一瞬でスギちゃんのだらしなさを把握し今回の事件を思いついた。酒癖が悪く男癖も悪いそんな女が浮気性の男と一晩限りの関係を持つことなど珍しい事でもなく何かの弾みで事件へと発展することもありえる話であった。だから天地はそこにつけこみ作戦をたてた。天地の不倫相手である六田の妻満子から3Pの話を持ちかけられる六田成男。その場所は六田と満子が始めて性行為をしたホテルを指定されたので変態である六田は否応無しに興奮しその誘いに乗った。そして六田が居酒屋で見知らぬ女をナンパしてホテルに向かうのをワザと彼女もまた同じ店にて見張っていたから恐れ入る。結果、六田はスギちゃんを誘ってホテルに入室、スギちゃんはベッドで泥酔。これには六田がスギちゃんのお酒に睡眠薬を入れていたと思われる。ベッドに横たわるスギちゃんの肉体は襲われる風前の灯。だが変にキレイ好きの六田はシャワーを帯びるのがわかっていた満子が、以前この部屋に来た際に合鍵を偽造していたので簡単に進入できた。そしてルンルン気分でシャワーを浴びている六田にバールで強打して簡単に殺害。あとはベッドで寝ているスギちゃんにバールを握らせ指紋を付けて任務完了。完全犯罪が確立するハズであった……」


私は、ジュンくんの無限に続くひとりごとを無視して、堤防沿いを散歩している若い夫婦と子供を見つけた。まだ、4歳くらいの小さな女の子とともに仲良く散歩する様は、私の心をえぐるようだった。


「うううぅ……」


私は寂しさと情けなさで泣けてきた。


「どうしたのスギちゃん? ここからが物語のクライマックなんだよ?」


ジュンくんは、無神経に私の心をメチャクチャに搔き荒らす。

でもコイツはこういう奴なんだなとあきらめた。


「そしてクライマックス。警察に連絡する前に天地と会ったボクは彼のひと言、『大丈夫。オレが殺人犯にはさせないから』でピンときた。彼が仕組んだ事件なのは瞬時に察してすぐさま警察に連絡。やはりというか当たり前というか稚拙な犯行の証拠をすべてボクに摘発されて証拠を挙げられすぐに逮捕。カーテンコールの幕引きはさほど感動するほどでもなく静かに下ろされた。そう、キミの家庭が崩壊することによって。」


何もいえない。私はこの男に対して何もいえない。

もしかしたら殺人犯にされて逮捕されていたかもしれないことを思えば、本来感謝するべきであろう。でも、この鼻持ちなら無い性格をガチでやられると、感謝の意も吹き飛んでしまう。


阿久津純一(あくつじゅんいち)。

私は、この男に、反抗できない何かを植えつけられてしまったのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

だらしなスギ子の事件簿 しょもぺ @yamadagairu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ