終わりまで

 シルヴィアを購入して、三年の月日が経っていた。相も変わらず出逢った時のまま、シルヴィアは美しくかわいらしい。

 普通のドールと比べていろいろと違うシルヴィアだが、なんとか慣れ始めた頃だった。そうして忘れていたことを思い出す事件がやってくる。


「そのドール、譲っていただけませんか?」

「は?」

 唐突に、声をかけられる。見た目は普通の男の人で、きちっとしたスーツを着ていた。

 それでも知り合いでもない人から、つまりは初対面の人から大事なものをくれと言われて、イライラしない人間などいるのだろうか。いやいない。愛着もかなりあるものだし譲ってくれといわれて、はい譲りますなんてなるわけないだろう。

 というかなんだか目つきがやばい。なんだこの人。息を切らせながら、いくらでも出しますとかなんとか言いながら距離をつめてくる。シルヴィアを後ろに隠して、なるべく距離をとって、走り出す。

「待ってください!」

 すぐさま相手も追いかけてくるので、シルヴィアの手を引っ張って、交番まで走り抜ける。幸いなことに相手は足が遅かったので、簡単にまくことができたのだった。ホッとしてシルヴィアを見ると、いつもより顔色が悪い。

「シルヴィア?大丈夫?」

「さっきので残りの稼働時間が一時間になったわ。充電して……」

「えっここで?」

「きついの、おねがい」

 グッとなりながらも、冷静に冷静に努めて、おでこにキスをした。それと同時にシルヴィアは目を閉じて、眠る。

 寝る前にするキスはもはやルーティンとなり、恥ずかしさは全くないのだがこういうとこでするのにはまだやはり抵抗がある。稼働時間が日ごとに短くなっていってるので、たぶんこれもルーティンとなるのだろうと思うと少し悲しい。

 またあの変態が来ても困るので、警察に知らない男につけ回されたと伝えておいた。警察は巡回を強化してくれるとのことだったので、一安心である。

 その日はどこにも寄らず、シルヴィアを抱えて家に帰った。


 □□□


 あの事件があってから数週間は警戒に警戒を重ねて行動するようにしていた。

 私がいない間に盗まれても困る。どういう目的の人かもわからないし、盗まれてバラされたりとか、もしくは監禁したりだとか暴力をふるったりだとか……考えるだけで嫌だけどそういう可能性は充分にあるわけで。鍵も新調して、二個に増やしたし、家の中にいる分に関しては大丈夫、だと思いたい。

 黒を基調としたワンピースを着て、ごろごろと転がっているシルヴィアを見る。まだ眠る時間でもないので、ヒマを潰すようにこうやって気がつくと何かやっているようだ。さっきは部屋の掃除をしてみたりしていた。ちらりとそこを見ると随分と綺麗になっている。平和だなあと思っていると、私のお腹からくぅと情けない音が流れた。

「アリス、お腹すいた?」

「…………ちょっとね」

「すぐご飯にするわ!」

 いい暇つぶしを見つけたと言わんばかりに、キッチンへと走り出す。そしてすぐに戻ってきて、口を開いた。

「お醤油が切れてるんだけど……」

「あ、買い忘れてたわ。そういや」

「もう。じゃあ買ってくるわ」

 す、と手を出して言ってくるので、その小さな手に私の手をのせてみる。シルヴィアは当然のごとく不服そうな顔になった。

「いや私が買ってくるし。」

「一人でお遣いくらいこなせるわ」

「うーん、危ないし。」

「そろそろ一ヶ月も経つのよ?大丈夫よ」

 そう言われてじゃあいってらっしゃいと言えるほど私は甘くなかった。が、折れる気配がなさそうだったので、しぶしぶ了承し、シルヴィアを送り出したのだった……。

 まあ、後をつけてくんですが。一人で出させるわけないし。シルヴィアが出て数十秒後、私はそっと玄関のドアを開けて、エレベーターに入っていく銀色の髪を見て、すぐに外に出てさっと鍵を閉める。そしてダッシュで階段を駆け下りた。エレベーターよりも本気を出した人間の方が早いに決まっているのだ。

 息めちゃめちゃ切れるけど。


 ナビ通りにシルヴィアは進んでいく。危ない道など通らない。ただ人気の少ない道というものはどこにでもあるもので、どうしてもそこを通らないといけないのだ。そこだけは、不審者がいないかどうかだけを必死に確認しながらシルヴィアを追跡し続けた。今の段階でいえば私が一番の不審者であるが。

「いらっしゃいませ~」

 無事に近所のスーパーまでたどり着いた。これだけ人が多ければとりあえずスーパーにいる間くらいは大丈夫だろう。ちょっと休憩しようと小さなフードコートでオレンジジュースを注文し、一休み。一口飲むと、甘さが体中に広がっていくようだった。

 すぐに飲み終わって、もう一杯頼もうかと思って、グラスを見つめていると。なんだか薄暗くなった。おかしいな、店内なのに、と思って上を向くと。銀の髪が私の顔に散らばり、赤と紫が混じった不思議な瞳がこちらを見つめている。

 ひゅっと息が詰まった。まさかこんなに早く尾行がバレるとは思わなかったからだ。じとっとした瞳が私を責め立てている。

「どうしても来たかったのね?」

「へ?」

「それなら言ってくれればよかったのに。お醤油だけだけど一緒に行きましょ」

「……うん」

 責め立てているわけではなかったらしい。先程と打って変わって上機嫌になったシルヴィアと共に買い物を済ませ、二人で帰ることとなったのだった。

「今日は親子丼にしようと思うの。アリス、好きでしょ?」

「うん、好き」

 たわいない会話をしながら、二人で手を繋いで帰る。

 そうして、また人気のない道にさしかかった。だんだんと暗くなり始めた空のせいで、だいぶ薄気味悪い道になっている。何もいませんように、とシルヴィアと共に歩く。遠くで救急車の音がしている。不気味だ、なんて思わないように足早に進む。

「譲ってくれませんか」

 すぐ後ろで声が聞こえた。

 反射的に振り向くと、焦点の合わない目をした男が立っている。数週間前に見たあの男だ。

「アリス!」

 シルヴィアが叫んで、私の手を引っ張った。けど、遅かった。男の手にはナイフがあり、それは私の腹を容赦なく突き刺している。男は刺さったナイフを抜き取り、もう一度差すべく私に振り下ろそうとしていた。刺された腹をぎゅっと押さえて、シルヴィアの手を引っ張り、最後の力を振り絞り走り出す。

「ほしいほしいほしいほしい」

 男のうわごとをBGMにして、走った。誰か人のいるところまで走り抜ければ私の勝利なわけで。もうすぐ、もうすぐだ。走れ。

「それが、ほしい」

 一際大きな声だった。やけにその言葉は響く。それでも、私は。

「この子は私のものよ。あげない。絶対にあげないんだから!」

 そう叫んで、走った。なんとか人の多いところまで来てようやく私は地面に倒れ込むのだった。意識が飛ぶ前に見た不安そうなシルヴィアの顔はしばらく忘れられそうにない。


 □□□


 なんとかあのストーカー男から逃げ切った私は倒れ込み、周囲の人がストーカー男を取り押さえて、警察に引き渡してくれたそうな。私はそのままシルヴィアと一緒に病院へ。目を開けたら見知らぬ天井で、倒れ込む前のことを思い出せないくらい驚いてしまった。思い出したらなんてことはない。刺されたし気を失ってるんだから当然のごとく病院でしょう。

 そして、不安そうに揺れている二つの瞳。買ったときは、ここまで表情豊かになるとは思わなかった。すごいよなあ、なんて思いで銀色の髪を撫でる。さらさらと流れる髪はいつまでも触っていたい。

「失礼します」

 ノックもせずにくたびれた茶色のスーツを着た男が入ってくる。

「ノックぐらいはしてください」

「あ、すみません。……えっとですね、僕はこういうものでして」

「ああ、刑事さん」

 渡された名刺を見て、ぼんやりと答えた。

 私を刺した男は早々に捕まり、今はもう牢屋の中にいるらしい。牢屋の中でも、まだしつこくあのドールが欲しいとブツブツ言っているらしいので、一年ほど牢屋で過ごしてもらってまだ精神状態がおかしいようならそういう病棟行きが確定しているとのこと。何にせよもうあの男と関わることはないと言われた。まあとりあえずは一安心である。

「ただ、その、なんというか言いづらいんですが」

「なんですか?」

「そのドールは連れ歩かない方がいいと思いますよ。…………それでは失礼します」

 言いたいことだけを言ってその刑事は去って行った。

 は?

 どういうことなのか聞こうにもその刑事はもういないし、起き上がるだけで痛いこの身体では追うこともできない。たぶん希少価値が高いことが関係しているのだろう。そう解釈し、シルヴィアのおでこにキスをした。

 目を閉じて、眠るシルヴィアを横目に私も寝ることにしよう。大丈夫、最後まで私はシルヴィアの隣にいることを誓うから。だから今は一緒に眠ろう。


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オールド・ドール 武田修一 @syu00123

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