10『安定限界』への応援コメント
学生時代の些細なことで揺れ動く恋心と言うのでしょうか。勘繰り、勝手に傷つき、はたまた勝手に浮かれたり。そんな、自分の中では思い出と成り果てた感情に久しぶりに触れた気がします。
とても美しい文章で、最後まで楽しませていただきました。
ありがとうございます😊
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます😌
勝手に傷つき、はたまた勝手に浮かれたり>
二の矢を受けずなんて言葉が仏典にありますが、まさにそれで(笑)
勘繰りの果て、勝手に一喜一憂しているのですよね。
もっとも件の作品は6割ノンフィクションですから、「キミそもそもそれを一の矢として認識するぅ?」とツッコミ入れたくもなるのですが。
10『安定限界』への応援コメント
掘り下げるというよりは一秒一秒の自分の感情にすかさずツッコミのような自制が入る主人公、感情の瞬発力がすごいと思いました。流してしまえばいい一瞬の思考にも分析と自嘲みたいなものが必ずくっついてくるのが…。読んでいてそれも頭の中で言ってしまうのかとある意味痛々しかったです。桐宇治さんの人物像がとても魅力的でした。
作者からの返信
最後までお読みいただきありがとうございます。天晴にござい🤗(読了したことを応援コメントか何かで伝えてもらった暁には、その忍耐を褒め称えます)
感情の瞬発力>
云われてハッとしました。
"普通"なら「いやいや、そこはスルーでいいだろ」「ある意味脳の処理速度ヤベーよ」とツッコまれても致し方がないレベルの一瞬一瞬の心理描写が、自身の数少ない持ち味であると、そういう自覚はあったのですが──。
「感情の瞬発力」という言語化が、あまりにもドンピシャだったもので。
ぼんやりとしたまま長らく放置していた自身の強みが、僅かに輪郭を帯びてくれたような心地です。
桐宇治さん>
同意を求めて良いかどうかはわかりませんが、何考えてるかわかんない娘ってイイですよね。
改めて感想ありがとうございました。素敵なレビューも含め、嬉しかったです。
10『安定限界』への応援コメント
綺麗でノスタルジックな作品でした。好みにどんぴしゃりです。キヨモリがねぇ、不器用すぎて背中を押そうとも思えず、頑張ってその身を裂いていけ、と遠くからポーションを投げ込む鬼畜プレイに走りたくなります。
おふざけは置いておいて、距離感の違和感を丁寧に綴っていて、得心がいくことばかりでした。繰り替えられる漣の音。本物と偽物の違い。発言の真意。気まぐれ。なんて、ぐさぐさと突き刺さるものばかりでした。
これはファンになりますね。任せて下さい。ゆっくりですが、読みますよ。
作者からの返信
最後までお読みいただきありがとうございます。とても偉い🤗(読了したことを応援コメントか何かで伝えてもらった暁には、その忍耐を褒め称えます)
鬼畜プレイ>
ポーションでは回復が追いつかないのでは?🤔とも思いましたが、キヨそもそも最大HP低そうなので何ら問題なさそう感。
ありがとうございます。私もAskewさんの綴る文章(作品の感想に対する返信も含めて)が好きなので。今後ともお付き合いしていただければ嬉しい限りです。
07『薄暮係数』への応援コメント
いやー、この「人間関係が広くない世界に生きる人間」の外の世界から無理やり世界の広さを知らされる感じがたまりませんねぇー。
狭く浅くが多かった自分にとっては、自分の知らない世界が知っている人同士の間で繰り広げられるのを「知らされる」感覚が分かってしまうので、なんだか懐かしいようでドキドキしました。
そして、空気作りの下手さにもね。身体は思考とねじれて反応してしまう感じ。
姫乃さんはそこら辺の動きがとても上手で、凄いと思いながらひやりとします。
作者からの返信
世界の広さを知らされる感じ>
キヨ間違いなく主人公ではあるのですが、絶妙(日本語として適切な使い方なのかこれは?🤔)に蚊帳の外なんですよね。まあ、周りが彼を除け者にしているのではなく、単純に彼の踏み込みが足りてないだけなのですが。
空気作りの下手さ>
空気読解能力は人並み以上にあるけど「あっ、これプレミかも🤭」と気付いた頃には時すでに遅し系男子。機微を察する能力はあるのに場数の少なさゆえそれを満足に活かせない内向型あるあるです。「そこら辺の動きがとても上手」なのは、きっと私がそのタイプだから😉
04『サウザンクロス』への応援コメント
>「あっ、でもさ。キヨモリもカッコよかったよ」は最早トドメ以外の何ものでもなく。
コメントの引用で申し訳ないですが、同じことを思いながら読んでいたらもうね、そのまま言葉になっていたので思わずコピペしていました。
こういう中途半端なフォローいりませんよね(懐かしい思い出)
呼び捨てになったり、意味深にもとれる質問だったり、距離感の違いだったり、それに一喜一憂するキヨモリが目に毒です。あの時の自分をまざまざと見せつけられているようで。や、やめてくれぇ。となります。
波の干渉。量子力学でしょうか。
第一話の位置関係、いなくなった先輩。理解と無理解が重なって来て、会話ももちろんなのですが、面白いです。
作者からの返信
中途半端なフォロー>
ナチュラルボーン恋愛DTキラーって感じなんですよね、桐宇治さん。陰キャ相手でもとりあえず知ってる顔で目があえば笑って手ェ振ってくれるヤツ。作中に出て来ないだけで、キヨモリ以外にも何人か犠牲者がいそう。
や、やめてくれぇ。>
「細かいことを言えば、僕がやったのは応援スピーチではない」と云うクッッッソどうでもいい訂正を挟むところとか、最高に陰の者ですよね。
波の干渉>
波が重ね合わせられることで、振幅が大きくなったり小さくなったりする現象、如何にも物語の始まりっぽいし、三人の関係の暗喩めいているよなーくらいの感覚で付けました🙂
01『波の干渉』への応援コメント
今更ながら、読ませて頂いております。
僕も好きですね。人口の多くないであろうまばらな街並みと錆びた看板たちが目に浮かびます。
ゆっくりですが、楽しみに読ませて頂きますね!
作者からの返信
Askewさん、お久しぶりです。
一人称小説の背景描写ってわりかし鬼門ではないかと思っておりまして。語り手の見聞きできる情報や語彙力によって描写が制限受けるのは勿論として、そもそも見慣れた(と云うより見飽きた)情景を語り手が描写する必要性って「ない」んですよね。誰かを案内するとか、探し物があるとか、そういうきっかけでもない限り新天地でもない環境をきょろきょろ見回して、あれが見えるこれが建ってるとか説明するのは不自然なわけで。
それゆえ自作の背景はキャラの台詞等を頼りに想像する他ないのですが──作者の表現したかったものを思い描いて下さっているようでとても嬉しいです😊
01『波の干渉』への応援コメント
夕方で放課後だった。
この文章、なんだか凄く好きです。
放課後って基本的には夕方だから言わなくても良さそう。もし、強調して言いたいなら、僕なら次の文と合わせて
放課後、夕日に顔を照らされながら、校門へ続く道を一人歩く。
としてしまいます。でも、「夕方で放課後だった」の方がずっといいです! 少し無骨で、使い慣らされた小説の言い回しではないところが、気に入った理由だと思います!
作者からの返信
杜松の実さん、はじめまして。
コメントありがとうございます😌
言わなくても良さそう>
なるほど十理あるな🤔
この書き出し、何か既視感あると思ったら乙一先生の『夏と花火と私の死体』の「九歳で、夏だった」に影響受けてるっぽいんですよね。高校時代、乙一先生の作品よく読んでいたので。で、主人公のモデルが高校時代の作者ですから。少なからず反映される部分があったのやもしれません(笑)