第6話 黒魔法
第六話 『黒魔法』
『不景気』は魔法だと思う。
三月末の決算で、収益のガタ落ちが判明する。実務に関わっていた僕は、とっくに気が付いていたが、提示された数字を見て、流石にヤバいと思った。
専門の調査会社からの通知内容は散々たるモノで、とても株主総会で発表できる代物では無い。だけれど、そうできないのが株式会社の宿命だ。
小さく、デスクの電話が鳴った。取ると、やっぱり部長だった。
「メール、見たか?」
第一声から不機嫌だ。
「数字の事ですか?」
「他に何がある」
その後、二言三言で電話は切れた。お呼びがかかった僕は立ち上がる。この散々たる数字について説明を求められる事は確実だ。だが、この数字は僕の仕業では無い。社屋の上層部にデン、と居座った経営陣の経営手腕の結果なのだ。だから、向かった先での、僕の『役目』は報告では無い。
「これ、正確な数字だろうなぁ」
予期した通り、入室と同時に怒鳴られた。しかも、デスクに平手を喰らわす。ガラス板で仕切られた部長室は、防音と冷暖房は完璧で見通しも最高だ。『風通しの良い職場』を目指し、『ガラス張り』状態にした事を、部長は忘れてしまったらしい。
「恐らく間違いは無いと思います」
専門機関からの報告書だから、数字は何処よりも正確である。断定、確定、間違いが無い。『正しい』の類語を幾つ並べても間違いで無い程、正しい。しかし、物事を断言してしまうのは『サラリーマン』としては三流である。ガラスのクニでも、此処は日本なのだから。
「若干の誤差があるとしても、微々たる程度かと思います」
僕は言葉を選んだ。だが、それでも数字が変わる筈が無い。
「あー」
部長は白髪頭を抱えた。これでは、ガラスの檻に捕らわれた珍獣だ。直に「ウチの社にはイエティがいます」と『つぶやかれる』だろう。その『つぶやき』の結末が、ガラス部屋にした正誤を決める。
「何とか、ならんのかなぁ」
「『何とか』とは、何でしょうか?」
「だから「『化粧』だよ、『お化粧』」
経理部長は最悪ワードを簡単に口にした。『化粧』こと、『粉飾決済』は会社の正当性を破壊する。隠語にしても属性『悪』に変化は無い。
― 冗談だよな。
『粉飾決済』は経理に関わる人間が行う最強悪だ。露見したら、ガラスの檻から格子の檻への引っ越しが決まる。冗談でもマジで許されない行為だ。しかし、いまの部長は冗談とは真反対の場所にいる。口調も尻に火が付いた本気モードだ。
「え?『お化粧』ですか?それは、何の事ですか?」
僕はとぼけた。既に確信してはいるが、言葉にするには危険すぎる。
「キミは『化粧』も分から無いのか!」
部長はデスクに座り直した。ふう、と息を吐き、僕を見上げる。
「『化粧』とは、『粉飾決済』の事だよ」
うな垂れていた白髪頭は一転し、やる気満々の表情になる。しかし、部長は手遅れである事に気が付いていないのだろうか?結局、『お化粧』は無駄な足掻きに終わるだろう。
僕は脱力状態になった。今更『押し付け』や、『連結外し』は絶対に不可能だ。関連会社への根回しも遅すぎる。しかも、専門機関で具体化した数字は必ずどこかへ流れていて、その情報は『旨い』。此方が足掻けば足掻くほど、旨味がまし、価値が高まる。下手をしたら会社ごと『カネシロ』に喰われてしまう。部長はそれでも構わないのだろうか?
「それは、余りにも危険です。それに、根回しの時間もありません」
「フム」
部長は腕を組む。視線は僕から微塵も離さなかった。
「なら、あれしかないな」
「は?あれとは?」
「『奥の手』だよ」
部長はニカリ、と歯を出す。勝機を見出した自信ある顔だ。
「では、『奥の手』の準備を頼む」
「はあ、その『奥の手』とは何ですか?」
むむむむ?と部長の眉毛が寄った。
「キミは、何年間、経理にいるんだ」
「はあ、六年ほどです」
「経理畑を六年も耕して、未だなのか。だから『ゆとり世代』は…」
「申し訳ありません。自分の勉強不足は重々承知です」
「ならば、丁度良い機会だ。今回は手本を見せてやろう」
「しかし、今からではどんな対応も遅すぎます。しかも、『マスコミ』や『ハゲタカ』が嗅ぎまわっているのは確実です。露見したら大炎上ですよ」
僕は考えを改めるよう、牽制をした。部長は「そうさなぁ」と、デスクから立ち上がり、ゆっくりと僕の傍に来る。そして、肩にポン、と手を載せた。
「会社と『心中』か。それも、一興じゃあないか」
これで、僕の『役目』が決定した。
総会当日。僕達は赤坂のホテルに集まった。開催時間の一時間ほど前から、会場前の廊下に、ちらほらと株主たちが集まりだす。マスコミやハゲタカも紛れ込んでいるに違いない。
人々は、穏やかな雰囲気で知人と語り合っていた。手にした紙コップをグラスに見立てて「乾杯」とふざけたりしていて、陽気な雰囲気である。しかし、「隠れ優待」とか「マイクにはバターが良い」とかキナ臭い会話も皆無では無い。
僕は彼らの視線を避けるようにして会場に潜り込んだ。先に到着していた『心中』の仲間たちも、準備は万端だ。目配せ合い、頷く。ここまで来たら腹をくくるしかない。
「時間です」
進行役になった僕の声は、重厚な壁に吸い込まれていく。
重々しく会扉が開いた。沈む程、毛足の長いカーペットが敷き詰められた会場に、踏み込んだ株主たちの表情は、先とは異なりやけに険しい。だが、一歩目でその表情が固まった。
会場に並べられたパイプ椅子の数。そして、その前半分を占める黒スーツの男達。会場内に漂う重い雰囲気は尋常で無い。察しの良い数人の株主は、すかさず身を翻して消えた。だが、彼らが係員に連行されるのは確実だろう。今日の総会は株主の数が肝になる。僕は株主達に大人しく座るように促した。
「時間が押しております。席にお戻りください」
後は役員の登場を待つだけである。そして、今、壇上の陰から合図があった。ついに、『奥の手』が始まるのだ。
「役員、及び、監査役が入場します!」
ヤケクソに叫んだ。緊張で裏返った声は素っ頓狂であったが、そんな事を気にする雰囲気では無い。
役員たちは列になって登場した。壇上の席で一礼すると、備え付けの椅子に腰を下ろした。
「此処からは経理部長であるシラユリが担当します」
椅子から経済部長が立ち上がる。のしのし、と中央のマイクに近づいていく。
「えー。経理部長のシラユリです。今年度の定時株主総会を始めさせていただきます」
部長から威圧的な空気が流れだした。それは次第に株主を包み、会場全体を覆っていく。部長はマイクを掴み、叫んだ。
「えー。『堅あげポテト』は旨い」
「異議なし!」
途端に、『心中』の仲間たちが威圧的な声を放つ。
「噛むほどに旨味が滲む」
「異議なし!」
「縮れた形も、どことなく可愛い」
「異議なし!」
「なかでも『ブラック・ペッパー』がお勧め」
「異議なし!」
部長は懐から『堅あげポテト ブラック・ペッパー』を取りだす
「この『堅さ』には、ブラック・ペッパーの『ピリピリ』感がとても合う」
「異議なし!」
「あの手腕は、まさに、魔法的だ」
「異議なし!」
重厚な壁と厚いカーペットでは消しきれない凄味が溢れる。その圧迫感で会場は息苦しい程だった。
― うーん。黒魔法だね。
舞台袖に引っ込んだ僕は、『堅あげポテト』を齧った。確かに、すべて部長の云う通りだ。
「以上です。予算、人事、全てが承認、可決されました」
「異議なし!」
そして、長い総会が終わった。
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