宵闇の導き


「なんなんだあいつ! くそ!」

 宿の部屋に帰るなり怒りを爆発させたキヤを、零夜は「気持ちは分かるけど、枕にあたるなよな」と冷静にたしなめる。部屋は三人の心情を表しているかのように、明かりをつけているのにもかかわらず妙に薄暗い。キヤがぶつくさ垂れ流す恨み言は右から左へ流しながら、零夜は昨晩よりよく聞こえるようになった、姿の見えないミトラの声に耳を傾けていた。

 ミトラたちはごく小さな囁きで、とりとめのないことを喋る。大勢が一度に違うことを言うために聞き取りづらくはあるが、よく聞けばその囁きの中に「ヘイリュー」という人名が含まれていることに気が付く。

「キヤ、ちょっと黙って」

 生産性のない愚痴に蓋をさせて、しんと静まり返った部屋の中で零夜は目を閉じた。キヤもティエラも、零夜がミトラの声を聞いていることを察して息をひそめる。


 ミトラの声は、確かに部屋の中から聞こえてきていた。この部屋に、小さなミトラたちが満ちている。目には見えないが……。

『みた? みた? きょうのヘイリュー』『みたよ。いじめられてたよ。なんにもしらないたびびとに、へイリューいじめられてたよ』『こいつらだよ。へイリューをいじめたの』『わるいやつ、わるいにんげん』

「あのさ」どこかにいるはずのミトラたちに呼びかける。「いじめてるわけじゃないんだ。へイリューの話を聞かせてくれないか?」

 話しかけられたことに、ミトラたちは大いに驚いたようだった。声たちがざわめく。人間にミトラの声は聞こえても、その意味までは伝わらない。ミトラの言葉が理解できる零夜が彼らの会話に反応すると、彼らは決まって零夜に興味を持った。


『おまえ、ぼくたちのことばがわかる? おまえはヘイリューをいじめない?』

 ミトラたちの言葉に、零夜は頷いた。「いじめないよ。でもヘイリューがどうして夕焼けを消しちゃうのか、それが知りたいんだ。教えてくれないか?」

 どうする? どうしようか? とミトラたちは囁き合い、やがておおむね意見が一致したのか『いいよ、おしえてあげる』と言った。

 黒いもやのようなものが、部屋の中央に出現する。煙とも少し違う、それは塊になった闇だった。そのもやが大きく濃くなるにつれて、薄暗かった部屋が明るくなっていく。部屋全体に薄く広がっていた闇が、ひとつところに集まりつつあるようだった。


『ひかりをたべるの、ぼくたち』

 ミトラの言葉に、零夜は納得した。妙に薄暗い街。闇の濃い夜の原因。このミトラたちが光を食べるために、結果的に街全体の光源が弱まっていたのだ。

『ぼくたち、いちばんすきなの、ゆうやけのひかり。ヘイリューは、ゆうやけをあつめてくれるの』

「夕焼けを消すんじゃなくて、集める……。それがヘイリューの能力イマジアなのか?」

『ヘイリューがあつめたゆうやけ、ぼくたち、ぜんぶたべるよ。おいしいから。でも、それでヘイリュー、まちのひとにいじめられるの』

 闇のもやは部屋の中央から零夜の元へとただよい、その肩にまとわりつく。焦った表情を見せるキヤに「大丈夫」と右手を挙げ、零夜はそのまま闇を撫でるように手を滑らせた。


『あのね、ヘイリューかわいそう』

 零夜の頭の周りで、ミトラたちはざわざわとさざめく。『ヘイリューやさしいのに』『まちのひとのためなのに』

「街の人のため?」

 どういうことなのか訊こうとしても、それに関してのミトラたちの答えは要領を得ない。彼らの知能には限界があり、難しいことを理解するのも説明するのも困難なようだった。そうなればその先の事情は、やはりへイリュー本人に訊くしかない。零夜は先ほど脱いだばかりの上着を着直す。

「レイヤ、どこ行くの?」

 ティエラの問いに「ヘイリューと会ってくる」と答えると、ティエラもキヤも目を丸くする。ミトラたちから聞いたことを説明しても、二人は零夜の外出を渋った。夜間に慣れない街に繰り出すのはリスクの高い行為であり、二人の心配ももっともだった。

「会ってくるって、居場所は分かるの?」「ミトラたちに案内してもらうよ」「じゃあ、俺も行く」「キヤは駄目。喧嘩しちゃうだろ」

 零夜の正論に、キヤはグッと言葉をつまらせる。確かに好戦的なキヤだと、もう一度へイリューと話せたとしてもまた突っかかってしまうだろう。そういう役目は、気が長く滅多に怒ることのない零夜の方が向いていた。

 明るくなってからにしたらどうだというティエラの提案も、「暗いうちじゃないとこいつらが自由に動けないから」と、零夜はまとわりつく闇を撫でながら言った。光を食らうミトラたちは、しかし強すぎる光の中では群体を形成できず、昼間のうちは物陰でじっとしているらしかった。

「ちょっと行ってくるだけだから。先に寝てていいよ」

 闇に先導され宿をあとにする零夜を、キヤとティエラは黙って見送るしかなかった。なにせ二人にはミトラの言葉が解せない。零夜に任せるほかなかった。



 星が瞬いている。さしものミトラたちも、遠い夜空から降ってくる恒星の光までは食べることはできないらしい。濃い闇の夜道を、ミトラたちの声に導かれて進む。この街の治安は比較的良いらしい。キヤほど腕に自信のない零夜は、内心でホッとしていた。

「街のみんなから疎まれているなんて、へイリューは少しも気が抜けないんだろうな」

 ガラの悪そうな集団を遠目に見付け、彼らを避けるルートを通るようにミトラたちに頼みながら、零夜はひとりごちた。街中から敵意を持たれながらなおその街に住み続けるなど、零夜には考えられない。そうまでしてこの街に居続けたい、強い理由があるとしか思えなかった。


 酔っぱらいの喧騒が背後に遠くなったころ、ミトラたちは『いたよ』と囁いた。闇の中に目を凝らし、零夜も彼の姿を捉える。廃屋と見紛うほどくたびれた小屋が、彼が住む家なのだろう。ヘイリューはその小屋の前に突っ立ったまま、星を見上げていた。零夜が近寄ると、その足音に反応したヘイリューは目を大きく見開く。

「なんでここが分かった?」「突然ごめんなさい。話がしたいんだ」

 敵でない客人など滅多に来ないのだろう。ヘイリューは数瞬の間、呆気に取られていた。しかしすぐに「あの威勢のいい友人はいないのか?」と嘲るような余裕の笑みを浮かべる。

「うん、喧嘩せずに話がしたいから、俺だけだよ」「話すことなんてなにもない。そう言っただろ?」

 鼻で笑い、そしてヘイリューの姿が闇に溶けようとする――その瞬間。

「消させないでくれ、話がしたいんだ!」

 零夜の声と共に、再びヘイリューは姿を表した。姿を現さざるを得なかった、という表現の方が正しい。へイリューの姿を「喰って」いたミトラたちは零夜の言葉に離散し、闇の中に散り散りになっていく。


「お前ら、何してるんだ!」

 思い通りに動かないミトラたちにへイリューは苛立ちをあらわにする。『おはなしするの』『おはなしするからけしちゃだめ』と囁きあうミトラたちの声は、へイリューには届いていないようだった。

「ヘイリュー、あなたのイマジアは光を屈折させる力だ。違う?」

 零夜の指摘に、ヘイリューは押し黙る。その沈黙こそが肯定だった。

 目に見える像は物体に反射した光だ。ヘイリューは自分に反射する光を一箇所に集め、まとめてミトラたちに喰わせる。そこには光のない空間――闇が生まれるが、光を屈折させることにより背後の風景を写し込み、その闇をごまかす。そうすると、ヘイリューの姿はあたかも溶けて消えたように見える。

「あなたは夕焼けをミトラたちに与えることで餌付けして、ある程度自分の言うことをきくように躾けたんだ。それで、自分の姿を消してた。そうでしょう?」


「……どうして分かった?」

 ヘイリューの顔にもはや笑みはない。警戒と疑念に満ちた目で零夜を睨みつけている。

「ミトラたちが教えてくれたんだ。あなたのことを心配してた。あなたは街の人のために夕焼けを消しているのに、それなのに街の人に恨まれていることを、気にかけてたよ」

「ミトラが? こいつらにそんな頭があるのか?」

「うん。ミトラって、みんなが思ってるより賢いんだ。俺をここまで連れてきてくれたのもこいつらだよ」

 街灯も遠い夜の中で、光を喰らうミトラたちの集合体は余り目立たない。それでもよく目をこらせば、風景がぽっかりと切り取られたような闇の塊を見ることができる。その闇をばらく見つめ何事か考えたのち、「分かったよ」とヘイリューは言った。

「きみの友人たちにも、誰にも話さないと誓うなら……教えてやるよ。俺が夕焼けを喰う理由」

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