黄昏喰いのヘイリュー


 へイリューは流れの医師だった。街々を歩いてまわり病を診る。それを聞いて意外そうな顔をした零夜に、へイリューは歯を見せて笑った。今度は意図の組めない笑みではない、純粋な笑顔だ。

「意外だろ?」と言うへイリューに、零夜は「うん」と率直に返す。

「医者って、もっと優しそうなイメージだから。ヘイリューは少し……気が短い」

「はは、そういう気性なのさ。根無しの理由ってやつだな。きみの言う通り、俺のイマジアは光を屈折させる能力だ。病巣を拡大して見たり、患者の体の中もある程度なら見ることができる。それなりに医療に適した能力さ。

 それで……まあ、各地を旅して病を診たり、病気の症状や治療法の記録をつけたり……充実した日々だった」


 この街を訪れたのは四年前のことだった。起伏が多く移動に苦労はするが、人も気候も穏やかで、街並みと夕焼けの美しい街。気には入ったが長く滞在するほどではない。初めはそう思っていた。

 その考えが変わったのは、この街に奇妙な風土病を見付けてからだ。

「風土病……その土地に特異的な病気のことだ。この街は、目を患う者が異様に多かった。徐々に視力が落ちて、やがて失明に至るんだ」

 零夜は、食堂の店員に聞いた話を思い出す。この街にふたつあった宿のうちひとつは、宿の主人が眼病を患い店じまいをしたと言っていた。

「それで俺は、しばらく滞在して眼病の病因を調査しようと思ったんだ」

 そして、へイリューは黙ってしまう。「原因は分かったの?」と零夜が続きを促すと、へイリューは黙ったまま頷いた。零夜とへイリューの間を、深い闇……光を喰うミトラの塊が、蚊柱のようにゆらゆら蠢いている。へイリューはその闇に手を伸ばした。ミトラたちはその指先を慈しむようにかすめ、へイリューの腕にまとわりつく。


「この街に生まれ育った人間の身体には、このミトラたちが巣食っているんだ。胃の中、肺の中……特に多いのが、眼球の中だ」

 零夜は無意識に自分の目の辺りを触る。光を喰うミトラが眼球の中に巣食う。その意味を考えながら。

「ごくわずかな個体数なら、生活に支障はないんだ。問題は、こいつらにふんだんに餌を与えてしまった場合だ。こいつらは……」

「夕焼けの光を好んで食べる……」

 ミトラたちが言っていた。夕焼けの光が一番好きだと。

「そうだ。あの橋の上から夕焼けを見るのが好きなやつほど、眼球の中でミトラが増えて、いずれ目に入ってくる光の全てを食い尽くされるようになる。つまり……失明だな」

「ミトラを取り除くことはできないの? 駆除薬とか」

「試したさ。でも出来なかった。俺は外科には通じていないし、正直……お手上げだった。だから考えたんだ」

 夕焼けの光さえ見せないようにしてしまえば、光喰いのミトラが眼球の中で増えることもなく、眼病を根治はできずとも発症を抑え、進行を止めることはできるのではないか? 自分のイマジアを使って夕焼けの光を一箇所に集め、まとめてミトラたちに喰わせてしまう。そうすれば夕日は人間の目に届くことはなく、すなわち眼球中のミトラが異常増殖することはない。

 そしてヘイリューは決意した。この街にとどまり続け、この街の黄昏を奪い続けようと。


「でも、そんなの」

 零夜が声をあげる。「街の人たちに説明すれば、そうしたらみんな分かってくれる。そうでしょう? あなたが自分勝手な理由で夕焼けを消しているんじゃないって、街の人たちのためにやっているんだって、分かってもらえば……」

 言葉はそこで途切れた。ヘイリューは微笑んで零夜を見つめていた。何の思惑も感じ取れない、あの無機質な笑み。零夜はそこに、ようやくひとつの感情を読み取った。達観――諦め。

「……分かって、もらえなかった?」

 ヘイリューは頷いた。「全て伝えたよ。きみたちが泊まってる宿の主人……あいつがこの街の名主だ。夕焼けの時間帯はできる限り屋内に入って、夕焼けを見ないように忠告した」

 宿の主人は、そんな経緯は少しも話さなかった。それどころか零夜たちに、ヘイリューを追い出すように依頼すらした。

「どうして……」

「あの橋の上から見える夕焼けは、名景としてこの辺りでは有名でな。ちょっとした観光資源だったんだ。よりによって夕焼けの時間帯に屋内に引きこもるなんて、この街にとっちゃみすみす大金を逃すようなものだ。

 そもそも、眼病を発症するのも住民の一割にも満たない。そいつらの視力と街全体の損益を天秤にかけた結果……俺の訴えは無視された。それどころか、頭のおかしいホラ吹き扱いさ」

 だから、とヘイリューは続ける。

「俺はこの街から、夕焼けを奪ってやることにしたんだ。どうせ悪者扱いされるなら、『夕焼けを見ないように』なんてお利口さんに説いてまわるより、まるごと夕焼けをなくしてしまった方が効果的だしな。

 夕焼けがなくなってから、この街はずいぶん衰退した。外の人間は気味悪がって近寄らないし、職にあぶれたやつらは街を出ていくし……。みんな昔よりずっと貧しくなった。俺のせいだ」

 それは違うと、真っ向から否定は出来なかった。嘘つき扱いされようと街の人々を辛抱強く説得しながら、眼病に対する治療法を探し続ける。それが恐らく「正解」なのだろう。そうしなかったのは、彼の性格ゆえだろうか。


 ミトラたちは話に飽きたのか、手頃な街灯の周りに集まって光を食み始めていた。二人を照らしていた明かりが削られて、夜の闇がいっそう濃く深くなる。

「でも、これで良いんだよ。俺が勝手な人間であることに違いはないし、それに……」

 その先の言葉は、いつまで待っても紡がれなかった。その代わり「これで分かっただろ」と、話の終わりを示唆される。

「今の話、絶対に誰にも言うなよ。きみを信頼して話した。その信頼を裏切ってくれるな」

「うん、話さないよ。旅の仲間にも、ヘイリューには会えなかったって伝える。それで……明日には、この街を経つよ」

 正直なところ、零夜は迷っていた。宿の主人を問い詰めて、ヘイリューの行動が正当であることを認めさせるべきではないのか。しかし零夜たちもしょせんは「よそ者」だ。口を出しても良い結果にはならないことは目に見えているし、それに既に街が衰退した今となっては、たとえヘイリューの黄昏喰いに真っ当な理由があったとしても、街の人々からの非難は逃れられないだろう。

 土地や人間に深く干渉しない。旅人であろうとするならば、その基本的な姿勢は守らなければならなかった。


「最後に、聞きたいんだけど」

 どうぞ、と促されるままに零夜は訊ねる。

「ヘイリューはどうして、この街を見捨てなかったんだ?」

 彼もまた、旅をする身であったはずだ。治せない病などほかに数え切れないほどあるだろうに、この街に固執する理由を知りたかった。

「絵描きのソラトが言ってたんだけど、ヘイリューはこの街の夕焼けに魅せられたんじゃないかって」

「はは、あいつそんなこと言ってたのか」

 ヘイリューは少し考えたあと、いたずらっぽく笑い、人差し指を唇に添えた。

「……ひみつだ」



 ずいぶん歩き回ったけど、結局見付けられなかったんだ。そう言って部屋に戻った零夜を、キヤとティエラは労いの言葉をもって迎えた。キヤは宿に併設された酒場で賭け事をし、ずいぶん景気よく買ったらしい。琥珀色の上等な酒に舌鼓を打ちながら、「しかしソラトのやつ、賭け事には向いてねえなあ」と上機嫌に笑う。

「ソラトが来てたのか?」

「おお、来てた来てた。ヘイリューのことも多少は訊いたが、まあ昼間と似たようなことしか聞けなかったな」

 キヤに少しだけ酒を分けてもらい、零夜も濃厚な琥珀色の液体を口に含む。それほど酒に強くない零夜はキヤほど豪快に飲むことはできないが、この酒はちびちび飲むのが適しているようだ。オークの香りが鼻に抜ける。ティエラも少し飲んでいるようで、頬と耳が赤く染まっている。

「明日、街を出る前にソラトさんのアトリエに寄ろうって話になったの。あの橋から見た夕焼けを描いた絵があるんだって」

 どきりと心臓が跳ねたのは、アルコールのせいではなかっただろう。誰にも話さない。ヘイリューと交わした約束をもう一度反復する。誰にも話さない。あの決断は、ヘイリューだけのものであるべきなのだから。

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