第二節
セン・ワンロンは目を開けた。ほの明るい天井が目に入る。ほのかに漂う羊のにおい。子供の笑い声がかすかに聞こえてくる。どうやらここは遊牧民のテントらしい。彼は体を起こそうと力を入れた。瞬間、まるで雷に打たれたかのような激痛が彼を襲う。体中の筋肉が切り裂かれるような感覚に彼の口から呻き声がもれる。汗まみれになった彼の体から力が抜けて、ワンロンは痛みに喘ぎながら天井を睨みつけた。そのまま時が流れていく。次第に天井の明るさは柔らかくなり、どこからか肉の良い匂いが漂い始めた。ワンロンの腹が音を立てる。
いつの間にかうとうととまどろんでいたワンロンは、テントのドアが引き開けられる音で目を覚ました。ついさっきまでただよっていた弱い光を駆逐して、オレンジ色の光が空間を満たす。ワンロンは目を細めた。誰かの息遣いが大きくなって、逆光に照らされた二つの顔が彼を覗き込んだ。トゥバンとガンザンである。トゥバンとワンロンの目が合った。トゥバンの顔がちょっと綻ぶ。彼は懐から水筒を取り出し、ワンロンの口にあてがって、彼の頭をちょっと持ち上げると、ゆっくりと水筒を傾けた。液体が注がれるのにつれて、ワンロンの顔色がみるみるうちに良くなっていく。水筒が口から離れて、ちゃぷんと音を立てた。
「もう大丈夫だ。起き上がってみろ。」
ワンロンがガンザンに支えられながら恐る恐る起き上がる。彼は驚愕の目でトゥバンを見た。トゥバンはにこにこして座っている。
「どうだ、驚いたろ。おばば特製の呪い消しだ。包帯ももう取って大丈夫だ。」
ワンロンは初めて自分の体中に巻かれている包帯に気が付いた。手の包帯を取ってみると、ところどころに傷跡が残っているだけで、数時間前にあれだけ痛んでいたとは到底思えない。彼はぽかんと口を開けてトゥバンを見ると、毛布をがばっと跳ね除けてその場に平伏した。
「あ、ありがとうございます!このような御恩、どうお礼をすればいいのか……。」
「良い良い礼なんて。当然のことだ。」
トゥバンは手を振ってワンロンの言葉を遮った。そして訝し気な顔をして
「そんなことより、なんであんな強力な呪いをかけられていたんだ?あれほどの呪いをかけられるなんて、滅多にあるもんじゃない。何があった?」
ワンロンが一瞬きょとんとした顔でトゥバンを見た。それから合点がいったような顔をして、体を起こした。
「そうですな。まずはそこから話さねばなりますまい。」
彼はゴホンと一つ咳ばらいをして、トゥバンとガンザンに向き直った。
「まず、私はセン・ワンロンと申します。以後、お見知りおきを。」
ワンロンが深々と一礼する。青年二人も礼を返し、名を名乗った。
「なるほど、トゥバン殿とガンザン殿ですか。いい名をお持ちだ。」
ワンロンはうんうんと頷いた。トゥバンと目を合わせる。
「まず、トゥバン殿。私がなぜこの大草原に来たかと言いますと、貴方のお父上に貴方を探し出すようにと命じられたからであります。」
トゥバンは目を見開いた。ガンザンが素早くトゥバンの顔を見やる。
「父?ワンロンは俺の父のことを知っているのか?」
ワンロンは深くうなずいた。
「ええ、もちろん存じ上げております。私はお父上の元で十年近く仕えておりましたから。」
トゥバンが身を乗り出した。
「なら教えてくれ。父は生きてるのか?どんな人なんだ?何で俺を草原に置いていったんだ?」
ワンロンは眉をひそめて、トゥバンの縋るような目をまじまじと見つめた。
「……部族の者から何もお聞きになっていないのですか?」
「聞いたことと言えば、私の父は砂漠生まれの勇猛な戦士で、帝都に向かう途中にこの部族に母と当時一才だった俺を預けていったというぐらいだ。母は四才の時に死んでしまった。長のユジャも何も教えてくれない。俺は父についてほとんど何も知らないんだ。」
ワンロンが非難するような目をちらりとガンザンに向けた。ガンザンはびくりと震えると、下を向いてもごもごと呟く。
「俺だって何も聞いてないよ。聞いてたら真っ先にトゥバンに言うさ。」
ワンロンはため息を吐くと一つ咳ばらいをして、視線をもとに戻した。
「トゥバン殿。今年でいくつになられます?」
「今年で……えーと、十八だ。」
「ならば、六年前の大宮城炎上事件を覚えておりますな?」
「ああ、覚えている。巨大な炎の鳥が帝都を焼き尽くし、南西に去っていったとかいうやつだろう?先代皇帝もそれで亡くなられたとか。」
「ええ。まあ焼けたのは大宮城だけではありますが……。まあいいでしょう。」
ワンロンはまた一つ咳ばらいをして、ちょっとトゥバンとガンザンに手招きした。二人がワンロンに寄り、身を屈める。
「実は、あの事件で亡くなられた十五代皇帝、雷炎帝こそ、トゥバン殿のお父上なのです。」
トゥバンの目が大きく見開かれた。口をポカンと開けて絶句する。ガンザンはあわあわと口を動かしているが、言葉は出てこない。小声はさらに衝撃の事実を二人に伝える。
「そして、十五代皇帝陛下は炎に巻き込まれて亡くなられたのではありません。暗殺されたのでございます。……今、十六代皇帝真炎帝を名乗っているあの男の手によって。私の身にかけられていた呪いも、奴によるものです。」
炎の帝国(旧) 蛙鳴未明 @ttyy
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