ターフのカノジョ 三原雫編 第1話 -原稿-
中原牧人
第1話 家系
「ふわぁ・・・眠たい・・・けど寒い」
刺さるような寒さが体をすくませる。
目の前に広がる草原と空を飛ぶ鳥たち、すがすがしい朝の草原に立っている。
少し遠めで赤毛の馬にブラシをかけている女の子がいる。
「おはよう亜子」
「おはよう雫、朝早いね」
挨拶を返してくれた彼女は山口亜子。学校の飼育係兼調教師といっても調教師の卵にあたる存在である。
ブラッシングをされている赤毛の馬はこちらにより頭をこすりつけてくる。
私はそっと頭をなでその優しい目に喜びを感じる。
「おはようベコ」
赤毛の馬はベコ。私のパートナーで現在は1ケ月の放牧中の競争馬。
亜子はベコのブラッシングをとめ頭を撫ではじめた。
「ベコ最近調子いいみたいだし、また頑張ってみる?」
亜子の言葉に返事するかのようにベコは亜子に頭をこする。
「雫、今回はいい感じじゃないかな?」
その言葉に対する返答は・・・
即答できなかった。
ベコとは6度の競争を共にしてきたけれどいまだに功績は出せていない。
学園競馬は6頭立てなのにベコはいつも5着以下。
私の実力が無いせいでベコを喜ばせてあげられない。
ベコは頑張って走っている。
一生懸命走っている。
私はそれが解る。ただ、他の馬達より少し足が遅いだけ。
ただそれだけの理由。
でも足が遅いことは競争馬として致命的な事。
「ベコ・・・」
即答してあげられない自分に悔しさと腹立たしさが込み上げる。
「雫大丈夫だって、ベコだって雫と走りたいしさ自信持ってればいいじゃない」
「うん」
軽く頷くことしかできない。
ベコは私を舐めてきた。
「ほら、ベコだって頑張ろうって言ってるじゃない」
亜子の言葉が胸を刺す。
実績を残せないのは自分。
そのせいで亜子やベコに辛い思いをさせている。
罪悪感だけが脳裏をよぎる。
チャイムの音が聞こえる。
「雫授業始まるんじゃない?」
振り返ると草原の奥に校舎が見える。
そう、ここは名門校であるお座敷学園の校庭なのだ。
名門校といっても他校と変わらない程の偏差値学校である。
ただ、他校と違うのは競馬道を専攻していること。
競馬道とはここ数年で人気科目となったといっても過言で無い専攻学科で、従来この国には中央競馬と地方競馬と呼ばれる競馬があったが第3の競馬として学園競馬なるものを国が作ったからだ。
学園競馬は競馬道の総称で未成年でかつ学生が対象の競馬、つまり馬で競争するというあれだ。
競馬道とは遥か昔から伝えられる伝統芸能の一つで鏑流馬や乗馬に適した馬の能力を見抜く力を養うというもので、言葉の通じない動物の能力を見極めることができる能力を競う武道の一つである。
国はその伝統芸能を国家スキルの一つとして伸ばすため正式に学園競馬を認可した。
大人たちの一部もその学園競馬も公営ギャンブルの一つとして楽しみにしている。
地方競馬は毎日開催され中央競馬は基本的に土曜日と日曜日に開催されている。
学園競馬はというとまだ年に十数回開催される程度、だから尚更力が入る。
そして本来の競馬との違いは厩舎でなく学校が馬を所持し競争に出しているところも特徴の一つだ。
トレーニング方法は各校に異なり、もちろん抱えている馬数も学校により大小はある。
お座敷学園には6頭の馬がいる。
その一頭がベコだ。
もちろん学校内で知らぬものはいないというほどの連敗馬で学校もその成績には頭を抱えている。
競馬的に書くとこうだ(0,0,0,9)と左から過去の成績は優勝回数0回、2着実績0回、3着実績0回、それ以下の着順9回という連敗記録更新中の馬だ。
私、三原雫がベコに騎乗する前に3人が騎乗していたが成果は出なかった。
以後私が専属で騎乗することとなった。
その3人の最後は現在学園で競馬道ナンバー2の実力者である童夢志保が騎乗しても5着であった。5着つまりベッタコが1つ順位を上げただけが最高記録。
その後私が騎乗するならなおさら成果は出ない、学園内もそれは仕方のない事だと諦めている。
ベコが5着だったレースは同級生にして憧れの存在である童夢志保が騎乗していた。
私は隣にいた観客の大人達の会話が当たり前の事なのに認めたくなかった。
3ケ月前の事
場内アナウンスが流れる
「ただいまより学園牝馬未勝利戦の本馬場入場です」
司会の声が場内に響き渡ると共に歓声が沸き上がる。
私はスタンドで学園代表のベコを見守っていた。もちろん私だけでなく多くの生徒そして先生、一般の客が観戦している。
国の法律改正に伴い学園競馬でも賭博することが認められているからだ。
隣にいる成人男性2人が話をしている。もちろん彼らは一般観戦客だ。
「未勝利か・・・成績的にどうよ?」
もう一人の成人男性が返答する。
「前回3着だった3番スターライトが濃厚だろう?距離も1400mだから適性と思うぜ」
競馬場では当たり前の会話だ、各々の理論と推理をするこれが観戦客側での醍醐味である。
「いや待て待て、外側のが逃げたら包まれるしわからんぞ」
会話の弾む二人、そして一人が童夢志保が騎乗する事に気付く。
「お?童夢志保ってお座敷学園所属の達者な騎手だろ?これ騎手買いもありじゃないか?」
競馬での能力比率ははっきりと数値化はされていないものの競走馬の能力と騎手の能力そして枠番と呼ばれるスタート位置が大まかな判定基準にあたる。
もちろんその他にもデータとして考慮する点はある。
「いやおまえさん見てみろよ乗ってる馬(0,0,0,2)だぞ、しかも前走と前々走は6着と殿キープのまま」
その言葉に反論するようにもう一人が返答する。
「だからいいんだよ!穴をあけるときゃ騎手が変わって勝ったりすんだよ」
競馬にはオッズと呼ばれる数値なる物があり、その数値が馬券的中時の配当となる。
その数値は馬券購入に参加している人たちの期待値を表しているといっても過言ではなく
購入された馬券の枚数を基に算出されているので買われる枚数で変動する数値である。
数値が低ければ本命つまり好成績を残すであろうと期待されている。
数値が高ければこのレースでは好成績は望めないのではないかという期待値の低さをその数値は表している。そのような期待値の低い馬が穴馬と呼ばれている。
しかし競馬に絶対はない。だから関係者すべてにロマンのあるスポーツなのだ。
先ほどの男性が言った穴をあける。そう穴馬が本命馬に勝つことだって無いわけではない。
そのようなレースも意外とあるのが日常で、時々ニュースで見かける史上初の万馬券更新や高額な配当がついたというニュースの記憶がある人もいるはずである。
100円の馬券で一万円も支払われる夢のような馬券、そのような夢を追って馬券を購入する人も少なくない。
その現状を私は今、目の当たりにしている。
この男性は私の学校のベコを、そして童夢さんを信じて馬券を買おうとしているのかな?
雫はそう思った。
そして馬券購入締め切りのアナウンスが鳴りやみスタート地点に6頭が向かう。
童夢さんとベコは1番、一番内側のゲートからのスタートとなる。
本命はやはり3番のスターライトという名の馬。単勝オッズも3.1倍と低く対するベコは42倍だった。
競馬の馬券には複数あり単勝と呼ばれる1着の優勝馬を推理する馬券から3着まで入賞すれば的中となる複勝馬券、難しいのは1着と2着、そして3着までを当てないといけない馬券とさまざまで上位順位を推理する馬券は高難易度で配当も高い。
先ほどの男性はベコを選んでいるようでゲートに向かうベコに声を上げる。
「ベコいけよー!」
一番人気の無いベコを応援してくれているこの人は雫とって心地よいと思えるひと時をくれている。
ベコ頑張って!心から願う雫と学園一同。
スターターと呼ばれる旗振りおじさんが台の上に上がる。
ベコのスタートが来る!
みんなが旗振りおじさんと呼んでいるスターターの旗に視線を集める。
旗を振り上げた。
スタートの時が来た。
この瞬間が私にとっては一番緊張する時。
ゲートが開いた。各馬6頭が一斉にスタートを切った。
アナウンサーの声が聞こえる。
「各馬一斉にスタートしました。ほぼ揃いました、どの馬がいくのでしょうか?」
アナウンスに耳を傾けながら競争している馬を目で追う。
第1コーナーにさしかかる。各馬の配列は綺麗に整っていた。
ベコは?ベコはどこなのか雫は探す。
一人の生徒が言葉を発した
「ベコが逃げてる」
生徒間でもざわつきが次第に上がる。
一番先陣を切って走る逃げというスタイル。ベコは常に後ろから、あまり競争心を表さない馬が今先頭で走っている。
今までも練習でも控えめに後ろから追走する姿しか見たことのない赤毛の馬が先陣を切っている。
先ほどの男性も声を上げる
「おい、差しじゃないのかよ先行かよ」
男性の持つ新聞にはベコは後ろからのスタイルである[差し]の文字が記載されている。
そして外側の6番の馬が新聞通り先頭に出てきている。
再びアナウンサーの声が耳に入る。
「各馬第4コーナーに差し掛かります。人気のスターライトは徐々に前に向けてペースを上げています。」
私は聞こえるはずの無い童夢さんの声が聞こえたような気がした。
「後ろからがダメなら前に行ってやんよ!見てなって!」
いつもの童夢さんの勝気な声が聞こえた気がする。心に伝わってきたのか、それとも童夢さんは今そう思っているのではないかと私は感じていた。
「最終直線脚比べ、やはりスターライト早い早い末脚」
アナウンサーの声で全員が一点を見つめる。
後ろから来た馬のスピードが上がるのに対しベコのスピードは緩やかになっていった。
「スターライト人気に答えてゴールイン、2着争いは団子状態」
そのアナウンスの時まだベコはゴールの手前、先行を共に走っていた6番の馬と並んで走っている。
ベコのゴールは6番と同時に見えた。
レースは終わった。ベコは最下位だったと誰しもが思っていたが鼻差で5着。
成人男性は持っていた新聞と馬券を投げ捨て
「くそ、ダメじゃないか!童夢が乗ってダメならあの馬は使えんな!カスじゃないか」
酷い暴言を横で学園の生徒全員が聞いていた。
私はその言葉を忘れない。
ベコは頑張って走った、童夢さんの指示のもと嫌な先頭を買って出て頑張ったのに成果が出なかっただけ。
私は唖然となりその場に立っていた。
声をかけてくれたのは亜子だった。
「雫帰ろう。他の馬を引き連れて先陣を切るベコの勇姿が見れただけでも私は成果あったと思うよ。さすが志保ちゃんだね。うまいよ!」
亜子は目にうっすらと涙を浮かべて話しかけてきた。
その涙は悔し涙ではない、嬉し涙、感動の喜びの涙だったと私は感じた。
負けレースだったけどこれほどの感動を与えてくれたベコに私は心を奪われた。
それがきっかけで今もベコと頑張っている。
あの時のベコはどうしてたんだろう、その後先頭を走ることは今だ無い。
時々私はこうしてあの時のレースの事を思い出す。
「雫、教室に行かないと」
亜子の声で我に返る。
「え?」
声が出てしまった。
「もう、あの時の事思い出してたんでしょう?それより授業始まるよ」
そうだ、チャイムが鳴っていたのだった。
チャイムの音に引かれるように校舎に入っていく生徒たちを見ながら自分も足を校舎の中へと運ばせる。
教室内はいつもと変わらぬざわつき模様で少しほっと胸をなでおろす。
そろそろ教室にいつもの響き渡る声が上がるのではないかと思ったときその声は上がった。
「席に着きなさい」
海老沢先生の一言で生徒全員が着席した。
クラスの担任である海老沢冴子先生が教壇の前に立っている。
いつものように腕を組みクラス全体を見回している。
威圧力の大きさが半端無い、鬼教師と噂の先生である。
「一時限目の授業は競馬道だ、テキスト84ページを開きなさい」
いつものように授業が始まる。
「うちのクラスは優等生揃いだから中央主催の夏期講習に参加すれば更にみんなの実力も上がるいい話だろう」
海老沢先生の一言から突然始まった夏期講習の話。
教室がざわつく。
私も突然の話に動揺を隠せず口を開いてしまった。
「中央主催の講習って全国から成績上位の特進クラスの生徒が集まって抗議を受けられるというあの講習ですの?」
普段はクラスの話に耳を傾けるだけの私に質問をさせるほどの内容だった。
「Yes!シズークそうデース!」
日本語なまりというよりも日本語なのかどうなのかというほどの言葉で返してきたのはプリムローズ。
容姿端麗で成績優秀とよくある設定のお嬢様中のお嬢様である。
天は二物を与えないという証明はあの言葉使いなのだろうか。
独特といえばそれまでなのかもしれないが個性が強すぎる
帰国子女の彼女は財閥令嬢で父親の祖国であるイギリスに幼少期から留学をしていた。
留学といっても長期滞在でなく年に数回日本とイギリスを往復し両国の勉学に励んでいるという変わった英才教育スタイルだったそうだ。
そんなエリートコースを歩んでいるプリムローズとお座敷学園のエース童夢志保は親友でありライバルの関係だった。
「中央主催の講習で獲得点数がプリムに勝ちゃぁあたしがトップってこと確定だなぁ」
志保がプリムローズに向かって挑戦的な態度と言葉で挑発する。
プリムローズはすかさず返答をする。
「OKデース! Shiho勝負デース!」
ノリの良さが抜群のプリムは二つ返事で志保に返す。
クラス一同から歓声が沸き上がる!
「因縁の対決だよね・・・」
「今回は志保ちゃんが勝ったりして!」
「プリムちゃん凄いから流石の志保ちゃんも・・・」
生徒各々で意見が違う。さすがは競馬道学部、それぞれの分析と推理がある。
そんなことはさておき志保がプリムの方へ一歩踏み出す。
「講習までに予習してプリムにギャフンと言わせてやんよぉ」
志保の威圧的な一言がプリムに向かって飛ぶ!
その瞬間矛先を向けられたプリムにクラス一同の視点が集まる。
プリムは表情を変えずに
「ギャフーンデース」
と志保に言葉を返すとにっこりとほほ笑んだ。
その瞬間志保の表情が険しくなる。
「プリム揶揄いやがったな!マジ勝ってやんからなぁ」
大きな声で志保はプリムに投げ返す。
そのやり取りを見ていてなぜか私は話に割り込んでしまった・・・
「プリムさんも志保さんも成績良くて羨ましいですわ」
本当に素直な気持ちで言葉をこぼしてしまった雫。
プリムと志保のやり取りでなごんだ教室が静まり返る。
「雫もいい家系なんだしすぐに上がれるって」
志保のその言葉にプレッシャーを感じる雫。
すぐさま後を追うように
「シズークは出来るデース」
プリムも励ましの言葉をかけてくれた。
クラスのみんなも同じように声をかけてくれる。
「本当にわたくしなんかが好成績になれるはずが・・・」
雫は小さな声を漏らした。
しかしクラスメイトが気を使って声をかけて事を踏みにじるわけにいかない。
雫はそう思い
「みなさんありがとうございます。頑張りますわ。」
すぐさま少しボリュームを上げて返答した。
だが考えている事とは違う言葉で返していた。
家系・血統、私の苦手な言葉がこの学園ではよくつかわれる。
競馬道では能力のある馬の遺伝子はやはり好材料として見られるからです。
医者の子は医者なんて言葉を聞くこともありますが果たしてそうなのか?
雫は酷く悩んでいた。
夏休み一週目の金曜日のことである
雫は夏休みの課題に着々と手を付け進めていた。
集中力の途切れた雫はため息をついた。
「疲れましたわ、どのような勉強をすればプリムさんや志保さんのようになれるのかしら?いくらわたくしが競馬道の家系であるとはいえ勉強の仕方が悪いのかしら・・・
いくら勉強しても思うように身になりませんわ。」
人並みに努力している雫だが知識はおろか技術もなかなか身につかない、そんなスランプ状態に陥っていた。
次第にその不安は募り独り言まで出てくるほどだ。
そんなある夏休みの朝のことである。
レポートが全然はかどらない雫、部屋をノックする音が聞こえた。
「はい」
雫の返事と共に扉が開いた。
母の三原光が部屋に入って来た。
光は勉強中の雫を凝視し口を開いた。
「雫、法事で今年こそはお祖母さんのお墓参りに行かないといけないと思っていますけれど、あなた宿題はどうなのですか?」
光の言葉が雫を追い込む。
雫はうつむき小さな声で
「うーん、それなりにはしていますわ」
返答が聞こえたのか光は雫ににじり寄り
大きな声で
「それなりで良いのですか?あなたは競馬道の家系を継ぐ子なのですよ。クラスでもトップで居ていただかないと・・・」
腕を組み呆れた顔で光は雫を見つめる。
母の光は結婚前地方競馬で比較的有名な女性調教師であった。
父は決して才能に恵まれていたとは言えないが競馬の騎手であり、数年前に病気で他界した。
ただ結婚のきっかけとなったのは光の育て上げた名馬「キセキノアオバ」という馬に父が騎乗し国内グレードで最も高いG1と呼ばれるレースで優勝したことをきっかけに結婚した。
その馬の成績は極めて目立つほどのものはなく勝利できたのが不思議なぐらいであった。
しいてそのレースで優勝できたのは天候が雨であり、馬場状態が悪化していた事がその馬にとって好条件に導いたのではないかと推測されている。
どのような条件下であっても勝利を収めたことには変わりはない。
そして雫が産まれ命名するときはそのキセキノアオバから滴る恵みの雨の雫をとり、雫と命名したと光は雫に言ったことがある。
そのような競馬夫婦から産まれた雫には競馬関係者からも期待の声が寄せられていた。
物心がついた時、競馬道が国内法案で認められ学園競馬がブームを起こしていた。
光も否応なしに雫をその道へ進ませるために勉強させ、お座敷学園へ入学させた。
競馬で血統は分析材料として高く注目されているステータスである。
もちろん競走馬だけでなく競馬一家から産まれた雫のような家系の人間も世間は注目している。
そしていつものお決まりの言葉が光るから雫へ投げられる。
「雫、あなたには悪いですけれどこれも競馬道の家系に生まれた宿命なのです。そのために競馬道学部のある名門お座敷学園に通っているのですよ。」
雫はいつものように
「それはわかっていますわ」
この言葉をいつも返している。そしていつもならこの言葉で返答すれば会話は終わるのである。しかし今日の光は更に口を開き
「わかっているのでしたらいいですわ。受験を迎えているのに成績的に大丈夫ですか?勉強をしておいたほうが良いのであれば家で勉強していなさい。あなたはこの家の娘だという事だけは忘れないでちょうだい!」
その言葉を残し、雫の部屋を出ていった。
「家系、家系って言われましても・・・わたくしはどうすればいいのかしら?なんでこの家の子に生まれてしまったの・・・」
いつものように口走ってしまう。
そして墓参りの日が来た。母と共に山口県にある祖父宅を訪れる予定であったが、雫一人で先に行くこととなり後日光と合流することとなった。
女で一つで雫を育てている光にとって、仕事の話が来れば優先せざるを得ない日常があり、このように予定を組んでいても突如変わることはしばしばあった。
「それでは雫、お父さんにこれを渡しておいてちょうだい。」
母光るより包み紙を渡され山口県へと向かう。
祖父は私には優しく、見た目とはギャップのある接し方をしてくれるので一人でも祖父に会いに行くことは苦痛ではなかった。
長い道のりといっても電車の窓から外を眺めているだけ。
「晴天ですわね・・・暖かくて眠ってしまいそうですわ」
心地よい日差しを浴びながら窓際の席で居眠る雫。
ふと夢の中で話しかける声が聞こえる。
「おねーちゃん遊ぼうよ!待ってるよー早くお家に来てね☆」
小さな女の子の声が聞こえる。
自分に話しかけてくれる・・・そう認識した雫は目を覚まし電車内の席を見渡す。
ちょうど後ろの席に親子連れの姿があり、女の子が両親にはしゃぎながら話しかけている。
「ビックリしましたわ、わたくしに話しかけているのかと思いましたわ。そんなはずありませんわよね・・・」
独り言をこぼした途端携帯電話がメールの着信を知らせた。
「わぁ!ビックリしましたわ。」
志保からのメールであった。
「志保さん何かしら?」
メールを開きメッセージを読む。
雫あたしさぁバイト始めたしお店遊びに来ない?
レストランだけど美味しいケーキ揃ってるよ。
安くは出来ないけど
場所は・・・
「凄いですわ!志保さんアルバイト始められましたのね・・・」
雫の志保への敬意はそのメッセージから更に高まった。
成績優秀であるのにさらにアルバイトまで・・・
「志保さん凄すぎますわ。」
関心している間に祖父の最寄り駅についた。
駅からは歩いて数分のところに祖父の家はある。
祖母はすでに他界しており今は祖父が一人で暮らしているお世辞でも街とは言えない場所に住んでいた。
田舎と言うほどでもないがそれなりに静かな落ち着いた町だった。
家は古風な瓦造りで庭があり、板の間と畳そして襖という日本古来の造りの家である。
祖父の家近辺はこのような昔ながらの家が多く、古くから変わり映えのしない老人たちが主となる町であった。
もちろん祖父の幼馴染といえる人間も数人いるといった具合に過疎化は進んでいないものの平均年齢は高い町だ。
「おや?見たことのあるお嬢ちゃんだね・・・」
わたくしはまったく覚えていないのに祖父の家の近所では道で声をかけられる。
「こんにちは」
とっさに挨拶をして、お辞儀をしながら祖父の家へ向かう。
数年に一度しか来ない家なのに記憶にはっきりと残っている。
ここが祖父の家だ。
玄関に立ちチャイムを鳴らす。
家の奥から玄関に向かって人影が寄る。
「おじいちゃん、おじいちゃん」
雫は扉の向こうの陰に声をかける。
そして扉が開き低い声が返ってきた。
「おぉ雫よく来たね、ゆっくりしていきなさい。」
祖父だ。ボケずにわたしのことを覚えていてくれたのは嬉しかった。
この表現は祖父に失礼であるが老人の一人暮らしとなると認知症も進むので心配であった。
「奥の座敷で泊まりんさい」
祖父の声と共に家の中に入る。
広い家だ。
木と畳の匂いが広がる。
軋む板の廊下を進み奥の和室に到着。
「わたくし一人には広すぎる部屋ですわね」
早速荷物を置く。
「おじいちゃん、これお母さんから」
ゆっくりと後からついてあるいてきた祖父に声をかけ母から渡された包み紙を渡す。
「光さんは仕事だそうじゃな。電話あったけぇ、雫一人で来れるか心配じゃったぞ。」
祖父のその言葉に即答で返す。
「おじいちゃん、わたくしももう高校生ですわ。大丈夫ですわよ。」
二人の弾む話声は隣の家にも聞こえているほどだった。
すっかり夕日も沈み窓の外は暗くなっていた。
夕飯の支度をしないといけないと思い立ち上がろうとしたが思うように立てない。
旅の疲労ですぐに立ち上がれなかった。
台所では祖父が雫のために寿司の出前を取っていた。
「わぁ、おじいちゃんお寿司凄いですわね」
喜ぶ雫の顔を見て微笑みながら
「雫は好きじゃしのう」
台所でも学校の話や世間話が弾み時間が進むのは早かった。
「おじいちゃん、そろそろ寝ますわ」
「そうじゃの、疲れておるので眠んさいな」
布団を敷き、横になる。
「疲れましたわ、電車で結構かかりましたもの。今日は早く寝て明日観光にでもいこうっと」
明日の事を考え口に漏らす雫。ここに母がいればそういう訳にもいかないのだが光が到着するまでは自由だ。
目をつむり、真っ暗な静かな夜。
車の音一つしない。
眠りにつく雫。
突然犬の鳴き声が耳に入る。
その直後板の間を走る足音が聞こえ、雫の和室の外でその音は止まった。
「ん?なにかしら?」
目をこすり起き上がり襖の方に歩く雫。
「おじいちゃんどうしましたの?」
扉をあけたそこには・・・
ターフのカノジョ 三原雫編 第1話 -原稿- 中原牧人 @kotori1663
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