スシババア、最終決戦。

 ここは浄瑠璃町のとある事務所。

 どんな事務所かと言えば、浜寿組ハマヒサグミという、まあ、警察から睨まれる事務所とだけ言っておく。


「なんでババア一人を捕まえられん」


 その事務所の中で恰幅の良い和服の壮年男性が一人酒を煽っていた。手酌しようとしたところ、酒は残っておらず、雫がポタポタと垂れていくのみだ。


「あん? 酒がねえな。おい! 我利! 酒を切らすなとあれほど言っただろう」


 しかし、声が虚しく響くだけで答える者はいなかった。


「チッ、我利は家出中なんだっけな」


 数日前、泥酔した我利が事務所に来て「若頭やる意味わからん。北海道の魚介類を制覇してやる」と泣きながら出ていったきりであった。


 その際「あぁんのスーシーヴァバア……」とつぶやいたことから、もはや因縁の相手となったスシババアこと馬場寿子と何かあったのは確かであった。


「浜寿組の若頭たる者が情けねえ。おい、浜地か和佐美! 酒を持ってこい」


「えっと。このベンチプレスをあと十回やってからでいいっすか!」


「俺もストレッチがあと少しなんです。いきなり動くとケガするし」


 二人は寿子との一件以来、筋トレマニアになっていた。


「チッ、浜地も和佐美もスシババアの件から筋トレにのめり込んでいやがる。スシババアめ、どこまで浜寿組をおちょくれば気が済むんだ! ……仕方ない、わしが自ら出向くか」



 一方、寿子は材料の仕入れ帰りで上機嫌だった。


「いやあ、今日はいい醤油が入った。昆布もお買い得だったし、良いだし醤油が作れるわ。それにカンパチも入ったし、今夜のお客さんの予算にあった物が握れそうだ……おや?」


「久しぶりだなあ、スシババア」


 寿子の前に立ちはだかったのは浜寿組の組長、浜寿司ハマヒサシであった。


「おやま、親分自らお出ましかい」


「手下たちをかわいがってくれたそうじゃないか」


「まあねえ、息子みたいな年だし」


「のんきな奴だな。お前、誰を敵に回しているのかわかってんのか?」


「ああ、泣く子も黙る浜寿組の組長。それでもコーン寿司は握れないよ」


「ふっ、これでもか?」


 浜が手にしたのは足をパタパタさせている新鮮な生きたカニ。甲羅には拳銃を当てている。


「このカニがどうなってもいいのか?」


「な、なんて卑怯なことを……!!」


「ふっふっふ、甲羅程度じゃ、銃弾は防げん。ミソが盛大にぶち巻けられるだろうなあ。破壊を免れた部分も硝煙臭くなって食えたもんじゃなくなるぞ」


「くっ!」


「では、来てもらおうか」


 そうして寿子は浜の自宅へ連行されて行った。


「さあ、コーン寿司を握ってもらおうか」


「だから、コーン寿司は邪道だと……」


「じゃあ、この伊勢エビもどうなってもいいのか?」


 浜はどこからかビチビチと動く生きた伊勢エビを取り出し、頭部に銃口を当てた。


「な……!! カニだけではなくエビまで!」


「ふっふっふ、エビにもミソがあるからな。この銃弾ならミソどころか身も吹っ飛ぶから食えるところが無くなるぜ」


「お前さんには人の心は無いのかい」


「なんとでも言え。可愛いサヨリちゃんのためならなんだってやるさ」


 そうして連れられたオープンキッチンには寿司の材料だけではなくあらゆる材料が揃っていた。


「コーン寿司に相応しい最上級の北海道産のハニーバンダムを取り寄せ、業務用冷凍庫で最適な状態で保存し、最適な方法で解凍までしてある。マヨネーズも高級品だから海鮮サラダ寿司もいけるぞ」


「お前、実はすごいバカだろ」


「ふっ、全てはサヨリちゃんのためだ」


「おじいちゃーん、どうしたの?」


 不意にかわいらしい声がした。寿子がその方向へ振り向くと幼稚園児くらいの女の子がいた。いつぞやのお誕生日パーティーで寿子がギャン泣きさせた浜の孫、サヨリだ。


「おお、どうしたサヨリ。もうすぐこのおばあちゃんが美味しいコーン寿司を握るからな」


「いらない」


「「え???」」


 サヨリの思いがけない言葉に二人は驚きの声を上げた。


「サヨリ、おすしばっかりであきちゃった。オムライスたべたいの。だからいらないの。じゃあね」


 そう言うとサヨリはパタパタと軽快な足音を立てて二階へ行ってしまった。


「もしかして、回転寿司へ連れて行ってたのかい?」


「い、いや、回転寿司なんて健全なファミリー向けの店なんざ俺たち反社会的勢力は入れない。代わりに職人を呼んでたが」


「なるほどね。大抵の出張寿司職人は私みたいに回転寿司のネタに違和感を持ってるからコーン寿司は握らないだろうねえ。それで、しょうがないから普通に寿司を食べさせたってところだろう」


「あ、ああ、その通りだ。玉子とか甘エビとかな」


「寿司はご馳走だ。でも食べ過ぎりゃ飽きるよ。大人だってそうなのに、幼稚園児なら尚更だよ。よく分からないが、オムライスやハンバーグの方が寿司より好きなんじゃないかい?」


寿子に鋭く指摘されて浜はムンクの絵画のごとく驚愕の表情になり絶望した。


「そ、そんな……。俺は、俺は一体なんのために……」


 がっくりと膝をつく浜に寿子は優しく言った。


「せっかくのトウモロコシだ。今日はいい醤油と昆布がある。即席だし醤油をでも作って焼きもろこしにしてやるよ」


「す、スシババア。俺は……俺は……」


「いいさ、食材に罪はないさ」


 そう言って寿子はキッチンからいくつか調理道具を取り出し、昆布をフードプロセッサーにかけて醤油に混ぜ始めた。

 その一方で手際よく網を火にかけて行く。


「即席と言ってもちょっと時間がかかる。その間にさっきのエビとカニも握らせてもらうよ」


「うう、うううっ」


 浜が思わずむせび泣いた。涙がとめどなく溢れる。次から次へと目にしみて涙が……おかしい。いくらなんでも、目にしみるような刺激を感じて泣いているのは変だ。


 気がつくとキッチン中には何かを燻したような煙が充満していた。


「しまった! この匂いは燻製用の桜チップか!」


 慌てて窓を開け、換気扇を回して煙を排気すると中華鍋と網をセットした簡易燻製器があり、その上には燻されたとうもろこし、チーズ。そしてメモが残されていた。


『拘束代としてエビとカニはいただいた。情けとして、やけ酒のつまみ用にとうもろこしとチーズは燻しておいた。さらばじゃ。 スシババアこと馬場寿子』


「あんの野郎!!」


 浜は歯ぎしりしながらも燻製とうもろこしをかじった。


「ちくしょう! うめーぞ、スシババア! 落とし前はいつかぜってーに付けてやる!」


 一方、寿子はエビとカニを抱えてニヤニヤと走り続けていた。


「いやあ、親分に捕まったけど、いい食材が入ったわ。今夜のお客さんに特別サービスで振る舞うかね」


 スシババア、浄瑠璃町をさすらう流しの凄腕寿司職人。今日も街のどこかへ逃亡中である。

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スシババア 達見ゆう @tatsumi-12

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