最終話 クリスプ2
最終話『クリスプ2』
「その時の指輪がコレだ!」
シミズは薬指にあるエンゲージリングを掲げ、大ジョッキを一気に空けた。大柄なシミズには左指の婚約指輪よりも、右腕の大ジョッキの方がお似合いだ。
― しかし、コイツがねぇ。
太い指には物足りない大きさだが、この際、大小に関わるのは止めよう。とにかく、高価な石が据えられた、とてもオメデタイ指輪なのだから。
「しぃかし、まあ、ナンダァ。かなりモってるな」
アルコールに弱いイトウは、すでに呂律が怪しい。
「シミズぅ、お前は大ウソつきだ」
いや、嘘じゃないと思うぞ。あの一石は間違いなく、小さいダイヤモンドだ。
「じゃなきゃ、こりゃ夢だ。シミズが婚約なんて、あるえない」
普段はクールなツアーコンダクターのイトウの、乱れる時だ。
「へへへ。マジだよ、リアルだよ。でさ、イトウは新婚旅行のプランを頼みたいんよ」
浮かれているシミズは酔えば酔うほど、浮かれまくる。まあ、メデタイ場だから許してやろう。
卒業後、アタシたちは『それぞれの道』に進んだ。『バスケットボール』の枠を外した世界は想像以上に広くて、途方もなく面倒くさかった。
そんな現実に頭が悪くて乱暴なアタシたちが、容易く順応できるはず無い。しかも、天才でも秀才でも非凡でも平凡でも無いアタシたちだ。レベルの向上には、真面目に、ひたむきに努力するしか無かった。
知らぬ間に社会に認知された『常識』といコトバに散々に揉まれたアタシたちが、ぐらつきながらも何とか踏ん張れたのは、バスケで鍛えたド根性と、結束の賜物だと思う。
「ナニ?新婚旅行?任せてくれ!」
「新婚旅行」と聞いて、イトウが正気に戻った。
「で、予算は幾ら程?任せろぃ。良いプランをプロぢゅーすしてやる」
などとテーブルに備わったワリカン計算用電卓を叩き始める。この姿が真か偽りかはシミズの「新婚旅行」後に判明するだろう。
「おーい、イトウ。お前さ、プロなら誠意溢れるツアーを企画してやれよ」
どうやらキクチはアタシと同じことを考えたようだ。提案された旅行が『サハラ砂漠大冒険』では、悪意と判断してよい。
「例えばよ、『子宝の湯』巡りとかさぁ」
それは、まだ早いと思う。
キレモノのキクチは保育士になった。
知らされたとき、「マジか!」と驚いたが、考えてみればヤツに相応しいように思える。子供好きと云うか、根っからコドモな奴だからだ。
とにかく、キクチは保育士になった。しかも、勤務する保育園では信頼熱い保母さんらしい。お子様にも人気があって、『お嫁さんになって』と告白されまくっており、初のモテキを満喫しているようだ。
「全く、羨ましいぜ。俺はさぁ、どんなに早くても、十五年後だからな」
すっかり「十五年後の約束」はキクチの口癖になった。キクチはファジー・ネーブルをちびちび舐めながら、口癖を繰り返す。
「そう云えば、二十人待ちだっけ?」
「うんにゃ、二十二人だ」
キクチの隣に座るエハラはガテン系に就職した。「物事を創っていく事が好き、モノが出来上がっていくところが好きだ」と、チーム一番の美人さんは、工事現場の監督さんになった。
詳しくは知らないが、難しい資格をいくつか持っていて、ダンプカーとか、クレーン車も運転できるようだ。蛍光灯を反射する程に浅黒く焼けた肌は、エブリン選手に見えなくもない。
「『婚約』かあ。私達も“そうゆう”年齢になったのね」
エハラは静かにグラスを傾ける。中身は芋焼酎のロックだ。コイツは“ざる”だから蒸留酒しか飲ませない。
「“そうゆう”年齢てか。しかしなぁ、俺はガキ達との約束もあるしなぁ」
キクチがぶつぶつ言った。生真面目なキクチなら、本当に待ち続けるかもしれない。そして、成長した園児が本当に『お迎え』に来たら、それは恋愛を超えたファンタジーになる。願うは、それを二十二回も繰り返して、傑作のサスペンスを作り上げてほしい。
「まあ、ナンダァ。決でもとるか。おーい、注目」
今夜もイトウが仕切っている。コレが昔から変わらないから居心地が良いのだろう。アタシらは永久不変のポジションだ。
「この中で、『イイヒト』いる奴は挙手!」
バンと突き出た二本の腕。一本はシミズでもう一本はキクチだった。はいはい、良かったね、シミズ。ゴールを決めて、オメデトウさん。そして、もう一方のキクチ。オトメの命は短いぞ。
「二人か!じゃあ、今夜はお前達の奢りだな」
「なんでだ!」
「ナゼだ!」
その対象となったキクチ、シミズの意見も尤もだ。しかしな、二人とも。世の中は不合理に満ちているぞ。それとな、シミズ。『新婚旅行』はアフリカツアーの可能性が大いにあるぞ。
「ねえ、あんた達は誰か居ないの?」
エハラがアタシとマツオに話を振った。
「今の処、無いね」
アタシは答えた。
交際している相手がいない訳では無いのだが、今はソレよりも仕事を選ぶ。面白い仕事だと思うし、何より目指すモノがある。
「ケホケホ。ケホン」
マツオが咽た。コイツは昔から喰い専門だったが、今夜もウーロンハイ一杯で、ポテチ三種を食った。根っからの芋好き娘だ。
「あー。マツオ、何か隠しているわね」
エハラがマツオの肘を突っついた。
「誤魔化してもダメよ。OLなんて、恋愛の花形だもの」
一等地味なマツオは丸の内のOLになった。正直、アタシはOLが分から無い。仕事のイメージは『ショムニ』だが、あのハチャメチャは流石に違うだろう。
「なあんにも、ないよ」
マツオが手を上げ、店員を呼んだ。コレとコレと、とメニューを示し、ミニポテチュロスパフェを注文する。また、イモ系か。でも、それ、美味そうだな。
「アタシにも一つ注文して。それと、熱いお茶を下さい」
アタシは酒も、酒場も大好きだが、滅多に飲まない。今夜も乾杯のビールに口をつけた後、ノンアルばかりだ。
アルコールには筋肉を緩ませる作用があって、その影響は蓄積される。弛み切った身体のタヌキ腹バスケ指導者も知っているが、彼には実績と貫禄がある。それがアタシには無い。
オーダーを受けてくれた髭の店員さんを見送り、エハラのマツオいじりが再開する。
「気の合う同僚とか、素敵な上司とか、いないの?」
「いる。けれど、それだけ」
マツオのペースは変わらない。箸をのばし、あらゆるものを咀嚼、嚥下する。
「じゃあさ、あの男子とは、どうなったの?」
「ん! ケホ、ケホケホ」
マツオが止まった。これで、被疑者確定だ。
「えーと、あの男子って、誰ですか?」
「ほら、最後の試合に来てくれた『クラスメイト』よ」
「ああ、そんな奴もいたなァ」
アタシも思いだした。『只のクラスメイト』と云い張り、最後まで口を割ら無かったマツオの想い人だ。あの彼を、イトウ、キクチ、シミズも思いだしたようだ。
「まあ、なんだ。いたな、原宿に」「誤魔化すってコトは、そっかー」「いいか俺達は過去より未来だぜ」「分かんないの、マツオ?本当に分から無いの?」
髭の店員さんがオーダー品を届けに来た。テーブルのざわつきが止む。テーブルに置かれる二つのミニポテチュロスパフェと熱々の緑茶をアタシたちは黙って見つめた。
「それと、コレは当店からのサービス品です」
最後に”ことり”と静かに置いたのは『クリスプ』のブラックペッパー味だった。黒色容器とクールに決めたポテト坊がカッコいい。
「ごゆっくりどうぞ」
丁寧に一礼した店員さんを見送り、アタシたちのマツオいじりが再会する。
「マツオ。その後はどうなった?」
『その後』って、どことなく猥褻な響きがあるぞ。
「どうもしない」
アタシは他の四人を招集する。
「どうもしないって、ナンダ」「きっと、フラれたんだよー」「仕方ねえなァ、一人だけ譲ってやるか」「可哀想。本当に、かわいそう」
「でもよ」
アタシの鋭い目はある事実を捉えていた。
「あのハンカチ、オトコモノじゃねぇ?」
「!」「!」「!」「メンズモノだね」
『メンズ』か。シミズが洒落た女になったと感心する。
「だろ!」
逃げるマツオの前にアタシは立ちはだかった。選手たちに舐めなれまいと続けるトレーニングと、節制している生活の効果だろう。
まだ未熟なバスケ指導者であるアタシには選手を導くだけの力量が無い。いまのアタシがやるべき事は、学ぶ事だ。選手達と共に、バスケットコートを駆け、観察し、理解する。
つまり、アタシはもっとバスケットボールを経験しなければならない。そして、いつか、ホンモノの指導者になる。
「さあ、白状してもらいましょうかねぇ」
マツオに詰め寄るアタシたち。諦めたのか、マツオは座り直し、『クリスプ』に手を伸ばした。容器を額に当て、むにぁら、と念じる。
「さて、みんな。真実は全てこの中に封印しました」
「「「「なんのこっちゃ」」」」
未だ、マツオの悪足掻きは健在だ
イモとの関係 メガネ4 @akairotoumasu
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