俺たちの物語はこれからだリスタート

  

 これはちょっとした余談だ。

 一応、締めとして大晦日つごもりの話をしておこうと思ってな。


「ひろ兄。ご飯だってー」

「おう」


 名前を呼ばれた一瀬家の長男である俺は、リビングに下りる。

 そこには既に食卓を囲んで座る母さんと弟、こうの姿があった。


「じゃあいただきます!」

 まだ十三歳の浩汰が元気よく手を合わせた。またどこかで怪我をしたのか、腕に絆創膏がついている。

「俺もいただきま……ってラーメン!?」

「そうよー、ひろ、好きでしょう?」

 のほほんとした雰囲気の母さんが言う。いや、確かに好きだけども。

「年越しの時は普通そばだろ……?」

「あれ、そうだっけ?」

「去年までは俺が作ってたとはいえ……」

 うちの母親はとても忘れっぽい。どこか、いやどこもかしこも抜けている。だが、それでも家計を一人で支える大黒柱だ。その為、高校までは俺と弟が主に家事を担当していた。なのになんで一人暮らしで料理できていないのかって? 自分だけの為だとやる気出ないんだこれが。

「そっかぁ。いつものあれ、ラーメンじゃなかったのね」

 ラーメンとそばの区別もつかずに食べていたのか……。信じられない記憶の抜けっぷりだが、これでも仕事は優秀らしいので驚きだ。どうやら全集中力をそこに注いでいるらしい。


「まあ美味しいからいいけどな」

 季節外れの味噌ラーメンを食べながら、俺はちらちらと母さんの顔を窺っていた。橘との結婚のことを言い出すタイミングを見計らっていたのだ。貧しい家庭ながら、俺のやりたいことに反対などしてこなかった優しくも度胸のある母だ。加えてこの性格なら、大丈夫だとは思うが、やはり緊張はするな……。

「あ、あのさ。母さん……」

「んー?」

「あ、いや、その……」

「ひろ兄、顔真っ赤! 愛人だ!」

「ええ!?」

 思わぬところから刺されて驚きの声が出る。いつからそんな言葉覚えたの浩汰……。当たらずも遠からずだけれど。


「あら、そうなの? やっとももかちゃんとゴールイン?」

はるさきは関係ない!」

「ということはやっぱり女なのね?」

 母さんがにまにました顔をして、口に手を当てている。そういうのだけ鋭いんだよな。っていうか言い方が完全に浮気だよそれ。

「まあ色々あって、橘と……結婚することになった」

「ええ! ひろ兄が人妻!?」

「お兄ちゃんは妻にはなれないよ浩汰」

 だからそういうのどこで覚えてくるのかな? 俺の可愛いこうちゃんは永遠にピュアなままでいてくれ。

「琴葉ちゃんもいい子だものね。安心だわ」

 高校のメンツはたまにうちに遊びに来ることもあったので、母さんも弟も橘のことはよく知っている。というか母さんが友達呼べってうるさかったんだけど。

「にしてもいつ乗り換えたの? 全然知らなかったわ」

「ブフッ! い、いやそもそも春咲が好きなことも言った覚えないんだけど?」

 口に加えたラーメンを噴き出しつつ母さんに抗議する。そもそもどこに母親と恋バナする男子高校生がいるんだ。反語。

「そんなのあんたたちの会話見てたらすぐ分かるわよー。ねえ?」

「ボクでも分かった! ひろ兄、分かりやすいツンデレ」

 もうやめて!? 俺のライフはゼロよ……!? 

「と、とにかくだな! 俺と橘は好き合っていない。ただお互いの利害が一致したから結婚しただけだ」

「ふーん、つまんないのー」

「つまんないのー」

 言いたい放題の母にその子どもである。でもやはり「なんで? そんな結婚だめでしょう」とは全く言ってこないあたり、うちはとても寛容だった。


「じゃあ、今度琴葉ちゃん連れて来てパーティね」

「いやいいよそんなん」

 橘そういうの苦手そうだしな。というか普通に俺も気まずい。

「えー、私がしたいのに」

「さいですか……」

「あっ、あとあれも忘れちゃだめね。ちゃんと良いもの持たせるから行くときはちゃんと言うのよ?」

「え、なんのことだ?」

「決まってるでしょー? あれよ、あれ! 琴葉ちゃんとこのお父さん、厳しいんだから」

「あ」

「ご・あ・い・さ・つ♡」


 わ、忘れてた……────────。



 そのあと二人して「娘さんを僕に下さい! ってやるんでしょー?」「そうよー、こうちゃんもいつかするのよー」なんて盛り上がっているのを横目に、俺は急いでラーメンを食べ終えた。食器を洗って、逃げるように自分の部屋に戻る。


「橘の父さん、一回会ったけど、凄い強面だったような……はは」

 確か四人で遊んで帰りが遅くなって、家まで橘を送った時のことだ。まさに堅物といった感じの和装の男が現れて、「こんな時間までうちの娘をほっつき歩かせるな」とお叱りを頂戴した記憶が……。

 見るからに橘のことを溺愛していた。それに、好きでもないのに結婚なんていう理屈も、理解してくれそうもない。

 若者の訳の分からない新理論を分かってもらうのは容易ではなさそうだ。ならば嘘でも純愛を装うか? ばれたら殺されそうだが……。

「どうすりゃいいんだよ……。あ、そうだ」


 困った時の神頼み。

 既に除夜の鐘が鳴り始めているの刻、俺は簡単に支度をして近所の神社に向かった。


げつ神社行ってくる」

「あら、年越し一緒にしないの?」

「浩汰もう寝ちゃったしな、母さんももう寝なよ」

「そうね、明日も早いし。じゃあ、気を付けてね」

「うん」


 一歩外に出れば、師走の寒波がラーメンで火照った身体を冷ましていく。それが少しだけ心地いい。年明けなんてもう二十回も経験してるのに、未だに少しだけワクワクするんだよな。何かが新しく始まるような、根拠のない、期待感が胸を膨らませる。

 いや……。来年は根拠がない訳じゃ、ないか。


「凄い人だな」

 この月渡神社は近所では有名で、大抵の人はここにやってくる。その為、年越しを十分前に控えた今ともなれば当たり前だが、境内は地面が見えないほどの賑わいだった。

 もしかしたら橘も来ているかもしれないなんて思いつつ来てみたが、この人じゃいたとしても見つかりそうにないな。できれば、挨拶について話がしたかったんだが……。


 まあいいさ。神様になんとかしてもらうよう祈るだけ祈って帰るとしよう。



 そうして俺は、参拝すべく列の最後尾に並ぶ。

 その時、優しくも危なげな暖かい風が俺を唐突にさらった。まるで、春の嵐のような。


「あれ、ひろひろじゃん!」


「は……春咲……?」


 暖かい風と共に現れたのは、新年を迎えるに相応しい艶やかな振り袖を着た女の子。

 俺は思わず言葉を失った。


「ひっさしぶりー! 元気してたー?」

「ま、まあな……」

 

 俺をひろひろと呼ぶ、この赤みがかった茶髪の女の子の名は、はるさき ももか。俺の高校の時の親友だ。そして、さっき家で話題に出た時は説明を省いたが、この人物こそ、俺がずっと恋焦がれていた相手である。


 俺を輪の中に入れてくれた人。

 俺の高校生活に光をくれた人。

 

 俺が……────未だに好きな人だ。


「やっぱなんか元気ない? 大学でなんかあった?」

「いや、順調だよ。久々すぎて驚いてるだけ」

 なぜだか上手く話すことが出来なくなっていた。俺は目線を右下に向けて、辛うじて投げかけられた質問に答えるだけ。

「確かにもう二年も会ってなかったもんねー。大学入ってもあそぼーって言ってたのになあ」

「まあ皆忙しかったんだろう。俺も橘とすら最近初めて会ったくらいだしな」

 なんでだ、なんでこんなに気まずい。橘と結婚したからか? いや、別にそれは関係ないだろう……。

「いいなー。私も琴葉ちゃんに会いたい~」

「そ、そっちこそ……アイツとどうだ? 上手くやってるのか?」

 俺が告白できなかった理由。春咲には既に両想いの相手がいたから。

 そして二人は卒業と同時に付き合った。俺は、応援することしかできなかった。今も、そう。

 そのはずだった。


「実はね……。別れちゃった」


「え…………」

 

 

 彼女の言葉に絶句している間に、ゴーンと大きな鐘の音が響いた。それは、百八回目の除夜の鐘だった。

 しかし、俺の中のもやもやとした煩悩は消えることなく、ただ足元だけを見つめていた。

「あ、あけおめだねー。遂に2020年だ~」

「……」

 彼女の言葉にも、周りの喧騒にも反応できずにいると、視線を遮るように春咲が手を振った。

「ほら、次私たちの番だよ? 早くお祈りしないと後ろの人待たせちゃう」

「あ、あぁ……」

 混乱した頭で賽銭箱に小銭を入れ、儀礼的に目を閉じて手を合わせた。

 何を祈りに来たんだっけか……。 

 結局思い出せず何も祈らずに目を開けると、女子の平均よりも少し低い春咲が綺麗に手を合わせていた。その振り袖姿があまりに可愛くて、思わず目を逸らす。自分でも血が騒いでいるのが分かった。


 ────そうだ。恋をするとは、こういう感情だった。


 好きという気持ちを「思い出した」。ずっと好きだったはずなのに、それが一番ぴったりな表現だった。

 彼女が笑うたびに、俺の心はぐにゃりと潰れそうなほどの感情に襲われるのだ。




「良かったら、これからちょっと付き合ってくれない?」


 

 

 二番目に好きな人と結婚した俺は、新年早々、一番目に好きな人と再会した。

 物語はこれから始まる。

 

 


 

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2番目に好きな人と結婚しました。〜2019 Dec.〜 ゆず 柚子湯 @citron41060

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