③大決闘! ネット恋愛に散る

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 もう何度目かもとっくに忘れたプロデューサーとの打ち合わせのため、俺は某映画会社を訪れていた。この会議室に通いつめてもう一年が過ぎようとしている。

 先週は五稿まで進んだ企画書がボツをくらい、今日は企画書のタネとなるアイディアを三案ほど持ち込んだ。送ったのは打ち合わせの三時間前。ここから全ボツでもう一周練り直しか、どれかが目に留まって企画書として進めることになるか。

「もっと早めに出してもらえると、こっちも精度高い意見が出せるんですが……」

 プロデューサーは渋い顔をしてそう言う。その通りだった。一年も企画が通らないということは、裏を返せば一年も自分の企画に付き合わされているということでもある。罪悪感に胃がキリキリと痛む。

「すみません、毎回」

「はい。では今回のフィードバックですが……」

 プロデューサーは俺の企画案に一つずつ意見を述べていく。彼の俺の企画への指摘は、いつも筋が通っていた。ダメ出しされる箇所にはいつも納得ができるし、練り込めていないものを出せばすぐに見抜かれる。

 そんな正しさが俺には辛い。せめて理不尽かつ感情的に俺のアイディアを罵ってくれた方がまだ楽だった。そうすれば俺は自分の不甲斐なさに向き合わされることはない。俺には才能があるが、奴がそれをわかっていないのだと思い込める。俺が良い企画さえ作れれば全ては解決する話だという現実が一番苦しい。悪いのは俺だ。

 結局、今週出した三案も全ボツ。会議前日にAさんで抜いたらそのまま寝てしまい、起きてから慌てて苦し紛れに書いた企画案だったので当然の結果だ。

 打ち合わせ終わりにプロデューサーが俺に聞く。

「最近、何か映画見てます?」

「いえ、特には……」


 Aさんと最後までできなかったあの夜のことで、俺の頭はいっぱいだった。

 あの後も、やっぱり俺とAさんはみんなの前では普段通りの友人関係を続けた。二週間ほど経ったが、あれから一度も二人きりにはなっていない。ディスコードでメッセージを交わす量も一時期よりは明らかに減った。気まずい雰囲気がないといえば嘘になる。

 俺には今、一つだけ決めていることがある。

 もしまた二人きりになれるような機会をAさんが持ちかけてくれたなら、その時は俺から告白するつもりだった。あんな好意の踏みにじり方をした俺に、その機会が訪れるとは思えない。

 だってAさんは俺を嫌いになったかもしれない。あの時、俺は逃げ出したから。取り返しのつかないことをしてしまった。

 それでもまたあの人が俺に手を差し伸べてくれるなら、俺はそれに応えたい。

 その矮小な決意があまりにも受け身であることくらい、わかっている。

 だが俺にはAさんを自分から何かに誘う自信がなかった。例えば今ディスコードでのやりとりが減ったのも、もしかしたら向こうの仕事が忙しいせいかもしれない。こちらから強引に迫ることでAさんに負担をかけたくない。そんな言い訳を考えてしまう。

 Aさんが俺を好きであるかどうか、まだ確信が持てない。

 自分に自信がない。

 俺はAさんに自分から手を伸ばせるだけの自信が欲しかった。


 帰宅した俺は、二十四時間なにかしらの映画を垂れ流しているCSのチャンネルを見る。プロデューサーの「何か映画見てます?」という一言が引っかかっていた。映画を見れば何か変わるかもしれない。

 その時放送していたのは『ロッキー』だった。言わずと知れたボクシング映画の名作。ロッキーが努力の末、チャンピオンであるアポロにKO負けすることなく戦い抜く。そして最愛の女性、エイドリアンの名前をリングの上で叫ぶ。

 これこそ、今の俺にはこれ以上にないほどの勇気をくれる映画。

 で、あってはならない。

 俺は身の危険を感じ、急いでテレビを消す。

 ここで『ロッキー』に励まされ、勇気を貰ってAさんに想いを伝えたとしよう。

 この世界にはあと何人『ロッキー』に励まされた人間がいるだろうか? それこそこの地球上に何百万人もいるに違いない。それは『ロッキー』が普遍的な良い映画だからだ。

 俺は普遍的でいたくない。俺は特別な男だ。『ロッキー』に励まされてしまうような凡百の人間と俺は違う!

 誰もが簡単に辿り着けるような安い救済を受け入れてしまえば、それは俺の存在そのものを安直で退屈にする。そんな救いなら俺にはいらない。

 『ロッキー』を見ただけで立ち上がれてしまうような安易な俺では、またAさんの前で勃起できなくなるに決まってる。

 突然プライドが首をもたげてきたかと思うと、次の瞬間にはどうしようもない無気力に襲われる。

 シコって寝るか。

 もう長いことAさんでしか射精してない。あの夜の続きを空想すること以上に実感を感じられるアダルトコンテンツがこの世界には無かった。どんなAVを見ても、どんなエロ漫画を読んでも、そこにAさんがいない。

 俺はAさんと撮ったツーショットだけを集めた画像フォルダを開く。すでに股間のそれははち切れそうなほどに怒張していた。オナニーだけはご立派にできる自分に死にたくなる。

 妄想の中でAさんを抱く時、俺はいつもの二頭身で恐竜のマスコットのような姿ではない。俺は現実の男の肉体で仮想世界に入り込み、猫耳の美少女を力強く犯す。その場所はもちろんあのホテル。妄想の中でだけ、俺はその壁を越えてAさんに会いに行く超人だ。

 射精の感覚が内側から込み上げてくる。

 その瞬間、超人である俺がAさんに精を流し込みながらこう言った。

「俺、映画監督になりました」

 これだと思った。

 射精による天啓との接続。

 俺にはまだ一つだけ自信になり得るものが残っている。もし映画監督になれたなら、俺は自分から Aさんへ手を伸ばせるかもしれない。ただ甘えるだけの弱い俺じゃない、価値のある一人の男として胸を張れる。

 もう好きでもなんでもなくなった映画作りだったけど、あの人にすごいと思われるためならいくらでも頑張れる。奨学金も親の視線も休学期間も、もうどうでもいい。映画監督としての名誉もいらない。黒澤明になんかなれなくていい。

 俺はただ、もう一度あの人に会いたいんだ。

 商業映画を初めて完成させれば、俺は誰かに抱きしめられたりキスされてもいいような、マシな人間にきっと変わっていける。この瞬間の決意のために、俺は今日まで何本もの映画を見てきたに違いない。俺の人生は無駄じゃなかった!

 好きな人のために夢を追う。

 それは俺が今まで起こしてきたどんな行動よりも美しくて尊いものだと感じる。知らなかった。自分がこんなにも人として正しい理由で頑張ろうと思えるなんて。あの人の声が、笑顔が、頬に触れたその手が、俺の中にまだ綺麗なものが残ってるって教えてくれている。

 俺は俺が嫌いだ。

 でも、好きな人のために頑張る自分なら、好きになれるかもしれない。

 俺は頑張るんだ。映画監督になるんだ。

 そうして自分に自信を持てたその時、もう一度Aさんに会いに行こう。

 大好きだって伝えるために。

 仮想世界であの人と手を繋ぐために、俺はもう一度現実で頑張るんだ。

 決意と共に握りしめたその拳は、ぶちまけた精液に濡れていた。


   ×   ×   ×


 こうして俺の苦闘の日々が始まった。

 とにかく映画の企画を考えまくる。プロデューサーの気に入りそうなものを片っ端から書き出しては、全部自分でボツ。考え直し。 

 そうして何十本もの企画をボツにして残ったものを、それぞれメモ程度ではなく完成された企画書にして渡す。ボツになりそうなものでも詳細なプロットを付ける。とにかく熱意を伝えるために書きまくる。

 そうした企画書を連日送りまくり、打ち合わせの回数も頭を下げて週三に増やしてもらった。打ち合わせをしては次の打ち合わせまでの時間でまた企画書を書き溜める。その繰り返し。

 VRには入らないようになり、Aさんとも会わなくなった。

 ディスコードでのメッセージのやり取りは激減した。俺がほとんどAさんに返信しなくなったことが原因だ。

 それどころではなくなっていたし、忙しいことを説明するのもダサいと思った。俺が頑張っていることなんかアピールされてもウザいってことは、俺がいちばんよくわかっている。

 映画のかっこいい男というのは女のために死地に身を投じたとしても、それを見苦しくお前のためだとアピールするようなことはしない。松田優作もフランコ・ネロもチョウ・ユンファもデンゼル・ワシントンもみんなそうだ。

 俺は愛の戦士。

 だいたい、チンコ舐めただけの男から突然「あなたのために映画作ります!」と言われても恐怖体験でしかないに決まっている。男は努力に陽が当たることを望んではならないものだ。

 脚本の初稿が完成したその時、それを持ってAさんに会いに行く。愛の言葉と共に! それが俺の決意だった。

 ここまで必死になったのは人生で初めてだった。

 企画書を書くか、打ち合わせをするか、Aさんでシコるか。その三つしかしないまま一か月が過ぎた。唯一の娯楽が射精である文化的最底辺の人間にまで堕ちた。俺は映画人だ。


 自宅で作業している時、どうしてもVRに入りたくなったら俺は駅前のネカフェに行った。

 タバコくさい地下へと降りて、等間隔に並べられた狭くて四角い個室に入る時、俺はHMDを被る時のような穏やかな閉塞と孤独を感じた。

 そこには太陽の光も届かない。足も満足に伸ばせないネカフェの個室こそが俺にとってもう一つのVRだ。俺もみんなも、誰もが世界から遮断されたがっている。

 丸まるように縮こまってノートPCのキーボードを叩く。そうしていると隣の部屋にいる男がオナニーして、ガタガタと個室を揺らす音がこちらに響いてくる。ヘッドホンから漏れるAVの音が不快だった。

「うるせえぞ!」

 俺は絶叫して隣の壁を叩く。昔の臆病な俺なら絶対できないことだった。

 だが今の俺は違う。愛のために生きる俺は強い。

 その時、ディスコードにAさんからメッセージが届いた。

「最近忙しい? 何かあったの?」

 いっそ何もかも明かして、頑張れって応援してもらいたい。でもあの人にこれ以上、甘えて弱い部分は見せられない。

「大丈夫です!」

 俺はそう一言だけ返信し、スマホの電源を落とす。これ以降、Aさんからメッセージが届くことはなくなった。


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 色鮮やかな花畑の中心にAさんが立っている。空はどこまで青く、日差しと風も心地いい。

 全てが完璧な場所。俺の中の何もかもが大丈夫になっていく。

 俺に背中を向けているAさん。でも俺が一歩を踏み出すと、それに気づいてこちらに振り向く。俺を見つけてくれる。俺を感じてくれている。

 黒髪がふわりと揺れて、猫耳はどこか緊張しているかのようにピンと立っている。頬が赤いのは、俺がこれから何を言うのかわかっているからだろうか。

 Aさんの正面に立つと、いい香りがした。柑橘系のフルーツのように甘酸っぱく、心をくすぐられるような香り。Aさんの匂い、こんなだったんだ。なんで今まで知らなかったんだろう。

 もじもじしながらAさんは俺の言葉を待つ。だから全部を話す。

 俺がどんなに情けない男か。

 俺がどんな現実から逃げ出そうとしていたか。

 俺がどれだけAさんとの出会いに救われたか。

 俺がどれだけAさんでシコって射精したか。

 俺がどれだけAさんのことを思って、映画監督になろうとしているのか。

 Aさんは俺の話を、いつものように黙って猫耳を揺らしながら聞いてくれている。

 そうして最後に、本当はあの夜、勃たなかったことを伝えた。

 最後に言うのがそれなのかと、情けなさに涙が出てくる。泣き出して立っていられなくなった俺を、優しく抱きしめてくれるAさん。背中に回された腕が温かくてさらに泣く。それは初めて知るAさんの体温だった。

 ここは仮想でも現実でもない。俺たちがお互いを感じるためだけの完璧な世界。仮想にも現実にも居場所がない俺のために、Aさんが連れてきてくれた場所。

 俺は生まれてからずっと、ここだけを探して生きてきた。

 マイク越しじゃないAさんの声が、いつものアバターの姿から聞こえてくる。

「私のこと好き?」

 俺はバカだ。全てさらけ出したつもりが、肝心なことを言い忘れていた。

 この一言のために、どれほど周り道をしただろう。

「俺は……」


 人生でいちばん満たされた気持ちで目を覚ます。夢を見ていた。これから現実になる夢。

 今朝、徹夜で書き上げた約二万文字の脚本初稿をプロデューサーに送ってから、気絶するようにベッドに倒れ込んだことを思い出す。気が付けば深夜一時になっていた。

 今度の脚本は今までボツにされてきたものとは違う。企画書とプロットの段階から好印象の作品で、プロデューサーのアイディアも多く取り入れている。

 そのせいで書き上げるのは大変だった。なにせ自分では何が面白いかまったくわからない。とにかく打ち合わせのボイスメモと会議の議事録、それと通ったプロットをひたすらに確認して書いていった。

 しかし初稿さえ上がってしまえばこちらのものだ。ここまで擦り合わせていけば後は微修正で撮影に入れるはず。面白い映画になるかはわからないが、少なくとも俺はこれで映画監督になれる。それでいいんだ。

 もう一度このHMDを被って、Aさんに胸を張って会いに行けるなら、俺はそれでいい。

 待ち望んでいた瞬間がついにやってきた。

 この一か月半、俺が何をしてきたのか。それを今からAさんに報告しに行く。Aさんは少し驚いた後、喜んでくれるに違いない。

 書き上げた自信が俺の力だ。これさえあれば、俺は夢の最後にかき消された言葉を絶対に叫べる。俺はこの世界で夢の続きを見るんだ。あの人と、二人で。

 俺はパソコンの電源を入れてHMDを被り、VRChatを起動。久しぶりに見るロード画面の後、ホームのワールドに飛ばされる。オンラインのフレンドリストの中にはAさんの名前があった。Aさんのいるワールドは木造の集会場のような場所らしい。そこにAさんがいるならどこでもいい。俺は集会場へと飛ぶ。


 俺はその場所で、一か月半ぶりにAさんを見た。

 Aさんの隣に、俺の知らない美少女アバターがいる。二人の左手の薬指には、揃いのペアリングが光っていた。


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 まだ何も終わってない。俺はまだ負けてない。あんな指輪は認めない。

 俺は購入したCGモデルをユニティで読み込む。今いちばんVRで主流であろう、Aさんも使っている猫耳美少女のCGモデルだ。恐らく何千人もが使っている。

 Aさんの隣にいたあの美少女。狐耳を生やしたお姉さんのような可愛いアバター。俺が映画監督だったとしてもあの可愛さには勝てない。

今日までの努力も研鑽も、美少女の可愛さの前ではどこまでも無力なのだと思い知らされた。いくら俺が偉大で名声のある存在だったとしても、可愛くないという一点で俺は敗北している。

 どれだけ人間的な価値を高めても、撫でて抱きしめてキスがしたいと思える容姿の奴には絶対に勝てない。Aさんも男だから。

 だが、それは希望でもある。なんでもっと早く気付かなかったのか。

 だったら、俺も可愛くなればいい。

 変身だ。

 あの人を俺の女にするために、俺も女になってやる。周りに迎合するのが嫌だなんてクソくだらないプライドが、ここまで来てようやくどうでもよくなった。

 間違いは映画監督なんかになれば、Aさんの隣に自信を持って立てると思ったことだ。そんなものなくても可愛くあれば、Aさんに求められる容貌さえしていればそれでよかったんだ。可愛くさえなれば、そこには一目でわかる価値がある。

 こんな理由でしかVRの世界で「なりたい自分」を見つけられない俺自身に嫌気がさす。あんな姿になりたいと、美しい理想を持って仮想世界にやってくる人に比べれば俺のなんと矮小なことだろう。

 俺はただ、あの人とできなかったセックスの続きがしたいだけだ。誰もがご大層なお題目を掲げられるわけじゃない。

 GIMPで色を変えたテクスチャをモデルに貼り付けていると、スマホが鳴る。プロデューサーからのメールだ。

「明日の初稿読み合わせについて」

 そういえばそんなこともあった。もうどうでもよくなっちゃったな。


 改変し終えた猫耳美少女のアバターのスクショを取る。VRChat上で撮った写真ではなく、ユニティの画面のスクショだ。これをAさんに送れば「これからアップロードするんですけど良かったら会いませんか?」と自然に二人きりになれる可能性が高い。

 俺は震える手で、初めてAさんに自分からメッセージを送った。

「お久しぶりです。改変初めてやってみたんですけど、どうですか?」

 あくまでさりげなく、ふと改変したことを伝える程度のメッセージとして送った。動揺も葛藤も悟られてはいけない。

 パソコンの前でひたすら返信を待って一時間が過ぎる。ちょっとしたメッセージなんだからこんなに待たせないでくれ。ただ少し言葉を貰えて、会う約束が取り付けられればそれでいいのに。

 待たされた分だけ相手の考えていることがわからなくなっていく気がした。もしかしたらもうこのまま一生返信は来ないかもしれない。

 だがそんなことはなく、Aさんから写真付きのメッセージが届く。気が変になるかと思うくらい嬉しかった。

 その内容を、ちゃんと読むまでは。

「良いじゃ~ん。私も改変したんだ~」

 添付された写真には、集会場でAさんの隣にいた美少女と同じ、狐耳の少女のアバターを纏ったAさんの姿があった。前の猫耳のアバターと同じく、桃色の服に長い黒髪。見紛いようもないほどに光る左手薬指の指輪。そして隣には、同じ指輪をした美少女が立っている。

 お揃い、というやつだった。

 新しいアバターを見てようやく思い知る。Aさんは変わった。

 もう俺の知っているAさんはどこにもいない。

 俺は改変した猫耳美少女のモデルのFBXとテクスチャを削除した。


   ×   ×   ×


 脚本が決定稿になることはなかった。

 元々、面白いと思って書いていたものじゃない。努力の理由がなくなった俺の脚本の修正のクオリティは大幅に下がり、あの脚本はボツとなった。

 そんな俺の態度を見たプロデューサーは俺をこの企画から外すことを決め、後任には別の若い監督が入ることになったらしい。

 こうして俺は映画監督になる道を絶たれた。一年半苦しめられてきたものから解放された気分はそれなりに清々しかったりもしたが、来年の春に終わる休学期間までに実績を残すことはこれで不可能になった。

 最近はよく日中の公園でスマホを見ながらダラダラと過ごし、夕方になったら帰るという生活を繰り返している。両親に映画の企画が立ち消えたことを悟られないためだ。二人は未だに俺が映画会社に行って脚本や企画書の執筆に勤しんでいると思っている。

 もうすぐ年末なのでこの嘘もそろそろバレる。まあその時はその時だ。全部どうでもよかった。


 Aさんから見た俺の行動を考えてみる。

 アプローチをかけたのにそれを全て無視され、そのくせ仕事の愚痴だけは聞かされ続け、しかも一発ヤってやろうとしたら逃げられ、さらにその後一か月半に渡って話を聞いてもらえない。何を考えているのかわからないし、近づくほどに離れていく。しかも自分からは絶対にこちらに踏み込んでくれない。

 たまったもんじゃないな、これは。

 あの時は確かにAさんのことも考えて行動していたはずなのに、今思い返してみると全てが最悪の方向になるべくしてなったというのがわかる。

 この一件で俺に残ったものといえば、中身が男の美少女とセックスする妄想でしか抜けなくなったことだけだ。最後にはバカになった男性機能だけが虚しくそこにあった。

 中身が男の美少女とセックスがしたい。この気持ちだけは、未だ俺の中に残る夢のカケラと言えるかもしれない。美しい夢だと思う。


 俺はVRで中身が男の美少女とネット恋愛したけど失恋して仕事を失いました。

 事実だけを羅列するとこうなる。昔の俺が目の前にいたら間違いなくぶっ殺されるだろうな。こんなものになるくらいなら殺してやるって襲いかかってきそうだ。

 でも聞いてくれ、昔の俺。

 中身が男の美少女が相手だから、通じ合える何かがあるって思ってしまった。女相手よりよっぽど、何を考えているか寄り添える自信があった。

 でも逆だった。中身が男だからこそ、曖昧な一線を越える勇気が必要になる。だらだらと同じ場所に、自分だけが心地いい、相手を苦しめさせる場所に居続けられる。相手も男だし、自分のことをわかってくれるって都合のいい考え方ができてしまう。

 VRの世界で恋愛なんてちょっと前は夢物語だった。

 そういう漠然とした未来の中にいると、なんだか自分までも変われたような気がしてしまう。だがどこにいようと俺は、卑怯で、臆病で、ズルくて、弱虫な俺のままだ。

 しかもその未来っていうのは、思っているよりすごくない。結局はアバター着て会話するだけ。未来のスーパーパワーで誤解なくわかりあえるなんてことはない。

 なまじ仮想世界で何かが良くなるんじゃないかと勘違いするからこそ、気が付けばグロテスクな欲望が剥き出しになっていることに気づけない。アバターでは隠しようもないそれを持っているってことを、俺は生身じゃないというだけで忘れてしまった。

 どこに行ったって難しいことはたくさんある。上手くいかないし、できない。

 でも、これでわかった。

 どこにも逃げ場なんかない。

 俺が平穏無事に安らかな人生を送れることなんか一生ない。

 色んなことがあったおかげで、とりあえず覚悟は決まった。

 今のままじゃ金も尽きるし、家も遠からず叩き出される。失恋どころじゃない。俺はまず死なないようにしなきゃいけない。生きるか死ぬかのところに俺はいる。

 また映画でも撮って、一発逆転を狙うしかない。

 中身が男の美少女とセックスするその日まで、俺は生きなきゃいけないんだ。

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俺がVRChatで中身が男性の美少女に恋した話 オタゴン @otagon_vr

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