165 異次元の扉の向こう側

 想起術を用いても自分で自分を忘却へ追いやった者の記憶を回復させるのは難しい。本当の治療は思い出してからが本番だ。


 彼は自分自身の本当の名前を思い出せるだろうか。アザゼルという名前を。


 暗闇の中で思案するうち、内なる自分自身の声に耳を傾けるうち、自らの犯した罪の重さに蝕まれていったアザゼル。


 発狂の一歩手間で、別の人格へ逃避し全てを忘れた愚かで哀れな狂人。


 我々には彼を回復させる責任がある。

「今日の治療はこれでお終い。ゼルちゃんまたね」

 その子は椅子から立ち上がると、診療所のベランダから空の一点を指差した。

「待ってくれているんだね」

「そうだね。何か思いだした?」

 その子は両眼から涙を流しながら笑顔で言った。

「遠い遠い場所で粉々に打ち砕かれた星たちが泣いているよ。僕に会いたいって泣いている気がするんだ。僕は思い出さなくちゃいけないんだね」

 私はその子の頭を撫でると、一緒になって涙を流した。


 東京という名前を付けた都市の数は886,903都市目になった。

 これが最後の命名になることを切に願う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

叫びの星 Strong Forest @strongforest

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ