第15章「大鳥の祠」_2

 あの人の『心』には悲しみが渦巻いてる。時々、悲しそうな顔をする。


 あれから時は経ち、ある日、姉のそんな夢を見る。これが夢であったと片付けてしまってもいいのか? ぼんやりと頭のなかに記憶としてあった。


 そして、森にいたあの鬼が残した言葉が。


 兄に頼み込み、どうにか長い棒を手に入れる。私がしっかりしないといけない。守れるように。


 


 静かな夜に、どこかの家で「鈴」が鳴っていた。屋水姫が近くにいるのかもしれない。


 屋水の巫女リュウが城に呼ばれた。はゆまに現れた猪の鬼が関係している。


 そうだ。もっと警戒すべきだ。


「この日」――を私は知っているはずだ。この日まで私は、普通に生活をしていた。鬼ではなく。人生を取り戻していた。夢か現か。


 目を覚ますと、忘れていた出来事をひとつずつ体験する。外の騒がしさに触れて、扉を開けると、そこは火の海が広がる。家には母の姿も兄の姿もなかった。


 老人が懇願している。刀を持った男たち。賊だ。


 これは、現実。まさしく現実となった。


 声がした。振り返ると、そこには母がいた。お前たち二人で逃げなさい。早く。


 一緒に――。


 行きなさい。白鈴。あなたが狙われている。


 私が? どういうことだろう? 私ではないはずだ。なぜならこれは。


 いや待て。思い出せ。たしか。私は姉に本殿に隠れていろと言われたはずだ。そして私は姉が殺されたところをこの目で見た。私は逃げて。最後に。


 母はお社に助けを求めるように薦める。馬はない。山道を二人で駆けるほうが危険だと判断した。何があっても。命を。隠れていなさいと。


 姉はまだ目を覚ましていない。


 母の助言をもとに急いで家に戻り、長い棒を持ち、姉を起こし、賊共に発見されないように行動する。


 村中の女子供が集められている。すぐには殺さない。母は、あなたが狙われていると言っていた。


 兄の行方はわからない。男は躊躇いもなく簡単に殺されている。


 助かるにはどうしたらいい? 怯えるな。不安な顔を見せるな。私がいる。私が狙いだというのであれば。せめて姉さんだけでも。


 家屋は燃えて、村から離れた暗い場所では、人ではない者たちがこちらの様子を眺めている。


 これは記憶にある。手を引いて、火のなかを必死に逃げた。慎重に林を抜けた。お社のあるほうまでは火は回っていなかった。


 あれ? 私が、手を引かれていたような。いや。姉は戦えないはずだ。だからこうして戦えるように兄に頼んで。棒を握りしめると、しっかりと硬い感触がある。


 鳥居が見えてきた。壊れていない。石の階段は長い。


 視界が揺れた。煙を吸い過ぎたようだ。気分が悪い。


 休まず階段を登ると、そこから村の火災が窺える。


 皆殺しか。悲惨だ。まだ人は残っているだろう。


 急ごう。今は姉の身を守らないと。


 境内に人の姿はない。城に呼ばれたからといって、誰もいないはずはない。


 本当にいないのか? 奥へ奥へと歩いても、人の姿はない。


 何があっても出てはいけません。姉には本殿に隠れてもらう。どこにも頼れる人がいないというのなら。


 安心するには早いだろう。安心なんてできない。しかしそれにしても不思議に思えるほど静かな時間だ。先程まであれほどまでに騒然としていたと思うと。


 誰か来るのではないか。


 ここに来ないはずがない。


 胸騒ぎがする。


 やはり、そうなのか。


 屋水姫が祀られる神社。気配を感じて目を向けると男がいた。一人だ。他には誰もいない。大湊真道だ。


「白鈴か? 白鈴なのか?」


「……はい」


 恋する姉を殺しに来たと考えるべきか? そうはさせない。


「怪我はないか」


 ――頭が。いたい。思うように体がうごかない。


「はい……」


「無事でよかった」


「ちかづくな」


「白鈴。もう大丈夫だ」


「なにを……」


 なんだ? なぜゆえ抱きしめられている? 私は……?


 なぜだ? 何が起きている? どうして? おかしい。私は動揺しているのか。ちがう。これは。この感情は。そんな。


「お前に話しておきたいことがある」


 わからない。わからない。この男から離れても。もっと。息が。


「いいえ。今はそれよりも」


 べつに油断していたわけではない。これは全て、やつの作戦。私は警戒していた。それなのに突然抱きしめられて、私はかき乱されてしまった。


 これは現実。やつの切っ先が、私の胸を貫いている。ずっと。息をするのも苦しい。


 力が入らない。目を開けていられない。世界が広い。土の匂いがする。そこから強烈な血のにおいがする。


 姉だけは。姉だけは。どうにか。お願いだから。――生きて。


 時間はそれほど経っていないのだろう。だけど、長く眠っていたように思えた。目を開けると、本殿に隠れていたであろう姉が追い詰められている。


「やめて」


 声が届いている様子はない。斬られた姉は屋水の池の底へと沈んでいく。


 




 守ることはできなかった。


 ――変わらなかった。



「いたっ」


 白鈴は目を覚ました。腕に痛みが走った。周囲は淀んでおり暗い。真っ暗で何も見えない。しかし腕を掴まれている。掴まれているのがわかる。からみつく闇がとけて次第に晴れていくと、そこにはヒグルがいる。


 濁る白鈴に混乱が襲う。けれどそれは一瞬である。なぜなら。


 ヒグルがそこにいるということは。


「見つけた」


 声は光に満ち溢れた魔法のようで。『闇』が完全に晴れると。その場には彼女たち二人しかいない。


 飲み込まれる前のことを説明する。人型の鬼と戦っていた。『大鳥の祠』最深部を目指していた。返事をして、鬼に連れていかれそうになったところ、ヒグルがその手を取った。白鈴と一緒に、彼女は移動する。


 ずっと探していたようだ。そして彼女は一部分を見ていた。姉のことも。母のことも。大湊についても。桜の下。夜中。屋水の火災。


 あれは、どこまでが真実だというのか。


 少なくとも、火災の日、私は姉と共に逃げて、姉に本殿に隠れていろと言われ、姉が大湊に殺されたのを覚えている。これだけは忘れていない。


 ここはどこだ?


 二人でしかと行動する。怪我はない。休んでいる暇などない。


 行く先は皆同じだ。しばらくして白鈴は離れ離れとなっていた仲間たちと再会する。


 全員無事なようだ。大湊真道の目的を阻止しようと意気込んでいる。


 そうして大鳥の祠の入口に辿り着くと、かたく閉ざされた扉は見る影もなく既に破壊されていた。大湊の仕業だろう。他に誰がいようか。刀で斬った形跡がある。


 奥から、ここまでなんどか感じたことのある邪悪な気配が漂っている。


「このままだと」シュリが言った。


「急ぐぞ」


 怖気づいてはいけない。信じて・・・、進むべきだ。


 立ち止まるわけにはいかない。白鈴はだれよりも特に気を引き締めた。


 




 大鳥の祠の最深部、広々とした規模の大きい丸天井の下に男が立っている。


 ここは地上とはかけ離れている。植物の立派な根と、所々光が差し込んでいる。それは月から届く光のようではあったが、時間でいえば夜になるにはまだ早い。


「まさか復讐だけで、ここまで追って来るとはな」


 彼は落ち着いていた。あと少しで達成のはずだ。念願ではなかったのか。興奮気味ではない。あるいは確信しているのかもしれない。


「復讐をするためにここまで来たと思っているのか」白鈴は用心しつつ言う。


「違う、というのか」


「違う」


「ほお」


 彼は澄んだ目で眺める。何もしないのが不思議なくらいに。


「いいか、覚悟しろよ、火門。てめえの企みもここまでだ」目黒はそう言って指差した。


 白鈴は先程過ごした屋水での記憶がちらつくなか(集中したくても頭にこびりついていた)、その場の状況を把握する。


「大湊は、私がやる」


「あ? おまえ。なにいって」


「他を頼む」


「ほか?」


 ここにいるのはあの男だけではない。鬼に囲まれていた。音もなくすっと姿を見せたのは、針男と火女である。


「違う、か。まあいい」火門は刀を抜いた。「阻むというなら来い。戦おう」


 大湊真道。彼との戦いはこれまでにいくつかあったが、白鈴が勝てたことは一度もない。


 彼女は本来の自分を少しずつ取り戻している。


 しかしながらその激しさは増すばかりで、とても底が見えなかった。


「恐れているのか?」


 白鈴は何も言わない。最中に言葉などもう必要ないと考えた。


 すると、火門は乾いた笑いを浮かべる。


「なにがおかしい」


「お前が。失うことを、恐れていると思うとな。楽になればいいだろ」


 彼は一方的に中断した。決して優しさなどではない。彼は常に勝ち誇っている。勝負をつける前から、優越感に浸っている。それは相手のことを知り尽くしている立場だからこそできる行為のはずだ。


「私は、お前が欲しい。もう一度、問おう。素直になり、従う気はないか。怖いのだろ。今なら失わずに済むぞ」


 白鈴は透かさず言葉にはしなかった。戦場を肌に感じ、ただ無言で切っ先を相手に向け、その意思を示す。身勝手が過ぎる。


「腹が立った」


「そうか。なら。己の無力さに絶望しろ」


 火門は白黒をつけようとする。圧倒的な力で相手をねじ伏せようと決めた。その技は猿猿猴と呼んでいいだろう。武芸を磨いてきた者としての能力を発揮して、器用に熟す。


 強靭な猿猿猴により踊らされる。白鈴だからこそ凌げても優位に立つのは困難だ。相手の仕草から彼女が徐に見上げると、自身の体より大きな岩がこちらへ目掛けて落下している。


 豪快な一撃だ。火門は距離を縮め、刀を振り下ろした。その鋭さ、いとも簡単に岩ごと切り裂く。いかにも致命傷のように見える。


 だが白鈴にたいした痛手はない。彼女は心気で防いだ。


 


 争いはさらに過酷な域へと到達する。限界が見えない。無尽蔵に力を引き出す火門は山のようで、白鈴はなんとか渡り合う。


 彼女も段階的に実力を発揮している。とはいえ――。


「先程お前は復讐ではないと言ったな。お前は鬼。鬼となったのは、お前のなかに鬼となるだけのものがあったということだ。なのに、今、復讐ではないと言うのか。ではなぜ、この場にいる」


 白鈴は倒れていた。凌駕することは難儀だった。


 彼女の心気では防げない。見覚えのある攻撃。鬼雪崩だ。火門は「がしゃどくろ」と同じ方法で攻めてきた。


 驚きはあれど、いま考えると不思議でもなんでもないだろう。


 もう一度、まともにうけて耐えられるようなものではない。


 火門は返答を待たない。鬼雪崩で止めを刺すことにした。


 それでも、彼女は立ち上がると、更なる次元へと向かう。


 埋火蝶。


 ひとまず危うい局面は打開される。


「この国には、どれほど絶望へと沈められようと、未だ諦めず、互いに信じ、鬼に抗い続ける者たちがいる。戦いを一度終えようが。どれだけ離れていようが。誰かをそばに感じ」


 彼女は意志を示す。戦いを継続させた。


「私は確かに死人だ。しかし、大湊。お前には理解できないのかもな」


 その勢いは衰えることはなし。これまでは綱渡りのような戦闘でしかなかったが――埋火蝶――彼女の火は軟弱な地盤を固め戦況をひっくり返そうとする。


 山のようで、とは、どちらのことであったか。


 火門も鈍化せずにいる。追い詰められるのではなく、追い詰めようとする。


「領主となっても、要らないと捨てる。利用し奪うばかりで。お前が失ったものだ」


 彼女は終わらせようとした。猪武者。


 それは正にこう言えるだろう。止めの一撃だ。


「自由を掴もうとする。尊い命からなる。ひとの思いだ。私はそれだけでここにいる」


 火は燃え続ける。危なげなく美麗さは失わず死命を決する。この戦いはそのように見えた。


「聞けば。思い。それがどうした。取るに足らない」


 火門は少したりとも姿勢を崩さなかった。


 すると火門の体、その内側から、いくつもの歪な腕が出る。まさかの出来事だろう。『大湊の化身』が突き破るようにして姿を現す。


 白鈴は両手に囚われてしまう。もちろん火はところかまわず燃え移っている。火移り。しかし、いよいよ見えた化身の顔は表情を変えたりはしない。


「お前は鬼だ。人であった。今どうだ。同じはずだ。お前は、違うというのか」


 化身の言葉と同時に彼女は侵食されていく。鬼の手から染まっていく。小さな肉体に精神とじわりじわりと、消えぬ火も消えてしまう。


「わたしは。わ、たしは」


 彼女はぼんやりと見詰めていた。濁流のなか救いのある安らぎが照らす。


『だめ……。白鈴、ダメ』


 遠い場所。傍にはいないはず。シュリの声である。


 白鈴は視界が開ける。「そうは思わぬ」


 大湊の化身は断じて許さない。そこに猶予など与えなかった。共にあることを強く望む。


 白鈴は両手に掴まれたまま化身に食べられてしまう。飲み込むとはすこし異なるか、自身の腕ごと咀嚼しており消化をよくしているようだった。


 難なく食べ終えると、馴染まなく気に入らなかったようで、埋火蝶陰影や衣服といったくずを乱暴に吐き出す。


 化身は取り込んだ影響で、体内の膨らみからげっぷをする。


「だからいつまでもお前は弱いのだ」


「これが、力か」と呟く。化身は吐き出したばかりの埋火蝶陰影に目を向けると、それに腕を伸ばす。


 ところが、手が届く前に、美しき刀はひまわり色の髪を持つ彼女によって奪取される。ヒグルだ。


 彼女の周りには、シュリと上井、いなびがいる。


「それを、渡してもらおうか。主のいない武器に価値などない」


「渡すわけないでしょ」


 ヒグルは従わない。彼女は全力で阻止するつもりでいる。


「それと、お前もだ」


「シュリ?」いなびはそう言って、彼女のほうを見る。


 間隔を置かず、複数の腕がヒグルとシュリに襲い掛かる。とくに反応できたのは上井だった。彼はシュリを守った。伸びる腕からひとつ防いだところで安心はできないが、おかげでいなびも参戦できる。


 ヒグルも回避する。しかし逃れ続けるのにも限度がある。


 苦しくなる一方でとうとう追い込まれると――。


 そこで遅れてやってきた男が二人いる。彼らは危機をはねのけた。


「させるわけがねえだろ」


 目黒はそう言った。糸七は何も言わなかった。


 化身は攻撃をやめる。焦れったいと考えた。手段を変える。その二つ以外は、どうなろうが関係ない。


「邪魔だ。まとめて潰してやる」


 黒色の球体が浮かぶと、丸みを維持したまま膨張する。


 彼らはその場を離れようとはしなかった。困難に立ち向かう。シュリは扇を広げ、ヒグルは魔法の壁を幾重にも重ねる。


 凌げず防壁は破られる。


 目黒と糸七はというと、球体を打ち破ろうとする。


 黒の球体は十分なほどその形を変えた。消滅し、そこは化身だけが立っている。


 化身は力に物足りさなを感じていた。妙に大人しいという考えはあったが、静かな大鳥の祠を目の当たりにして気付く。


「あと少しのところを。最後の最後で足掻いたか。あとは、お前だけだったが」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

千客万来(センキャクバンライ) 塚葉アオ @tk-09

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ