第5話 日常

第五話 『日常』


 彼が出かけた途端、家の中は戦場になる。


― さて、と。


久々に天気が良い。この晴天を無駄にするものか。私は布団を抱えベランダに運ぶ。充実した気合の為、重さも大きさも気にならない。これなら一気にイケる。私は拭った手すりに、家族分を干し切った。


― 次は洗濯物。


既に洗濯機は止まっている。蓋を開けると、洗濯槽の中でシャツと下着とタオルが絡み合っていた。それを一掴みで取り出す。湿った塊を籠に投げ込み、私はベランダへ走った。


季節の変わり目は雨が多い。私だって、一雨ごとに春の訪れを感じる。それは、正直に嬉しい。しかし、主婦業にとって雨は敵だ。プロは風情に流されてはいけない。

 

物干し竿を雑巾で拭い、タオル類を掛ける。皴を伸ばして、手早く洗濯ばさみで止めた。その隙間にハンガーを吊るす。ワイシャツの皴は念入りに伸ばした。その方が、後のアイロンが楽になる。残ったスペースは角ハンガーの場所だ。私は角ハンガーに下着とか靴下、ハンカチをぶら下げた。


家干しばかりだった洗濯物が、晴天に並ぶ姿は気持ちが良い。あっという間に、ベランダが溢れんばかりの状態になった。しかし、一つ一つの洗濯物には、ちゃんと日光が当たる。しかも、湿り気を飛ばす風の通り道の確保もOKだ。これぞ、狭いベランダを目一杯活用する円熟の技。どうやら、私も達人の域に来たようだ。


― 主婦業二十年だからね。


気が付くと、ご近所さんも同様だった。どこも布団や洗濯物で溢れんばかりのベランダだった。同業者の活躍に感化され、私は新たに闘志を燃やす。


― まだまだ。


 私は押入から掃除機を引っ張り出し、はたきを握った。パタパタしながら全ての窓を開け放す。玄関、トイレ、洗面所、リビング、キッチン、寝室、子供部屋と移動しながら、邪魔する物を片付け、廃棄する。その後、コードを引きずる掃除機を連れて、家中に騒音をまき散らす。


 掃除が終わった私は、キッチンに向かった。朝食に使用した食器を洗いながら、軽めの昼食を準備する。今日はチーズトーストとコーヒーに決定。それにリンゴを添えれば、相性バッチリのメニューになる。インスタントコーヒーにお湯を注ぎ、皮付きリンゴを二等分にすると、トースターが音を立てる。トースト上のチーズは強めの焦げ茶色。この方が私の好みだ。


 メニューの品をテーブルに並べ、私は椅子に座った。だが、主婦にとって昼食の時間も休憩では無い。私はスマホを片手に“SHUHOO!”をチェックする。サクサクと特売情報を確認していくと、目に付く一品があった。


― これは!


今夜のメニューは決まりだ。買い逃す訳にはいかない。チーズトーストをコーヒーで流し込み、リンゴを丸呑みする。メイクもウエアも程々にして、私は自転車に跨った。


― ゴウー!


 今日は本当に絶好調。砂煙こそ出てないが、良いスタートダッシュがきれた。


 目的を達成し、私は意気揚々と帰宅する。買物に小一時間ほどかかったが、未だ2時前だ。『仕事が順調だと人生は本当に面白い』この格言を、いつか彼に伝えよう。


― さてと。


 これからが主婦業の醍醐味だ。


 私はコーヒーを片手にテレビ前に移動する。ソファの足元にカップを置き、ソファに身を委ねた。全身を適度な弾力が包み込んでくれる幸せを感じながら、私はテレビのリモコンを操作した。丁度、健康食品のCMが終わり、ライブ情報が始まる。


― オープニングは久しぶりね。


 私は先の買物品から一品取り出し、封を開けた。一つ、口に運ぶ。


 カリカリッ、サクサクッ。素敵な歯応え。やめられない。


― ああ、カルロスさんの件ね。


 カリカリ、サクサク。


 ワイドショーは目玉ニュースから始まる。今日の目玉はカルロス被告だった。


「先日、大企業のトップだったカルロスさんが約100日ぶりに解放されました。番組はその当時の状況を徹底的に報道します」


女性司会者の「どうぞ」の後に、当時の状況VTRが流れる。確かに、ヘンテコな格好だ。

「彼の意図は何なのでしょうか?」


男性司会者が一人のコメンテーターに訊ねた。そのコメンテーターはスラスラと答えた。


「なるほど!だとすると、裏がある訳ですね?」


「だと思いますね」


「いや、私はそうだと思いません」


番組内が盛り上がる。私はこの“ノリ”が好きだ。昼間のワイドショーはコメディタッチで面白い。報道を謳っているが、もはやバラエティだ。コメントもオカタイ番組では聞けないユルイ発言が多く、憩いのひと時にぴったりだ。


― でも、コレはあんまり興味がないかも。


 主婦の興味は“天気”と“健康”と“特売”だ。アタシはコーヒーをすすった。ついでに、カリカリ、サクサク、もう一本。丁度いい具合の“しょっぱみ”がコーヒーにも合う。やっぱり、とまらいなぁ。


私はチャンネルを変えた。順々にボタンを押していくと、サプリメントのCMでその指が止まった。


「疲れるわぁ。それは、『カルシウム』と『ビタミンB1』の不足が原因かも?そんな方にはこのサプリ!」


 サプリの効果は抜群だった。試したおじいちゃん、おばあちゃんがCM狭しと元気に跳ねまわる。使用前、使用後の違いは明瞭だ。これはスゴイ、生唾モノだ。


突然、玄関が開いた。生唾を呑み込み、すぐにピンとくる。ドアの開け方、靴の脱ぎ方、そして、伝わる雰囲気で誰の帰宅なのか直ぐに分かった。現れたのは案の定だった。


「お帰りなさい。早かったね」


「まあね」


 彼はリビングを通り抜け、洗面所へ向かった。投げ出された鞄が足元に転がる。


「試合はどうだった?」


 私は手洗い中の彼に声を掛けた。


「負けた」


「そう。残念ね」


 彼はバスケ部で無い。興味もまるで無い筈。なのに、試合なんて妙だ。母親の勘が囁いた。私は彼を横目で観察する。


「何を食べているの?」


 彼が隣に来た。私は素知らぬ体で応えた。


「『かっぱえびせん』好きだったよね?」


 うん、と答えた彼に、私は袋から一本取り出す。


「はい。アーンして」


 近くで見た息子の顔に、ヤンチャな面影は無かった。彼は、まだ、大人では無い。しかし、もう、子供でも無いのだ。


「ふざけんなよ、キモイだろ」


 手を伸ばし、私から『かっぱえびせん』を袋ごと奪うと、自室に消えた。彼のこの反応は先の囁きの確信をするには十分である。


 カリカリ、サクサク。口の中で、溶ける様に消えていく。


嬉しい感触、馴染んだ塩味、止まらない美味しさ。コレだけは、いつまでも変わらないで欲しい。

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