一時休戦、でもやっぱり逃走
ここは浄瑠璃町の一角。
ネオン煌めく不夜城と呼ばれるこの街に休息はない。
しかし、ほんの僅かだけ街が静まり返る時間がある。始発電車が出る早朝の時間帯だ。
店はホステスやホストがつかの間の休息を得るために各々の家に帰り、店も掃除をするためシャッターを降ろし始めていた。
それでも文字通り二十四時間営業の場所がある。
そう、コンビニだ。その入り口付近に夜勤明けのサラリーマンというにはやや不釣り合いな黒スーツにサングラスの男がストロングゼロを片手に佇んていた。
「やってられねえ」
投げやりな口調で男は開けたそれを勢い良く飲み、袋の中から新たなストロングゼロを取り出した。
「おやっさんもあそこまで怒鳴りつけるこたぁねえじゃねえか。しかも浜地の野郎……!」
よっぽど鬱憤が溜まっていたのか、二本目もあっという間に空になっていく。
男は三本目のストロングゼロを取り出し、プシュッと開けて飲み始めた時であった。
「おやまあ、我利さんじゃないか? こんな所まであたしの捜索かい?」
男が目をやるとそこにはもはや因縁の相手となった流しの寿司職人、スシババアこと馬場寿子の姿があった。
「てめえ、こんなところにっ!」
我利が立ち上がって飛びかかろうとするが、足がもつれてよろめいた。
「ちくしょう、出くわすとわかっていればこんなに飲まなかったのに、クソっ!」
「ありゃ、こんなに強い酒のロング缶を二本、……いや三本か。それだけ飲めば動けないわな」
寿子は我利の周辺に散ったゴミや手にしていた缶などから察したようだ。
「まあ、一時休戦と行こうじゃないか。あたしもちょっと付き合うよ」
寿子は店内に入り、缶コーヒーを買うと我利の隣に立って飲み始めた。
「お前はこんな時間に仕事上がりなのか?」
我利が戸惑った様子で寿子に問いかける。
「いや、今夜はあるクラブの貸切パーティとかで握ってたのさ。仮眠はしたけど夜更かしはキツいわ、年だねえ」
「そんな年になっても仕事するんだな」
「それはあたしが決めた道さ。それより何で荒れてたんだい?」
「度々お前に逃げられるから、おやっさんにどやされた」
「ありゃあ、それは済まないね」
「それから部下の浜地が若頭の座を狙っていることがわかった」
「下克上だねぇ」
「そんな大層なもんじゃねえ。理由が俺の名前が寿司の付け合わせ、片や魚の名前。寿司として俺が格上だという訳の分からんこと抜かしやがる」
「うーん、どうツッコミ入れたらいいんだろうねえ」
「で、やけ酒中って訳さ」
「若頭がコンビニ酒かい。どこのヤンキーだよ」
「この街はしがらみが多すぎる。こんな理由でやけ酒なんて知られたくないさ」
「お前さん、足を洗ったらどうだい?」
唐突な提案に我利は驚きの声を上げた。
「な、何を言ってやがる!?」
「息子を思い出すからねえ、月並みだけどこんな仕事してると知ったら母親が泣くんじゃないかい?」
「ひ、人の事情に首を突っ込むんじゃねえ。お前こそ、その息子とやらにヤクザと渡り合ってると聞いたらひっくり返るのじゃないか」
「その心配はないさ」
寿子はコーヒーをグイっと飲みながら答えた。
「もうこの世にはいないからさ」
「え……」
人の生き死には沢山見てきた、いや時にはその生殺与奪も担っていたはずの我利でも、寿子の予想外の答えに言葉を詰まらせた。
「育て方を失敗したのかね。ぐれてしまってチンピラになっちまってね。寿司職人になってもらいたかったけど、あの子は魚嫌いだったからね」
「……」
「回転寿司に入って、サラダ寿司やらカリフォルニアロールとかチャーシュー寿司やら、魚を使わない新しい商品作りに走ってしまってねえ」
「それってチンピラと言うのか?」
「そして、コーン寿司を作って試食したら死んじまったのさ」
「え……?」
「いや、トウモロコシアレルギーを発症したらしくて、そのままあの世へ行っちまった」
「だ、だから、あんなにコーン寿司を嫌っていたのか」
「まあ、そんなところさ。あんたも無茶はするんじゃない。さて、ちょっと待ってなさい」
缶コーヒーを飲み終えた寿子は再び店内に入り、何かを買い込んでイートインスペースにて作業を始めた。
しかし、なかなか外へ出てこない。さすがに三十分ほど経過したとき、我利がしびれを切らして声をかけた。
「おい、いつまで待たせんだよ。始発来ちまうだろ」
「はいはい、お待たせ。本当の寿司は握れないから菓子を使った差し入れさ」
ラッピングされた袋は軽いが、寿子が手にしている空箱からして水飴などでお弁当や寿司を作る知育菓子セットのようだった。
「いつもの絶品寿司ではないけどさ。じゃ、始発電車の時間だからこの辺も人通りが増える。そろそろ帰るよ。あんたも程々にしなさいよ」
寿子はそう言って足早に路地を駆け抜けて行った。
「スシババア……あいつ……」
頑なにコーン寿司を握らないことや、浄瑠璃町から出ない理由が垣間見えた気がした我利はなんとも言えない気持ちになった。
「そういえば、何を作ったのだ?」
ラッピングを開けると水飴で作ったちらし寿司セット。そこにはイクラに見立てた菓子が並んである言葉が書かれていた。
「ウソぴょん」
「……!!! ちくしょう! 騙されたっ!」
我利はもうどうでも良くなって、四本目のストロングゼロを買いにコンビニの店内に入っていった。
一方、寿子は駆け抜けながらニヤニヤしていた。
「この手のイタズラは相手の反応が見られないのが唯一の欠点なのよねぇ。さて、次は彼らをどうおちょくろうかね」
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