12. ミーム

 例によって言葉の意味から入っちゃって恐縮だけど、「ミーム」って知ってるかな。文化的遺伝子。模倣子もほうし。人と人の間で文化のように伝わってゆく情報を、生物の持つ遺伝子に喩えて理解しようという試み。進化生物学者のリチャード・ドーキンスが、『利己的な遺伝子』という著書で唱えたものらしく、要は生物の進化を遺伝子の視点で考えると理解しやすいように、情報の伝播を情報側の視点で考えると理解しやすいのではないか、という話。

 なのだけれど。


「めっちゃ難しい~!」


 と、開口一番で不満を呈する同居人の小野寺オノデラである。意味もなく腕をぶんぶん振っている。マジで意味がなさそう。疲れるんじゃないのそれ。

 何気なく思い出したので、ミームの説明を訥々として見たのだけれども、お気に召さなかったらしい。

 実はわかっててやった。


「だから~、難しいお話だと読む人が疲れちゃうって~! 言ったでしょ~?」

「ごめんごめん。最近、『ミーム汚染』って言葉を聞いたからさ。そうなると、まずはミームについて話さないとなって思って」

「え~、難しそうだってば」

「そうでもないよ。まあ、ゆるーく話すから聞いてよ」

「ゆるいなら聞くよ~」


 ゆるいの大好き小野寺ちゃん。

 ミームって言葉が『利己的な遺伝子』から来ている以上、遺伝子の考え方についてサクッと説明しないとね。あくまでゆるくサクッとなので、その筋の人がいても細かいところは見逃してください。切なる願い。


「簡単にいうと、遺伝子の擬人化をしてるんだよね」

「ほえ~。利己的な『遺伝子たん』ってこと?」

「うん。『遺伝子たん』は、自分の複製が広く増えたり、長く残るのが目的。で、生物を乗り物にしていて、自分の目的のために利用してるの」

「あ~、それで利己的なんだ~」

「そうそう。だから、生物は『遺伝子たん』が有利なように増えるし、進化するし、乗り捨てられて死んだり絶滅したりもする」

「うわあ~、利己的だ」


 擬人化めっちゃ便利だな。

 だけど、「~~たん」って呼び方は古いのではなかろうか。一時期は鬼のように流行していたけれど、最近はそれほど見掛けないような気がする。意味が通じる限り、別に構いはしないのだけれども。


「なんでわざわざ『遺伝子たん』の視点で考えることになったかっていうと……。それまで生物は意志を持って進化しているとか、欧州の方では生物は神が創りたもうた物という信仰が根深かったりとか、諸々の理由があるんだけど」

「ややこし~」

「だよね。割愛。ま、あくまで『遺伝子たん』が生き残ったり増えたりしやすいように、生物は利用されている――という考え方がある――とだけ認識してくれれば、いいや」

「したよ~、認識。ばっちり~」

「ほんとかな……」


 親指立てて見せてるけど、こいつ。

 とりあえず、前座の話なので流しておこう……。毎度毎度前振りが長いね。しかたないね。「だらだら」がコンセプトだもんね。むしろ正当であるとすらいえる。うん。自分を鼓舞。


「さて、ミームだけど。こいつは、さっきの遺伝子と同じように、増えたり生き残ったりするのが目的の奴」

「利己的な『ミームたん』だね~」

「『遺伝子たん』より可愛い感じするね……。でも『ミームたん』が乗ってるのは生物じゃなくて、文化なんだよね」

「何だか~、ふわっとしてない? 概念?」

「概念だよ。集合的情報生命体である文化にとっての遺伝子、それが『ミームたん』なのよ」

「う~ん……」


 小野寺は考え込んでしまう。

 ここがちょっとわかりづらいんだよね。確かに。

 遺伝子の方は、厳密には違うけれどDNAっていう物質をイメージできるものの……ミームの方は、そういう物質があるワケじゃないからな。


「アレで良いよ。小野寺が以前考えた、言葉のボトル」

「あ~、言葉のボトルに入ってるのが『ミームたん』? 」

「そんな感じ。あるいは単純に名詞そのものとか……」

「ちょっとわかったかも~」

「よしよし。さっきも言ったけど、『ミームたん』も文化を利己的に乗り物にする。自分が増えたり、生き残ったりするためにね。例えば、小野寺が怖がってる『まんじゅう』というミームは、より広まって長く生き残るために、甘さと美味しさと、そして落語としての面白さ――という文化を乗りこなしている」

「ほほ~。なるほど?」


 小野寺が少し感慨深そうに頷いている様子を見ると、これまでのざっくばらんな雑談からもお互いに得るものがあったのだなあと、こちらもちょっと嬉しくなる。じんわり。

 そう大げさなものでもないけどね。


「で~、さっきの『ミーム汚染』に繋がるの?」

「そうだね。ミーム汚染って何だろうなって」

「う~ん……概念的放射線に当てられたのかな~」

「怖いな……。毒電波のことか?」

「具体例ちょうだい~」

「そうね……。例えばこんな話を聞いたわ。『イヤーッ』って書き言葉があったとして、一昔前ならこれは女性の悲鳴的な意味合いがあったと思われるけど」

「そうだね~」

「とあるニンジャ的ネットノベルが台頭してから、『イヤーッ』はニンジャが戦う時に発する奇声の意味合いとして認識されるようになっちゃった、みたいな」

「あ~らら。なんてこった~」


 そこで小野寺は額を叩くような仕草をする。

 最近それやる人もあまり見ないな。絶滅しかけのミームかもしれない。


「注目したいのは、意味合いは変わっているけど……ミーム的には成功かもしれないってこと」

「え~? 意味が変わっちゃったのに~?」

「そうね。でも、その文化に新たな特徴を備えたことによって、『イヤーッ』の『ミームたん』は、ネットを中心に改めて広まったわけだし。生き残りやすくなったかもしれない」

「ああ~、そっか~……」


 だから、あんまり汚染ではなくて……ただの突然変異とか、環境適応だとも思うのよね。今までの長いやり取りが、最終的に難癖に落ち着くのもどうかと思うけど。


「最初はなんのこっちゃって思ったけど~、面白かったかも」

「そりゃ重畳」

「でも~、やっぱり難しいところから入るのは~、困る」

「困るかー」

「うん~。だって~、コユメちゃんやあたしもというミームも~、長く残って欲しいから」

「おっ。良いこと言うじゃん。だったら、少しは広まるのに有利な文化にならないとね」

「絶滅はしたくないね~」


 大げさに理論ぶってはいるけれど、結局『ミームたん』ってのは……「自分の産んだ考えが、誰かの心に根強く残ってくれたらいいな」という、そんな素朴で純粋な願いのことを指すのかもしれないね。

 利己的だけど、素朴で純粋なミームたん。

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コユメちゃん日記 梦現慧琉 @thinkinglimit

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