黄昏のない街


 白っぽい空の広がる午後。辿り着いた街は石畳の敷かれた美しい場所だった。摺り鉢状の土地にあるこの街は三方を山に囲まれており、唯一開けた西側は海に面している。とにかく坂の多い街だった。

「上ったと思ったら下りて、また上って、下りて……。疲れるなあ」

 文句を言う零夜に、いつもなら「だらしねえぞ」などと喝を入れるキヤも、今回ばかりは肯定の意を示す。二人のあとに続くティエラも全面的に同意のようだ。

 山間やまあいの足場の悪い道を抜け、今すぐにでも身体を休めたいところだ。食堂の親切な店員が「宿ならあっちだよ」と示したのは、大きな橋を挟んで街の対岸だった。なんでも、こちらがわにあった宿は数年前に店主が重い眼病を患ってから、店じまいをしてしまったのだという。とはいえそう大きくはない街だ。見えている目的地に辿り着けないわけがない。などと、楽観的に考えていた自分たちが恨めしい。


 坂、坂、坂に次ぐ坂。そのどれもが急勾配で、ついでに言えば坂と認識できないような「平坦な」道ですら、よく見れば若干の傾斜がついているようだ。太陽が西に向かってじわじわと落ちていくと共に、体力もじわじわと削られていく。ようやく橋――街の北と南を繋ぐ、二連アーチの大きな石橋が見えた頃には、右手に見える西の空はほんのりと色づき始めていた。


「わあ、いい眺め」

 ティエラが欄干に駆け寄る。穏やかな海は日の光を反射して、静かにきらきらと輝いていた。「夕日が綺麗に見えるんじゃないかなあ」と目を細めるティエラに、小さいけれども張りのある声が「見えないよ」と答えた。

 辺りを見回して、声の主を探す。いつのまにそこに居たのか、ひとりの男が橋の真ん中に立っていた。歳のころは三十そこそこといったところだろうか。彼の髪は、根本から毛先にかけて橙色から赤へと変わる見事なグラデーションを描いている。夕焼けの色だった。

「見えないって? 西に向けて、こんなに開けているのに?」

 ティエラが問うと、男は真っ直ぐに水平を指差した。

「見えないんだ。この街では、夕焼けを見ることはできない」

 男の立っている場所から何か見えるのかと、三人が男の背後に移動した、その瞬間のことだった。突然、


 比喩ではない。辺りは急に暗くなり、空には星が瞬いている。先ほどまでは確かに、黄昏に向かおうとしていたはずの坂の街は、夕日の赤を経ずに夜を迎えていた。

「えっ、なに?」

 ティエラが当然の反応を見せる。零夜もキヤも、若干の警戒を含ませながら周囲を確認する。橋の向こうにいる街の人々はこなれた様子で、さっさと街灯に明かりを灯している。どうやら日常の出来事のようだった。

「ね、言ったとおりだろ」橋の上の男は、にっこりと笑った。「俺が喰ったんだ」


 

「ああ、あれね。あいつはヘイリューって言うんだ」

 事の顛末を宿の主人に話すと、彼はあからさまに苦虫を噛み潰したような顔をした。香草焼きにした川魚を頬張りながら、「どういう奴なんだ?」とキヤが訊ねる。「夕焼けを喰ったとか言ってたが」

「そうなんだよ。あいつ、夕焼けを喰いやがるんだ」

 意外にも、その荒唐無稽な話を、宿の主人は否定しなかった。

 もう何年も、この街は夕焼けを失い続けているのだという。橋の上の男、ヘイリューは、元々この街の出身ではなかった。旅のさなかでこの街に滞在し、よほど居心地がよかったのか、そのまま居着いてしまった。


「あの妙なわざはね、あいつの能力イマジアなんだよ。んだ。そんなのあり得ないと思うだろ? だが奴は、やっちまうんだよな」

 窓の外には夜がり、ベタ塗りの闇が街を包んでいる。

「そうだ、あんたたち旅人ってことは腕がたつだろう? ヘイリューを始末してくれよ」

 物騒なことを口走る宿の主人に、零夜は曖昧な苦笑いを返す。しかし彼は本気なようだった。

「あの橋から見える夕焼けは、なんにもないこの街の数少ない観光資源だったんだ。昔は夕焼けを見るためだけにこの街を訪れる人も大勢いたし、橋に沿って露天も並んで、そりゃもう賑わってた。あいつはそれを全部台無しにしたんだ。

 俺たちもさ、よそ者が何してくれてんだって、何度もあいつを追い出そうとしたさ。でも無理なんだ。普通に話す分には問題ないんだが、あいつをやろうと思って近付いたら、どうにも姿を見失っちまう。あれもヘイリューのイマジアなのか……とにかく、困ってるんだ」

「ふーん。で、もしあの男を追い出すってなったら、それなりの報酬は出るんだろうな?」

 キヤは思わぬ臨時収入の匂いに目を光らせる。「あんたらが手を焼いてるってんなら、もちろん色をつけてもらってさ」

 咎めるような目でキヤを見たのは零夜とティエラだけで、宿の主人はキヤの言葉に首を縦に振った。

「あの男を追い出して、あの美しい夕焼けをもう一度見るためなら、金を出す人間なんてこの街にはたくさんいるさ。もちろん、俺もな」

 


「キヤ、本気かよ?」

 宿泊にあてがわれた部屋で、零夜が抗議の声をあげる。

「可能だと思うか? 夕焼けを丸ごと消すイマジアなんて」

 その抗議を無視し、キヤは逆に問いを投げかけた。

 イマジアは個人が持つ、ごく限定された特殊能力だ。限定条件以下であれば、術者当人の想像力次第では計り知れない力を持つ。例えばキヤが「自分を起点とする」という条件下で、超高電圧のいかずちを生み出すことができるように。

「それは……分からないけど、消えてるのはこの街の夕焼けだけだろ? この土地でしか使えない、限定的な能力なのかも」

 零夜の意見に、「かもな」とキヤも同意する。話し込む二人を尻目に、ティエラはひとり窓の外を眺めていた。まばらに立つ街灯は道を照らし、あの橋も闇の中にぼうっと浮かび上がっている。


「ミトラがいないね」

 ティエラが呟いた。これほど山に囲まれた土地であれば、夜になると発光性ミトラが蛍のように空中を乱舞する。しかしこの街には、まるで墨で塗り潰したかのようにひたすらに暗い夜が広がっていた。街灯の明かりすら、必要以上に広がることを制限されているかのように、どこか肩身が狭くひっそりと光っている。

「確かにこの街、やたら暗いな」

 キヤがガタつく木窓を開けた。そうすると、なんだか部屋の中まで少し暗くなったように思える。

「でも、いるにはいると思うよ。声が聞こえるし」

 零夜には、ミトラたちの囁きが届いていた。キヤやティエラには聞こえないほどの小さな声は、ひそひそかさこそと鼓膜に心地良い。姿が見えないのは妙ではあるが、必ずしも発光するミトラばかりとは限らない。この辺りは、発光性のミトラが増えにくい土地柄なのかもしれない。


「……夕焼けをなくしちゃうなんて、悪いことだよねえ?」

 窓の外を見つめながら、ティエラが言う。「観光資源だったって言ってたし。それに、何年もずっと夕焼けが見られないなんて、きっとすごく寂しいだろうな」

「うん。ヘイリューは、どうしてそんなことするんだろう」

 零夜は橋の上で見た、ヘイリューの笑顔を思い出していた。敵意も悪意も感じられなければ、例えば歓喜や悦楽といった、加害を楽しむような感情すら読み取れない――不思議な笑顔だった。

「知らねー。また明日考えようぜ。あいつを追い出すかどうかも含めてさ」

 部屋の薄暗さに加えて今日の疲れがどっと出たのか、キヤは早々に布団に潜り込んでいる。「勝手だなあ」と文句を言って、零夜も荷物の整理もそこそこに、部屋の明かりを落とす。ティエラはまだ少し名残惜しそうに窓に視線を向けていたが、すぐに髪をまとめ、少しばさつく布団に横になった。「おやすみ」と零夜が言うと、並んだベッドから「おやすみ」と、呟くような返事が聞こえた。

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