魔女と童の話

@myuto

魔女と童の話

 人は、魔女を畏れる。その知を求め、その技にあやかり、敬意と感謝をもって触れてきた。

 人は、魔女を恐れる。その地を遠ざけ、その御座を貶め、かわりに見知らぬ神をそこへ据えた。

 別にそのこと自体に思うところはない。魔女は人とは相容れぬものだし、向こうから関わってこなければどうするつもりもない。ただ、昔は作物や毛皮をくれた隣人が今は生贄や呪いや兵を寄越すようになったのが面倒なだけだった。

 今宵投げ込まれたのも、そんな生贄の一つだった。身綺麗に整えられていたのだろう服を破り、髪を振り乱し、血と泥だらけになりながら小振りなナイフを構える小さな童。大方、不作に困った村が生贄に寄越したのだろうけれど、童の方は生贄になどなるつもりはなかったと見える。精一杯生贄に相応しくない格好と態度を取ろうとしていた。

「オレはお前を殺すために来たんだ、魔女! お前を殺して村に帰るんだ!」

 必死に喚く童を横目で見て、魔女と呼ばれた女は溜息を吐いた。

「殺さずとも帰れるさ。私はお前に用はない。さっさと出ておいき」

「……えっ」

 ぽかんと間抜けに口を開ける童の横を通り過ぎ、その隣の止まり木に居る鴉へ餌をやる。餌を啄みながら外界の話を囀る鴉の声に耳を傾け、館へ戻るのが魔女の日課だった。

「何で、何でだよ、だって魔女は生贄を貰うかわりに村を豊作にするんだろ? 何でだよ!」

「何でって、お前一人の命にそれだけの価値があると思っているのかい。私は血も肉も嫌いなんだよ。材料にも使い難いし、不味くて食えたものじゃなし」

「えーっ……」

 困惑する童を余所にさっさと帰ろうとすると、童は慌てて走ってきた。

「待って! 待てよ! オレもう村には帰れないんだよ! あいつら、オレが孤児だからって魔女の生贄にしようって! だから!」

「だから? 帰る場所がないなら余所へ行きな」

「だからっ! お前を殺せば帰れるんだよ! 殺されろ!」

 無茶苦茶を言う童だった。そもそもそんな小さなナイフでは人も殺せないだろうに。けれど相手をするのも面倒だったので、魔女は溜息を吐いてこう言った。

「わかった、ならば帰らなくていい。ここに居ていい。そのかわり、お前は私を殺さない。私も死にたくはないからね」

 嫌だ、殺す、と言われたら大人しく刺されてやるつもりだった。けれど、童はその言葉に少しばかり心動かされたらしい。損得勘定をはじめた童は、やがて顔を上げてこう言った。

「いいよ、お前は殺さない。オレは、魔女を利用して生き延びる」



 月日が過ぎるのは早いものだった。童はあっという間に少年になり、青年になった。あのナイフはお守り代わりに持っているようだったが、それ以外はこれといった武器も持たず、殺さないという約束も律儀に守っているようだった。

 魔女の館に居候している青年は時折館を抜け出し、老いて死んだ鴉の代わりに外界の町や村に行ってはその様子を魔女に話して聞かせた。青年の話を聞くことが魔女の日課だった。

 ある時、青年はとある国が魔女討伐に乗り出したという話を持って来た。なんでも酷い不作の年に魔女に生贄を捧げたけれど実りが戻らず、冬を越せずに飢えて滅んだ村があるらしく、村が滅んだのは魔女のせいだとなったらしい。人の身勝手さは知っていたけれど、また面倒なことになったと魔女は溜息を吐いた。

「滅んだのは多分、オレを生贄にしようとした村だ。あんたが滅ぼしてくれたんだな」

「何言ってるんだい。そんな面倒なこと、私はしないよ」

 その村はきっと勝手に縋って勝手に滅んだだけだろう。縋った相手が神だったならば、その責は村人側にあったと言われたのだろうか。

「そんなことより続きを聞かせておくれ。遥か山の向こう、海の向こう、空の果ての地の話を」

 魔女が言うと、青年は色々な話をはじめた。商人や旅人達が運んでくる噂話、物語と商品達。近隣の町の状況から異国の地の伝説まで、ありとあらゆる虚実の混じった話を、魔女は飽きずに聞いていた。



 ある時、魔女の館に兵がやってきた。いつだったか青年が語った魔女狩りがとうとうここまでやってきたらしい。折良く館を抜け出していた青年は無事だったが、魔女は村を滅ぼした罪で捕らえられた。魔女の首を刎ねるという王の言葉に魔女は笑みを浮かべ、「ならば刎ねるがいいさ」と言った。

 魔女のための処刑台が大急ぎで組み上げられた。大広場の真ん中で、さながら舞台に上がる女優のように魔女は処刑台に上る。大勢の民衆が見守る中、魔女がその白い首を断頭台の上に乗せた時だった。

「やめろ!」

 大声と共に青年が広場へ乗り込んできた。その手に大ぶりな斧を振りかぶって、周囲の兵をなぎ倒しながら。

「やめろ、その魔女を殺すな! そいつを殺していいのはオレだけだ!」

 相変わらず無茶苦茶を言う童だ、と思いながら魔女は笑った。その目の前で、青年は兵士たちに取り囲まれ、槍で身体中を貫かれ、真赤になって倒れた。

「私は誰も殺していないというのに、お前たちはよくもまぁ飽きずに殺すものだね」

 笑う魔女の首を、断頭台の刃が刎ね落とした。



 そして、魔女はゆっくりと立ち上がった。膝についた埃を払い、怯える人々を見回す。

「さて、首を刎ねたことだしこれでお前たちの言う裁きは終わったね? 私は帰らせてもらうよ」

 転がる首を拾い上げると、横からひっと短い悲鳴が上がった。腰を抜かした役人の脇を通り抜け、赤い槍達磨になった青年の元へ立ち寄って、魔女は呆れたように肩をすくめた。抱えた首が唇を動かし、

「お前も、殺すなら私だけにしなさいね。人は殺したら死んでしまうのだから」

 そう囁いて魔女は青年の頭に触れた。途端に青年の身体は黒い霧に包まれ、蠢き形を変え、やがてがらんがらんと槍が落ちる音と共に黒い毛並みの狼が現れた。

「おや、今度は狼か。困ったねぇ、肉は好きではないのだけれど餌となったら何か考えてやらないと」

 魔女はそう呟いて、石畳を蹴った。狼は少しだけ周囲の人を、街を、己の手足を見ていたが、すぐに魔女の後を追って歩き出す。二つの影を黒い霧が包み、後には何も残らなかった。



 後に、捕らえた魔女は火刑にするようにとのお触れが出たと聞いて魔女はからからと笑った。それを告げた狼は、あんなのは二度とごめんだと唸って寝床へ行ってしまった。けれどその首に変わらず首輪がわりのように鞘に納められた小さなナイフがかかっているのを見て、魔女は目を細めたのだった。

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