第2話 赤い星のポテト

第二話 『赤い星のポテト』


「どこかで、だれかが、きっと、待っていてくれるわ。さあ、早く行きなさい、お行きなさい」

 声が確かに聞こえた。まさか!と驚き、俺は跳ね起きる。姐さんを求めて周囲を見渡すが、その姿は何処にもない。周囲は繁茂した机上だ。その中に、俺だけが居る。


― 夢幻でしたか。


 しかし、あまりにもリアルな声だった。未だ、耳に温もり残っている。いくらか落ち着いた俺は姿勢を正し、バッグに寄りかかった。小休止のつもりが、いつの間にか眠ってしまったようだ。既に夕刻である。


― やむ得ませんな。今夜は此処で明かすとしやしょうか。


俺は、斜陽色に染まる空を見上げた。窓からの風は穏やかで、茜色のすじ雲がゆっくり流れていく。しかし、そんな様子とは異なり、上空には強風が吹いているだろう。雲の名前や天候の予測など、姐さんに教わった事は多い。


― 明日は雨かもしれませんぜ。


久しく、雨が無かった為に空気は乾き切り、弱い風でも土埃が舞い上がる。その微細な土粒は風に乗り、見境なく腔に入り込んだ。途端に、俺の鼻奥がむず痒くなる。そのむず痒さは郷土のそれに似ていた。俺の故郷は遠く、北にある。


 北国は厳しい。生き抜くには、長い冬、短い春、冷夏、強風、豪雪、氷点下や飢えた獣に耐えなくてはならない。それは北国の生命に課せられた試練だった。広い大地を『生き抜く』という至ってシンプルな試練だからこそ、人間とか、動物とか、植物とかの種族の優位性は無い。徹底的な厳しさだけが平等に課せられる。だからこそ、この試練に耐えた生命だけが『赤い星』として称賛されるのだ。これは北国では最高の賛辞になる。


― 星か。


逃げ出した俺でも、いつかは輝きたいと思う。いや、逃げ出したからこそ、その思いは一層強い。『赤い星』は無理でも、色付きの星には必ずなると何度も誓った。


― ちっ、嫌な事を思いだしやしたぜ。


 俺は目先に転がった芯を拾い上げる。口端に咥えると苦味が舌上に残った。苦味を吐き出すように俺は呟いた。


「とっくに、関わりのない事でござんすよ」


そうだ、逃げ出した俺にとって、とっくに関わりの無い事なのだ。しかし、『間引き』されなければ、俺は故郷に留まっていたに違いない。しかも、姐さんの隣に根付いていたと確信できる。


― 俺のコン畜生が!


俺は咥えていた芯を弾き飛ばし、頭の妻折笠で顔を覆った。涙は見せたくない。


『間引き』とは生命の取捨選択だ。種族生命を脅かすほどに膨れ上がった生命数を、適性の数量に戻す行為である。簡単に云えば、同種間で行われる殺害行為だ。そして、『間引き』の根底には『多数の為に少数の犠牲は已む得ない』という、偏った理屈がある。『間引かれる』対象は常に弱者であり、対象の意思に関係なく、執行が強行されるからだ。


しかし、これも一つの正義である。『生き残る事』が絶対である生命にとって、『死』は悪だ。それを回避する全てが正義と云える。それ程、『協力』や『知恵』などでは太刀打ちできない厳しさが北国にはある。だからこそ、『赤色の星』は最上級の証になるのだ。


― いつかは、星になりてぇな。


とろとろとぼんやりしていると、夜の気配が近づいてきた。笠をずらすと、朱色の空に浮かんでいた茜雲はとっくに失せており、その位置を白い北極星が陣取っているのが見えた。北極星は北国の象徴だ。白く、冷たく、大きな姿は大地の化身にぴったりだが、その伝承は同じように、哀しい。


― 姐さん。申し訳、ありません。


 耐え切れず、目から涙が溢れ出した。未だ到着しない何処かが不安で、未だ出会わない誰かが恋しく、木枯しの中を迷っているだけの自分が情けなかった。瞼の裏の姐さんが懐かしく、捨てた筈の故郷に戻りたかった。


― 不甲斐無いじゃねえかよ。俺ぁ、未だ、旅の途中じゃねえか。


俺は流れる涙を拭い、ググッと北極星を睨んだ。


― 北の大地の化身さんよ、姐さんに伝えてくんな、『俺は必ず星になります』って。


只の若造である自分には何もない。だが、農夫から俺を守り、背中を押してくれた姐さんへの義理がある。ならば、進むしかない。


― 姿形は変わっても、受けた恩義に変わりはねえぜ。託された想いを懐に入れて、俺は進むしかねぇんだ。それが、姐さんへの恩返しだ。俺自身が『星』になる為の試練だぜ。


ぐっ、と染み入る浪花節を乱入者が邪魔をする。場違いな派手な音を背負い、現れたのはウィンドブレーカー姿の女子だった。今朝、俺はこの少女にセイコ・マートで買われたのだ。


「やっぱり、此処だった。教室に忘れていたんだな」


無事で良かったと、ぶつぶつ言うと、少女は俺をひっつかむ。そして、何かに気が付き、俺の顔を覗き込んだ。じろり、と黒い瞳に俺の姿を映す。


「サッポロ ポテト?」


― 何をおっしゃっているんで?アンさん


「サッホ★ロ ポテト?」


― だから、それは何の事でござんしょう?ん?ちょっと待ってくだせい。今、なんておっしゃいました?


 今、俺の耳に届いた言葉は『星』では無かったか?この少女は俺を見て、『星』と呟いたぞ。


「済まねえが、お前さん。今の言葉を、もう一篇、聞かせて下せえ」


 だが、俺の頼みは窓下からの大声に搔き消されてしまった。


「おーい、早くしろ。帰るぜ」


 一瞬、固まった少女は、その声で我に返った。一気に窓際に駆け寄り、階下に向かい怒鳴る。


「スグ行く!待ってて!」


 少女は俺を掴んだまま、教室内をぐるり、と見渡した。


「誰も居ないよなぁ。何か、聞こえた気がしたけどね」


「いやすぜ、此処に。なあ、お前さん、先程、『星』って言いやしたよね?」


「やっぱり、何か聞こえるなあ、あははは。でも、気の所為だよね」


俺を引っ掴み、少女は駆け出す。ぶんぶん振り回されるので、内容の細切りポテトがザクザクとあたる。しかし、そんな事に構っている場合では無い。


「お前さん、なあ、アンさんよ。本当は、聞こえているんだろう!」


それでも少女は「幻聴、幻聴」と走り続けた。


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