及ばぬ恋の鬼登り

犬養ワタル

第1話

 鬼が、流れてきた。


 それは8月の中旬のことだ。

 俺はその時、少し離れた公園で佇んでいた。公園、と言っても結構広くて、ちょうどこの時期は海水浴やBBQの客などが来たりする。俺はそこで、暑い日に当たりながら一人で考え事をするのが好きだ。


 その日は平日なのでほとんど人気がなく、子ども達が砂浜で駆け回っているだけだった。

 防波堤の上に座ってそんな様子を眺めているとき、俺は人影が砂浜の端の方に横たわっているのを見つけた。よく目を凝らして見ると、どうやら女性のようで、うつ伏せに倒れており、頭に海藻が引っかかっているという明らかな異常事態だった。俺は急いで人影の方向へ向かう。


「大丈夫ですか!」


 尋ねたものの、返事はない。取り敢えず窒息すると不味いので、体を仰向けにしておく。そして脈を取ろうとして息を呑んだ。


「なんだこれは……」


 女性の顔を覗き込んだ時、額を見たとき、俺は凄い違和感に襲われた。そこには――立派な二本の角が生えていた。

 試しに触って見たが、固く、とても作りものとは思えない。何より取れそうになかった。


「って、そんな場合じゃない!」


 急いで脈を取り、呼吸を確認する。弱っているようだが、どうやら生きてはいるようだ。

 俺はここで考える。よく分からない研究所に預けるか、医者に預けるか、家に連れ帰るかを。

 ただ、よく分からない機関に預けて騒ぎになっても面倒で可愛そうだし、病院に連れてっても騒ぎになりそうだし、取り敢えず目を覚ますまで匿うことにした。起きれば自由にすればいいし。

 

 俺は女性を車内慎重に運ぶと、低体温症の可能性もあるのでトランクにあった毛布を掛けておいた。すごい犯罪的な背徳感のある気分だったが、気にしたら負けだと思って思いを振り切る。

 車にエンジンを掛け、家に向かう。ミラーに映る角がやはり違和感を醸し出していた。


 そんな様子を蝉だけが眺めていた。


※   ※   ※


 視界に緑がチラチラと入ってくる中、家に到着した。静岡にあるこの家は、田舎だが車を走らせれば20分程で都市に出れるという立地にある。古い一軒家なので水漏れがしたりもするが、その話は割愛しよう。


「ただいま〜っと」


 誰も居ない家に習慣となった言葉を言って、女性を運んで来る。


「……しまったな」


 そこで俺はあることに気づく。彼女の服の問題だ。焦っていて気が付かなかったが、よく見ると女性はとても高そうな小豆色した和装をしている。それがびしょ濡れになっているのだから、低体温症などが怖い。ただ脱がせる訳にもいかず、びしょ濡れのまま布団に包もうか、と考えたりもした。


 とりあえず布団を日の当たる縁側において、女性を寝かせた。黒い長い髪が濡れて、艶めかしい。


「何を考えているんだ、俺は」


 急いで考えをかなぐり捨てる。そして、意識しないように悶々としていると、急にウトウト眠気が来て、畳の上でそのまま眠ってしまった。


※  ※   ※


 家のチャイムがなって僕は起きた。時計を見ると、深夜12時を回っていた。


「誰だよ、こんな時間に……」


 引き戸のくもりガラスには長身の姿が見えた。どうせこの辺の人たちは知り合いなので、特に警戒せずに戸を引いた。


「どちら様で、ってホントに誰だ?」

 

 一気に目が覚める。男は目算185cmは超える程の長身で、スーツ姿だった。シルクハットを目深に被っていて目は隠れていたが、鼻や口だけでひどく整った顔であることが分かった。

 警戒心を上げ、男の挙動を伺う。


「夜分遅くにすいません。私この女性を探してまして」


 そう言って見せたのは、写真ではなく絵だった。そしてその人相書はまさに今日連れ帰った女性のものである。


「いえ、知りません」


 俺は咄嗟に嘘をついた。匿って、と言われたそばから他人に引き渡すなんて不誠実な真似はできない。

 

 男はこちらを睨むように眺めていた。帽子から覗くその眼光は刺し貫くように冷たく、全身に鳥肌が立った。心臓が高鳴る。ここは正直に言うべきだろうか、と悩む。だが、その恐怖を飲み込んで睨み返した。約束を破る男にはなりたくない。

 

 すると男は興味を失ったように視線を外し、


「そうですか。夜分遅くに失礼しました」

 

 と言って去って行った。


「あの人も鬼なのかな」


 そう思うと、背筋が凍りそうだった。


※   ※   ※


「動くな」


 起きて深夜3時、言われた第一声がそれである。俺は家の柱に縛られていて、角が生えた女性が首に手を当てている。


「目が覚めたのか!」

「状況が分からないのか、君は? 質問に答えろ」


 確かに言われて見れば、危機的状況だ。いくら美人でもこれをご褒美と言える神経は持ち合わせていない。


「ここは俺の家だ。海岸に流れ着いていたので、とりあえず保護した」


 そう言うと、女性は首にかけていた手を離し、


「そうか、それは済まなかった」


 とだけ言い、縄を解いてくれた。

 

「やけにあっさり信じるんだな」


 俺は尋ねる。彼女から見れば、俺は明らかに不審者なはずだ。


「私は嘘を見抜くのには自信があってな。君が悪意のない人間だと言うことくらい分かった」


 そして少しの沈黙が流れて、彼女は唐突な提案をしてきた。


「もし、君が良かったら私を匿ってくれないか」

「え?」


 いやいや、美少女を匿うとか、妄想したことがない訳でもないけど、実際面倒な予感しかしない。匿うってことはワケアリってことだし。


「ニンゲンの世界がどうなっているかは分からないが、君のような匿うという発想に至れるニンゲンがそう沢山いるとも限らんからな」


 確かに他を当たれ、と言っても、別の人が研究所みたいな所に送り出すとも限らない。


「分かったよ。いつまで匿えばいいんだい?」


 拾ってきた地点で責任は取らないといけないだろう。なんかペットみたいだな、と思う。


「……いつまでと、明言はできない。ただ、いつかは消えよう」

「そうか」


 ……困ったことになったな。まあ、夏休みだし、美人を匿うのくらいっか! と思考放棄して、家の間取りを紹介して寝た。


※   ※   ※


「朝だぞ」


 布団を揺らされ、寝ぼけなまこで時計を見ると、朝7時だった。普段正午位に起きる夏休みの学生には早すぎる時間だ。彼女の顔をじーっと見る。


「どうしたんだ。私の顔に何か付いているのか?」

「いや、すげー美人だなっと思って」


 しまった。寝ぼけすぎて口から思った言葉が出てしまった。これは黒歴史確定だな、と少し悶える。


「なっ、何を行っているのだ! ふざけてないで起きろ!」

「あっ、今の照れてるの可愛い」


 黙れ、馬鹿か俺の口!

 

「…………」


 彼女はそのまま部屋を出ていってしまった。怒らせたかなぁと、反省しつつ布団で自分の馬鹿さ加減に悶絶した。


 30分くらいして、布団から出ると、朝食が作られていた。


「食材を借りたぞ。居候の身なのでな。これくらいはさせてもらおう」


 そう言って出てきた料理は見たこともないものだった。これが鬼の料理か、と感動する。


「朝は済まなかったな、では食べようか。いただきます」

「イタダキマス?」


 そうか、鬼にはそういう文化がないのか。


「いただきます、って言うのは食に感謝する挨拶の様なものだ。日本では食べる時に必ずする」

「食に感謝、か。いい文化だな」


 彼女はしみじみとした様子で言う。


「じゃあ改めて、いただきます」

「イタダキマス」


 僕等は食事を楽しんだ。とても美味しく、美味しいと言うたび角が少し動くのが面白かった。ただ、明らかに朝ごはんの量ではなく、辛い味付けだったのか彼女は咳き込んでいた。

 ここで、俺は肝心な事を忘れている事に気づいた。


「よし、朝ごはんが終わった所で大事な話がある」

「大事な話?」


 彼女は身構る。その様子はそう人間と変わらない。


「俺らまだ自己紹介がまだだったよね」

「あっ」


 相手のことを何も知らず匿うとか、自分の馬鹿さに呆れかえる。まあ、知らなかったから匿ったと言うところもあるが。


「まずは俺から、名前は葛木明。趣味はギターだ」

「ぎたー?」

「ああ、楽器の一種だ。弾いてみよっか?」

「頼む」


 立ってスタンドに立て掛けてあるギターをアンプに繋ぐ。とりあえず、今流行のハードロックを弾いてみる。


「わっ、凄い大きい音。なんだかカッコいいな」


 キラキラとした目で演奏を眺めている彼女を見てると、テンションがノッてきた。

 一通り弾き終わると、彼女はパチパチと拍手してくれた。


「ニンゲン界の音楽ってこんなに楽しいのだな。私も挑戦してみたいものだ」

「好きに使ってくれて構わない。それよりもそっちの自己紹介も頼む」


 ベタ褒めで少しむず痒く、話題を変えるように急かした。


「そうだな。私は椿という。鬼の島から逃げてきた」 

「そうか」

「そうか、って気にならないのか?」

「言いたくないなら無理に言う必要はない。と言うか今言われると頭がパンクしてしまいそうだ」


 鬼が目の前にいる上に、鬼の島とか出てきたら少量でもお腹いっぱいになってしまう。


「すまない。そう言ってもらえると助かる」


 一通り話終わって話が途切れてしまう。少し気まずい。


「そうだ、服を見に行かなくちゃな」


 椿の格好を見ながらそんなことを思いついた。今あの和服は乾かしているので、彼女は貸したYシャツを着ている。


「ほう、こっちの服に興味があってな。是非見に行きたい」


 椿は乗り気のようだ。そのことにホッと安心する。


「ただ、角がバレるのはマズいから、この帽子を被ってけ」


 そう言ってタンスから麦わら帽子を出す。イマイチ効果があるかは分からないが、無いよりマシだろう。


「ありがとう。恩に着る」


 そう言って帽子を被る。角がを突き破るというベタな展開は無かった。


「さて、行くか」


 いつまでもYシャツままでいられるとこちらも緊張してしまうし、椿もワクワクしているので、さっさと車を走らせて街へ向かった。


※   ※   ※


 車で15分、デパートに到着した。椿と言えば、車から流れる景色が珍しいらしく、窓に張り付くように見入っていた。


「よし、じゃあ服を見て、飯を食って、という予定で行こう」 

「よく分からないから先導を頼む」


 俺たちはまずアパレルショップを見に行く。流石に女性用のに入る勇気はなく、男女とも売っている店を選んだ。


「ここから好きなのを選んでいいのか?」


 椿はここに来て驚きっぱなしだ。その仕草がとてもカワイイので、毎回どぎまぎしてしまう。


「ああ、好きなのを選べ。あとは……」

「あとは?」

「いや、何でもない」


 そういえば下着はどうするんだろう、と思ったが、あまりにもデリカシーがなさそうなので聞くのは止めといた。


「気になるのがあったら、ここに試着室があるから試しに着てみるといい」


 それを聞いて椿は弾むように歩き、服を探し始めた。


 待っている間、自分も服を探していると、たまたまバンドメンバーの二人に出会った。


「おっ、アキラじゃん。奇遇だね」

「なんだ、二人一緒なら呼んでくれればよかったのに」


 なんか一人だけハブられて悲しい。


「いや、ちゃんとメッセージ送ったのに既読つかなかったからさ。何かあったのかと心配してたんだぜ」


 そう言われて初めて昨日携帯を見てない事に気づく。


「あっ、ホントだ。気づかないでごめん」

「いいってことよ。それより今からカラオケ行くけど来るか?」

「ああ……今は……」


 するとそのタイミングで椿が戻ってきた。


「明、決めたぞ」

「お、おい。アキラに女かよ!」

「おい、信じられねぇな、おい」


 椿を見た二人は俺の肩を叩き、口笛を吹く。


「別にそんなんじゃ……」

「照れんなよ。俺らは邪魔すると悪いから行くわ」

「おい、待てよ!」


 だが、彼らは聞く耳を持たず何処かへと行ってしまった。


「今の方々は?」

「ああ、アイツらは楽器仲間だ。いつか紹介してやるよ」

「それは楽しみだな。あと服決まったぞ」


 言われて椿の買い物カゴを見る。


「白いワンピースに、これは……」

「何か服を着せてあった人形があってな。それを参考にしてきた」

「そうか。後で見せてくれな」 

「それは少し恥ずかしい……」


 そんな彼女の様子を見ながら会計を済まし、レストランへ向かう。数々の人とすれ違ったが、僕らに、角に目が行く人は誰一人として居なかった。


 その後椿と一緒に寿司屋に行ったが、彼女が大食いで会計に頭を悩ませたのは別の話である。


※   ※   ※


 椿を保護してから1週間が経った。彼女と言えば、レースゲームに夢中なようだ。

 

「おかえり、帰ってきたか」


 ゲームを止めて、こちらへ来る。

 

「ああ、ただいま」


 バイト帰り、待っている人がいるのがこんなに幸せなんて思いもしていなかった。なので最近は何処に行っても浮足立ってしまう。


「今日はスイーツを買って来たぞ」

「本当か!」


 椿は甘いものが大好きなようで、なんでも美味しそうに食べる。僕はそれを見るのが好きだった。


「しかし、ニンゲン界は楽しい事で溢れてるな。もっと知ってみたいものだ」

「それなら明日夏祭りがあるけど、一緒に行くか?」

「祭り、か。面白そうだな」

「よし、明日の夜は祭りだな!」


 その後デザートを堪能して、歯を磨いて布団に入って寝た。


※   ※   ※


「そういや、祭りの服装どうするの?」


 起きて朝食を取りながら、そんなことを尋ねる。


「どう、ってこの前買ったのではダメなのか?」

「いや、別にいいんだけど、祖母の浴衣とかあるよ?」

「浴衣か……少し興味があるな」


 昨日寝る前に祭りについて調べていたようだから、多分通じているだろう。


「着付け方は分かるか?」

「故郷で似たような服を着てたから、分かるとは思う」

「そうか、じゃあ俺も和装で行こうかな」

「ふふ、アキラの和装か。楽しみだな」

「そう期待すんなよ」


 椿はソワソワしていて、今にでも家を出たそうにしている。こうしていると鬼、という事実を忘れてしまう時がある。

 そんなとき、椿は大きく咳き込んだ。


「おい、大丈夫か」


 冷蔵庫から水を取り出し、彼女に渡す。最近咳き込むことが多い気がする。


「ああ、大丈夫だ。それよりも今日は何時に出るんだ?」

「今日は花火の場所も取りたいし、3時位は出ようかな」

「そうか。楽しみだな」

「ああ」

 

 何もすることがないので、二人してソワソワしたまま時間を過ごした。そして、しばらくして、着替えるので浴衣を貸してくれ、と言われたので箪笥から引き出して来る。


「じゃあ、着替えてくるが、決して覗くなよ」

「やらねーよ」


 実際興味はあるが、この関係を崩したくないし、ノータッチでいこう。決してヘタレな訳ではない。決して。 

 そして、椿が移動してすぐ、彼女の部屋から悲鳴が上がった。


「助けてくれ、明!」

「どうした!?」


 急いで彼女の部屋に入る。部屋の隅で怯えてる彼女は震えて壁を指差した。


「なんだ、Gか」


 この家はごく稀だが、出てくるので処理には慣れている。居間から殺虫スプレーを出して吹きかけると、直ぐに絶命した。それを塵取りに入れてゴミ袋に入れた。


「大丈夫だ、もう問題ない。それよりも格好をどうにかしてくれ」


 俺は目を逸らす。椿は着替えている途中だったのか、さらしに褌という目も当てられない姿で部屋の隅に座っている。


「なっ……」


 言われて初めて気づいたのか、顔を真っ赤にして浴衣で前を隠す。


「いいか、俺は何も見ていない」

 

 そう言い残し、そっと部屋を出る。俺は和装に着替え、煩悩を取払おうと正座をして椿が出て来るのを待った。

 その後30分程して彼女は出てきた。足がいい加減痺れてきていた。


「先程は取り乱してすまなかった」


 そう言う椿の顔は真っ赤だ。 


「……早いけど、行くか」


 思い出すと色々大変なので、話題を変える。


「そうするか」


 椿は掘り返されなかったことに安堵しているのか、ほぅ、と息を吐いた。


※   ※   ※


 車の中で、どうしても言っておかなくてはならないことを言う。


「浴衣、似合ってるね」


 初めて会った時に着ていた和装よりも幾分かラフで、とても良く似合っていた。


「ありがとう。明もよく似合ってるよ」


 俺たちはお互いに照れて黙りこくる。そのまましばらく運転し、少しの渋滞に遭いながら何とか駐車場を見つけた。

 歩いて、祭りをするという公園に着くと、香ばしい匂いがそこここにと流れていた。


「おっ、もう出店が出てるな。何か買うか?」

「私はチョコバナナが食べてみたい」

「それ、俺も好きなんだよね。探して見るか」

 

 屋台の列は結構長く続いていたが、あっさりと目的の店を見つけることが出来た。よくある、じゃんけんで勝つともう一本追加で貰える、というサービスもやっていた。

 

「あのおじさん、ずっとグーを出してるな」


 椿がじっと様子を観察している。


「あのおじさんの優しさだよ。良かったな」


 結局パーを出して300円で2本もらった。


「想像通り美味しいな」


 椿は笑顔でチョコバナナを食べている。


「他にも屋台はいっぱいあるし、花火まで時間もあるから見て回ろうか」

「ああ」


 椿はいつもより元気に返事をする。そんな様子を見ると、こっちまで童心に帰ってしまう。

 そこからは彼女と一緒に屋台巡りを楽しんだ。大食いの彼女らしく、とうもろこしや、焼きそば、綿菓子なんかを片っ端から食べている内に、いよいよ夜になった。


「あっ、場所取り忘れてたな」


 はしゃぎ過ぎて大事な事を忘れていた。


「今から探そうか」

「ああ、そうしよう」


 公園の広い空き地にはレジャーシートがびっしり引いてあったが、よく見れば二人分敷物を敷くスペース位はあった。


「よし、ここにしようか」

「ええ、そうね」


 そして、腰を下ろしたところで、丁度一発目の花火が上がった。


「すごい音。そして綺麗ね」

「ああ、とても綺麗だ」


 しばらく無言で花火を見ていたが、ポツポツと椿が話始めた。


「私、父親が嫌で逃げて来たんだ」

「何かあったの?」

「何でもかんでも、父親が決めるのでな。自由が欲しくて堪らなかった」

「父親は嫌い?」

「ああ。大っ嫌いだ」

「でもさ、両親と死別してしまった俺だから思うけど、父親も椿の事を絶対に大事に思ってるよ」

「……そうか」


 椿は少し黙って考え込んだ。


「そうかもしれないな。いつかは父親としっかり話をしよう」

「事情も知らないのに偉そうにごめん」

「いや、明の言うことは最もだ」


 そしてまた、少し考え込んで、


「私は最初に会えた人間が明で本当に良かった」


 となんの屈託もない笑顔で言った。その笑顔に俺は打ちのめされた。


「椿、言いたい事があるんだ。」


 俺は意を決して彼女に思いをぶつけることにした。

 だが、その思いは伝えられなかった。――それは急に椿が咳き込んだことから始まった。


「おい、大丈夫か!?」 


 急いで近寄ると椿は吐血していた。


「どうしたんだ! ああ、こういう時はどうすれば……」

 

 背中をさすりながらあたふたしていると、大きな人影がこちらに近づいて来た。


「ここまでみたいだね」

「あなたはこの前の……」

 

 影は椿を連れ帰った初日に訪ねてきた人のものだった。


「事情を説明したいですが、今は時間がありません。今日は姉を連れ帰らせもらいます」

「待っ――」


 僕が引き止める間もなく、男は椿を担いで人並みに消えていった。 


※   ※   ※


 花火の後の静寂が心の奥底まで浸透してきた。家に帰ると、いつもの迎えの挨拶はなく、ここにも静寂が満ちていた。僕はショックから逃避するかのように眠りについた。

 朝、すっかり習慣になった7時に目が覚めても椿の気配はない。俺は外に出る気にもならず、家で椿との思い出を振り返っていた。


 しばらく、泣きたい気持ちを堪えていると、玄関のチャイムが鳴った。


「椿ッ……」


 玄関まで走り、戸を引く。


「ちーす。合わせに来たぜ」 


 外にいたのは、バンド仲間の二人だった。


「なんだ、お前らか」

「なんだ、ってなんだ。あと2日でライブなのに最近全然こないじゃないか」


 いつの間にかそんな時期か。椿といると時間の経過が早く感じる。


「もう後2日か……」

「しみじみしてる場合じゃねーよ。ちゃんと仕上がってるんだろうな?」

「ああ。問題ない」


 椿のことが頭にちらつくが、どうしようもないので、ギターで誤魔化すことにした。


「行くぜ!」


 ドラムのカウントで始まり、ギターが入り、ベースも入る。この一体感は何物にも変えがたい。

 あっと言う間に3曲弾き終わる


「合わせんの久々だったけど、案外いけるな」

「これから毎日いけば、なんとかなりそうだな」


 二人は曲の満足度にご満悦のようだ。


「おい、どうした明? 元気がねぇじゃねぇか。……さては女ことか?」


 こういう時にコイツの勘は鋭い。


「実は……」


 もう全てを相談しよう、というタイミングでまたしてもチャイムが鳴る。玄関の様子を見ると、くもりガラスに2つの人影が見えた。緊張したが、戸を開ける。


「ッ……椿……」


 彼女を見たとき、安堵と心配する気持ちが流れ込んできた。


「昨日はすまない、明」

「いや、別にいいんだ。それより体調は?」

「それについては私から説明しましょう」


 すると一緒について来た、この前の男が話に入ってきた。


「とりあえず二人とも上がって」


 玄関で立ち話と言うのもアレなので、家に上がらせる。バンド仲間の二人は興味深げにこちらを見ていた。


 俺たちは居間のちゃぶ台に座った。当たり前のように参加しているバンド仲間の二人には少し殺意が湧いた。


「まずは自己紹介を。私は雲雀です」


 雲雀と名乗った男は続ける。


「最初に鬼について説明しましょう。鬼とは本人の性格に関係なく、邪なものなのです」

「邪?」

「鬼は厄災そのもので、災いを周りに放ちます。ただ、時代が進み、鬼と人間が明確に住み分けることで段々と及ぼす厄災は減って来ました」

「それがどうかしたのか?」


 さっぱり話が見えてこない。このままではこの周辺で厄災が起きると言うことだろうか。


「ただ、時代が進むに連れて、物の怪と呼ばれる者たちは現世に影響を及ぼせなくなりました。そんな今の状態で現世に行けば、災いを放出できず、一身に背負うようなものです」


 雲雀はひと呼吸おいて言った。


「結論を言いましょう。今の日本では鬼は長くは生きられない。タイムリミットはあと3日と言ったところでしょう」

「……そんな」


 椿の様子を見れば今にも俯いて、今にも泣き出しそうだった。その姿が雲雀の言うことを肯定していた。


「これ以上居ても野暮なので、僕はこれで失礼します。残りの3日間、悔いのないように二人でよく話しておいて下さい」 


 そう言うと雲雀は立ち上がり、外へ出ていった。俺の頭の中は真っ白になった。

 しばらく沈黙が場を支配したが、耐えきれなくなったのか、話を聞いていた二人が騒ぎ出した。


「最後の思い出はさ、4人で演奏しようぜ!」

「あっ、それいいな。ちょうどボーカル欲しかったし」

「お前ら……」

 

 コイツ等は鬼のことも何も知らないはずだ。それなのに、こうして俺らの事を思いやってくれる。そのことが今は無性に嬉しかった。


「椿はどうだ?」


 尋ねると、彼女は目に涙を溜めたまま、


「頼む。私も明と、皆とバンド組んでみたかったんだ」


 と嗚咽の混じった声で言った。


「よし、そうと決まれば!」


 俺たち4人はの曲の構成から考え直し、まる一日中取り憑かれたかのように歌い、楽器を掻き鳴らした。


※   ※   ※ 


「さて、残る3日だが、何をしたい?」

 

 翌朝、気持ちを切り替えて予定を考える。いや正確には、まだ女々しく第3の道を探るのを頭の隅に追いやっただけだ。とにかくこの3日間は椿を楽しませたい。


「私、初めて会ったっていう公園に行ってみたいものだ」


 椿の表情はやや暗いが、それでも泣きはしなかった。


「そうか、もう随分昔のように感じるなぁ」

「ふふ、まだ10日も経ってないのにな」


 僕らは顔を見合わせて笑う。こんな時間もあと少ししか残されていない。


「じゃあ、車に乗って」

「ああ」


 すっかり慣れた動作で車に乗る。最初は車に乗るのすら困惑していたのに。


※   ※   ※


 車を降りて少し歩くと、あの椿を最初に見つけた防波堤に着いた。椿は恥ずかしがって見せてくれなかった白いワンピースを着ている。


「ちょうどあの辺でうつ伏せに横たわってたんだよ」

「記憶がないが、きっとこうして出逢えたのだから悪い事ではないのだろう」


 その後二人で黙って防波堤に座り、波と蝉の音を聞いた。日差しは強く少し汗ばむ。そんな不快感さえも散らすように轟音で鳴く蝉の声に、生命の力強さを感じる。


「なあ、椿。伝えたいことがあるんだ」


 5分ほど音を堪能した後、俺は花火の時に言えなかったことを今言うことにした。一生機会を逃しそうだったから。


「俺はお前が好きだ」


 できるだけシンプルに。飾った言葉は俺には向いていなかった。


「ああ、私もだ」


 椿の返事も短かった。だがその言葉は今まで聴いたどの言葉よりも重く、美しく感じた。


 波の音が響く。


「私の、どこが好きなんだ?」

「全部。一つひとつの可愛い仕草とか、いつも冷静なのに照れ屋で、顔も美人で、料理も上手くって、家事ができて、それから……」

「もういい、もう分かったから!」

「そういう所も可愛いよ。逆に聞くけど、俺のどんな所が好き?」

「全部。誰よりも優しくて、私の事を第一に考えてくれて、身長も結構高くって、家庭的で、楽器も上手くて、それから……」

「ストップ! 確かにこれはむず痒いな」

  

 僕は苦笑いして椿を見る。するとちょうど苦笑いしている椿と目が合った。

 そして俺たちは互いの瞳に吸い込まれるかのように顔を近づけ――そっと唇を重ねた。

 キスはレモンの味、とか言うが、味はなかった。でも確かに幸せを感じた。椿は照れて、顔を離してしまう。


「ずっこのままでいたいね」

「ええ、でもそれは叶わない」


 椿は名残惜しそうに海岸を眺めている。


「今日は一日こうしてる?」

「でも、アイツらが待ってる」

「それもそうね」


 俺たちは車に戻って家に戻った。明日はきっと最後の思い出作りになるだろう。


※   ※   ※


 皆で楽器を演奏し終わった時には夜の9時を回っていた。


「やべ、もうこんな時間か。そろそろ帰るか」

「だな、明日も早いしもう上がるわ」


 そう言って楽器の片付けを始める。そして、帰り際、


「夜の営みは程々にしとけよー」


 と言い残して帰って言った。それを聞いた椿はカーっと頬を紅潮させていた。 

 

「さて、俺らも明日早いし、風呂入って寝るか」

「そうだな。そうしよう」 


 夜の11時になってようやく布団に入る。いつもはここで少し本を読んで寝るが、今日はいつもと違った。


「まだ起きてるか?」


 椿の声がする。


「ああ、起きてるぞ」

「入ってもいいか?」

「ああ」


 椿はYシャツ姿で枕を抱くように持っていた。


「寝付けなくてな。その……一緒に寝てもいいか?」


 その提案は俺の理性がヤバい! だが、怯えたような椿を追い返すのは人間としてマズい気がする。


「ああ、いいぞ」


 少し迷ったが、結局入れる事にした。


「では失礼する」


 椿は俺の頭の横に枕を置くと、密着するくらい近くに横たわった。風呂に入ってそう時間が経っていないので、髪からいつも以上に甘い香りが漂っていた。

 男として手を出すべきか迷ったが、椿が枕に顔を埋めて泣き出したので、それどころではなくなった。

 俺は無言で椿の頭を撫でた。彼女が寝付くまで。しばらくすると、彼女は段々と穏やかな呼吸を始め、いつともなく眠りについた。

 俺はそんな椿の寝顔を瞼に焼き付けながら寝た。 


※   ※   ※


「さて、いよいよ今日だな」


 ギターを担ぎ、メンバーを車で拾って、会場へ向かう。コンテストではなく、練習用のミニライブなので、人数や曲目の変更はあっさりと出来ていた。


「今日は無理を言ってすいません」

「いいってことよ。しみったれたのはナシだぜ、ツバキちゃん」

「そうそう、ロックなテンションで行け!」


 コイツら、ほぼ間違いなく椿が鬼って気づいているのに態度を変えないとか、案外大物かもしれない。


「さて、じゃあ確認終わったから行くか」

「「おうよ!」」


 会場は練習、と言うには結構広くて、同じ大学の人たちがわざわざ、かなりの人数来てくれていた。まあ、うちのサークルにはプロ顔負けのグループがあるから、それが目当てなんだろうけど。


「結構人がいるのだな」

 

 椿もどうやら、人の多さ、そしてその熱気に圧倒されているようだ。


「大丈夫か?」


「ああ、人前に立つのは慣れている」


「そうか、無理はするなよ」


「もちろんだ」


 しばらく舞台裏で演奏を聞いていたが、途中、ベースのヤツからあるものを渡された。


「ほらよ、全員が角付ければ椿さん目立たないから」


 と言ってダンボールを角の形に加工したものを3人分渡した。


「さすが、気が利くな」

「このライブ、失敗したくないんでな」


 ドラムのヤツの荒々しさとは対極にコイツはめちゃくちゃクールだな、と改めて感じた。そして、コイツらとバンドを組めて心から良かったと思える。


 そうこうしていたら、いよいよ順番が回って来た。深呼吸をし、ステージに上がる。


※   ※   ※


 いつステージに立っても慣れることは中々ない。ギターの音を適当に出しながら、音響設備が大丈夫か確認する。


 ドラムが一通り叩き終えた所で演奏を始めた。ギターのリフから入るこの曲は、俺が最初に椿に披露した、思い出深い曲だ。椿もよく家で好んで聞いていた。流行りの曲と言うこともあり、歓声が響く。2フレーズほど弾いて、ドラム、ベースが参加し、次にボーカルが入る。


 椿が歌い始めると、会場にどよめきが起こった。人な女性が歌が激ウマとくれば、皆関心を寄せるだろう。

 俺はギターを弾きながら、彼女の一挙一動を見逃すまい、と心に誓った。笑顔で歌う姿がとても輝いていた。


 Aメロが終わり、Bメロも終わり、いよいよギターソロを残すばかりとなった。俺はこれが彼女にカッコイイ所を見せれる最後のチャンスだと意気込む。


 俺は全身全霊を込めて弾いた。リズムを取るばっかりのドラムを聞きながら、少しアレンジを効かせて弾いた。これが終われば俺たちの時間も終わる。そう思うと、この時間が狂おしい程大切なものに思えたが、そんな思いも全てギターに込めて掻き鳴らす。


 わずか30秒にも満たない時間が終わる。夢中で気づかなかったが、会場では歓声が起こっていた。少しはカッコつけれたかな、と思い椿を見ると、目が合い、ウィンクを返してくれた。


 そして、最後のメロディが終わり、曲も終わる。心なしか、拍手はいつもより、そして他のグループよりも大きく感じた。


「何急に目覚めてるんだよ」

 

 ポンと肩を叩かれ、からかわれる。


「今日の俺は格好良かったか?」

「ああ、サイコーだったね」


 俺たちはしばらく互いの健闘を讃え合い、そのまま打ち上げをすることを決めた。そして、一通り全ての演奏を聞き終えて、車を家に置き、いつも打ち上げに使っている居酒屋に向かった。

  

※   ※   ※


 居酒屋では明日の事を考えまいと呑みに呑んだが、結局明日の事を忘れられなかった。椿は鬼らしく豪酒で飲み比べの後でも、酔った様子はなかった。

 

「いよいよ明日か」


 酔いつぶれた二人を傍目に、呟かずにはいられなかった。


「ああ、そうだな」


 独り言を聞かれていたようで、少し恥ずかしかった。


「私は明に会えて本当に良かったと思っている」

「ああ、俺もだ」

 

 そこからは二人黙ってしまう。気を抜けば、この愛おしさが暴れ出してしまいそうだ。


「……帰ろうか」

「……そうだな」


 俺たちはタクシーを呼んで潰れた二人を家に送り、家に帰った。ほぼ寝落ちするような形で寝てしまったが、隣では昨日同様椿と一緒に寝た。


※   ※   ※

 

 朝起きると、椿はいつもの様にご飯を作ってくれていた。今日でこの生活が終わるとは思えないし、思いたくない。


「正午、どうやらそれが私のタイムリミットらしい」

「……そうか」


 でも現実は刻一刻と迫って来ている。


「向こうに持ち帰りたいものが沢山あるんだ。一緒に探してくれないか?」

「ああ、もちろんだ」


 さすがに店に行く時間はなさそうなので、家の中から渡せるものは全て渡した。一つひとつが俺と彼女の思い出になってくれると嬉しい。

 荷物をまとめ終わると、時計は10時を指していた。


「いよいよだな」


 涙腺の辺りが痙攣しているのを感じる。この愛おしさはもう行き場を失ってしまう。


「明」


 椿は俺の名前を呼ぶと、顔を近づけ、キスを見舞った。しかも今度はとびっきりディープなやつを。


「椿ッ」


 このまま布団に押し倒したかったが、時間がそれを許してくれない。俺はただひたすら涙を流し、彼女を抱きしめた。

 

「泣かないで。笑顔で送り出してくれ」


 ああ、なんとも女々しくみっともない男だ。でもこの思いは隠せなかった。


「好きだ」

「私も大好きだ」


 最後にもう一回キスをする。幸せな時間はそれで終わりだ。

 

「……お別れの場所はあの公園だって雲雀が言っていた。見送ってくれるか?」

「当たり前じゃないか。ずっと最後まで見てるよ」


 俺たちは車を走らせ、出逢った公園へと向かった。


※   ※   ※


 公園につくと雲雀が砂浜で待っていた。その他には散歩のおばさんくらいしかいない。

 

「明さん、姉を本当にありがとうございました。言うのが遅れましたが、私はとても感謝しています」


 いきなり雲雀が頭を下げたので少し驚き、焦ってしまう。


「こちらこそ、椿にはお世話になったな」

「ふふ、姉があんなに楽しそうに笑っているのを見るのは久々で、こっちまで嬉しく思いますよ」


 そう言いながら雲雀は海の向こうを眺めていた。


「では、時間です。私は船で待っているので、あとはお二方でどうぞ」


 そう言って雲雀は海の岸に浮かべてあったボートに乗った。


 正真正銘最後の二人の時間に僕は何を伝えたいか迷う。


「ねえ、私のこと覚えてくれる?」

「当たり前だろ。忘れるわけがない」

 

 また涙が滲んでくる。だが今回は椿も涙を流していた。


「笑顔で送るんだよな」

「ああ、明の素敵な笑顔でな」


 俺は涙を流しながら笑った。きっと酷い表情だったと思う。


「じゃあ私、行ってくる」


 俺たちは最後に強く抱き合って、それで椿がボートに乗るのを、涙で滲んだ視界越しに見ていた。


 そして手を振り合い、ボートが見えなくなるまで、見えなくなっても手を振り続けた。


※   ※   ※


 椿が視界から消えてしばらく経ったあと、俺は膝から崩れて泣いた。泣きに泣いて、泣き止む頃には夕暮れだった。


 夕日が水平線に落ちていく。その様子を防波堤に座り眺めていた。

 

 砂浜を見れば白いワンピースに麦わら帽子を被った彼女の影が思い出される。が、実際にあるのはいつの間にか来ていた子どもたちの駆け回る姿だけだ。


「……ありがとう」


 そう呟き、家に帰ろうと防波堤から腰を上げた。

 

 ツクツクボウシが鳴き始めていた。

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及ばぬ恋の鬼登り 犬養ワタル @Kou_lliven

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