語弊を恐れず端的に言うならば、ライトノベルは「許しの文学」と言える。
その系譜にあるネット小説の多くも、また同様だ。
家族、恋人、仲間、権力、宗教、あるいは自分自身が愛する何か――たとえ世界の全てに否定されても、自分を許してくれるものがある。
物理的であれ精神的であれ、何かに許されることにより、自分が存在することができる。
これこそが全てのライトノベルが共通して描く芯であり、ジャンルの根底と言っても良い。
弱者として異世界に放り込まれた主人公を庇護した聖女は、家族であり、恋人であり、仲間であり、権力者であり、宗教者であり、自分が愛する相手でもあった。
つまり、最強の守護者だ。つよい。
庇護を外れたら即座に殺されそうな状況からスタートした主人公は、最強の守護者だの下、「ヒモ」の類語としての「悪の宰相」となって、自分の命を守ることになる。
ところで、物語において「許し」を与える者は、もう一つある。
その最後の一つが「自己肯定」なのだけれど、その辺りは本編にて。
カクヨムの星と作品の出来はあまり相関関係がない。星が少ない作品でも面白い作品は無限にあるし、とんでもない星の数が付いている作品でも凡庸な作品はいくらでもある。
しかし、星が100を超える作品に共通して言えることは、「読んでいて苦にならない」ことだと思う。
構成や登場人物の紹介など、読む事がストレスに感じないような工夫が随所にあふれている。少しお色気が混じるのも、読者を引き離さないためのいいアクセントになる。
ストーリーも面白い。
主人公が唯一生き残る道が「自分に惚れた聖女を利用すること」というある種ドライな関係性。単にハーレムじゃない所も斬新だ。
創作を嗜む者として、学ぶべきことは多かったように思う。
異世界に行けどもチートなし。そんな作品も増えてきた昨今、じゃあ特殊な力なしでどう生き延びるのかが問題になってくるのですが、本作の主人公であるユウヤが選んだ生き方はヒモである。
それもただのヒモではない、その国で崇められる聖女のヒモである。まあ、そんな生き方をしていれば当然一緒に権力もついてくるわけで、ユウヤは宰相になってしまうのだが、周りからは「聖女様を誑かし、宰相の座に就いたのだ」とささやかれる始末。
当然のごとく弾劾されそうになるわ、暗殺者が仕向けられるわとトラブル続きだが、宰相の力を活かした人脈や聖女の後ろ盾を駆使してそれらを乗り越えていく。びっくりするぐらいユウヤを溺愛してする聖女ライラのちょっと行き過ぎた愛情表現とそれらをやんわりとかわそうとしてかわしきれないというユウヤのやりとりも読んでいて楽しい。
キャラクターがコミカルなのもあってそこまでシリアスな展開にはならず、きっちり完結まで書かれており、気軽に楽しめる一作だ。
(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=柿崎 憲)